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閑話.ある幼子との再会。

「一度、神殿に行くといい。そなたもそろそろ貴族としての役割を知っておいた方がいいだろう」


 去年、そんな父の言葉で、私は1歳の洗礼式が行われる神殿へと赴いた。

一歳下の主になる彼が高等貴族院に入学するまでの一年間、空白の時間は私の自由になると思ったけれど、家長である父の言葉は絶対だ。

 しかたなく神殿に足を向けた私は、そこで思いがけない存在を見つけた。


 光の女神アルベルティナ様、闇の神ジルヴァーノ様、火の神クレメンス様、水の女神ガレンツィア様、大地の神ランベール様、風の女神エニーレ様、そして……知の神、ディートヘルム様。

 世界を創る七神に愛された幼子は、貴族の血をひかない庶民の子だった。

 本来なら、そのような力のある幼子は神殿に引き取られ、いずれは国のためにその力を捧げなければならないはずだ。そのために、こうして1歳の洗礼式を行うのだ。

 庶民には知られていない、国の上の者にとっては公然の秘密。

 だが、私はなぜか神殿長を抑えて、偽りの情報を幼子の魔石に刻んだ。

 どうしてそんなことをしたのか、後になって私は己の行動の不可解さを不思議に思った。常に冷静であれ、理性的であれという教育を受けたはずなのだが。

 国と彼に忠誠を誓っている身ならば、あれほど価値がある幼子を見過ごすことなどしてはならなかった。


 おそらく、あの夜の色を映す瞳が悪い。

 あんな瞳を持つ者を、私はそれまで見たことがなかった。

 どうしてという疑問が渦巻くのは珍しい。私は、この先あの幼子と己がどう交わっていくのかを考えていた。











「それはまことか?」

 彼の様子がおかしいというのには気づいていた。

 もの言いたげに私を見ることがあったし、これまでは暇さえあればくだらない遊びに付き合わされていたというのに、時折内密な行動をとるようになったことも。

 私は御守りの時間が減ったくらいにしか思っていなかったが、彼をずっと放っておくことは悪手だ。

 しかたなく配下に彼を見張らせていたが、今日、思いがけない報告を受けた。

 なんと、供を一人だけ連れて下町に行ったというのだ。


 しかも、その行く先は、私が密かに監視をつけていたあの幼子の家で、なぜか高価な砂糖を幼子に下賜したという。

 その報告に、私は困惑した。何がどうなって、そのようなことになったのか。珍しく予想がつかなかった。

 私は己の考えが及ばないということが納得できない質だ。すぐさま詳しい事情を探らせた。

「その庶民は正直に町周りの衛兵に取得物として届け出たらしいのですが……」

「どうしたのだ」

「かの方がご自身の側近見習い候補を動かされ、第二衛兵隊小隊長、パトリス・イーヴに命じて受け取らせたのだと」

 まだ高等貴族院に入学していない彼が、わざわざ側近見習い候補を?

 私は目を閉じる。単純な彼の行動はこれまで手に取るようにわかっていたし、そもそも彼は事あるごとに私に話をした。それは、苦手な勉学のことであったり、嫌いな貴族のことであったり、好みの女性のことであったり。

 しかし、今回に限り、彼は私に何も言ってこなかった。それが不思議であると同時に、そこに何か別の思惑があるのではないかと思ってしまう。

「いかがいたしましょう」

 視線は手にした本に向けたまま、私は静かに指示する。

「どちらともに監視を」

「あの方にも、ですか?」

どこか楽し気な側近の声にも、私は顔を上げないままだ。

「いずれにせよ、問題行動の多い方だ。監視を付けておいて損はない」

 私は本へと意識を戻した。






 それからも報告は上がってきた。

彼が時々下町へ行くのは変わらず、だが、直接の接触はないままだ。

 もちろん、私は両方の監視を続けていた。無駄足になったとしても、何かあった時の対策はしっかり立てておかなければならない。





 そろそろ、1歳の春の洗礼式だ。

 一年経って、あの幼子は2歳になったはずだ。

 身の内にあった魔力はどうなったのだろうか。今も七神に愛されたままでいるのだろうか、実際にこの目で確かめたくなった。

「……」

「どうなされました」

 私は本を閉じた。

「明日は、予定はなかったな」

「どちらに行かれますか?」

 尋ねられたが、私はそれに答えない。ただ、頭の中に浮かんだ疑問は、早めに解消するのがいいだろうと考えていた。






「……使徒像、か?」

 王都のそこかしこに建てられている使徒像。

信仰のため、いつでも祈りを捧げることが出来るようにと建てられているが、内情は国への反逆者を炙り出すためのものだ。これも、知っているのは極々僅かな者たちだけだ。案外、王族は小心者なのだろう。

 見慣れた使徒像に改めて驚くことなどないはずなのだが、目の前の使徒像には見慣れない装飾品があった。

「……何でしょう、この赤い布……」

「……」

 庶民は、こんなもので使徒像を着飾るのだろうか。

「……ん? よい匂いがしますね?」

 その言葉が終わるか終わらないうちに店のドアが開き、中から1人の幼子が出てきた。一年が経ったが、外見的にはあまり変わらないあの、幼子だ。

 幼子は覚束ない足取りで使徒像の前に行き、手に持っていた器をその前に置いて祈っている。初めて見る光景に、私は一瞬身体が動かなかった。

 通常、神への寄進は神殿へ贈られるものであり、こんな町中で供えをするなど考えられない。


「あ……っ、に~しゃん?」

 少し時間はかかったが、幼子は私のことを覚えていた。思いがけず、邪気がない笑みを向けてくれる。

 今日は顔を見せるつもりはなかったが、行きがかり上店の中に入った。

 さすがに親は私の顔を覚えており、あの時のことを思い出したのか見る間に蒼褪めていくのがわかる。まだ子供の私をそこまで恐れるとは二心があるのではないかと考えたが、私の家のことを知っているのなら恐れることも理解できる。

 当の本人は暢気な顔をして笑っているが。




 そこで、私は初めて見る料理に衝撃を受けた。

形からパンだとはわかる。この国のパンは、硬い。硬くて黒いのが一般的で、貴族社会で食すものは多少ましというくらいだが、今目に映る料理は私のまったく知らない調理を施したものだった。

 毒見されたそれを口にした時、その衝撃はさらに大きなものになった。

(柔らかくて……甘い?)

 フォークで簡単に切ることができたそれは卵が絡み、バターと牛乳の風味が鼻をくすぐって、ほのかな甘みを伴って口の中に入ってきた。


 この甘みが、彼が下賜した砂糖によるものだというのは理解できた。

しかし、高級な砂糖をこんなふうに料理に使うとは。

 料理を見れば、どんなふうに調理されたのかは予想がついた。おそらく、卵と牛乳と、砂糖を混ぜた液にパンを浸して焼いている。わかれば何てことのない調理方法なのに、その調理方法を思いついたことが衝撃なのだ。

 幼子と父親を見れば、どちらがその調理方法を考えたのかは一目瞭然だ。そして本人も、自慢げに胸を張って自らが考えたのだと言った。

(まさか……こんな幼子が?)

 信じられなかった。

 そして、歳にはまったく似合わない聡明さと知識に、珍しく気持ちが高ぶった。

 何事も予想がついてつまらないと思っていたのに、まったく想像もできないことをする存在が現れるとは。

 それが、以前私がその魔力を見逃してやった者だというのに、らしくもなく運命のような気がするのがおかしかった。






「おいっ」

 数日後、久しぶりに彼が私の前に現れた。

「最近、面白いものを見たぞ」

「そうですか」

「知りたくはないのか?」

 この言い方は、話したくてたまらないのだろう。むしろ、ここまでよく言わずに我慢できたと思う。

(……どれが正解か……)

 知りたいと強請るか、無視をするか。好奇心旺盛な彼を抑える最善の方法を考える。何しろ、対応を間違えれば、彼が暴走することは目に見えていた。

 私は一呼吸を置いて、本から視線を上げる。


 今年の秋から、私は彼と共に高等貴族院に入学する。学友だからこそ許されるだろう不遜な態度は、もう少しお預けだ。

「密やかな楽しみは、己の胸深くに留めておいた方が賢明です」

「……は?」

「それよりも、遅かったですね、殿下。シュルヴェステルが待っていましたよ」

「げ」

 紳士らしくない声を上げ、彼はそそくさと部屋から出て行った。今日は院での予習を、私たちよりも年上のシュルヴェステルから習うはずだった。

「……逃げられましたね」

 シュルヴェステルが楽し気に言う。元々の頭は良いが、勉学が嫌いな彼らしい。

「ヴェス」

「了解。ちゃんとあの子の身辺は守っています。あなたが心配するようなことはありませんよ」


 院内のような気安げな言葉遣いで告げてきたシュルヴェステル。

何か勘違いをしている。私はあの幼子を心配しているのではなく、彼の暴走を懸念しているだけだ。

「はいはい」

 私がそう言っても、シュルヴェステルはおかし気な笑いを浮かべるだけだ。

まったく、変な気を回し過ぎだった。


 私はふと、数日前口にしたパン料理を思い浮かべる。

上品な甘さは今でも口の中に残っていた。

(とても……嬉しそうだった……)

 委縮することなく、食べて食べてと迫ってきた小さな姿は衝撃的だった。

少し見ない間にとんでもないことを考えていたのだ、今度はもっと短い間隔で会いに行った方がいいだろう。もちろん、彼の目が届かないところで。






「……まったく、面倒な」

 言葉とは裏腹に、私は自分が笑っていることに気づかなかった。

日付がまたいでしまいました(汗)。

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