20.美味しいものの対価はどのくらいでしょう。
家族以外の人が、初めて食べるのだ。
私はワクワクしながら二人を見ていた。ほら、熱々食べないと。冷めても十分美味しいけど、熱い料理は熱いうちに食べないと!
二人はしばらく考えたようだが、着ていたてるてる坊主風のマントをさばいて椅子に腰かけた。その動きは優雅で、目の前の二人が自分の周りにいる者たちとは違うというのを感じさせる。
(何ていうか……王子様っぽい感じ?)
もちろん、本物の王子様がこんなところにいるはずはないけどね。
あ、それよりも、早く食べて食べて!
でも、気が急く私とは裏腹に、まず美青年のシュルさんが美少年のエルさんの目の前に置いた皿を自分に引き寄せ、フレンチトーストの端を少しフォークで切り取って食べてしまった。
(あ……)
別に、どちらが大きいとかないんだけど……そっちの方が良かったのかな?
私が首を傾げていると、シュルさんが顔を綻ばせる。
「これは……驚きますよ」
「……」
そう言ったシュルさんに何の反応も返さず、エルさんは無表情のままフォークを手にした。
驚くことに、エルさんはシュルさんが食べてしまった皿を交換もせず、そのまま食べかけを口にする。
そして、
「……っ」
少し暗いアイスブルーの目が僅かに見開かれた。
「これは……」
明らかに驚いた様子だが、これは美味しいと思ってるんだろうか?
家族はみんな、すぐに美味しいと顔を綻ばせてくれたので味を疑うこともなかったが、エルさんの反応はなんだかすごくわかり難い。
でも、次から手の動きが早く、器の中のフレンチトーストの減りが早くなったので、結構気に入ってくれたのではないかとようやく安心した。
「リナ」
じっとエルさんを見ていた私は、シュルさんに声を掛けられる。
「これ、とても美味しいね」
「ねっ!」
そう! すごく美味しいでしょ? この世界の硬いパンに慣れた人にとっては、驚くほどの柔らかさだと思う。もちろんスープに入れてふやかして食べれば柔らかいけど、フレンチトーストは一つの料理だもん。
シュルさんに褒められ、私は満面の笑みで頷く。すると、いつの間にか自分のフレンチトーストを完食していたシュルさんが身を乗り出してきた。
「これを考えたのは誰?」
「リナ!」
へへ。私は得意げに片手を上げて答える。
「リナッ」
でも、父さんの焦ったような声に驚いてしまい、ふと約束したことを思い出してしまった。
(私が考えたこと、内緒にするんだった……)
一番重要な砂糖が手に入らないことと、私が幼いことで、父さんは変わった料理の発案者が私だということは世の中に内緒にすると言っていた。
私も、ちゃんと約束したはずなのに……。
(……さっきの、取り消せないかな……)
なかったことにできないかなと思ったけど、シュルさんは楽し気に目を細めて私から視線を逸らさない。これは簡単にごまかせないと悟った私は、そろそろと父さんの後ろに隠れる。
「と~しゃん……」
父さんが深い溜め息をつく。ごめんね、すぐ忘れてしまう残念な頭で。
でも、美味しいと言われて嬉しかったんだよ……。
「……これは、私が考えたものです」
しばらくの沈黙の後、父さんがきっぱりそう言い切った。
「本当に?」
「ええ」
どうやら父さんは押し切ってしまうらしい。頑張れ父さん!
「……どうしますか?」
「……そう言うのならそうなのでしょう」
シュルさんの問いにエルさんが答え、彼は立ち上がる。そして、流れるようにシュルさんを見た。
頷いたシュルさんの手がマントから出て、そのまま台の上に置かれる。コツッという音がしたかと思うと、台の上にピカピカ光る銀色のコインが置かれているのが見えた。
銀色のコインは、日本の五百円玉くらいの大きさだ。
(これ、お金だよね)
この間家族で市場に行った時、母さんが買い物をしている時に出していたものと大きさがよく似ている。でも、その時のコインの色は十円玉のような色だった。
私はまだこの世界の貨幣価値がわからない。だから、初めて見る銀色の硬貨が珍しくてもっとよく見たいと身を乗り出そうとしたけど、
「こ、これはっ」
父さんが焦ったように言って、そのコインをパッとシュルさんの方へ押し返してしまった。
「こ、こんな金、困りますっ」
「……正当な代価です」
答えたのは、シュルさんじゃなくエルさんの方だ。
「……リナ」
「あい」
「手を」
そう言いながら差し出されたエルさんの手に、私は疑問も抱かず歩み寄って自分の手を差し出す。
まだ大人になり切らない少年のエルさんだけど、私と比べれば大きな手で私の手を包み込むように握った。優雅な物腰だし、きっとお金持ちの家の子だろうと思ったけど、その掌は意外なほど硬い。まるで、何かを握り慣れているかのような手だ。
(……わぁ……)
次の瞬間、体の中がポカポカになった。そして、ふわっと体の中を柔らかな風が吹く。
いったい何が起きたのかびっくりして顔を上げると、目の前のアイスブルーの目が笑んだように見えた。
「まだ、魔力は眠っているようだ」
呟くような小さな声だ。
「何かあったら呼ぶように」
「ふぇ?」
(呼ぶって、え? エルさんを?)
連絡先もわからないのに、そんなことができるんだろうか?
彼の言葉に首を傾げている間に、私の手を離したエルさんはシュルさんと店のドアに向かっていく。どうやら帰るみたいだ。
私は2人を見、そして父さんを見て、次に台の上のコインを見る。
(これ……貰っていいのかな……)
エルさんは正当な対価だって行ったけど、砂糖は貰いものだし、パンはうちの店のものだ。強いて言えば牛乳と卵代は掛かっているけど、物々交換だから……。父さんの反応を見たらこのコインは結構高額らしいし、なんだか気が引ける。
私はコインを握り、2人に駆け寄った。
「あいっ」
(お金、いらないよ?)
言葉にして言わなくても、コインを返したらわかってくれるはずだ。
でも、身を屈めたシュルさんに頭を撫でられた。
「貰っておきなさい。君の役に立つものだからね」
「しゅるしゃん……」
「じゃあ、また」
シュルさんがドアを押さえ、エルさんが先にゆっくり歩いていく。一度こっちを振り返ったけど、そのまま何も言わず、二人は店から出て行った。
(……何だか、現実味のない2人だったな……)
一年間、今の家族と暮らした私は、すっかり庶民の感覚になっている。だから、いかにもお金持ちな彼らの行動の意味もわからなかった。
ふうと息をついた私は、父さんを振り返る。父さんはさっきまでシュルさんが腰かけていた椅子に座り、片手で額を押さえていた。
「いたい?」
急に具合が悪くなったんだろうか。私は心配になって駆け寄ると、父さんの足の間に入って顔を覗き込む。いつも元気な父さんの顔は、急に疲れているように見えた。
「と~しゃん」
「……まいった」
「?」
「まさか、あの方が来るなんて……」
そう言った父さんが、じっと私を見る。
「ひゃぁっ」
いきなり抱き上げられて膝に乗せられ、父さんに頬ずりされた。髭がチクチクして痛いが、元気がなさそうな父さんが心配で、私は自分から太い首に抱き着く。
「……心配ない」
「と~しゃん……」
「何も、心配することはないからな。リナは父さんが守るから」
……守るって、何を考えてるの? 父さん。私はここにずっと一緒にいるし、今の私は健康なんだから、守ってもらうばっかりじゃないよ?
何か思い詰めている父さんを励ましたいけど、流暢に話せない私はただ父さんにくっつくことしかできなかった。
突然の訪問者たちが来た日の夜は大変だった。
あれから母さんに事情を話し、置いて行かれたコインを見せた時には、すごく驚いた顔をされた。
その夜は遅くまで話し合ってたみたいだけど、いつものように早く寝てしまった私には何もわからない。
ただ、父さんと母さん2人がかりで、このことは絶対に秘密にするようにって言われた。シュルさんとエルさんのこともそうだけど、貰ったコインのことも。
それと、フレンチトーストは絶対に家の外に持ち出さないことも約束させられた。もうお地蔵様にお供えできないのか……。しかたない。今度はマフラーじゃなくて帽子を被せてあげよう。
それにしても、あの銀色のコインって幾らなんだろう?
私はこの世界のことをまだよく知らない。それはお金の価値も含めてで、父さんが焦るほどの価値があのコインにある実感がない。
市場での買い物の時に見たのは、ほとんどが十円玉と同じ色の硬貨だった。でも、大きさが違っていた気がする。
今度、ケインにちゃんと教えてもらおう。
それよりも。
自家製酵母を作り始めて、今日で5日目だ。
毎日、父さんに言って蓋を開けてもらい、中身に空気を触れさせて、よく振ってもらった。
毎日、少しずつ色が変わっていくのが見える。ただ、リンゴのようにハチミツ色じゃなく、ランゴの皮の紫色だ。
ちょっと見ていると、何だか失敗じゃないかと心配になるけど……蓋を外した時に鼻をくすぐる匂いはとても甘くて、腐っているようには思えなかった。
(とにかく、一度作ってみないとわからないもんね)
「と~しゃん、おいちーのつくる」
「出来たのか?」
毎日、私と一緒にガラス瓶を見ていた父さんは、私がゴーサインを出したことで早速店を閉めた夕方に時間を取ってくれた。
「俺は何をしたらいい?」
母さんは夕飯の準備をしているけど、ケインは自分も手伝うんだと張り切っている。
手伝うって言っても、パンを作るだけなんだけど。
「よし、一緒に作るか」
でも、父さんはそう言ってケインに準備を手伝わせている。
うちの父さん、本当に理想の父親じゃない?
23万PV突破。
ありがとうございます。




