12.私は無実です。
パラパパッパパー!
砂糖が手に入った。
この世界で《リナ》として生きると決めて、約一年。できることからしていこうと決めたし、運動能力や言葉は自分でも何とか頑張ってきたつもりだけど、食生活を改善するにはまだまだ時間が掛かるって覚悟していた。
だってね、この世界の人は食に淡白なんだもん。美味しいものを食べたいとか、甘いものを作ってみたいとか、そんな欲求が全然見えない。
父さんも母さんも、朝から夕方まで一生懸命働いているのに、もっと美味しいパンを作ろうって感じじゃないし。まあ、それは材料がないからしかたないのかもしれないけど、私には物足りなくてしかたがなかった。
それが、神頼みに繋がるわけなんだけど……ふふ、ふふふふ、神様、お地蔵様、ありがとー!
砂糖があれば全然食生活は変わるよ! まずは、簡単なフレンチトーストができるでしょ? ジャムも作れるし、パンケーキとか……あ、その前に、自家製酵母作らないと!
これで、父さんのパン作りも変わるはず。少しでも美味しいパンに、そしてあんドーナツに近づけるように頑張らないと!
「か~しゃん! きて! きて!」
私が店に飛び込むと、ちょうど焼きあがったパンを並べていた母さんが驚いたように顔を上げた。
「どうしたの? 何かあった?」
「リナッ、どうしたっ?」
私の歓喜の声を助けを求めているのと勘違いしたのか、母さんだけじゃなく父さんも厨房から飛び出してくる。
父さんがいるなら話は早い。
「と~しゃん、きて!」
私は父さんの手を一生懸命引っ張った。私は大柄な父さんの腿くらいしか身長がないので、半分ぶら下がるような形だけど。
「外にあやしい奴がいるのかっ」
「ちゃ~う! おじぞーしゃん、しゃとー!」
言葉で説明するより、見てもらった方が早いし。
私は父さんをお地蔵様のところに連れて行った。
「使徒像? ここに……ん?」
しとぞー? それがこのお地蔵様の名前なの? ごめん、私の中じゃすっかりお地蔵様になってたよ。
「この麻袋は?」
「しゃとーよ、リナの、しゃとー!」
早く家に持っていこう!
私は麻袋に抱き着いた。
………………
……はぁ
天国から地獄ってこのこと?
私は父さんに抱っこされたまま、武装した厳つい顔のおじさんをじとっと睨んだ。
(確かに、落し物は届けなくちゃいけないけど……)
あの後、砂糖はお地蔵様が私にくれた贈り物だって説明したのに、父さんはこれほど高価なものが落ちていることは不自然だって言いだした。商売人が落としたものなら、勝手に取ってしまうと罪になってしまうからって。
それで、父さんは砂糖の入った麻袋を掴み、私を置いてどこかに行ってしまった。
もう、すごく泣いたよ。あんなに泣いたのっていつぶりかわかんないくらい。
確かにね、私も日本で暮らしていた時なら落し物は交番に届けるよ? それが当たり前だと思ってたし、まあ、砂糖なんか落ちてたらあやしいと思っただろうし。
でも、ここは日本じゃない。
私が毎日砂糖が欲しいとお願いして、その砂糖がお願いをしたお地蔵様の足元にあったんだよ? 私のものだって思うのもおかしくないじゃない?
ふ~……落ち着け、私。ちょっと興奮してるのかも。
「じゃあ、これは初めから使徒像の足元にあったんだな?」
「あい」
私はしっかりと頷く。何もやましいことはないのだ。
店内には今客は一人としていない。
いつもはパンを置く台をテーブル代わりに、椅子に座った目の前のおじさんを見た。
あれからしばらくして、父さんは武装したおじさんを一人連れて帰ってきた。今目の前にいるそのおじさんは、どうやら日本で言う警察の人らしい。
砂糖の落し物なんて謎過ぎたのか、わざわざ現場に戻って第一発見者である私に事情聴取の最中だ。
「落とした人を見なかったか?」
「ない」
「ならば、やっぱり荷馬車から落ちたものかもしれんな」
「はい。娘は喜んでいますが、こんなに高価なものが貰えるわけがありませんし」
……真面目か、父さん。
(あ~、これ、私が貰えないのかなぁ)
諦めなくちゃ駄目なのかな。せっかく手に入ると思ったものが、するりと指先からすり抜けていく。そう考えると、私の目にはまたジワリと涙が滲んだ。
その時だ。
「失礼するっ」
荒々しく店のドアが開き、一人の男の人が駆け込んできた。
目の前の武装したおじさんとは少し服の形が違う壮年のその人は、座っていたおじさんに慌てて怒鳴る。
「何をしているんだっ、ドルフッ」
「小隊長?」
おじさんは戸惑ったようにそう言いながらも立ち上がった。
「どうされたんですか?」
「それだっ、その麻袋のことだっ」
「これは今、事情を聴いていたところで……」
どうやら、後から入ってきた人はおじさんの上司っぽい。おじさんは必死に説明しようとしていたけど、それを遮るようにして上司っぽい人が机の上に置いてあった麻袋を私の目の前にそっと押し出した。
これは、どういう意味だろう?
わけがわからなくなって涙が引っ込んだ私は、父さんの膝の上から目の前の上司っぽい男の人を見上げる。すると、私の視線に気づいたのかその人はわざわざ机を回って私の前に来ると、膝を折って目線を合わせてきた。
「君が、リナだな?」
「あい」
どうして私の名前を知っているんだろう?
「私は第二衛兵隊小隊長、パトリス・イーヴという。この麻袋の砂糖は君のものだ」
「「え?」」
父さんと私は思わず呆けた声を上げ、
「は?」
さっきまで私を事情聴取していたおじさんは、私たち以上に目をむいて声を上げた。
後からきた男の人……第二衛兵隊小隊長、パトリス・イーヴさんが言うには、さっきこの麻袋の持ち主だという人が現れたらしい。
その人の話では、荷馬車から麻袋を落としてしまったけど、熱心にお地蔵様に祈っている私を見て感心して、こんな信心深い子にぜひ砂糖を渡したいと。
……ん? そんなことってある?
私はすぐに納得することができなかったけど、父さんにはお地蔵様から貰ったというファンタジーな話よりは受け入れやすかったらしい。
「こんなに高いもの……本当にいいんでしょうか?」
「受け取っておくといい。その人物の身元は私が保証する」
そこまで言われて、父さんはようやく高価な砂糖を受け取る決心をしてくれた。
「すまなかったな」
結局、私を怖がらせただけだったと、強面のおじさんが言ったが、よく考えたら、彼は仕事に忠実だっただけだと理解できる。
私は気にしていないよという気持ちを込めて、
「ありあと!」
元気よく挨拶をした。
きゃっふぅ!
ようやく、ようやくだよ! 今度こそ私は砂糖を手に入れた!
父さんは子供が高価な砂糖を持つなんてという、頭の固い親ではなかった。
「これは、良い子のリナに、神様が下さったものだからな」
うぅ~、父さん、大好き!
高価な砂糖を私にくれた父さんに、絶対美味しいものを食べさせてあげたい!
ただ、砂糖は手に入っても、今の私の体で料理を作ることはさすがに無理だ。オーブンはもとより、竈の火加減さえわからない。
父さんに言って作ってもらうことはできるだろうけど、私は父さんを驚かせたいのだ。びっくりして、美味しいと笑って言ってもらいたい。
それじゃあ、母さんかなとも思ったけど、母さんに言うとそのまま父さんの耳にも入ってしまいそうだ。
だとしたら、残るは一人しかいない。
砂糖が手に入った三日後。その日は王都のパン屋の会合があるらしく、店は昼で閉めることになった。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「しゃい」
母さんと父さんを見送った後、母さんは家の仕事をしようとしたが、
「アンジェ、いるかいっ?」
思いがけない来客がやってきた。
「どうしたの? マーサ」
三軒隣の肉屋のおばさんだ。いつも店に来る時は豪快に笑っているイメージだったのだが、今は焦って、蒼褪めた顔色だった。
「エマが産気づいたんだよっ。ヘンリクが今産婆を呼びに行ってるけど、その間手を貸してくれないかいっ?」
(エマ……と、ヘンリクって……)
確か、ヘンリクはマーサおばさんの息子で、エマさんはそのお嫁さんだ。産気づいたって、妊娠してたんだ。
「わかったわ、今……」
母さんはすぐに出掛けようとしたけど、ハッと気づいて私の方を見た。多分、私をどうしたらいいのか迷っているんだろう。
(どう考えたって、幼児がお産の最中にいたら邪魔だもんね)
連れて行くのは躊躇うけど、置いていくこともできない。
ん~、留守番くらいできるんだけど。
「か~しゃん、いてらっしゃい」
「リナ……」
「に~ちゃ、いる」
もうすぐケインが学校から帰ってくるから大丈夫だよ。
私の言いたいことはちゃんと母さんに伝わったらしい。母さんはマーサおばさんの顔を見てから、床に膝を付いて私の顔を覗き込んできた。
「ケインが戻ってくるまで、おとなしく家にいるのよ。絶対、一人で外に出ちゃ駄目」
「あい!」
機嫌よく手を上げる私を見て少し眉を顰めたけど、時間の猶予はないと思ったらしい。
「行くわ、マーサ」
「すまないね、リナ、おとなしく待っていておくれっ」
慌ただしく二人が出ていく。
静まり返った店の中で、私は一人ほくそ笑んだ。
(これって、絶好のチャンスってやつ?)
父さんも、母さんもいない。もうすぐ、ケインが帰ってくる。この時を逃したら、いつチャンスが巡ってくる?
よし、フレンチトーストを作るぞ! ……ケインが。




