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25.売れすぎて困ってます。

 新しく入ってきた客が、空の台を見て眉を顰める。

「白パン、もうないの?」

「すみません、売り切れまして……」

 母さんが申し訳なさそうに言って頭を下げる。常連客相手ならもっと砕けて「ごめんなさいね」と言うのに、態度が畏まるのは目の前の相手がいかにも高そうな服に身を包んでいたからだ。

 こんなに上等のお仕着せの服を着ている人は、たいてい商家の使用人だ。

 ごく一般的なパン屋であるうちに、これまでこんなふうな上流階級のお客さんが来ることはほぼなかったらしい。

 それが、今や寝る暇も惜しむほどの大繁盛だ。

「いらっしゃい」

「……」

また、同じように上等な服装の女の人が店に入ってくる。

 同じ断り文句を言うんだろうなと思った私は、誰にも見つからないようにほうっと息をついた。

(……忙し過ぎ……)











 白パンを売り出して、六十日ほど経った。

当初は、美味しいけど高いパンなので、そう数は出ないだろうと父さんは言っていた。

 それなのに、いざ売り出してみると買っていくのは近所の人たちより、生活圏の違う大店の人たちが多かった。

 お金があるって、すごいよね。彼らは明らかに割高な白パンを、それこそ焼く端から購入していった。

 際限なく買って行っていたので、今では一人5個までとしているけど、中には使いを替えて買いに来ている人もいるらしい。

 それを告げ口してくるのがまた、別の大店の使いというのがおかしい。

 とにかく、予想以上に売れすぎて、

「もっと高い値段にするんだったな……」

父さんはそんなことを言って唸っている。

 父さんとしては、出来るだけギリギリの値段で、自分たちと同じような生活をしている者に食べてほしかったらしいんだけど……しかたないよね、これも商売なんだし。


 あ、そういえば、店の客が増えてしまったせいで、学校から帰ってくる早々手伝いをするようになったケインにお金の価値を教えてもらった。

 覚えられるかなって不安だったけど案外簡単だった。

 お金は、小銅貨、中銅貨、大銅貨、小銀貨、中銀貨、大銀貨、小金貨、中金貨、大金貨、白銀貨、白金貨ってあって、小銅貨十枚で中銅貨1枚、中銅貨十枚で大銅貨1枚らしい。

 教えてもらった貨幣価値から考えて、小銅貨1枚で1円、それが十枚で中銅貨1枚で十円っていうふうになって、十枚ごとに大銅貨1枚が百円、小銀貨1枚が千円。そこから少し単価が大きくなって、中銀貨が5千円、小銀貨十枚で大銀貨1枚、1万円。

 この辺りからもう私は見ることはないだろうけど、小金貨1枚は5万円、大銀貨十枚で中金貨1枚、十万円、中金貨十枚で大金貨1枚、百万円になる。白銀貨1枚で一千万円、白金貨1枚が一億円……一億円が硬貨1枚って言うのにびっくりしたけど。


 それで、うちの今までのパンは、1個大銅貨3枚だった。大体三百円、それでフランスパン一本分で、4人家族が1日で食べるって感じみたい。

 それに比べたら、今度の白パンは三倍の値段だから、大銅貨9枚、約九百円で設定している。実際は元のフランスパンもどきの半分の大きさだから、もっと高く感じるかもしれない。


 父さんは初め、これは必ず売れるだろうけど、それには時間が掛かるだろうって言ってた。

 庶民でも美味しいものは食べたいけど、毎日食べる主食として考えたら結構高めだ。

 今は砂糖があるから酵母菌も作れるけど、それが無くなったら自分たちで買わなくちゃいけないし、そうしたらなかなか値段は下げられない。

 困ったなあって厳つい顔をしょぼんとさせていたけど、私はそんなものだろうって納得できた。何事も新しいものを受け入れるのには時間が掛かるもんだもん。

 それよりも、家で美味しいパンが毎日食べられるようになったことが嬉しかった。

 これでもう、喉が詰まりそうになりながら、スープや水でお腹がいっぱいになりながらパンを食べることが無くなったんだもん。


 あ、それにもう一つ、商品が増えた。

何と、ジャムを作ったのだ!

 せっかくの美味しいパンをもっと美味しく食べるために、そして砂糖があるうちにと思って、ランゴでジャムを作った。

 ジャムは、母さんも作ったことがあるって言ってた。もちろん、砂糖じゃなくて、近所の人から分けてもらったハチミツで作ったんだって。

 どんな味だったんだろうって想像したけど、母さんは砂糖で作った物の方が甘いって言ってた。でも、今度ハチミツを分けてもらったら作ってみたいな。

 それで、出来たジャムも小分けにして、パンの側に置いていたら、これも面白いように売れた。

 甘味が少ない庶民にとって、これも贅沢品だって言ってたけど……もっと安く、容易に砂糖が手に入るようになったらいいのに。






 そんな感じで、始めはなかなか売れなかった白パンだけど、何日か経ってこの辺りでは見掛けない綺麗な格好をした女の人が来店して、なんと5個も買って行った。

 その時はびっくりして、でも売れて良かったって思っただけだけど、数日後、同じ人がまた白パンを買いに来た。

 こんなに短期間で普段食べるには高いパンを買う人に、母さんが声を掛けて話をしていた。

 私も側で聞いていたけど、なんと、その女の人は大店が立ち並ぶ北側からわざわざ足を運んできたらしい。

 うちのパンのことは店に出入りしている肉屋から聞いて、一度試しに買いに来て、そこの御主人が相当気に入ったのでまた買いに来たと言っていた。

 その大店から話が広まったのか、徐々に身なりの良い客が増えていった。

 売れるのはいいけど、父さんとしては近所の常連さんにこそ食べてもらいたいらしい。

 何とか値段を下げたいって悩んでいるけど、砂糖が高額なんだからしかたないじゃない。


 そう、砂糖。

 酵母を作って、ジャムを作って。あの麻袋の中の砂糖はもう半分以上減ってしまった。

 そろそろ無くなることも考えて、父さんは市場で砂糖を探したみたい。でも、いつも行く市場には無くて、お金持ちが買い物をする大店しか扱っていないらしい。

 値段は、小さな麻袋、たぶん2キロくらいで、小金貨1枚……つまり、5万円。とても簡単に買える値段じゃない。

 そこで、私はまたいろいろと考えてみた。

 砂糖って、一般人にも作れる方法があっただろうかってこと。

 真っ先に頭に浮かんだのはサトウキビだけど、この辺りにあるかどうかはわからない。後は……甜菜っていうのもあった気がする。

 どちらにせよ、私一人で砂糖を作り出せる自信はない。材料を見つけることももちろん、作業工程をちゃんと記憶しているかどうかってことも。

 入院中はよく本を読んでいたけど、まさか自分が砂糖を作るなんて考えもしなかったし、結構ながら読みしていた気もするし……。






「……う~ん」

 私が唸っていると、ちょうど焼けたパンを厨房から出していたケインが声を掛けて来た。

「どうしたんだ? リナ」

「に~ちゃ」

私はケインの手にあるパンを見る。

 今日はもう白パンは焼かないので、今まで通りの硬いフランスパンもどきだ。

「そりぇ……」

「これ?」

「……」

(そのパンも、もう少しだけ改良した方がいいんじゃない……?)

 今、父さんは自家製酵母を白パンにだけ使っている。あの完全に柔らかくて甘いパンを作るためだってことはわかっているけど、その酵母をこっちのフランスパンもどきを作る時にも少し使ってみたらどうだろう?

(砂糖の量を減らして……ん~、出来なくはないような……)

 今までのパンが少しでも美味しく変わったら、こっちを買う常連さんは喜ぶと思う。そうしたら、父さんのやる気も向上するだろうし……。

(でも、絶対に砂糖がもったいないって言いそう……)

 庶民感覚だもんね。私の考えの方がちょっと変わってるだけかも。


「リナ」

 私が黙り込んだので、ケインが心配そうに顔を覗き込んできた。

「気分が悪いんなら部屋に行くか?」

「らいじょぶ」

「……リナ、その年で働き過ぎだぞ」

いやいやいや、私、全然働いてないよ?

 最近ようやく「いらっしゃい」ってお客を迎えることができるようになったけど、この小さな手はまったく役に立たないし、言葉だってまだまだだ。

(もう少し大きくなったら計算とか手伝えるけど……)

 二十歳の記憶があるので、私はケインよりも勉強ができる。

 もちろん、言語とか歴史とかは自信ないけど、計算はかなり簡単だったし。

 ケインの宿題を覗き込み、私が教えてあげるとびっくりしてたっけ。……少し自重しないと。


 その時、また店のドアが開いた。

「いらっしゃい!」

ケインが元気な声で言い、

「いらっちゃ!」

私も、たどたどしいながらも声を掛ける。

 中に入ってきたのは中年の男の人だった。髭を蓄え、髪もちゃんと整えていて、服だって良いものだと見ればわかる。

 うちの店にはあまりにも不似合いな存在に、私もケインも次の言葉が出なかった。

「ご主人はいるかね」

 男の人は、意外にも気さくな感じにケインに話しかけた。

「え、えっと……父さん!」

 どうしたらいいのかわからない様子のケインが父さんを呼ぶと、厨房の中からこっちを見ていた父さんが店頭に出てくる。

「いらっしゃいませ」

 父さん自身は愛想良く言っているんだけど、傍から見ればかなり怖い顔だ。

私はトテトテと父さんに近づき、その足にしがみ付いた。


 

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