116.新しい同居人です。
もう間もなくラムレイさんは旅立つらしい。いつまでも私がここでグズグズしていると邪魔になることはわかるけど……なかなか足が動かなかった。
(こんな時、携帯が無いのが本当に残念だよ……)
携帯電話にパソコン。前世佳奈として生きていた日本は、様々な連絡ツールがあった。それこそ、北海道と沖縄という日本の端と端でもリアルタイムで会話ができ、画像も送れる世界だった。しかし、今生きているこの世界にはそういったものはまったくない。手紙という手段はあるものの、下手をすると何十日も掛かってしまうらしい。
なかなか状況がわからないからこそ、私はもしかしたらこのまま会えなくなってしまうんじゃないかって怖くて……帰ることができなかった。
きっと、ラムレイさんはそんな私の気持ちなどわかっているんだろう。はーっと大きな溜め息をつかれた。
「……ったく」
「ししょー……」
「防音壁、暗視煙」
不意に、ラムレイさんは防音と目隠しの魔法を使った。賑やかな市場の中央から外れたこの店は、商売が成り立っているのか心配なほど人が来ない。だから、わざわざここまで用心する意味がわからなくて、私は首を傾げてしまった。
「大きな声を出すなよ、現出」
そう言って、まるで手品のようにどこから取り出したのかわからない小さな玉のようなものを空中に投げたかと思うと、次の瞬間、
「!」
彼の指先には、一羽の小鳥がとまっていた。
「え……どこから?」
この小鳥はどこから来たんだろう? 入口はしっかり閉めてあるし、この部屋には窓がない。どこからも入ってくることなんてできないよね?
「……かわい……」
もう一度小鳥を見た。大きさも、モフっとした感じも、私の知っている小鳥だと雀みたいだけど……真っ白な羽に、嘴と目が赤い小鳥なんていたっけ?
「……あ、せなか」
ラムレイさんが良く見えるように手を差し出してくれたので、小鳥の背中まで見ることができた。そこには、まるで宝石のルビーのような赤い小さな石がのっている。
「きれー……あれ?」
今、ラムレイさんは現出って言った。それは、確か使徒獣を呼び出す時にエルさんたちが言っていた言葉だ。
「すごい! ししょー、しえきじゅー持ってるんだ!」
国内の貴族のほとんどが所持しているらしい使徒獣。まさかそれをラムレイさんまで持っているとは思わなかった。でも、彼は凄く優秀な人だし、魔力も豊富で、考えたら持っていてもおかしくないかもしれない!
「まあ、俺は貴族じゃないから、騎獣は持てないけどな。だが、こいつは結構有能だぞ」
そう少し自慢げに言ったラムレイさんは、小鳥がとまっている手の指を器用に動かして背中の石に触れた。
「俺がいなくなっても泣くなよ」
「え?」
いきなりそんなことを言ったので戸惑っていると、彼は私の方に小鳥がとまった手を差し出してくる。
「その石に触れて再生って言ってみろ」
私が触っても大丈夫なんだろうか。不安だったけど、ラムレイさんの言葉も気になって、私は恐る恐る手を伸ばして、それでも出来るだけ力を入れないようにそっとなぜか青色に変化していた石に指を触れさせた。
「のーす」
【俺がいなくなっても泣くなよ】
「!」
嘴を開けた小鳥から出てきたのは、可愛らしい女の子の声だ。
「し、ししょー、これっ」
「こいつの大きさだとこの声しか出ないんだよ」
ラムレイさんの説明では、この小鳥は使徒獣の中でも契約主の声をそのまま記録する、いわば話す伝書鳩みたいなものみたいだ(伝書鳩とは言わなかったけど、説明を聞いて私はそう思った)。
赤い石は録音再生をわかりやすく具現化しているらしくて、主従関係がもっと上手くいっているとそれに触れなくても言葉だけで大丈夫らしい。
ラムレイさんはあまりこの子を呼ばないみたいで、まだ信頼関係がないんだって……もー、こんなに可愛いのに呼ばないなんて信じられない!
「ししょー……」
「それと、分裂」
私が文句を言うより先に、ラムレイさんはまた不思議な言葉を紡ぐ。すると、今度は……嘘みたいだけど、小鳥の嘴から白い靄のようなものが出てきて、それが小鳥とまったく同じ姿になった。自分でも何を言っているのかわからないけど、目の前で小鳥が2羽に増えた……。
「それは伝言鳥と言われている種類だ。慣れている奴だと、10匹は分裂できるらしいぞ」
「す、すごい……」
まるっきり同じ姿の2羽を交互に見ている私をよそに、ラムレイさんは続けた。
「おい、こいつは俺の弟子だ。こいつに限り伝言を受け取れ、いいな?」
小鳥は泣き声を発さないが、じっとラムレイさんの顔を見ている。それはまるで離れたくないとでも言っているようで、私はこの子が可哀そうになった。
「ししょー、このこ、さみしいんだと思う……ししょーといっしょが……」
「リナ」
「は、はい」
「お前は目を離すと何をやらかすかわからん。いいか? 何かあったら……いや、何かある前に、必ず俺に連絡しろ。前もって知っていた方が対策を立てやすいしな」
口は悪いが、明らかに私を心配してくれている。
(私のために……うそ……嬉しい……っ)
今回のことだって、ラムレイさんは私の尻拭いをしてくれている。本当なら嫌気がさしてもおかしくないのに、この先も私がしてしまうかもしれない失敗のことを考えて、先手を打ってくれているなんて……なんて優しいんだろう。
また込み上げてきた感情で涙が溢れそうになるが、泣くなと言われたばかりだ。
私は必死に我慢して、しばらく一緒にいてくれる小鳥を見つめた。
「この子たち、なまえはなんていうんですか?」
「ないぞ」
「え? なまえ、ないんですか?」
「別になくても困らないだろ」
「……」
リナは小鳥たちを見つめる。なんだか呆れたような顔をしているのは気のせいだろうか。
(これって普通……じゃ、ないよね? せっかく自分のところに来てくれたのに、ほんと、師匠ってば……)
エルさんもシュルさんも、使徒獣にはちゃんと名前を付けて可愛がっている。ラムレイさんが可愛がっているかどうかはわからないけど、名前って大事だと思う。
「なまえ、つけてあげてください」
「いや、だからな」
「……」
「……俺は思いつかないから、お前がつけてやってくれ」
「私のほうでごめんね、プク」
帰り道、私は肩にとまった小鳥……プクに向かって話しかけた。
ぷくぷくしているからプクっていうのは、我ながらひねりがないなと思うけど、時間がない中思い浮かぶ名前はそんなになかった。それに、この子も案外気に入ってくれているみたいだし。だって、すりすりと頬に柔らかな身体をすり寄せてくれるんだもん……やっぱり可愛い。
ラムレイさんのところにいる本体? の名前はプリ。それを告げた時の何とも言えない彼の表情を思い出して思わず笑ってしまった。でも、そのおかげで、悲しかった気持ちも和らいでいた。まさかと思うけど、これを狙ったりしていたわけじゃ……ないよね。
ラムレイさんとの連絡手段を手に入れて、私の言いようのない不安は少しましになった。もちろん、心配はなくなりはしないけど、いざとなったら向こうの様子を知ることができるのは大きい。
「ただいまー」
「お帰りなさい、リナ」
思いがけなく長居をしてしまって、店に帰ったのはもうすぐお昼という時間だった。店の中は昼食用のパンを買う人でごった返していて、母さんが忙しそうに相手をしている。
私もすぐに裏に回って手を洗った。
「あ、プク、ここでまっててくれる?」
一応、鳥になるから、店に入れていいかどうか父さんに聞かなくちゃいけない。
すぐにエプロンをつけて、私は店に出た。
「いらっしゃいませ!」
昼の忙しい時間が過ぎて、私はようやく父さんにプクを紹介した。
「ししょーのかってる、ことり? なの」
父さんはラムレイさんがこんな可愛い小鳥を飼っていることに驚いていたし、しばらく留守にするらしいと言った時は難しい顔をした。私絡みで何かあったのかと思ったのかもしれない。でも、詳しい事情は話せないから、私はすぐに小鳥の話に話題を変えた。
「しばらくおせわしていい?」
「きちんと世話ができるか?」
「うんっ」
「……店の中には入れないように。それと、ちゃんと世話はするんだぞ」
「ありがと!」
父さんに抱き着くと、軽々と抱きあげられた。間近に見る父さんは嬉しそうに笑っている。
(最近心配かけてばっかりだし……父さん孝行しないと)
ラムレイさんはもちろん、エルさんたちも何をしているのか、呪術師の件はどうなったのか、心配だし知りたいこともたくさんあるけど、今はじっと待つことしかできない。
始めの数日は我慢した。
いつもと同じ毎日を過ごして、新しく同居人になったプクをケインと一緒に可愛がった。
意識して気にしないようにしていたけど、5日を過ぎて10日を過ぎようとした時、どうしても我慢できなくてプクにお願いした。
「ししょー、げんきですか?」
首の後ろにある小さな石に触れて言葉を伝えると、綺麗な赤色だったそれが青色に変化した。そして、
「あ!」
そのままと飛び立ったかと思うと、すっと壁をすり抜けて行ってしまった。
「……すごい……」
可愛い小鳥の姿をしていても、やはりプクは使徒獣なんだ。
(あ……いつ戻ってくるんだろ?)
ラムレイさんがいるはずの魔導師団の本部まで飛んで行ったとして、1日、いや、半日あれば戻ってこられるだろうか?
その辺はまったく説明を聞いていないので、じっと待つしかない。
「……しごと、しよ」
いろんなことを考えないでいられるように。今日は久しぶりにパンをこねさせてもらおうか。
朝と昼の忙しい時間が過ぎても、まだプクは戻ってこない。何度も家の方へと向かう私に、今日はもう休んでいいと父さんは言ってくれたけど、大丈夫だからと店に出ていた。
でも、この時間は意外に暇だ。夕方分のパンを作る父さんとは違って、私は店の留守番をしているだけ。母さんは家事のために2階に行っている。
「あ」
その時、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
反射的に声を出しながら顔を向けた私は、そこにいる場違いな人物に目を瞠った。
「リナか」
「……だれですか?」
眩しい銀髪に澄んだ空の色の目の少年は、私を見て楽し気に口元を綻ばせた。




