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23.失敗は成功のもとです。

 そのまま二回目のパン作りに挑戦する気満々だった私だけど、それは呆気なく却下されてしまった。

「今日は興奮して疲れているでしょう? もう寝た方がいいわ」

「か、か~しゃんっ」

このまま寝ることなんてできないってば! あれだけ待ちに待っていたのに、自家製酵母だって作ったのに、どうしてあの出来になってしまったのか。問題点は早ければ早いほど気づけると思うのに~!

 でも、私がどんなに訴えても、母さんは許してくれなかった。

沸かした湯で体を拭かれ、あっという間にベッドに放り込まれてしまうと、

「おやすみなさい」

 額にキスされてドアを閉められた。

電気もない部屋の中、私は泣きそうな気分をぐっと堪える。

(あ~……もう……)

 今頃、父さんは厨房の後片付けをしているはずだ。ケインもベッドに入っただろうか。

 気持ちが残っているのは私だけだと思うと、どうしようもない淋しさと焦りが胸の中で渦巻いた。


(……落ち着け、私……)

 私はしかたなくベッドに横たわって目を閉じ、今日のパン作りの工程を思い返す。

 本当はメモしながら考えたいけど、文字も書けない私は頭の中で考えることしかできないのだ。

(自家製酵母は、ちゃんと作れたよね……?)

 砂糖の分量を変えて作ったランゴの酵母は、5種類ともちゃんと泡みたいのが出てたし、エキスも染み出てたと思う。

 次に、材料。

 出来た酵母と、父さんがいつも使っているパンの粉。そして水。

「こーぼ、こにゃ……みじゅ」

 私はかつて作ったパンの材料を、一つ一つ言葉に出して言ってみた。そうすることで、記憶の中の抜けたところに気づいたらいいと思った。

(……あ、バター)

 ふと、記憶が蘇る。《佳奈》だった私にパン作りを教えてくれた人は、確か風味付けにバターを少し入れていたことを思い出した。そういえば、さっきのパンにはバターの匂いがあまりなかった気がする。

「しょっか……ばたー……」

 小さいことかもしれないが、これも抜けていた大事な情報だ。

明日は必ずバターも入れてもらおうと、私は固く誓った。


 次は、工程だ。

 バターは入れなかったけど、後はほぼ酵母と水を同じ比率で入れて、父さんはしっかり生地を捏ねてくれていた。力が強いので、ちゃんと混ざっていたと思う。

 そして、出来た生地を三十分くらい寝かせた。

(……時間は、たぶんそれくらいだったと思うけど……ううん、もうちょっと長い方が良かったかも……?)

 生地はちゃんと発酵出来ていた。1.5倍ほどだったが、私はそれで十分だと思っていた。でも、記憶ではもっと大きく膨らんでいた気もする。

(あれは……ほとんど倍、くらい?)

 きっちり図ったわけではないが、初めて見た時は倍になったと驚いた気がする。だとしたら、寝かせる時間はもう少し、後十分くらいは掛けた方がいいのかもしれない。


 確かに、膨らみは多少小さかったかもしれないが、それでもおかしいと思うほどではなかったはずだ。

(その後の、丸パンに成型した時は、ほとんど同じ大きさに揃えたし……)

毎日パンを作っているだけあって、父さんの手際は凄く良かった。

 次は、焼き方。

 見たことのないオーブンに戸惑いはあったが、火加減は想像よりもちゃんと出来ていた。

 もちろん、日本の時のように電気やガスで動かないし、竈の火を利用しているので熱の伝わり方にムラがあるのはしかたがないし、あそこまで綺麗に焼けたのは父さんの火の扱いが良かったからだ。

(……おかしくないよ)

 材料、捏ね方、焼き加減。

今ここでできる限りのことはしたと思う。

 だったら、どこで間違えたんだろう?

「こにゃ……みじゅ……ねんねして……ぐるぐるちて……」

 材料と工程を、何度も口に出して繰り返していた私は、

「……あれ?」

何かが抜けているような気がして起き上がると、今度は指を折って同じように繰り返してみた。

「こにゃ……みじゅ……ねんねして……ぐるぐるちて……」

 そう、ちゃんと寝かせて、成型して、オーブンに入れて………………。

あ。

「にきゃいめ!!」


 そうだよ! 何やってんの、私!

父さんが今までの工程で生地を寝かせていないと思ってたくせに、一度はちゃんと発酵時間を取ったのに、二次発酵忘れてたよ!!

 私はベッドにうつ伏せた。

「……あしぇってた……」

 今、ちゃんと冷静に工程を振り返ったから気づいたけど、あの時の私は一刻も早くパンを焼きたくて、二次発酵することをすっかり忘れてしまっていた。これはもう、完全に私の失敗だ。

「と~しゃん……」

 父さん、ごめんなさい。私を女神なんて言ってくれたけど、全然女神なんかじゃない。単なる抜けた子供だった。

「リナ、どうしたの?」

「か~しゃん……」

「怖い夢でも見たの?」

 さっき叫んだのが聞こえたんだろう。私は心配そうに顔を覗き込んでくる母さんに手を伸ばした。

「あら、どうしたの?」

 私が無言のまま抱き着くと、ぐずっているとでも思ったのか母さんが抱き上げてくれた。優しい手が、ポンポンと背中を叩いてくれる。その一定のリズムに、私は目を閉じた。

「今日はたくさん頑張ったわね。さっき、母さんもリナのパンを食べたわ。あんなに柔らかいパン、初めて食べた。凄いわ、リナ」

 ……違う、母さん。もっと柔らかいパンがあるの。私が、私が作り方を間違えてたの。

 作ったのは父さんだけど、どう作るかを教えたのは私。その教えたことが間違っていたんだから、本当にどうしようもない。

 せっかく母さんが喜んでくれているのに、どうしても素直に受け取ることができなかった。そんな私の気持ちがまるで見えているかのように、耳に届く母さんの声はとても優しい。

「でも、リナ、無理はしないのよ? あなたはまだ子供で、普通ならパンを作ることなんてできないんだから」

 その言葉が、私の心に染みわたった。

(私は、まだ子供……)

 二十歳まで、豊かな日本で生きてきた記憶はあるけど、この世界では私はまだ子供なんだ。

 そんな当たり前のことに、今初めて気がついたような気がした。











 夕べは、ぐっすり眠った。 

もしかしたら眠れなくなるかもしれないと思ったけど、私って本当に図太いんだな。

 でも、そのおかげで頭の中がすっきりとした。

「よし!」

 私はまだ子供だ。出来ないことだらけで、父さんやケインに手伝ってもらわないと何もできない。

 それでも、私の持っている知識は私にしかわからないことだ。

(ちゃんと、正しく伝えること。それが私のやることだ)


 リビングに行くと、既に父さんは店で開店の準備をしているらしい。

酵母を使ったパンを作る前に、ちゃんと商売もしなくちゃいけないんだ。

 せっかくの意気込みがペシャンコになりかけた私だけど、母さんがスープを入れてくれながら笑った。

「今日は早く店を閉めて、またリナとパンを作るって張り切っていたわよ」

「と~しゃん?」

「ええ。それと」

空の器に、白く丸いパンが置かれる。昨日作ったパンだ。

「このパン、一晩経ったのにまだ柔らかいわ」

「……ほんと?」

 触ってみると、確かに手の力でくにゅっと潰れる。もちろん、焼き立ての時よりは硬くなっているけど、これでもいつものパンとは全然違った。

「あ~っ! そのパン!」

 顔を洗ってきたケインが、テーブルの上を見て叫ぶ。慌てたように籠の中から残ったパンを鷲掴みにするのを見て、私は思わず笑ってしまった。




「これ、かあい~」

 私は浮かれてくるりと回った。しかたないじゃない、今日はちゃんとしたエプロンをつけているんだもん。

 昨日急ごしらえのエプロンだったことを気にしたのか、昼間母さんがエプロンを縫ってくれたのだ!

 生地は余った布だし、極々シンプルな形だったけど、初めての私用のエプロンにテンションは最高潮だ。

「おお、可愛いな」

 夕方、店仕舞いをした父さんは、私を見て目を細める。基本、父さんは私を褒めるけど、今日のこれは本当に可愛いので素直に受け止めよう。

「さあ、リナ、今日はどうするんだ?」

 厨房に私を入れた父さんは、にやりと笑って太い腕を組んだ。

昨日、私にとっては失敗だったパン作りだが、父さんにとってはかなりのカルチャーショックだったらしい。それも、いい意味でらしく、新しいパン作りを早く自分のものにしようと張り切っている。

 私としても、本職の父さんがレシピをより良く工夫してくれるのは万々歳だ。

 今日は夕べの反省も踏まえ、抜け落ちがないようにしないと。


「こにゃに、こーぼしゃと、みじゅいりぇて」

「昨日と同じか?」

「……ううん、こりぇ」

 昨日は真ん中の比率の酵母を入れたけど、今日はもう一つ上の四番目、砂糖の量を増やした酵母を入れてみよう。

 父さんはパンの粉に水と酵母を半々に入れ、昨日と同じように捏ね始める。粉は見る間に固まっていき、見た目は昨日と同じ生地になった。そこに、香りづけのバターを少し入れてもらう。

「もっちょ、こねこね」

 捏ねる時間は昨日よりも長く、しっかりと捏ねてもらい、ツンと指を押し当てると耳たぶの柔らかさになった。

「ちゅぎ、ねんね」

 次は、一次発酵だ。時間は昨日よりももう少し長く、40分にしてみた。

(ラップがあればなぁ)

濡れ布を被せているので、パッと見た限りではどのくらい膨らんでいるのかわかり難い。私は時々布を捲ってみながら、生地の塊がほぼ2倍になるまで待った。


 父さんは、昨日よりも膨らんだ生地を見て驚いていたが、その時ほどのショックは受けていなかった。それよりも、次にどうなるかと好奇心の方が勝っているらしい。

「それで、次は?」

「ぎゅっ、ちて、まりゅめりゅ」

 大きくなった生地を軽く押してもらい、ガス抜きをする。これも夕べ思い出した大切な工程だ。そして、丸パンの大きさに丸め、鉄板に並べてもらった。すると、父さんは昨日したようにそのまま熱したオーブンに入れようとしたので、私は慌てて止めた。

「リナ?」

「も、いっきゃい、ねんね」

「……もう一回待つのか?」

 何のためにと、顔に書いているのが見えるようだ。

父さん、これが昨日の失敗の最大の原因なんだよ。

 私は大事なものを隠すように、生地の上にそっと布を被せた。 

誤字報告、ありがとうございます。

修正しました。

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