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108.暴走を反省中です。

「そ、それ……」

 ラムレイさんの腕にあるのは、昨日見たヴィンセントの腕にあったのと同じ、呪術の契約の時に浮かぶという痣だ。

(どうして……どうしてラムレイさんの腕に?)

 昨日、彼は何と言って私の家を出て行った? 条件を変えてもらえないかどうか、交渉してみると言っていなかった?

「ししょー……」

「そんな顔するな、バカ」

 ラムレイさんは左手を下ろし、右手で私の額を軽く小突いた。わざわざ手を変えることが、余計に左手の異変を感じさせる。私は強く両手を握りしめた。その時にようやく、ケインも我に返ったらしい。

「ラ、ラムレイさん、それって、ヴィンセントの……」

「あいつの契約は破棄してもらった」

「で、出来たんですかっ?」

「ああ。とりあえず、俺の方があいつよりも加護が強いからな。こっちに移譲する形で刻印も移動した」

 ラムレイさんはあっさり言ってるけど、それって凄く大変なことじゃない! 私はヴィンセントのことが心配だったけど、でもっ、ラムレイさんにここまでしてほしかったわけじゃないのに!

「ヴィンセントは……」

 ケインも蒼褪めた顔色でラムレイさんの腕の痣を見ている。きっと、私以上にショックだったんだろう。

「ああ、その際、多少あいつの光の加護も失ったが、すべてなくなるのに比べたら僅かなもんだ。身体には問題ないし、何より懲りただろう、簡単に呪術に頼る恐ろしさを、な」

「わ……わたし……」

 市場のあの路地で、私がヴィンセントを見掛けてしまったからだ。自分が何も出来ないくせに、気になったからって勝手に暴走して、それにラムレイさんを巻き込んでしまって……。

 呪術が怖いことだと知って、でも、それを解く方法があるんだと知って。私は心のどこかでラムレイさんにならそれが出来るんじゃないかって……思ってしまったのかもしれない。貴族院に通っていたくらいの彼なら、何か良い方法を思いついてくれるんじゃないかって、そんなの、私の勝手な考えなのに!

 そんな私の暴走で、今、彼の左手には呪術の刻印である痣が浮かんでいる。彼の大切な光の加護を奪う刻印が―――。


 私はどうしたらいいんだろう。

 ラムレイさんがしたように、今度は彼から私に痣を移譲してもらう? ……本当は、すぐにそう言いだすべきなんだろう。でも、怖い。怖くて怖くて、あの禍々しい呪術の痣が自分の腕に刻まれることを考えると、怖くて泣きそうになる。

「リナ」

 そんな私に、ラムレイさんはいつもの皮肉気な笑みを見せた。

「お前が気にすることはない。まあ、俺もここまでするつもりはなかったんだが……思いがけなく頭に血が上ってしまっただけだ」

「ど、して?」

「ヴィンセントが依頼した呪術師とは、ちょっと……因縁があってな。魔導士団の時の因縁がようやく晴らせる時が来たって言うか……まあ、これはもう俺の問題になった。お前もケインも、そしてヴィンセントも、今回のことはもう忘れろ。それと、リナ、しばらく店は休むつもりだ。俺から連絡が行くまで、勝手に店に来るなよ」

 そう言って立ち上がったラムレイさんは、私とケインを店から追い出す。その時も、使うのは右手だけだ。

「じゃあな」

「ししょー!」

「くれぐれも、暴走するんじゃないぞ」


 目の前でドアは閉じられてしまった。

 私はすぐにそのドアをもう一度開けようとしたけど、なぜかドアは開かなかった。鍵を閉める音なんてしなかったのに……。

「ししょーっ、ししょー!」

 バンバンとドアを叩いても、中から応答はしなかった。それでも私はドアを叩き続けたけど、不意に横から伸びてきた手にそれを止められてしまう。

「帰るぞ」

「でもっ」

「俺たちがいても何も出来ない。きっと、ラムレイさんには何か考えがあるんだ。それを……邪魔しないようにしよう、な?」

 それが単に私を宥めるために言っているのか、それともケイン自身がそう信じたくて言ってるのかはわからない。でも、ここにいても私たちが何も出来ないっていうのは確かだ。

 私はケインと手を繋ぎ、重い足をようやく動かした。

 ふと、視線が市場の奥へ向かう。

(私がここでヴィンセントを見掛けたから……)

 そこから、こんなに大変なことになってしまった。いつしか私はボロボロ泣き出してしまって、市場の中の知り合い皆に心配されてしまった。




 父さんと母さんには心配かけたくなくて、家に着くまでに何とか頑張って泣き止んだけど、真っ赤に腫れてしまった目元を誤魔化すことは出来なかった。

 父さんは何があったと慌てて私を抱き上げてくれて、母さんはケインにわけを聞いている。でも、私もケインも何も話さない。私たちがラムレイさんのところに行ったことは知っているので、今にも父さんが店を飛び出していきそうになったけど、私は必死にその太い腕に抱きついて止めた。ラムレイさんにこれ以上迷惑はかけられなかった。

 結局、泣いてしまったわけを言わない私たちに呆れたのか、それとも一度仕切り直そうと思ったのか、私は二階で休むように、ケインは店の手伝いをするように言われて、そのまま二階のベッドの部屋にやってきた。

「絶対、変なことは考えるなよ?」

 小さな声で言ったケイン。考えたくっても、思いつかないよ……。

 私はベッドに仰向きに倒れた。目を閉じるとまた泣きそうになるので、必死に目を開けて天井を睨みつけた。店のざわめきが聞こえてくるが、それでも凍えるように寂しくなってくる。

 反射的に起き上がった私は、部屋の隅に置いてある木箱に駆け寄った。これは私の洋服や、宝物が入っている、私専用の箪笥みたいなものだ。鍵もかかっていないそれを開けて一番下を探り、私が小さなころによく身に付けたエプロンを取り出した。

 ポケットを探ると、中から涙型の石がついたペンダントが出てくる。

「エルさん……」

 これは、エルさんがくれた大切なペンダントだ。エルさんの目の色と同じアイスブルーのそれを握りしめると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 これは私の宝物で、精神安定剤だ。魔力を流したらエルさんと電話みたいに繋がるけど、今はそうするつもりはない。ただ、これを握りしめていると、エルさんが側にいてくれているみたいだった。

 本当はいつも身に付けていたいけど、私みたいな子供が見るからに高価そうな装飾品をつけているのは不味いと思って、こうして私しか開けない箱の中に入れているのだ。エルさんから貰ったっていうのを知っている父さんにも言われたし。

 時々、こうして取り出して、一人の時にぼんやり見つめているんだけど……今日は心の中の不安をすべて消し去ることは出来ないみたい。

「……どうしたらいいと思う? 私、何もできないかな……」

 ラムレイさんは何もするなって言ったけど、本当にそれでいいの?

「光のかごがなくなっちゃったら、からだのちょうしも悪くなるって……じゅじゅつって、そんなにすごいまほうなの?」

 赤かったあの痣が、黒く変色するのにどのくらいかかるんだろう? それまでに、ラムレイさんは何をするつもりなんだろうか。

「……私の光のかご……わけてあげれたらいいのに……」

 もしも、もしもラムレイさんの光の加護が無くなってしまった時、私の力を分けてあげれたらいいのに。

 思わず強くペンダントを握りしめた時だ。

【加護を分け与えるというのはどういうことだ】

「!」

 ペンダントから響いた不機嫌な声に、私はそれこそ飛び上がって驚いてしまった。


「え? 今の、エルさん?」

【答えるように】

「やっぱり、エルさん!」

 声は明らかにペンダントから聞こえてくる。

 嘘! 私、今、魔力流していなかったよ? そうじゃないと通信出来ないって言っていたはずなのに……どうして? ……っていうか、いったいどこから聞かれたのっ?

 ペンダントを握りしめてからどんなことを言ったか必死に思い出そうとしたけど、意識しないまま言葉が零れていたみたいで自分でも思い出せない。

 どうしたらいいんだろうと焦る私に、大きな溜め息が聞こえた。

【落ち着くんだ、魔力が不安定になっている】

 目に見えない魔力の動きが、ここにいないエルさんには見えているみたい。すごく不思議だけど、エルさんだったらあり得るとすんなりと思えた。

 私は一度深呼吸をし、何とか落ち着こうとした。こうして繋がってしまった以上、話してしまおうか……でも……。

【リナ、私の言葉が聞こえているんだろう。質問に答えなさい】

「で、でも、これは私のもんだいで……」

【君の問題であってもだ】

「エルさん……」

【私は君を知っている、いわば君は知人だ。知人に問題が起こったのだとしたら、私も気になってしかたがない。君が私に隠し事などできるはずがないのだから、さっさと何があったのが話すように】

 エルさんらしい硬い言葉の中に、私を気遣ってくれる優しさを感じる。

 いつだって、そうだ。エルさんはいつも私のピンチの時に現れて、さりげなく助けてくれた。彼にとって何の得にもならないのに、このペンダントも、新しいヘアピンもくれて、私の心を守ってくれている。

 もしかしたら……私は心のどこかで、エルさんに助けを求めたのかもしれない。自分の力ではどうしようもないことが、彼だったら……そう思って、無意識に魔力を流していたのかも。


(……私って……すごく傍迷惑な子だ……)

 問題ばかり起こして、他力本願でどうにかしようとしている。これは、ラムレイさんの時と同じことを繰り返しているのかもしれない。でもっ! 

「ちえをかしてください!」

【……待て】

「へ?」

 意を決して話を切り出そうとした私は、エルさんにあっさり止められてしまった。や、やっぱり面倒だと思われたのかもしれない。

 落ち込む私の耳に、意外な言葉が届いた。

【今夜そちらに行く】

「え……そちらって……こちら?」

【ご両親にも伝えておいてくれ。……それまで、けして勝手な行動はとらないように】

 一方的に話は途切れた。

「……え? くる? エルさん?」

 何だか自分の願望で、エルさんの声が聞こえたんじゃないかって思っちゃったけど……これって現実?

 私は手の中のペンダントを見下ろした。

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