120.お帰りなさい!
本当に、お待たせしました……。
(本当に……いるんだよ、ね?)
フードを被ったままだが、いつもの皮肉気な笑みは良く見えた。
「どうした?」
「……ししょー?」
「おー」
どうしてこんなにも、いつもと変わらない態度が取れるんだろう。
目の前の光景が信じられなくて、私は何度も瞬きを繰り返す。そのたびに、もしかしたらその姿が幻のようになって消えるかもしれないと思ったけど、ラムレイさんはそのまま変わらずにそこにいた。
いつものような少し皮肉気な笑いを口元に湛え、少しだけ目を細めて私を見ている。まるで、驚いただろうとからかわれている気分だ。
こっちはこんなに心配していたのに……そんなふうに思っていたはずなのに、気が付いたらラムレイさんのお腹に抱き着いていた。
「お……っと」
少しだけ驚いたような声が頭上から聞こえたけど、そんなこと今は気にならない。とにかく、ここに本当にいるんだと確かめたくて、ギュウギュウと腕に力を込めた。
「なんだ、泣いてるのか?」
「……って、ないっ」
「顔見せて見ろ」
「……やっ」
ポンポンと言葉を交わしているのは間違いなくラムレイさんだ。
どうして連絡をくれなかったのか。
どうして戻ってきたのならすぐに会いに来てくれなかったのか。
なんだか気にしていたのは自分だけなのかと思ってしまい、怒りとも悲しみともつかない複雑な感情が胸の中を渦巻いている。だけど、間違いなく一番強く感じているのは嬉しさだった。
「帰ってきてたんだ……」
どのくらい経ったんだろう。
ようやく時間が動き出したのは、ケインが声を掛けてきたからだ。私の後ろから駆けてきたケインも、ラムレイさんが戻ってきたことに驚いているみたい。そうだよね? びっくりしたよね?
驚いたのが自分だけじゃなくて、私は少しだけ息をついた。
「よー、元気そうだな。まあ、それほど長い間会ってないわけじゃないが……まぁ、お前たちが変わってなくて安心したよ」
そう言って笑ったラムレイさんに向かって、ケインが突然声を上げる。
「あの……ヴィンセントのことっ、ありがとうございました!」
突然の大きな声に驚いて、私は反射的に振り向いた。そこではケインが深々と頭を下げている。ケイン自身のことじゃないけど、自分が持ち込んでしまった問題にラムレイさんを巻き込んだことに罪悪感を抱いているんだろうな。
だけど、ラムレイさんの方はまったくいつもと変わらなかった。私をお腹に張り付けたまま、軽い口調で答えた。
「気にするな。俺にとっても利があったしな」
「利?」
「り?」
って、どういうこと?
戸惑う私達に、ラムレイさんは言葉を続ける。
「ちょうどよかった。片付けてから会いに行こうと思ったんだが……おい、いい加減離れろ。大事な話がある」
「……はなし?」
「そうだ。お前にも関係あることだから……そうだな、やっぱりお前の両親も交えた方が良いか……いや、先ずは話さないと不味いか」
なんだか不穏な言葉に、私の口はへの字になった。
「今は仕事中だろう? 終わったころに家に行くからその時な」
大事な話と聞いてドキッとした。問題が全部片付いたから戻ってきたんじゃないの? そうであってほしいと思うものの、胸の中のざわざわした感覚が消えない。
「ししょー……」
離れてしまうのも怖くてしがみつく手に力を込めたけど、ラムレイさんは「ちゃんと行くから手を離せ」と、らしくもなく優しい口調で私を宥めてきた。
「そういうことで、ケイン、伝言よろしくな?」
ゆっくりと引き剥がされた私は、そのままケインへと渡される。
「う、うん」
ケインの顔も少し緊張しているように見えた。私のようにではないかもしれないけど、ケインも嫌な予感がしたのかもしれない。
「ぜったい、きてください」
「ああ。俺は約束は守る男だ」
唇の端を少しだけ上げる皮肉気な笑み。だけど、その言葉通り、彼が約束を守ってくれる男だというのは知っている。話をしてくれるというのなら、絶対に来てくれるはずだ。
「リナ」
ケインに促され、私は重い足を動かす。少し歩いて振り向くと、見送ってくれることもなく、腹が立つほどあっさりと店の中に入っていく背中が見えた。
(もうっ)
だけど、そんな相変わらずの姿に少し安心した。
その背中に、私は思わず声を掛けていた。
「おかえりなさい! ししょー!」
店に戻ると、ケインはさっそく父さんにラムレイさんの伝言を伝えた。父さんも彼が戻ってきたことに安堵した表情を見せたけど、店までやってきてする話ということが気になったみたい。
「何だろうな……」
「……わからない」
ケインの言葉に、父さんの視線がちらりと私に向けられた。首を横に振るとふうっと溜め息をつき、父さんは嫌な予感を振り払うように笑う。
「話してくれるっていうんならそれを待とう。ほら、お客さんだ」
それから、いつもと変りない忙しい時間が続いた。私も身体を動かしていた方が気がまぎれるから、いつも以上に頑張ってお手伝いをする。
少しばかり有名になったお店には、次から次へとお客さんが来た。みんな嬉しそうにパンを買って行ってくれる。父さんの作ったパンは世界一美味しいもんね。しばらくバタバタして新作のパンは作ってないけど、父さんは今はそれで十分だって言ってる。あんまり目立つと、私の存在を知られてしまうからだって。
そんな言葉を聞くと、自分が異質な存在なんだって少しだけ嫌になる。だけど、今更そんなことを考えたってしかたがないもん。
やがて、最後のお客さんが帰った。
店や厨房の片付けをしていると、ドアの鐘が鳴った。
「ちょうど良かったな」
「ししょー!」
約束通り来てくれたラムレイさんに抱き着くと、彼は軽く髪を撫でてくれた。そしてそのまま、父さんに向かって言う。
「話があるんだが」
「ああ、聞いている。その前に」
「あ?」
父さんはラムレイさんに向かって頭を下げた。
「今回のこと、本当にありがとう」
「……いや、別に俺は」
「ケインが発端で、今回のことに巻き込んでしまった。ヴィンセントの加護を守ってくれて、本当にありがとう」
その言葉に、私も慌てて頭を下げた。連絡をくれなかったことに怒ってる場合じゃなかった! 先にヴィンセントを助けてくれたお礼をちゃんと言わなきゃ!
「ありがとうございますっ」
私達だけじゃ解決なんてできなかった。ヴィンセントだって、加護を無くしてしまったかもしれない。それを助けてくれたことに感謝しないといけない。
頭を下げる私の横で、ケインも慌てて頭を下げた。ここにヴィンセントがいたら、きっと同じことをしたはずだ。
「……ったく……防音壁」
あれ? 防音の魔法?
突然の防音の魔法に驚いていると、ラムレイさんは髪をクシャリと乱暴にかいた。
「礼なんていらない。結果的に俺の問題にも関わったからな。今回のことは本当に……俺にとっては運命の巡り合わせだった。だから、これ以上の礼は本当にいらない」
運命の巡り合わせ。それがどんなことなのか、ラムレイさんは話してくれるの?
じっと彼を見上げていると、やがて下りてきた彼の視線を捉えた。
「リナ、教師の真似事はお終いだ」
「……え?」
「店を閉めることにした」
「えっ!」
店を閉めるって、あの油屋を? どうして? だって、あんなにお客さんがいなくても普通に営業してたのに?
あまりに驚き過ぎて声が出ないでいると、ラムレイさんはそのまま言葉を続けた。
「引っ越しもする。世話になったな」
これって、もう決定事項ってこと? あまりにもあっさりと言い切る彼をまじまじと見つめた後、私はハッとして彼の顔を改めて見つめる。
(な……い……)
最後に彼と会った時、彼の首筋から顎にかけて、不気味な蔦のような痣が広がっていたはずだ。ヴィンセントに掛けられた禍々しい禁忌の魔術を自身に移したせいでそうなってしまっていたはずだったのに。
(さっきお店で会った時は帰ってきたことに驚いて気づかなかった……)
痣が消えたことはいいことだ。そのために彼はしばらくの間旅立っていた。でも、その良いことのはずが、どうしてだか嫌な方へと思考を傾けてしまう。
「……きえてる」
「ああ」
「どうやって?」
あの時、とても大変だという雰囲気だった。確かにラムレイさんはとても優秀な人だけど……こんなにも上手くいくものなの?
「……これを消したのは俺じゃない。別に頼んだわけじゃないんだが……」
少しだけ言い淀んだ後、諦めた様に苦笑する。
「この国でも一、二を争う光の加護を持つ奴が消した」
「え……」
それって誰? 問うように見たけど、ラムレイさんはその光の加護を持つ人が誰なのか、それ以上は話してくれなかった。
数々の加護の中でも、光の加護持ちは希少だって聞いてる。そんな中の、とても強い加護持ちの人がラムレイさんに移ったあの痣を消してくれた。でも、それって……。
「なにか、じょーけん、ある?」
例えはラムレイさんが莫大な治療費を払うとか、高位の貴族の一員だとかしたら、そんな恩恵を受けることは可能かもしれない。でも、ラムレイさんって違うよね?
そもそも、そんなに強い光の加護を持っている人をラムレイさんが知っているなんて……むしろ、向こうから接触してきたって考える方がまだ可能性がある。
だとしたら、治療をしてくれたことに意味がある……何か凄い条件を突き付けられた可能性があるかもしれない。
「ししょー」
私はラムレイさんを真っ直ぐに見上げた。




