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01.プロローグ

 体が重い。

寝返りをしようとしても体はまったく動かなくて、私はうぅっと唸った。


 死んでしまった自覚はある。あれだけ苦しかった呼吸も今は楽だし、割れるような頭の痛みもない。

学生生活もままならず、人生の半分近くを病院で過ごしてきた私はそれほど悪いことをした覚えはないし、地獄に行くということはないはずだ。

 だから、ここはきっと天国だと思うんだけど、それにしてはこの体の重さは何なのか。

死んでまで苦しむなんてしたくないと思いながら、私はとにかく現状を確かめようと声を出してみた。


「あぅ、あ~あ~」

 ……は?

 私は今、「誰か」と言ったはずだ。

それが誰に向かってなのかは自分でもわからないが、それでも呼びかけたつもりだった。それなのに、耳に聞こえてきたのは甲高い子供、それも赤ん坊に近い意味不明な泣き声だ。


 これ、誰の声? 近くに赤ちゃんがいるの?

天国なら天使かもしれないが、天使ならば赤ん坊に近い姿だってちゃんと話せるはずだ。

いや、本当に天使がいるのなら見てみたい。

 もう一度確認するように、私は慎重に声を出してみた。

「あ~あぅ」


 ……やっぱり、聞こえるのは赤ん坊の声だ。

ねえ。

「あ~」

ちょっと、誰かいませんか?

「あ~、あ~うぅ、あぅ」

 私が声を発したタイミングと同時に、赤ん坊の声がする。まるで私が赤ん坊になったような……。

(は?)

いやいやいや、ありえないでしょ。

いくら私が悪いことをしていなくて天国に行ったとしても、すぐに赤ん坊に生まれ変わるなんて順番的にありえないでしょ。


 現状が把握できないまま焦っていると、コツコツと足音が聞こえてきた。

誰かくるようだ。それが私の味方なのかそうでないのかわからないので、今は息を潜めて様子を窺うことしかできなかった。



「リナ、いい子にしていた?」

 ガチャッと大きな音がした後、柔らかな女の人の声が聞こえた。

「そろそろお乳の時間よ」

 お乳っ?

「ふぁっ?」

驚きのまま声を上げて目を開けると、視界いっぱいに優し気な女の人の顔が映る。

「いい子ね、リナ」

 そう言いながら、私は女の人に抱き上げられた。

姿勢が変わったおかげで、今の私の姿が見える。


(……小さい……)

 認めたくはなかったが、目に映る私の身体は本当に小さかった。はっきりとはわからないが、たぶん一歳にも満たないはずだ。

「よしよし、ほら」

(や、止めて!)

 二十歳の私にとって、今さら母乳なんて、それもまったく見知らぬ人の乳首を口に含むなんてできるはずがない。

必死に首を振って逃げようとしたけど当たり前だが赤ん坊の私に抵抗する力なんてなくて、私の顔は見知らぬ女の人の胸に押し付けられてしまった。


「んく、んく」

(嘘……)

 認めたくはなかったけど、私は無意識に母乳を飲み始めていた。甘い匂いの母乳に、どうしても抗うことができなかったのだ。

「今日もいっぱい飲んでね」

 考えてしまうと羞恥に悶絶しそうだったので、私は目の前の女の人に意識を向けることにした。

栗色の髪に、明るい茶色の瞳。ホリの深い顔は、どう見たって日本人ではない。顔から想像しても、せいぜい二十代前半くらいの若さだ。

 服は淡い青いドレスに、白いエプロンをしている。母乳の甘い匂いにごまかされていたが、彼女からパンの匂いがすることに気づいた。

もしかしたら、食事の用意の途中だったかもしれない。


(でも、ちゃんと言葉がわかるんだけど……)

 入院生活が長かった私は、することといったら読書くらいだった。暇を持て余して勉強もした方だと思う。

ただ、特に何かが秀でたわけでもなくて、英語だって教科書くらいの知識しかない。

 そんな私がこんなふうに、明らかに日本人じゃない人の言葉がわかるなんて、普通に考えたらありえないことだった。


「いい子ね、リナ」

 佳奈とリナ。響きが似ているせいか、思ったほど違和感なく聞こえる名前。

こんなにも愛おし気に、そして優しく私を見つめる女の人。考えたくないって思ったけれど、どう考えても答えは一つしかないだろう。

(……お母、さん)

 目の前の女の人は私の母親だ。前の、日本人だった私の母さんとはまったく違う姿だけど、この人が今の私のことを愛してくれているのはよくわかる。



 どうやら、私は生まれ変わったらしい。

どう考えたってかなり順番は違う気がするけど、せっかく新しく生まれてきたのだ、今度は健康的な生活をしたい。

 幸い、こうしてお腹いっぱい母乳が飲める。

佳奈だった時、私は赤ちゃんのころから体が弱くて、ほとんど授乳はできなかったらしい。飲ますと吐いて、さらに衰弱してと、考えたらよく二十歳まで生きてたな、私。


 でも、どうやら新しい私は健康そうだ。

健康第一。

 私はんぐんぐと母乳を飲みながら、新しく始まる健康生活に思いをはせた。





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