113.それは、びっくりする魔道具でした。
大変ご無沙汰しています。
「うわぁ……」
幾つもの明かりに照らされて見えた建物に、私の口からはただ驚きの声しか漏れなかった。だって、想像もしていなかった外観だったから。
(あれ……石? 門は……ない)
魔導士団。
その言葉の響きから、てっきり優美な洋館を想像していた。だって、魔力が多い人たちの職場でしょ? 魔法使いっていったら、私の中ではお城が定番だし。
でも、目の前にある建物は、武骨な石造りだった。一階建てで、思った以上に小さい気がする。もちろん、普通の家よりは全然大きいけど。団って言っているけど、もしかして人数はすごく少ないのかな。
「あの建物も魔道具だ」
そんな私の気持ちは、知らず言葉になっていたみたい。その疑問に答えてくれるかのようにエルさんが言った。
「……え?」
聞き間違え? だって、あれ建物だよ? 魔道具って、道具でしょ?
「外観からは想像できないほど中は広い」
「えぇっ!」
続くエルさんの言葉に固まっちゃった。建物が魔道具ってそういうことだったんだ!
(見た目と中が違うなんて凄い!)
この世界のことはまだまだ知らないことが多いけど、まさか魔道具の建物があるなんて想像もしていなかった。え、私は入れるの? 入っちゃっていいの?
ふと、こういうのって国家の機密事項じゃないのかなと思う。クマさ……っと、なんていったっけ。
「コーディ、団長はおられるのか」
(あ、そうそう、コーディさんだ)
「団長は……」
そこで、なぜかこっちに視線を向けられる。月明りなので詳しい表情はわからないけど。
「王城に」
「そうか」
そこでエルさんも会話を止めた。話し声がなくなると、耳に届くのは風に揺れる木々の騒めきと、ダリスたちの息遣い、そしてワイパーン(多分)の羽音だけだった。
「!」
ある場所までくると、いきなりその場に門が現れた。
そびえ立つ鉄の門。驚きすぎて固まる私を、エルさんはダリスから下ろしてくれようと持ち上げたけど、一瞬ピタリと動きが止まって、なぜか……そのまま片手で抱えられてしまった。
「え? あ、歩けるよ?」
2歳や3歳の幼児ならともかく、私はもう5歳だ。歩いていて足がもつれることはないし、知らない場所でいきなり駈け出したりしない……多分。
でも、私の必死のアピールはエルさんに伝わらなかった。彼は奇麗な形の眉を顰めて、私を見据えながら端的に言う。
「君は目を離すと何をするのかわからない。おとなしくしているように」
どうやら、私はエルさんに信用されていないらしい。なんだかショックだけど、ここで抵抗し続けていても話は進まないし、しかたなく私が大人になって従うしかないか。
「ふ……」
微かに噴き出すような気配が後ろからしたけど、振り返らないからね。
クマさ……もう、自己紹介してもらってないからクマさんにしよう。クマさんは見るからに重そうな門を軽々と片手で開けて、促すように私達の方を見た。エルさんは当然のように入ったけど、シュルさんは軽く頭を下げて門をくぐっている。いつもは口調ほどの身分差を見せない2人だけど、やっぱりエルさんの方が身分が高いんだな。
そのまま最後尾にクマさんも入ってきて……あ、ワイパーンも続いてる!
てっきり空を飛んでついてくるのかと思っていたからびっくりしていると、そんな私の様子にすぐに気づいたらしいクマさんが笑った。……怖い。
「魔導士団の飛竜は登録がしてあるからな。敷地内に入る時は門をくぐる」
「飛ばない、ですか?」
飛ばないのと、ついエルさん達に問いかけるつもりで言いかけて、慌てて丁寧語を付け加える。まさかエルさんの前で「無礼な」と怒られることはないと思うけど、父さんよりもずっと年上の人に見えるし、副団長さんなんだからちゃんとしないと。
「……門をくぐらずこの上空を飛べば、魔獣とみなして攻撃する魔法陣が描かれている」
「へえ~、この子達を守るためなんですね」
凄い、魔法陣なんだ。いったいどんなふうになっているのかとあたりを見回しても、目に目るのは石造りの建物と森の木々。
「其方には見えぬであろうな」
どうしてか、クマさんに笑みを含んだ声で言われてしまい、私は恥ずかしくなって抱き上げてくれているエルさんの服をぎゅっと掴んでしまった。
後で皴になった個所を見て蒼褪めたのは内緒だけど。
石造りの建物の扉は、これもまた鉄みたいに頑丈なものだった。
門の時と同じように軽々と開けてくれたクマさんに抱っこ状態のまま頭を下げて中に入った私は、
「……へぁ?」
間抜けな声をあげてしまった。
「広いだろう」
エルさんが何か言ってるけど、今の私は驚くことで精一杯だ。
「ひろぉ……」
外から見た建物は、確かに普通の家よりは大きかったけど、それでも驚くほどじゃなかった。けど、中に入って私の目に飛び込んできたのは、真っすぐ伸びた長い廊下……これって、50メートルはありそう。
突き当りからはまた左右に廊下があるみたい。え……これってどうなってるの? 頭の中が混乱して、私はただ忙しなく辺りを見回すことしかできない。
その時、背中を優しく撫でられた。
「落ち着きなさい」
「ふ……」
「君は私が守るから、何も心配することはない」
「……」
いつもと変わらないエルさんの声。不思議とその声を聴くと、パニックになりそうだった頭の中が落ち着いてきた。エルさんの声って、凄い。
私は何度か深呼吸をして、今度は落ち着いて周りを見ることができた。最初は長い廊下に驚いたけど、廊下の左右には幾つかのドアがあることに気がついた。
「こちらに」
クマさんが開けてくれたのは一番手前のドア。中はテーブルと椅子のセットに暖炉がある、どうやら応接間のような部屋だ。
「急なことで、この待合室でもよろしいか」
「構わない」
え、ここ、待合室だったの?
軽く10人は座れるテーブルの、いわゆる上座にエルさん。その右隣に私、その隣にシュルさん。クマさんは私と反対側の、エルさんと3つ席を空けて座った。
「生憎、私ではエーベルハルド様のお口に合う茶など入れられませんので」
なんだか、歓迎していないぞと遠回しに言われている感じ……まあ、いきなり来たのは私達だし、クマさんにとっては招かざる客だからしかたないか。
ちらりと見るエルさんは、お茶が出ないことに怒った様子はないし、それはシュルさんも同じだ。
内心さすがだなと思いながら2人を見ていた私は、ふと視線を感じて顔を向けた。
「あ…っ」
クマさんと目が合い、思わず声が出て、慌てて両手で口を押える。今更遅いけど。
「エーベルハルド様、こちらのむす……御令嬢は」
「えぇっ!」
聞き慣れない呼び名に、今度は大きな声が出てしまった。御令嬢とか……庶民の私にはまったく縁のない言葉だ。
考えたら、クマさんはきっと貴族で、私よりもうんと年上だ。本当なら私の方から自己紹介しないといけなかったんじゃない? そもそも、呑気に椅子に座ってる場合じゃなかったかもと思った私は、焦って椅子から降りようとする。でも、そんな私の動きを、
「立つ必要はない」
エルさんの一声が止めてしまった。
本当にいいんだろうかと思ったけど、エルさんの言うとおりにしなくちゃいけない。私は落ち着かないまま椅子に座り直した。
「彼女は私が庇護する者だ。…貴族籍はないとだけ知っていればいい」
「……ほぉ」
貴族籍がないとか、それって庶民だって言っているようなものだと思うけど……と、とにかく、第一印象はいいものにしないと!
「よろしくお願いします」
行儀が悪いけど、椅子に座ったまま私は頭を下げ、顔を上げると今度はにっこりと笑って見せた。万国共通、笑顔は大事だしね。
目が合ったクマさんは少しだけ驚いた様子だったけど、すぐに厳つい顔に笑みを載せて口を開いた。
「私はこの魔導士団副団長、ブランドン・フォン・コーディだ」
自己紹介してくれたクマさ……コーディさんの雰囲気が、少しだけ柔らかくなっている。どうしてかわからないけど、嫌われたり蔑まれるよりはいい。思わずにやけそうになった頬を慌てて抑えている私を、コーディさんは目を細めて見る。
「コーディ」
少しだけ緩んだ空気を変えるように、切り出したのはエルさんだった。
「団の中に堕ちた者はいるか」
その瞬間、コーディさんの雰囲気が変わった。すごく冷たい……なんだか肌がヒリヒリするような空気に、思わず息をのんでしまう。
「……我が団に、堕ちる者などおりません」
「では、堕とす者は」
「……」
おちる……おとす? それがどんな意味かまったくわからない。でも、私以外……シュルさんもその意味がわかっているのか、静かにコーディさんを見つめている。
コーディさんはなかなか口を開かなかった。すると、エルさんはさらに言葉を重ねた。
「噂は聞いている。それが真実かどうか……副団長ならばわかるのではないか?」
「何を言う!」
ガタンと大きく音をたてて立ち上がったコーディさんは、今にもエルさんに掴みかかりそうなほどに身を乗り出す。エルさんが殴られてしまうんじゃないかと思った私は、慌てて椅子から滑り降りて2人の間に割って入った。
……こ、怖い。本当の熊に見える……っ。
自分から飛び出したくせに泣きそうだ。
「……っ」
ふいに、後ろから伸びてきた手に視界を覆われた。そして、腰に回ってきた手に抱え上げられる。それが誰かなんて、見なくてもわかった。
「エ……ル、さん?」
「君が前に出る必要はない」
まったく、少しはおとなしくしていなさいと、小さな声で怒られてしまった。私だっておとなしくしているつもりだったけど、とっさに体が動いてしまったんだからしかたないと思う。
でも、違う椅子じゃなく、エルさんにお膝抱っこされていると凄く安心する。
「どうなんだ、副団長」
私を抱っこしたまま、エルさんは話を続ける。そんな私達を少し驚いたように見ていたコーディさんは、やがて深い溜め息をついてドカッと椅子に座りなおした。
そして。
「堕とす者の噂は……聞いております」
絞り出すようなその声は、苦渋に満ちたものだった。




