17.異世界の果物は不思議です。
じっくり見ていると、並べられている野菜や果物の形には見覚えがあるものが多い。ただ、色が記憶とは違うので、本当に想像通りの味なのかどうか考えてしまう。
「と~しゃん、こりぇ?」
見つけたのが、灰色のブドウだ。う~ん、小さな粒が固まっているあの形はブドウに酷似しているけど、味もブドウなのかな? 色があんまり……美味しそうじゃない。
でも、かえって興味がそそられた。
「これか? これはバドウだ。これも甘いぞ」
「ぱどー……」
(やっぱり、一字違い……)
私の口元がふにょんと動く。笑いたいけど、ここで笑ってしまえば、父さんたちがびっくりするだろうとさすがに自重したのだ。
それにしても、灰色のブドウかぁ。どんな味なのか確かめてみたいが、父さんはどんどん歩いて先に行く。
今度はどこに行くんだと思っていると、ゴザの上に幾つも麻袋を並べている一角があった。私たち以外の何人もそこで立ち止まり、麻袋の中を見て買っている。
その中の一人のおじさんがこちらを見ておぉと手を上げた。
「今日は家族連れか、ジャック」
「たまにはな。どうだ? 今日の品は」
「まあまあだな」
あからさまに貶してはいないものの、こちらを見ているおじさんの顔は諦めたような表情だ。店の人には背中を向けているので気づかれないだろうが、それは明らかに悪いと言っているようなものだった。
父さんも気づいたのか眉間に皺をよせ、さっきのおじさんのように麻袋を覗き込む。
「よう、ジャック。今日はどのくらい入り用だ?」
店主が気軽に声を掛けてくる。どうやらここは、父さんの知り合いの店みたいだ。
何を売っているのか、私も父さんの腕の中から麻袋の中を見てみる。するとそこには、白い粉が入っているのが見えた。
(これって……もしかして、パンの粉?)
うちの二種類のパンを作る小麦粉だ。じゃあ、ここには薄力粉や強力粉みたいに、色んな種類の粉があるのかもしれない。
私は尋ねてみたかったけど、父さんはいいやと首を振った。
「まだ粉はあってな。今度また寄る」
「そうか、次はよろしくな」
その店を離れてしばらくして、父さんは小さく呟く。
「どんどん質が悪くなってるな」
「と~しゃん?」
「大地の神ランベール様の加護が弱まっているのか……」
(え……神様の問題?)
作物の良し悪しは、その土地の問題じゃないの? 肥料とか、水とか、太陽とか。こんなとこで神頼みを使っちゃっても駄目だよ、父さん。
でも、今でも私にはイマイチなパンだけど、それ以上に悪いものができそうな粉って……。
ちゃんと他にも店があるのかな。ううん、その前に早く自家製酵母を作らないと。酵母でパンを柔らかくできるんなら、今よりずっと美味しいパンが食べられるんだから。
父さんが次に足を止めたのは肉を売っている露店だ。
店舗じゃないので衛生管理はどうなのよと言いたいけど、ここでは普通なんだから私の常識を押し付けないようにしないと……気になるけど。
「今日は肉にするか」
「やった!」
父さんの言葉に、ケインが嬉しそうな歓声を上げた。やっぱり、男の子は肉が好きなんだ。
(塊ばっかり……)
何の動物の肉かはわからないが、すべて塊で量り売りらしい。私の知っているミンチとか、細切れとかはない。
(こんな塊で売ってるから、手っ取り早く焼くのかな?)
自分でミンチを作ったり、薄く切ったりするのは手間だもんね。でも、そんな加工をしてあったら、料理のレパートリーがどんどん増えるんじゃない?
あっ、カレーパン! カレーパンも作れるよ!
父さんにミンチの作り方を教えた方がいいかも。
よし、と私が頷いていると、ふと横顔に視線を感じた。それは市場に近づいた時から感じていたものだけど、より強くなった感じだ。
(……なに?)
そっちを振り返ると、中年のおじさんが反射的によそを向いた。
(……気のせい?)
首を傾げた私の耳に、無邪気な小さな子の声が聞こえてくる。
「あの子、どうして髪が真っ黒なの? 神様の加護がないの?」
「だ、駄目でしょ、そんなことを言ったらっ」
焦ったように叱る女の人の声。私を抱きしめる父さんの腕に力がこもる。
(そっか……)
私にとって、今日は洗礼式以来の二度目のお出かけだ。正確に言えば、家の隣にあるお地蔵様を拝みには行っているけど、うちからこんなにも離れるのは初めてだった。
うちのパン屋に来るお客さんはほとんどが常連客で、みんな私を可愛がってくれている。
だから……忘れていた。洗礼式で、神官たちが私をどんな目で見ていたのか。
(黒い髪も、目も……本当に珍しいんだ……)
私を初めて見る人たちが、私にどんな感情を抱いているのか、今肌に突き刺さる視線だけでも、さっきの子供の声だけでも、嫌というほど身に染みた。
日本人だったら、黒髪に黒い目なんて普通だよ?
そう叫びたいけど、きっとその意味をわかってくれる人なんていない。
昔の私と同じ色だし、私自身はすごく好きな色だけど……それをわかってもらえないのは寂しいな。
「リナの髪はすごく綺麗だぞ」
「と~しゃん……」
「俺たち家族は、みんなリナの髪も、目の色も大好きだ」
父さんがきっぱり言ってくれる。どんな時にも、私が欲しい言葉を一番にくれるんだもん、大好きだよ。
顔は怖いけどね。
「そうだよ、俺が知ってる女の子の中で、リナが一番可愛い!」
当然のように、ケインが父さんの言葉に同意してる。妹愛が強いね、ケイン。
「うちの男は皆リナのことが好きなのねぇ。でも、私には負けるわよ」
大ボスのように笑いながら母さんがまとめて、私は思わず笑ってしまった。
うん、目に見えて人と違うのは大変だけど、この家族がいれば全然平気。
私はさっきの女の子に向かって、笑いながら手を振った。
市場で不気味な色のリン……じゃない、ランゴが手に入った。
材料的にはこれで自家製酵母は作れるけど、大事な道具が必要だよ。
今回は私の意見が大事なので、厨房へ入れてもらっている。子供の話を真剣に聞いてくれる父さん、すっごく感謝してる、嬉しいよ。
「と~しゃん、びん」
「びん?」
「こーぼしゃ、いりぇりゅ」
うちには木のコップや皿はあるけど、蓋が出来る容器がない。もちろん、以前作ったのと同じ環境や道具で作れるとは思わないけど、密封できる入れ物はほしい。
ガラス窓はあるんだから、たぶんガラス瓶もあるはず。私は頑張って父さんに説明した。
「びんね、えいって、ぎゅってちて、まちゅ」
時々空気に触れさせないといけないんだけど、それ以外はちゃんと蓋をしていないと変なばい菌とか入ったら駄目だし。
私もプロじゃないし、あくまで家庭で作るものっていうのが前提で。もっと正しい方法があるかもしれないけど、頼るのは私の記憶しかないんだもん。
「瓶か……」
果物を買う時はフットワークの軽かった父さんなのに、今はすごく悩んでいる。もしかして、ガラス瓶とかないんだろうか?
「……瓶は高いしな」
あ、やっぱり高いんだ。一応想像していたので私はやっぱりねと思う。
うちには余計なお金なんてないよね? でも、父さん忘れてない? うちには高価なものがあるでしょ。
「と~しゃん、しゃとー」
「ん? 砂糖?」
父さんの視線が、厨房の麻袋に向けられる。
「しゃとー、びんと、どーじょって」
ここでは、物々交換がちゃんと成り立っている。
瓶も高価なものだろうが、砂糖だってなかなか手に入らないと父さんが言っていた。それだったら、同等の価値で交換できるんじゃないだろうか。
私の言葉に、父さんは頷いた。
「砂糖なら、瓶と交換してくれるだろう。幾ついるんだ?」
「ん~」
幾ついるだろう?
私もグラム数なんてはっきり覚えていないから、幾つか分量を変えて試してみたいんだけど……。
「……みっちゅ」
「3個か」
父さんは考えながら木の器を取り出し、麻袋の前で屈み込んだ。
「3個ならこのくらい……いや、ちょっと多いか?」
ブツブツ言いながら、器の中の砂糖の量を増やしたり減らしたりしている。ガラス瓶と砂糖のどちらの相場もわからない私は、それをただ見ているしかなかった。
「ただいま、リナ! ガラス瓶、5個貰ってきたぞ!」
さっき出て行った父さんは、思ったよりも早く帰ってきた。え? 今、5個って聞いたけど、私、3個って言ったよね?
それに、父さんがさっき持っていった砂糖の量は、確か私が片手で持てるくらいの量だったはずだ。私の小さな手で持てるくらいの砂糖が、5個のガラス瓶になった……。
私が驚いていると、父さんはにやりと人相悪く笑う。
「それと、これ、お土産だ」
「! ばどー!」
これ、この間見た灰色のブドウだ!
あの時は父さんがさっさと先に進んだので味見もできなかったけど、私が食べたそうにしているのがわかっていたんだろうか。
(……え、待って、ガラス瓶5個と、ブドウが3房?)
……砂糖、マジ高いんだ。
こんなにも高い砂糖をくれたお地蔵様に、本当に感謝しなくちゃいけない!
私は慌てて父さんに駆け寄り、その手の中にあった麻袋を覗く。
あ、ここでは紙袋とかビニール袋とか、便利な袋は当然ない。布で包むか、麻袋に入れるのが主な包装らしい。
「ほら」
父さんは私に良く見えるように、作業台に瓶を出して並べる。
「……きれー」
キラキラ光るガラス瓶はとても綺麗で、私は思わず見惚れてしまった。




