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11.お地蔵様の贈り物です。

「か~しゃん、おあよ」

「おはよう、リナ。今日もいい子で目が覚めたのね」

 慎重な足取りで部屋に入った私を、母さんがギュッと抱きしめてくれる。朝の仕込みをしてきたのか、ほんのりとパンの匂いがした。

「ケインはまだ?」

「に~ちゃ、まだ」

 もう起きて朝ご飯を食べなくちゃ遅刻してしまう時間だが、ケインはまだ起きてきていない。ケインは寝起きは良いんだけど、自分でさっと起きてこないのだ。

「じゃ、リナ、起こしてくれる?」

「あい!」

 私は張り切って手を上げて返事をすると、ぽてぽてと-自分では軽い足取りのつもりで-ケインの部屋に向かった。






 私が自分の無力さを思い知ってから季節二つ分が過ぎようとしていた。

もうすぐ春。私が1歳の洗礼式に出て丸一年が経つ。もうすぐ、私は2歳だ。

 その間、私は私なりに生活の向上を目指すべく、頑張って動いていた。


 まずは、掃除。

 基本的に土足生活のせいか、部屋の中は寝室を含めて砂埃が結構酷い。一応家業が食べ物屋なので、父さんや母さんはできる限り綺麗にしようとしているみたいだけど、日本での生活に慣れた私にはかなり物足りなかった。

 たぶん、入院した経験もあって、汚れには敏感になっているのかも。

 だから、私は自分から掃除係に立候補した。

もちろん、まだ小さな私が大きな箒を持って掃除するなんてとても無理だけど、それでもできることがある。

 私は雑巾でゆっくりゆっくり、床を拭いた。砂を集めるようにして、それこそ一日の大半を掃除に費やした。


 すると、不思議なことに次第に部屋の中の砂埃が少なくなっていった。私が掃除をすることで、父さんや母さんの意識が変わったみたい。確かに、小さな子が床を拭いている姿は健気に見えちゃうかも。最初のころなんか、母さんは小さい子に掃除をさせるわけにはいかないって、自分でしてたくらいだし。

 パン屋をしていると、それもちょっと無理なんだけどね。

 計算したつもりはなかったけど、二階に上がる時、家族はみんなわざわざ室内履きに履き替えてくれるようになった。

 これでかなり、家の中が綺麗になったんだよね。


 次に、運動。

 一人で歩くこともままならなかった私。それが、筋力のなさにあることに気がついた。

まだ2歳にもなっていない幼児に筋力を求めるのも変な話だけど、ちゃんと歩けるようにならないと行動範囲がいつまで経っても広がらないし。

 だから、ラジオ体操を始めた。

改めて思ったけど、あれって結構体のための動きを取り入れてるのよね。学生時代は流していたけど、一生懸命やると結構疲れるくらいの運動量だもん。

 私が朝と夕方、一人でラジオ体操をしていると、面白がったケインも付き合ってくれるようになった。どこで覚えたんだって不思議がってたけど、自分で考えたって言っちゃった。

 ラジオ体操のおかげか、それとも私の体が多少は大きくなったのか、歩くことに不安はなくなってきた。階段も、最初のころはずいぶん心配されたけど、今では壁を伝って、時間を掛ければ一人で下りることができるようになった。

 人間、諦めちゃだめだよね。


 そして、言葉。

これが一番大事だった! だって、多少身体が動かなくても、話せるようになったら十分意思の疎通ができるんだもん。

 ケインの勉強に付き合って、父さんや母さんといっぱいおしゃべりして。後は、お店のお客さんと話すようなったのが大きかった気がする。

 どの世界でもおばちゃんパワーってすごいよね。

 そのおかげか、まずは耳で聞いて、意味を理解してから何度も繰り返して。単語を覚えれば、後はそれを繋げれば結構会話ができるってわかってから、覚えるスピードはかなり早くなったと思う。

 もうね、会話ができないと始まらないの。

 あんドーナツなんて夢のまた夢、普通の食パンや、スープの改善だって、説明しないとわかってもらえない。


 私だって、日本とこの世界の違いをわかっているつもりだ。

豊かだった食生活に、清潔だった家や病院。電話一本でデリバリーが届くことも、携帯電話やパソコンで自由に情報を得ることも、全部全部、今の私には夢のまた夢だってこと。そんな当たり前だったものが、この世界で手に入れるのはかなり難しいことだって、身に染みてわかっている。

 それでも、少しずつ、本当にちょっぴりだけど生活が良くなっているのを実感すると、やる気だって湧いてくる。




 ケインを学校に送り出すと、母さんと父さんは店に出る。

私はいつものように部屋を掃除してから、ゆっくりゆっくり階段を下りた。

「おあよー」

「あら、おはよう、リナちゃん。今日も可愛いわねぇ」

 店に出ると、常連のおばあちゃんが声を掛けてくれる。私はにっこりと笑って頭を下げた。

「ありあと」

こんなふうに会話をするのはやっぱり楽しい。母さんも、目が届く場所にいた方が安心するのか、私が店内をウロウロしても怒ることはなかった。

 でも、あれから二度目の厨房訪問はできていない。あ~、今ならもっと違う話ができるのにな。


 入れ替わり立ち代わりの客が途切れると、私は母さんを見上げた。

「か~しゃん、いー?」

「お祈りしたらすぐに帰るのよ?」

「あい」

 母さんの許しを得た私は、店のドアを両手で押す。

「……んしょっ」

精一杯の力を込めてドアを開けると、にぎやかな通りに出た。

 うちのパン屋はある通りの角っこに建っている。右側はすぐに隣の店があるのだが、左側は隣の店と少し間が空いていた。そこに、小さな像が建っているのだ。

「おあよ、おじぞーしゃん」


 この像を見つけたのは、初めて雪が降った日だった。

その日、母さんが市場に買い物に行ったんだけど、雪が降り始めたから父さんが心配して店の外に出た。

 その時に、私も父さんに抱かれて店の外に出て、洗礼式以来の外に興奮してキョロキョロ辺りを見回して……見つけた。

 見た目は……そうだなぁ、あの有名な外国のおしっこする像みたいな感じ? 私の身長より少しだけ小さくて白い石でできた像は、町中にポツンとあるせいか私に日本のお地蔵様をイメージさせた。

 そう思うと、白々しい像が寒そうに見えて、私は自分の古着の中からできるだけ可愛い赤いマフラーを巻いてあげることにした。本当は赤い涎掛けが良いんだけど、西洋の町中にはあまりに似合わないので諦めた。


 この世界の神様が私の考える神様と共通しているのかどうかはわからない。それでも、困った時の神頼みってあるでしょ?

 それから私は時折そのお地蔵様に参るようになった。

始めは危ないと私についてきてくれていた母さんも、場所が家のすぐ隣、数メートルしか離れていない場所なので、しばらくして一人でお参りすることを許してくれた。

 ただ、絶対にお地蔵様より向こう側には行かないこと、知らない人について行かないことを強く約束させられた。心配しなくったって、ほんの数分で戻るけどね。


 早く、言葉が話せるようになりますように。

 自由に動くことができますように。

 砂糖が手に入りますように。


 勝手なお願いだと思ったけど、何回かお祈りしているとそれが日課になっちゃって。

 でも、私の中では神様へのお願いというよりも、自分が克服すべき課題を改めて口にしているっていう気持ちの方が大きかった。


 その甲斐あってか、身体は結構動けるようになってきたし、話もできるようになった。

 ただ、砂糖は……これが一番難しい問題なのよね。

 私たちの普通の食事にも、甘味はほとんど使われない。母さんが時々ハチミツを使うところは見たけど、砂糖というものがこの世界にあるのかどうかもわからなかった。

 砂糖が無理でも、それに代わるものがあればいいけど……まだ小さな私が市場に連れて行ってもらえるのは無理だ。自分で探すこともできないし、第一お金だって持っていない。

(サトウキビとかあるのかなぁ)

 でも、サトウキビから砂糖ってどうやって作るんだっけ?


 私の知識は広く浅くで。結構穴あきの記憶なのがこんな時に悔しいと思う。もっとちゃんと勉強すればよかったなぁ。

(ただ、こんなふうに生まれ変わるなんて想像もできなかったけど)


 そんなことを思いながらいつものようにお地蔵様の前で手を合わせようとした私は、その足元に一抱えの麻袋があることに気づいた。

(お供え物?)

 初めて見る。

 いったい誰が置いたんだろうと思って周りを見回したけど、行きかう人たちはこっちにまったく関心がないようだ。

(昨日来た時はなかったけど……)

 お供え物を覗くなんてあまり行儀が良くないけど、私はどうしても中が気になってしまった。まさかと思ったけど、頭の片隅でもしかしたらなんて考えちゃって。


 その場にしゃがみ込んだ私は、袋の口を縛っている紐を解こうとした。でも、結構きっちり縛っているのでなかなか解けない。

(母さんを呼んできた方がいいのかな……)

 これを開けるということはもちろん、誰の持ち物か母さんに見てもらった方が……そんなことを考えながらも手を動かしていると、ようやく紐が解けて袋の中が見えた。

「え……」


 ……真っ白。


 こ、これ、もしかして砂糖じゃない?

きらめく白い粉を見た瞬間、私は直感でそう思った。もしかしたら塩かもなんて想像もしなかったし、不思議なほどきっぱり、これは私のものだと思えたのだ。

「きゃぁ!!」

 ようやく手に入った欲しいものに、私は歓喜の声をあげる。

「しゃとー! しゃとーよ! おじぞーしゃん、ありあと!!」

 こんなに早く望みを叶えてくれてありがとう! あまりに嬉しくて、その場で踊ってしまったよ。

「か~しゃん!」

 早く母さんに知らせて、この大事な砂糖をうちに持ってこなくちゃ!

私はもつれそうになる足で店に飛び込んだ。

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