111.じっとしてはいられません。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
市場には門も柵もない。ただ、何列か小さな店が連なっている場所を市場って総称している。
今はほとんどの店が閉まっているので、昼間の賑やかさとはまるで別世界のようだ。当たり前だけど、こんなに暗い時間に外を出歩くなんてないので、私も初めて見る光景だった。
ラムレイさんの店は、そんな市場の中でも奥まった場所にある。暗いと……結構わかり難いな。せっかく道案内としてついてきたのに、ここで迷ってたら本当の足手まといだ。
(確か……この八百屋さんを曲がって……)
閉まっている店は、簡易に布やゴザで表を隠していたりしていて、当然だけどシャッターなんてない。これじゃ泥棒に入られそうだなと思うけど、それもある程度は織り込み済みの経営なんだろうか。
暗い中歩いていると、見慣れた場所に出る。良かった、間違っていなかった。
そう思いながらそのままラムレイさんの店に行ってもらおうとした私は、ふと奥に細い道を見つけてしまった。その道の奥でヴィンセントを見つけたんだ……。
「どうしました?」
「へ?」
「身体が強張りました」
嘘っ? 自分でも気づかなかった変化を言い当てられてびっくりした。まあ、抱っこされている状態なのでしかたがないといえばそうだけど……。
「それで?」
私がシュルさんの勘の良さに驚いている間も、彼は何があったのかと急かしてくる。別に隠すことでもないので、私は真っ暗な細い路地を指さして言った。
「あっち、じゅじゅちゅしの家があるんです」
すると、シュルさんだけでなく側で聞いていたエルさんも、私が指さした方向を見る。真っ暗で家の形もわからないけどと思った時だ。
「……え?」
不意に、ぞわっとした悪寒のようなものが背筋を通り抜けた。それと同時に、視線の先の闇の中に青白い光が浮かんで、彼方へと飛んでいくのが見える。まるで火の玉みたいだと唖然としてそれを見ていた私とは違い、エルさんは素早く動いた。
「現出」
エルさんが空に何かを放り投げて言い、そこに以前見たことがある一角獣が現れる。夜だというのに艶やかな黒い毛並みが光っていて、驚くほど凄い存在感だ。
使徒獣。この国のほとんどの貴族が所持しているという特別な乗り物。当然、私の周りで持っている人はいないので、彼らを見るのも二回目だけど、やっぱり異世界感がものすごい。
そんなふうに私が驚いている間にも、エルさんは地上に降りてきたその使徒獣に飛び乗り、一気に空に舞い上がった。
「エーベルハルド様っ」
私を抱き上げているシュルさんは、珍しく焦ったようにその名前を呼んでいる。だけど、私を抱いているからエルさんの後を追うことが出来ないみたい。
「シュルヴェステルッ、リナを守れっ」
そう言って、直ぐに飛んで行ったエルさん。
「……っ」
抱き上げられているから、私はシュルさんの鋭い舌打ちが凄く大きく聞こえた。
シュルさんはすぐにエルさんの後を追いたかったんだろう。でも、彼が私のことを託したせいで、この場からすぐに動くことが出来ないみたいだ。
私は、どうしたらいい? このまま行ってくれとシュルさんを見送る?
でも、きっと彼はエルさんの言葉を守る。今まで私が見てきた二人は、それほどしっかりとした関係を結んでいると感じた。
それなら、今私が出来ることは。
「おいかけて!」
「リナ……」
「私を守りながら、エルさんも守って!」
それがどんなに馬鹿な言葉なのか、私だってわかってる。でも、こんなにも真っ青な顔色で、消えてしまったエルさんの姿を目で探すシュルさんに、私のお守りをしてここにいてくれなんて言えない。だけど、エルさんの言葉を破って、一人で追いかけてと言っても、彼は動かない。
それなら、覚悟を決めて一緒に彼の後を追うしかないと思った。何があったのか私にはまったくわからないけど、確実に言えるのはシュルさんはエルさんの力になれるということ。私が一緒に行けば足手まといだろうけど、それでもここでじっとエルさんの帰りを待ってはいられない。
「……いいんですか?」
確認するように、シュルさんは真っすぐ私を見る。その目をじっと見返して私は頷いた。
次の瞬間、私が見たのはシュルさんの鮮やかな笑み。
彼はいつも微笑んでいるイメージだけど、今目の前にあるのは本当に嬉しそうな、こっちが赤面しそうな笑みで、変に動揺してしまった私は視線を揺らしてしまう。
その間に、
「現出」
「うひゃぁっ」
前に見たことがある彼の水色の一角獣を呼び出し、私を抱っこしているというのに軽々と飛び乗った。
その直後に、シュルさんは上機嫌がわかるほどの口調で命令する。
「ターニャ、ダリスを追えっ」
言葉と共に、空を翔る一角獣。そうだ、この子、ターニャって名前だった。じゃあ、もしかしてダリスっていうのがエルさんの?
頬に風があたり、あっという間に市場が遠くなる。
夜だから何も見えないし、エルさんが飛び立ってから少し間があった。ちゃんと後を追えるのか心配になり、私は水色の綺麗な鬣に手を当てる。
「お願い、エルさんのそばにいそいで……っ」
(……え?)
気のせいかもしれない。でも、確かに手がポワンと温かくなった。
「リナ?」
不思議そうなシュルさんの言葉を聞きながら、私は自分の手をじっと見下ろしていた。すると、私の手の下からぼんやりとした光が広がっていくのが見えた。
「え……な、なに?」
反射的に鬣から手を離したけど、その光はジワリとターニャの背中いっぱいに広がっていって、瞬く間に全身が淡く光った。
「ターニャッ?」
シュルさんも驚いたようで、慌ててターニャに声を掛けている。空を飛んでいる最中の異変で、落下してしまうかもって焦ったみたい。でも、その光は一度ターニャの全身を光らせると、直ぐに消えてしまった。
その直後、ターニャは高く嘶いて、迷いなく真っすぐにどこかに向かい始める。
「ど、どうしたんですか?」
何がどうなったのかまったくわからなくて、私はシュルさんを仰ぎ見る。すると、彼は鬣に触れていた手を離して呟いた。
「光の加護だね」
「え?」
「リナの持つ光の加護で、エーベルハルド様の魔力を捉えたんでしょう。あの方も光の強い加護をお持ちだからね」
え……そんなことあるの? 確かに私は光の加護が使えるけど、それはごく僅かな力のはずだ。そんなものでエルさんの行方を探れるなんて思えないけど、シュルさんは少し強く私の頭を撫でた。
「さすがリナですね。これでエーベルハルド様の後を追える」
シュルさんの言葉に半信半疑な私とは違い、言葉の通りターニャは迷いなく飛んでいる。
(ここ……どこだろ?)
夜ということもあるけど、空から地上を眺めたことなど当然ないし、そもそもこの世界で地図なんて見たこともない。だからここがどこなのか私にはまったくわからなかったけど、さすがにシュルさんは違った。
「西の森か……」
「西?」
西の森といえば、確か貴族院がある森だったよね。え? エルさん、貴族院に帰っちゃったの?
「きぞくいんに行くんですか?」
「西の森には他にも国の直轄機関があるが……」
「ちょっかつ?」
「詳しくは知らない方が良い」
どうやらこれ以上は機密事項みたい。私だってそんな重大な秘密を知りたいとは思わないよ。
それよりも、この暗い中でどうやってエルさんを探すの?
「……いた」
小さく呟いたシュルさんの声に慌てて目を凝らすと、少し先の空中に一角獣に乗っているエルさんの姿があった。
私が気づく前にエルさんも当然のように私たちの姿は見えたようだ。
シュルさんが近づくと、エルさんは鋭い眼差しを向けてくる。
「なぜ来た」
「エーベルハルド様」
「私はリナを守れと言ったはずだ。なぜここまで来た」
声を荒げているわけじゃないのに、その言葉に私は身体が震えてしまった。エルさんが凄く怒っているのが伝わってきたからだ。
エルさんはきっと、あのまま私を家に連れて帰れと言いたかったのかもしれない。そうでなくても、安全な場所でエルさんからの連絡を待つようにと。
でも、私たちは後を追いかけてきた。私のことを考えてわざわざシュルさんを残してきたのにって、きっと怒っているんだろう。
「申し訳ありません」
そもそも、私が後を追うように言ったのに、シュルさんは言い訳もせずにエルさんに謝罪した。シュルさんのせいじゃないことをちゃんと言わなくちゃ。
「わ、私っ、私が行くっていいましたっ」
「……」
「エルさんが、心配だから……」
わかってるけど、じっと待っていることなんて出来なかった。
もともと、私がヴィンセントの事情に立ち入ってしまったからこんなことになったんだし、せめてちゃんと自分の目で何が起こっているのか確かめたかった。
……でも、やっぱり、エルさんにとっては足手まといの何物でもないんだ。そう考えるとたまらなく悲しくなって、私は強く唇を噛み締めた。
「リナ」
シュルさんが困ってる。ごめんなさい、こんなところで泣くなんて、それこそ本当にただの困った子供だ。
誤魔化すように手で目元を拭おうとした時、不意に伸びてきた手に掴まれた。
「え……っ?」
そのままグイっと別の手に腰を掴まれ、身体が宙に浮いてしまう。恐怖よりも驚きの方が大きくて、私はそのまま空中でシュルさんからエルさんの腕の中に移動することになった。
「……」
「……」
エルさんがじっと私を見つめる。その目の中に明らかな心配の色を見つけて、私はもう一度小さな声で謝った。
「……ごめんなさい」
帰れって、言われるかもしれない。
覚悟を決めた私の耳に、微かな溜め息が聞こえる。
「私から離れないように」
「エルさん……」
「行くぞ」
それはシュルさんに言ったのだろうか。そのまま一角獣を操り、エルさんは暗い森の中へと下りて行った。




