112.悪役みたいな怖い顔の人が登場です。
夜の森の中は暗い。時々鳥の鳴き声のようなものや、よくわからない獣の嘶きのような声が聞こえてきて、私は怖くなってエルさんの腕にギュッとしがみ付いた。
(こ、怖くない、怖くない……っ)
自分でここまでついてきたのだ。今更怖くて動けないなんて言えないよ。でも、身体は正直で、強張ったままなかなか動くことができなかった。
「リナ」
エルさんの声の中に、私を気遣ってくれている気配が色濃く滲んでいるのが嫌でもわかる。
「だ、だいじょ、ぶっ」
エルさんに心配なんてかけられない。私は何度か深呼吸をして、自分の中の恐怖心を押し殺そうとした。
「シュルヴェステルに……」
「私も行く!」
このまま怖がっていたら、帰されてしまう! それだけは嫌で、私は即座に否定した。
大丈夫だという証のつもりで、エルさんから手を離してみせる。身体は細かく震えているけど、この暗さならきっと見えていないはずだ。
(ここ……どこだろ……)
恐怖心を誤魔化すために、私は辺りに視線を向けた。すると、目が暗さに慣れたのか、少しだが周りの様子がわかってきた。
森の上から見た時にも鬱蒼とした森が続いていると思ったけど、中から見ると結構木と木の間は離れている。今視線を向けている先は、どうやら馬車くらいは通れるほどの道が伸びていた。道といっても獣道みたいだけど……そう考えた時、タイミングよく何かの遠吠えのような声が聞こえて、思わずひえっと声を上げてしまった。
「ダリスがいれば、よほど強い魔獣以外は近づかない」
「ダリス……強い?」
「一角獣は光の加護が強いんですよ。魔獣は光の加護を持つ者を苦手としていますからね、ほとんどの魔獣は近づくことすらできない」
続いたシュルさんの説明に、私はただただ驚いてしまった。ダリスもターニャもとても綺麗だけど、魔獣より強くはとても見えなかったから。もしかしたら、魔力も関係あるのかな。
驚きが少し落ち着いて、私はエルさんに尋ねた。
「どうしてここに来たんですか?」
私とシュルさんはエルさんの後を追ってきただけだけど、エルさんは明らかにこの森を目指してきたはずだ。あの時、一緒にいたけど、私にはその理由がわからなかった。
私を置いて行ったし、言いたくないことかもしれないと思ったけど、既に付いて来てしまった以上しかたがないと思ったのか、エルさんは意外にも隠さず教えてくれた。
「残像が見えた」
「ざん、ぞう?」
エルさんは私がわかるように噛み砕いて説明してくれた。それによると、庶民よりも貴族の方が魔力が多いけど、それでも皆平等に魔力というものがある。加護だと教えてもらったものがそれ。
で、使う時は無意識のうちに身体から魔力が滲み出るらしいんだけど、普通それは人の目で見ることはできないものなんだって。でも、稀にそれが見える人がいるらしくって……。
「あそこから?」
エルさんは私が指さした呪術師がいるという方向に魔力の残像が見えて、それが消えないうちにってすぐに追いかけた。それが、この西の森。
私にもわかるように説明されて、直ぐに辺りを見回してみた。でも、私にはその残像は見えない。
「エーベルハルド様」
私が森の中を見ている時、シュルさんは少し声を潜めた。
「この先は……」
「魔導士団の施設がある」
「……では」
「いや、まだあれが関わっているとは言えない」
ダリスとターニャから降りた二人はしばらく私に聞こえないように話を続けていたが、やがてほぼ同時にこちらを見た。え……な、何?
「リナ、もう一度言う。今からシュルヴェステルと共に家に帰る気はないか」
「で、でも……」
「できれば、君は安全な場所にいてほしい」
……淡々とした口調だけど、私のことを心配してくれているのはよくわかった。さっきみたいに突然置いてきぼりにされるんではなく、ちゃんと向き合って説得されると即座に嫌だとは言い難い。改めて言うくらいだから、この先私が予想もつかないことが起こるのかもしれない。でも……やっぱり、このまま私だけ帰ることなんてできない。何も出来なくても、足手まといになるかもしれなくても、自分の目で最後までちゃんと見届けたい。
私はじっとエルさんを見つめた。ダリスに乗ってるから、私の方が目線は上だ。
どんなふうに説得すればいいのか迷ったけど、私の様子で答えはわかったみたい。すごく深い溜め息をつかれた。
「君は本当に頑固だな」
再びエルさんはダリスに乗って、今度は空を飛ばずに森の中の道を歩き始めた。真っ暗な中道がわかるのか心配だったけど、まるでわかっているかのようにダリスたちは迷いなく歩いている。
そして、どのくらい歩いただろう……ふと、木々の奥に光が見えた。明らかに人工的な光だ。
唐突な出現に驚いているのは私だけで、エルさんとシュルさんはまったく動じた様子も見せない。
(な、何だろ、あれ……?)
遠くに見えると思っていた光は、直ぐに目の前に迫った。そして、それを目にして、私は思わず声を上げた。
「ういてるっ?」
街灯のように見えていたのに、近くで見たそれはフワフワ空中に浮かんでいた。変なたとえになるかもしれないけど、まるで火の玉みたい……。
どういうふうになっているのか気になってしまい、そっと手を伸ばしかけたが、光に触れる前にエルさんに掴まれてしまった。
「触れれば、君の存在が向こうに知られる」
「え?」
「ここから魔導士団の結界に入る。触れれば侵入者として認識され、即座に魔導士たちが現れるぞ」
「け、けっかい……」
慌てて手を引っ込めた。
「ど、どうしますか?」
「こうする」
相手に知られないように侵入するにはどうすればいいのか。そんな私の心配と焦りをよそに、エルさんはいきなり目の前の光に触れた。
「エ、エルさんっ?」
触れたら向こうにわかっちゃうんじゃっ?
「向こうに案内させた方が早いだろう」
「へ?」
(あ、あんない?)
私たち、調べていることを向こうに知られないように行動しているんじゃなかったっけ?
これまでの行動と、エルさんの今の言動に戸惑っている間に、いきなり空がパンッと昼間のように明るくなった。
「ベルトナール様!」
「!」
次の瞬間、大きな声がすぐ側から聞こえてくる。
突然の光に思わず目を閉じた私は、その声にハッとしてすぐに目を開けた。
「……飛んでる……」
最初に目に入ったのは飛んでいる、モノ。今までの、前の生を合わせても、見たことがないその存在は、
「りゅ……う?」
意外なほど近くにいたのは、鳥……いや、これは……竜? だけど、鋭い爪のある太い足が二本あるし、ダリスたちのような羽というより、蝙蝠の翼のようなもので飛んでいるし……。そう言えば前の生で読んだファンタジー小説に、あんな姿の生き物が出てきたっけ。確か、ワイパーン? 竜の仲間みたいなものだった気がする。
でも、それはもちろん想像の生物で、実際に生息しているものじゃなかった。それが、この世界では本当に生きて存在しているんだ……。
何だか変に感動して、驚くよりも好奇心の方が先に立つ。
「恐ろしくないのか?」
そんな私を見下ろしながらエルさんが言った。え~と、何も知らなかったら怖い存在だったかもしれないけど、なまじ記憶の中に残っていたせいでそこまでの恐怖は感じない。
「……ほぉ、これが恐ろしくないのか」
「!」
さっきの大きな声だ。
ワイパーンの存在に意識がいってしまったせいで、その前に聞こえてきた声の主のことがすっかり頭から消えてしまっていたみたい。
ただ、改めて声の主を探さなくてもすぐに見つけることができた。だって、ワイパーンの背に乗っている大柄な男の姿が嫌でも視界に入ってきたから。
(……クマ?)
一見、象くらいの大きさのワイパーンに跨っていた男は顔中髭に覆われていて、まるで熊のように恐ろし気な容貌をしていた。
視線が合った男はにやりと笑う。本人の意図はともかく……やっぱり怖い。
私は慌ててエルさんの腕を掴んだ。
「リナ」
「だ、だいじょ、ぶ、です」
エルさんが軽く頭を撫でてくれたから、少しだけ気持ちが落ち着いた。私って現金だな。
「ベルトナール様、このような夜更けにいかがなされた? 院を無断で抜け出して来られたのではないか?」
男はそんなエルさんと私の様子を見ながら、先ほどより幾分声を落として尋ねてくる。確かに、まだ貴族院の学生であるエルさんがこんな時間にウロウロしているのはおかしいよね。それも、私みたいな子供同伴……。
「其方が現れて好都合だ」
どんな言い訳を口にするのかと構えていただろう男は、エルさんのその言葉に怖い顔をいっそう怖く顰め面になった。
「どういうことですかな」
「魔導士団の副団長である其方にも深く関係があることだ。だが」
エルさんの視線がチラリと私に向けられる。
「このような森の中で話すようなことではない。コーディ、案内を」
「……そこの娘も、ですかな?」
「ああ」
「……」
コーディと呼ばれた男は再び私を見る。子供相手なのに、ちっとも容赦がない厳しい眼差しだ。
(こ、怖い……)
貴族であるエルさんたちはまだしも、明らかに不審な存在の私を魔導士団の施設に案内するのは躊躇いがあるに違いない。だからと言って、子供の私一人をこの場に残すというのもあり得ない。
「……では、こちらに」
それでも、男が考えていたのは意外なほど短い時間で、やがてワイパーンを操って森の奥へと飛び始める。不思議なことに、さっきまで明るかった空は再び夜の闇に覆われる。もしかしたら、あの光は彼の魔法だった?
エルさんとシュルさんもダリスたちを空に飛ばしてその後を追い始めた。
「エ、エルさん」
どうなるのか、不安になってその名前を呼ぶと、彼は腰を抱きかかえてくれている腕に少しだけ力を込めた。
「私とシュルヴェステルから離れないように」
「……はいっ」
改めて念を押されて私はしっかりと頷き、前を飛ぶワイパーンの後ろ姿をじっと見つめた。




