106.呪術の報酬はとんでもないものでした。
ラムレイさんを睨むヴィンセント。空気が張りつめて、無意識のうちに私はラムレイさんの服を掴んだ。ケインと同じ歳、まだ11歳なのに、ヴィンセントの持つ強い感情はいっきにこの場の空気を変えてしまった。
日本で暮らしていた時の私は身体が弱く、周りに迷惑を掛けることも多かったので、多少は空気を読むことも出来ていたと思う。こうしたら、親が悲しむな、とか、ここで倒れたらクラスメイトが困るな、とか。
でも、この世界に生まれ変わって、魔力というものが身体の中にあるせいか、あの時よりもずっと敏感に空気というものを感じることが出来ている気がする。だから、今のこの空気がとても痛くて、怖い。
私の怯えを感じ取ったのか、ラムレイさんがチラリとこっちを見て、また大きな溜め息をついた。
「魔力を抑えろ、こいつが怯えてる」
「……っ」
「リ、リナ、大丈夫か?」
ケインがすぐに立ち上がって、テーブルを回って私の側に来てくれた。何だか、この状態だと三対一になっちゃってる……。
ヴィンセントは唇を噛み締めて俯いてしまった。
「自分が正しいと思ってしたことなら口にすることに躊躇うこともないだろう。それとも、後ろめたいと思っているのか?」
ちょ、ちょっと、ラムレイさん、それ以上ヴィンセントを追い詰めたら可哀想だよっ。現実の歳では6歳下だけど、前回と足したら私の方がずっと年上だし、どうしても小さい子を苛めるのは駄目って意識があるから、私は握っていたラムレイさんの服を強く引っ張った。
「ししょー、かお、こわいですっ」
「……お前な」
「もっとやさしくゆーどーしてください!」
「……どこで覚えるんだ、そんな言葉」
子供っぽくないのは自覚してるけどしょうがないもん!
話が逸れてしまったけど、それでヴィンセントの張りつめた気持ちも一気にクールダウンしたらしく、私とラムレイさんを交互に見ながら言った。
「……この人……誰だ?」
……あ! そもそも、ラムレイさんとヴィンセント、初対面だったじゃん!
ラムレイさんのことをどう説明しようかと考えたけど、私だって彼のことを詳しく知っているわけじゃない。ただ、私にとってラムレイさんは尊敬できる師匠だ。いろんな知識を持っているラムレイさんなら、ヴィンセントの現状をどうにかできるかもしれない。
私が張り切ってラムレイさんの紹介をしようとした時、なぜか本人に片手で口を塞がれてしまった。……どういうこと。
「お前が初対面の俺を信用できないのは当たり前だ。ただ、俺はお前のことを他人事とは思えなくてな。お節介だとはわかっているが、口を出させてもらうことにした」
「……他人事とはって、口だけじゃ……」
「防音壁」
ラムレイさんは滑らかに防音の魔法を口にする。私は慣れているけど、初めてラムレイさんの魔法を体験するケインたちは驚いていた。魔法って……加護もそうだけど、使う前は集中しなくちゃできないことが多い。でも、ラムレイさんはまるで呼吸をするかのように自然に発動するんだよね。経験の差か、それとも魔力量に関係あるのかはわからないけど。
ラムレイさんの魔法により、ヴィンセントも彼が普通のおじさんじゃないって感じたのか、さっきよりも警戒心が強くなったように見える。
「俺も、貴族の妾腹の子だ」
「!」
ヴィンセントが息をのむのがわかった。私も、まさかラムレイさんがそこまで自分のことを言うなんて思わなくて、慌てて彼の顔を見上げる。そこにあるラムレイさんの表情は厳しくも苦くもなく、むしろ苦笑交じりの意外なものだった。
あ……そっか。防音の魔法は力を見せつけるためだけじゃなくて、ここでの話が漏れないように配慮してくれたんだ。
「父親というのは馬鹿な奴だが、思いがけず第一夫人は真面な人で、俺を貴族院に行かせてくれた。まあ、堅苦しい生活は俺に合わなくて、早々平民に下ったがな」
「……貴族院に、通わせてもらったの……ですか」
「言葉は変えなくていい。今は俺の学歴より、そこに通った経験から多少視野が広いということだ。で? 呪術師への報酬は?」
流れるように話題を戻したラムレイさんに、呆気にとられたのかヴィンセントも今度は素直に答えた。
「ほ、報酬は、ない。ほ、本当は、中金貨、1枚は掛かるけど、姉思いだからってタダでしてやる……は、反対に、お金を、くれるって……」
「……なるほど。いくらだ?」
「……しょ、小金貨、1枚」
(え? 小金貨1枚?)
確か、5万円くらいだったよね? 中金貨は10万円……え? 呪術って呪いを相手に掛ける大変な魔法だって思ったのに、10万円の報酬を無料にしてくれて、反対にそんな大金をくれるの?
いったい、どういうこと?
それ以上の想像ができない私とは違い、ラムレイさんは軽くテーブルを指で叩きながら「違うだろ」と続ける。
「腹黒い呪術師が、タダで、いや、反対に金を払って呪術を掛けるとかありえないだろ。金じゃない対価は? いったい何と取引した?」
「……」
「おい」
視線を彷徨わせたヴィンセントは、震える声で答えた。
「……俺の……光の、加護を……」
「何だとっ!」
突然ラムレイさんが立ち上がったので、私はその勢いでよろめいてしまった。ふらつく身体を支えてくれたのは隣にいたケインだ。
「光の加護の譲渡を約束したのかっ? いつだっ?」
ラムレイさんの勢いに、ヴィンセントだけじゃなく私もケインもびっくりして、ただその顔を見つめることしかできない。
(か、加護の譲渡? 何? 加護って人にあげることができるの?)
ヴィンセントが光の加護を持っていることは知っていた。本人によればそれほど強い力じゃないみたいだけど、光の加護持ちはそれ自体がとても珍しいって聞いた。そう考えたら、呪術の代償としては十分過ぎるほどの報酬なのかもしれないけど……加護を譲渡した後、ヴィンセントはどうなるんだろう?
まだまだこの世界の常識に疎い私は、耳に入った情報だけで判断するしかなかったけど、魔導士団にまで入っていたラムレイさんは違ったらしい。さっきまでのどこか飄々とした様子は一変して、元々あまり良くない顔色はさらに蒼褪めてしまったように見えた。何か言おうとしているけど、なかなか言葉が出てこないみたい。
すると、そのままラムレイさんは小さく舌を打つと片手で顔を覆ってしまう。
私は、ううん、私だけじゃなくて、ケインも、当の本人のヴィンセントも、ラムレイさんがどうしてそこまで焦っているのかわからなくて、三人で落ち着かない視線を交わすしかない。ただ、この反応を見たら、ヴィンセントがしたことが凄く大変なことだというのは嫌でも想像できた。
「……あ、あの……」
しばらくして、ようやくヴィンセントが喉に引っ掛かったような声で言葉を押し出した。
「俺……もしかして、大変な、こと……した、のか?」
ラムレイさんは答えてくれない。
「し、ししょー」
私も黙っていられなくて声を掛けるけど、ラムレイさんは答えてくれなかった。
(ど、どうしよう……)
店にいる両親を呼んできたとしても、今のラムレイさんを見たら戸惑うだけだろう。もうしばらく、彼が落ち着くのを待つしかないかと思った時、ラムレイさんは低く毒づいた。
「馬鹿か、お前は。加護を譲れば、どれだけ体内の魔力に影響が出ると思う。しかも、光だと? 生命に直結する加護じゃないか。他人に、それも呪術師なんて奴に譲れば、お前の中に負の魔力が流れ込み、今のままの生活なんて出来なくなる」
「なっ! そ、そんなことっ、あの呪術師は言わなかった!」
「自分に都合が悪いことを口にするわけがないだろう。向こうは滅多に手に入らない光の加護を手に入れることができるんだ、内心小躍りでもしてるんじゃないか。いいか、その上、呪術を失敗したとしたら、その反動は依頼した側に返る。どれほどの呪術かはわからんが、未熟な呪術師だったら最悪お前……死ぬぞ」
「死……」
「小金貨1枚の命か」
ヴィンセントの無知を嘲笑うように言ったラムレイさんだったけど、私の方をチラリと見て眉間の皺を深くする。
「……悪い」
相当、酷い顔をしていたのかな、私。
ラムレイさんはまるで身体中の中の空気を出したかのように深い息をつくと、何もわからない私たちに淡々と説明をしてくれた。
この世界に生きる人間には、必ず一つは加護の力がある。それは生きるために必要というよりは、生命の栄養のようなものらしい。なくても生きられるけど、身体が弱くなるし、病気がちにもなるようだ。
加護っていう言い方をしてるけど、それは魔力のことでもあって、魔力が多い人ほど加護もたくさんで、強くもなるみたい。
普通に考えるとそんな加護の譲渡なんてできないと思うんだけど、加護の……魔力の譲渡を可能にする方法があって、それが禁忌の術と言われる術で、本来は王族や魔力の強い特別な人しか使えないものだった。
それなら、呪術師って人たちの魔力も大きいのかって思ったけど、どうやらそれは違ってた。
どんなものにも抜け道があって、本来は使えないはずの禁忌の術を呪術師が使えるのは、彼らが媒体としての存在でもあるから。
ラムレイさんの説明から考えると、例えばAからBに魔力を譲渡する時、その間に媒体である呪術師がいるとスムーズに魔力の移行ができる。それが、魔力の低い人間相手だとしても、らしい。
魔力は力の象徴でもあるから、貴族の中には違法な手段でも他人の魔力を欲しいと思っている人が多いみたい。弱みに付け込むって感じだから報酬も莫大なもので、だから呪術師は魔力を、加護を売りたいって人に多少のお金を払うことは何でもないこと……だって。だって、お金持ちの貴族相手にたっぷり報酬をもらえるもんね。
特に、光の加護は価値があって、ほんの僅かな加護だとしても白金貨数枚の価値がある……。
白金貨って一億円だったよね……数億の価値がある加護を、5万円で売ったって……ヴィンセント、それ、ありえないから!




