107.呪解の方法はあるようです。
しばらく、誰も何も言えなかった。
ラムレイさんは何を考えているのか、眉間に皺を寄せたまま黙り込んでいるし、ヴィンセントは突然突き付けられた衝撃の事実に茫然としたままだ。
唯一、まだ事情を飲み込めないらしいケインが当惑したように周りを見ている様子に、私自身もどうしたらいいのかなかなか思いつかなかった。
さっきはあまりの大きな金額に、光の加護がどれだけ希少な力なのかの驚きが大きかったけど、その次に思ったのは呪術の危険性だった。
失敗したら、その反動は依頼した側に返る。
ヴィンセントが依頼した呪術師がどれだけ力のある人なのかはわからないけど、もしかしたら死んじゃうかもしれないなんて……。
「お……れ」
掠れた声を絞り出したヴィンセントだけど、それ以上の言葉が出てこない。
蒼褪める彼の顔を見た私はラムレイさんに尋ねた。
「ししょー、どうにかならないですか?」
「俺にそんな力はない」
そんなことを言わないでよ、ラムレイさん!
力がなくったって、これだけ呪術師のことを知っているのなら何か対策っていうか、逃げる方法を知っているんじゃないの?
私がじっと見つめていると、しばらくしてラムレイさんが深い溜め息をついた。まるで魂が出てきそうなほど長いそれに思わず肩が震えると、彼は眼鏡を外しながら怒ったように言い放つ。
「呪解の方法は二つある。一つは、依頼した呪術師を上回る力の呪術師と契約すること。ただ、その場合の報酬はとんでもない額だと思え」
た、確かに。それって呪い返しってことだよね? 返す呪術師だって危険があるだろうし、その分報酬が高いのは納得出来る。でも、呪解ってどういうふうにするんだろう? 契約書をパッと燃やしたり……でも、それじゃあ光がどう必要なのかわからない。
「ししょー、けいやくって、紙に書いてるんですか?」
私のイメージでは、普通に紙にサインしている契約書というものだけど、どうやら違うらしい。
「左手」
ラムレイさんがヴィンセントに手を差し出しながら言った。すると、ヴィンセントが反射的に両手を後ろに隠す。いかにも何かあるって態度だ。
「左手……なに?」
「左手は不浄の手と言われている。呪術の契約はほとんどがその不浄の手に刻印をうって結ばれるんだ。ほら、とっとと出せ」
強引に手を伸ばしたラムレイさんがヴィンセントの左腕を掴み、そのままグイっと捻り上げる。
「……っつ」
「反映」
ラムレイさんの低い呟きと共に、痛そうに顔を歪めるヴィンセント。でも、私は止めてあげてという言葉が出なかった。それよりも、彼の左手から目が離せなかったのだ。
「すご……」
左手首から肘に向けて、赤黒い蔦のような、変な模様のような痣が浮かびあがってきたから。さっきまで傷の一つもなかった腕に表れた不気味なそれは、まさしく呪いって雰囲気の痣だった。
ヴィンセントも、痛みよりもその痣が現れたことがショックだったみたいで、今にも倒れそうになっている。
「い……ろ……」
「最初は赤かっただろ。契約完了が近づくにつれて、それが徐々に黒く染まっていくんだ。完全に黒になった時、お前が代償として差し出したもの……光の加護が相手に移る」
ラムレイさんは腕から手を離す。でも、ヴィンセントも怖くて動かしたくないのか、手の位置はそこから動かない。ただ、肌が粟立っているのが目に見えてわかった。
「さ、さっきまで、なかったのに……」
「少し闇の力を流した」
えぇっ! ラムレイさんって闇の加護も持ってるんだ!
初めて知った事実に驚いたものの、ラムレイさん本人は怖くなかった。
「もう一つは、高位の光の加護持ちに頼むことだ。そいつらなら案外簡単に呪解は出来る。ただし、光と闇の相性は良くないからな、依頼を受けてくれる可能性はかなり低いし、そもそも今この国には高位の光の加護持ちは極稀だ」
やっぱり、光の加護持ちって希少なんだ。
「光のかごもち……」
闇を光で照らすって……ことかな。でも、もともと光の加護持ちは少数らしいし、その中でも高位の加護持ちなんて……。
「あ……」
「どうした」
思わず声を上げた私を、ラムレイさんが怪訝そうに見る。私は慌てて首を横に振った。
「な、なんでもないですっ」
いる! 私、知ってる! 高位の加護持ち!
(エルさん! 彼なら……!)
エルさんは以前、私の目の前で魔物を浄化したことがある。私の怪我や、腫れた目元を癒してくれたことも。彼は貴族だし、きっと高位の光の加護持ちのはずだ。彼に頼めば、きっとヴィンセントの契約した呪術も解いてくれると思う。
あ……でも、こんなこと頼んで良いんだろうか。そうでなくても、エルさんにはいつも助けてもらってるのに、また迷惑を掛けることになっちゃう……。
「リナ」
「……」
「おい」
「いたっ」
軽く頬を摘ままれ、私はハッと我に返った。目の前には不機嫌そうなラムレイさんの顔がある。
「また余計なことを考えているんじゃないだろうな?」
「そ、そんなこと、ない……です……」
徐々に小さくなってしまう言葉は、明らかに何かあると言っているようなものだ。ここ数年私とは結構一緒にいるラムレイさんには丸わかりのようで、さらに眉間に皺を増やされた。
「いいか、お前は何もするな」
「えぇー!」
ここまで来てそれはないでしょ! 知ったことを知らなかったことに出来ないし、私が出来ることはしたいと思う。ヴィンセントはケインの友達だし、ヴィンセントの姉であるクラリスだって何度か会ったことのある優しいお姉さんだ。その二人が不幸になるのは見たくない。
「お前が出てきたら絶対にややこしくなるから。とりあえず……おい」
「!」
ラムレイさんは立ち上がり、ヴィンセントの前に立つ。
「行くぞ」
「ど、どこ……?」
「お前が契約した呪術師のとこだ。とにかく、契約破棄してもらえればいいが、向こうも希少な光の加護を手に入れる機会をみすみす逃すことはないだろう。とりあえず、条件を変えてもらえないかどうか交渉してみる」
どうやらラムレイさんは真正面から乗り込む気らしい。厄介ごとを避ける彼らしくない選択だが、それほど取れる手だてはあまりないのだろうと予想が出来た。
でも、その呪術師のところに行って危なくないんだろうか。もしかしたら、私のせいでラムレイさんが危険な目に遭うかもしれない。
「し、ししょー」
「いいか、リナ、お前は何もせずにここにいろ。何か変化があったら必ず知らせてやるから、無鉄砲に動くな、いいな? ケイン、よく見張ってろ」
「は、はい!」
ラムレイさんを止めようとしたけど、彼はヴィンセントを引きずるようにして階段を下りて行ってしまった。
(どうしよう……私、ここにいていいの……?)
私は自分の手を見下ろす。小さくて柔らかな、まだ幼児に近い子供の手。日本で二十歳まで生きた記憶があるせいで、つい何か出来るのではと思いがちだけど、生まれ変わったこの世界での私は何も出来ない子供だった。……ううん、前の時だって、病弱な私は周りに迷惑を掛けてばかりで何も出来なかったのだ。
問題を起こすくせに、それを周りに押し付けることしか出来ない。今回のことだって、ヴィンセントとクラリスをどうにかしてあげたいっていう私の我が儘に、ラムレイさんを引きずり込んだだけだ。
エルさんのことだって、簡単に助けてもらえればって思ってしまったけど、それも私が勝手に考えてしまったことで……。
「……リナ、ごめん」
ふと、目の前の手が握りしめられる。視線を上げると、ケインが泣きそうな顔でこっちを見ていた。
「俺が……俺が、あいつの話をしたから……」
ケインは、自分が想像していたよりも問題が大きく深刻だということを知り、かなり責任を感じてしまっているらしい。
「……俺も、出来ることはするから」
「わ、私も……」
「お前は駄目だ。おとなしくしていろ」
ラムレイさんと約束しただろと言われても、素直に頷くことは出来ない。
だからと言って私が出来ることなんてあるはずもなく、その日一日いつラムレイさんがやってくるかと待っていたが―――その日、彼はうちに来なかった。
翌日、私は昼前に配達だと言ってラムレイさんの店に向かった。
あの後何があったのか。二人は無事なのかとなかなか眠れなかったので、父さんより早く起きてしまったくらいだ。
「リナ、慌てるな」
「だ、だって」
「いつもと同じようにしておいた方が良い。ほら」
今日はケインも一緒だ。私を一人で行かせられないと言っていたが、ケインもきっと昨日の結果を早く知りたかったんだと思う。
「あら、リナ、早いわね」
「ケインも一緒か?」
市場に入ると、顔見知りから次々に声が掛かる。いつもの私は……そっか、ちゃんと愛想を振りまいていたんだった。
「うん、今日はいっしょ」
私は大げさなほど楽しそうにケインと繋いだ手を振って見せる。
「ケインは学校サボりかい?」
「違うよ」
ケインも笑って答えているが、その頬は強張っていた。
何とか挨拶を交わしながら、私たちは賑やかな通りから一歩入ったところにあるラムレイさんの店の前に来た。相変わらず人影はなく、市場の中だというのに静かだ。
私はケインを見上げた。ケインも私を見下ろしている。自然と二人で頷き合い、ケインが先にドアに手を掛けた。
「こ、こんにちは」
声を掛けてドアを開くと、いつもの椅子にラムレイさんは座っていた。
「ししょー!」
(無事だった!)
ちゃんとそこにいてくれたことが嬉しくて思わず駆け寄ろうとしたけど、
「待て」
落ち着いた声に咄嗟に足を止めた。……ラムレイさん、だよね? でも、いつもの皮肉めいた笑みは浮かべていないし、不機嫌そうでもない。むしろ、何か達観したかのような―――。
「ししょー……?」
何だか、怖い。普通にしようと思っても震える声を抑えられない私を見て、ラムレイさんは深い溜め息をつきながら言う。
「暗視煙」
どうして視界を遮るなんて……そんな私の疑問の答えは、目の前に翳されたラムレイさんの左手にあって。
「!」
そこには、昨日見たヴィンセントと同じ、あの蔦のような不気味な痣が赤く浮かんでいた。




