29.兄の友達と対面です。
「くりゅ?」
「どうかな」
「私は来ると言ったら来る。明日もちゃんと白パンを用意していろ」
昨日の少年の言葉を本気にとっていいのかどうか迷うところだったけど、父さんは余分に貰った代金もあるのでちゃんと白パンを取っておいた。
そして、そろそろ店を閉めようかと思った時、一人の場違いな客がやってきた。
「あ……」
「こ、こんにちは」
ちょっとビクビクしながら店に入ってきたのは、昨日銀髪少年のパン代を持ってきた子だ。
昨日も大丈夫だろうかって思ったけど、今日もかなり挙動不審だった。
「あ、あの、パンを受け取りに来たんですが……」
「ああ」
父さんは取っておいたパンを厨房から持ってくる。
「えっと……」
父さんが口籠ると、彼が焦ったように頭を下げた。
「私はカシミロと言います。どうぞよろしくお願いします」
深く頭を下げる姿は、なかなか苦労性みたいだ。私が同情の目を向ける先で、彼はポケットから小さな布袋を出している。多分あの中にお金が入っているんだな。
「あの、お代を……」
「そのことだが、昨日貰い過ぎてた。白パンは一つ大銅貨9枚なんだが、中銀貨を置いていっただろう?」
そう言いながら父さんがおつりを差し出すと、彼……カシミロ君はすごくびっくりしたようにそれを見ている。
「……そんなに、お安いんですか」
「……そうか?」
ふふ、そう言ってもらえると嬉しいな。彼は白パンをもっと高価なものだと思ってくれているってことだもん。
父さんも厳つい顔に笑みを浮かべ、照れたように笑っている。
昨日、あの少年にパンの取り置きを宣言された時はどうなるかと思ったけど、間に立つのがカシミロ君ならなんとかなりそうな気がする。
それから、本当に毎日カシミロ君はうちの店に来るようになった。
始めは緊張していた様子の彼も、来るたびに少しずつだけど打ち解けてくれるようになった。……と、言っても、あの少年のことは名前も教えてくれないほど口が堅いけど、本人のことは結構ポロポロ教えてくれる。
それによると彼は14歳で、高等貴族院に通っているらしい。将来は文官になりたいらしいが、親の身分が低いのでどうなるかはわからないということ。
今仕えている主……つまり、あの少年は結構我が儘で、いつも振り回されていると、まるで中間管理職のような溜め息をついていた。
高等貴族院に通っているんなら、カシミロ君は身分が低くても貴族だろう。その彼が仕えるというのなら、あの少年はもっと良い家の子だってことだよね。
誰だろうって興味がないわけじゃないけど、私が知ったってどうにかなるものでもないし、どちらかと言えばこうしてうちまで来てくれるカシミロ君の方に親しみを感じる。
父さんも、カシミロ君の大変さをわかったようで、何日か経つと彼の分の白パンまで用意するようになった。
「え、私の、ですか?」
「ああ」
「で、でも、私、代金を……」
どうやら小遣いを持っていないらしいカシミロ君は、恨めし気に視線を伏せる。でも、父さんは無理やりパンを渡した。
「これはお使い賃の代わりだ。いつもありがとう」
「ジャックさん……」
うちに通うようになって十日。
当初のビクビクした様子はかなり薄れ、少しは気を許してくれた感じのカシミロ君が、感動したように父さんを見上げている。
(……子ヤギみたい……)
弱々しい草食動物に見えるカシミロ君の腕を、私も労うようにしてポンポンと叩いた。
それからも、白パンの売り上げは絶好調だった。
作る数ももう少し増やしてみたが、それでもやはり昼過ぎには売り切れてしまう。
そして、酵母を作る砂糖の量も確実に減ってきた。これはちゃんとこの後どうするのか考えないといけない時期だ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっちゃ!」
今日は、パン屋の会合だ。
のらりくらりと連絡を先延ばしにしていたグランベルさんとも、今日は確実に顔を合わせることになるので、父さんは昨日からずっと難しい顔をしていた。
グランベルさんが店に来てから三十日は過ぎてるし、待ってくれた方だと思う。
私は父さんに、酵母を譲るという方法と、作り方を教える代わりに何某かの権利を貰うという二つの案を出してみた。
言った時、父さん驚いてたな。私みたいな幼児が権利とか言い出したから。ちょっと失敗しちゃったけど、優しい父さんがちゃんと主張できるよう後押しをしたかった。
店は昼から休みになった。
いつも学校から帰って店を手伝うケインも、今日は友達と南門の近くにある森へ遊びに行くらしい。
だから、私も頼んでみた。
「リナも、リナもいっちょ、いく!」
「リナも?」
ケインは困ったように私を見下ろした。
そうだよね。腕白盛りの男の子の中に、2歳の幼女が入って遊ぶなんて無理だ。でも、私はどうしても一緒に行きたかった。正確には、森に、だ。
(だって、興味があるんだもん)
フレンチトーストを作り、白パンも完成して、私の食生活は一気に改善した。この後ももちろんいろんなパンを、美味しい料理を作りたいけど、その前に確かめたくなったんだよね。
(水の女神の加護って……どんなものなんだろう)
1歳の洗礼式の時、私の魔石は最初複雑な色に彩られた。でも、その後、あの美少年がもう一度調べてくれて、水の女神、ガレンツィア様の加護があるって言われた。
水の加護って何だろうって、疑問に思っても不思議じゃないよね。
ケインは、小さな威力だけど火を操って、オーブンだってちゃんと使えた。じゃあ、私は?
水がドバッて出てくるのか、それとも雨を降らしたりできる?
加護の話はあれから両親もしないので、結局いまだに聞けないままだ。その間に、パン作りのことでいろいろあったから、私もすっかり忘れていたけど……。
(昨日、ちょっと考えたんだよね)
うちにはお風呂がない。いつも、体はお湯で拭くだけが当たり前で、私は生まれてから一度もちゃんとした湯船につかっていない。日本人だった私からすれば、それはかなり物足りなくて、どうにかしてお風呂に、せめて温かいシャワーが浴びれるようにならないかなって。
それで、思い出したの。私の属性が水だって言われたこと。
どうすればいいのかはまだわからないけど、自分にどれだけの力があるのか確かめたい。それには、うちの中じゃなく、森の中が最適だって思った。
「に~ちゃ、おねあい」
私が腕を掴んで言うと、ケインはしばらく考えていたようだけど、母さんに向かって言った。
「母さん、リナを森に連れて行ってもいい?」
おぉっ、さすが妹愛の強いケイン! 連れて行ってくれる気になったんだ。
私がホクホク顔でいると、母さんがそうねぇと私を見る。
「リナは何をするかわからないし……」
「リ、リナ、い~こしゅる! ね? に~ちゃ」
「……俺たち、四人でちゃんと見てるから。リナも、森に行ってみたいんだよな? リナは美味しい果物とか好きだし」
……別に、森の果物が食べたいってわけじゃないけど……私は何でもいいからコクコクと頷く。
それでもしばらく母さんは渋ってたけど、ケインが何度もちゃんと面倒を見るって言ってくれて、ようやく森行きを許してもらえた。
大好きだよ、ケイン!
木の皮で編んだ手提げ籠を持ち、私はケインと手を繋いで家を出た。
「リナ、絶対に俺の言うことを聞くんだぞ?」
「あい」
「勝手にどっか行ったり、変な人について行ったりするなよ?」
「あい!」
今度は手を上げて答える。すると、ケインはデレっと目じりを下げた。
「リナは可愛いから心配なんだよなぁ。父さんがいたら、絶対許してもらえなかったぞ」
うん、たぶんそうだろう。私に甘いけど、かなり過保護な父さんはすごく心配性だ。大切にされているのは嬉しいけど、あまりにも過剰だと何も出来なくなりそうだよ。
「あ、いたっ」
私の歩みに合わせてくれたので、ケインは約束の時間より少し遅れたみたい。
南門には既にケインと同じ年頃の少年が三人立っていて、こっちを見て驚いたような顔をしていた。
まあ、私みたいなオマケがいると思わなかっただろうし、驚くのも無理ないだろうけど。
「おい、ケイン、リナも連れて来たのか?」
最初に声を掛けて来たのは、この中で一番体格の良い緑の髪の少年。
彼のことは私も知っている。三軒隣の肉屋の末っ子で、うちのパン屋にもよくお使いにくるからだ。ケインと同じ8歳だけど頭半分は大きくて、いかにもガキ大将って感じの子だ。
「ラウル、よろちく」
私がペコリと頭を下げると、ラウルはデレっと顔を緩めた。男三兄弟の末っ子であるラウルは、小さな女の子である私を守る対象だって思ってるみたい。優しいんだよ。
「ケインの妹なの?」
次に話しかけてきたのは、栗色の髪に眼鏡をかけた、ちょっと真面目そうな少年だ。
身長はケインと一緒くらいだけど、細くてちょっと弱々しい。
「森に行きたいって言うんだ。俺がちゃんと面倒見るから」
「……珍しい髪と目の色だね」
じっと見下ろされ、私はまた愛想笑いを向ける。黒髪と黒い瞳が不気味だって思われないよう、精一杯の可愛らしく見えるだろう笑顔だ。
「よろちくおねあいしましゅ」
どうしてもたどたどしい話し方になる私に、彼は少しだけ笑ってくれた。
「僕はパトリシオ、よろしくね」
「あい」
ちょっとインテリっぽいな。ケインと話が合うんだろうか。
そう思いながら私は最後の一人を見る。見事な金髪の少年は結構カッコいいけど、
「チビは邪魔だ」
口から出た言葉はまったく可愛くない。
(チビで悪かったわね。まだ2歳なんだから当たり前でしょ)
心の中で言い返しながらも、ここでそのまま言ってしまえば森に連れて行ってもらえないかもしれない。
でも、この子はなんだか男同士っていうのにこだわっていそうだし。
ちょっと早いけど、奥の手を使うしかないか。




