97.ただいま帰りました。
貴族院を出たのは朝だったのに、西の門に着いたのは空が赤くなり始めた夕方だった。
ずっと森の中を通っていたから距離感はまったくわからなかったし、実を言えば私はほとんど眠っていたので、気がつくと着いてたって感じ。
馬車がグランベルさんの店のものなので、いったん北の広部に行くのかなと思ったけど、グランベルさんは私とケインのために先に家の近くまで送ってくれた。ごくごく平凡な下町の中で、豪商が使う立派な馬車は浮いていて、通り過ぎる人たちは大人も子供も、興味津々の視線を向けてくる。
子供たちは何人か後をついてきて、うちの前まで来た時にはちょっとした人だかりになっていた。
(は、恥ずかしいんだけど……)
人見知りする方じゃないけど、これだけ注目されている中馬車から下りるのは恥ずかしい。でも、躊躇っていたのは私だけみたいで、先に父さんが椅子から立ち上がった。
「わざわざありがとうございます」
「いや、本当にありがとう、お疲れ様」
「明日、店に伺います」
「ああ、待っている」
馬車の中でグランベルさんと挨拶している間に、御者台から下りた従者の人が外からドアを開けてくれる。わぁっという歓声が聞こえてきた。
「お世話になりました、グランベルさん」
最初に馬車から下りた父さんが促し、ケインがグランベルさんに挨拶をする。グランベルさんは素直でよく働くケインのことを気に入っているようで、ワシャワシャ髪をかき撫でていた。
「いつでも店に遊びにおいで」
「はいっ」
タラップを飛び降りたケインを見て、私も立ち上がった。
「いろいろ、ありがとうございました、グランベルさん」
「リナ」
伸びてきたグランベルさんの手に引き寄せられ、私は軽く抱きしめられる。父さんより細身だけど、現役でパンを作っているグランベルさんの腕は力強い。
「よく頑張った」
心からの労いの言葉に、私は恥ずかしくなって笑う。グランベルさんも笑いながら言った。
「また何か思いついたら、真っ先に私に教えてほしい」
う……さすが商売人。ほっこり終わるところを現実に引き戻され、私は愛想笑いをしながら、わかりましたと社交辞令で返した。
「ただいま!」
店の前にいた人たちの視線から逃げるように中に飛び込んだ私は、ドアのすぐ近くにいた母さんに飛びついた。
「お帰り、リナ!」
ちょうど閉店の準備をしていたのか、近くには箒もあった。多分、外の騒がしさに、私たちが帰ってきたのを知ったんだろうな。
「元気だった? 疲れてない?」
母さんは私の髪を何度も撫でながらそう聞いてくる。私はそれに、母さんに抱きついたまま返事をしていた。だって、15日間だよ? そんなに長い間母さんと離れたのは初めてで、父さんもケインも側にいるのに、母さんだけ離れていたのはすごく寂しかった。
もちろん、今回貴族院に行ったことに後悔はないし、また同じ話があったら行ってみたいって思うけど、それと母さんの重要性は全然別の話。
はぁ~、やっぱり母さんは柔らかくって、良い匂い。店にずっといたせいでパンの良い匂いが染みついているのも、幼いころから慣れ親しんでいるから本当に安心する。
出来ればもうしばらく母さんを独り占めしたいけど……そろそろケインに譲るか。
それでも抱きついたまま顔を上げると、既にケインは母さんに頭を撫でられ、嬉しそうに笑っていた。
「ケインも、よく頑張ったわね。お帰りなさい」
「うん、ただいま」
もうお年頃のせいか、私みたいに母さんに抱きついたりはしないみたい。でも、甘えた顔を見せるのは母さんの前だけだっていうの、知ってるよ。
じゃあ、最後は父さんか。この特等席を譲ってあげようかなと思っていると、頭上でチュッと可愛い音がした。
(ん?)
「……あ」
私とケインをそのまま、父さんはしっかりと母さんの肩を抱き寄せて、軽いキスを何度も交わしている。……母さんに抱きついている私から丸見えだよ……。
(本当に、いつまでも新婚さんだよね……)
その後は、ご近所さんや、私たちがいない間毎日通ってきてくれたベリンダさんも一緒に、慰労&お帰りの宴会をすることになった。
お肉はケインがたくさんもらってきていたし、追加のソーセージやベーコンは肉屋のニーノおじさんが提供してくれた。野菜は持ち寄られ、スープは母さんが私たちの帰宅に合わせて作ってくれたものがあって……そうなると、もうバーベキューしかないでしょ!
「父さん、バーベキュー、しよ!」
「ばーべきゅー?」
うちの裏に石で作った簡易な竈を作ってもらい、その上に置く網や肉を刺す串はニーノおじさんが店で使っているものを持ってきてくれた。
バーベキューは、料理という料理じゃない。素材を生かして焼くのが主で、ここには絶妙な火加減が出来る火の加護持ちがいっぱいいる。
ケインやラウルたち近所の男の子が面白がって、串にさっさと肉を刺してくれ、網の上で次々に焼き始める。貴族院で使う良いお肉だもん、焼くだけですっごく良い匂いが漂う。
「これは……良い肉だな」
ニーノおじさんが、しみじみと肉を見つめている。そんなに間近で見ていると、鼻にくっついてしまうよ、おじさん。
「父さん、これ」
ケインだけに素材の提供をさせるわけにはいかない。私も貰った調味料の中から塩やコショウを取り出し、父さんに振りかけてもらった。
ここに焼き肉のタレかバーベキューソースがあったらなぁ。この世界にはまだまだ調味料が少ないから、いろいろ考えるのも楽しいかもしれない。まあ、基本になる物がないことも多いから、簡単にはできないだろうけど。
「うまっ、これ、すげぇ美味い肉だな!」
「だろっ? 俺、この肉が一番好きなんだ!」
久しぶりに友達と会えたケインは、ラウルたちとワイワイ騒ぎながら肉を頬張っている。すごくたくさんもらったみたいだけど、もしかしたらこれでなくなっちゃうかもね。でも、滅多に口にできない美味しいものは、こんなふうに大勢で、パーっと食べてしまった方が良いと思う。
「母さん、おいし?」
私は隣に立っている母さんに問いかける。料理の世話をする方が多い母さんが、ちゃんと食べているか気になった。
「ええ、すごく良い肉ね」
「ね?」
「道理で、リナの頬っぺたがプクプクになったわけだわ」
えぇっ、私、太った? 私は焦って自分の体を見下ろす。自分で見ただけじゃわからないけど、確かに美味しい物ばかり食べてたし、味見もしまくってたし……。毎日お風呂に入っていて、むっちりした身体を見ていたけど、それも幼女なら当たり前だって思ってた。
「……」
私は手にした串を見る。……うん、今は何も考えないで食べよう。
はむっと肉にかぶりつくと、口の中にじゅわっと良質の肉汁が広がる。これは牛のロース肉みたいな感じかな。お肉の甘さが塩で際立ってる。父さんたち大人は塊に近いものを噛み切って食べてるけど、口の小さい私はまだ無理。あんなに豪快に食べたら、もっと美味しく感じそう。
「悪いな、ジャック、俺たちにこんな良い肉を食わせてもらって」
「いや、こっちも、俺がいない間店を気にかけてもらっていたし」
「当たり前よ、大事な商売仲間じゃない」
そこかしこで笑い声が起こり、お酒も入って踊りだす者もいる。規律正しい貴族院では絶対に見ない光景だけど、こんなにも楽しく過ごせるのは下町ならではかもしれない。
(お肉を頬張るエルさんなんて想像できないもん)
その日は帰ったばかりだというのに、夜遅くまで宴会は続いた。
残念ながら……私は先に眠った。
翌朝、私は久しぶりに寝坊した。
最近はエルさんとの魔力制御の訓練で早起きをしていたので、朝起きても何もしないということが妙に新鮮だった。
「……おお、起きたか」
着替えて顔を洗い、用意されていた朝食をもそもそ1人で食べた私は、下におりて店に行くと、既に店は開いていて、父さんは厨房でパンを焼いていた。
「……」
(昨日、あれだけ飲んで騒いでいたのに……)
私は途中で眠くなっちゃったから離脱したけど、たぶん父さんは最後までいたと思う。緊張が続いた貴族院での仕事を終えて、帰ってきてあれだけ飲んで騒いで、それでもちゃんと翌日の早朝からパンを焼いてるなんて……。
(父さんって、すごい……)
「リナ?」
私が驚きと尊敬でポ~と父さんを見つめていると、気分が悪いと思われたのか心配そうな顔で厨房から出てこようとする。仕事の邪魔をするつもりのない私は、慌てて父さんを押し留めた。
「おはよう、父さん。お手伝いしなくてごめんなさい」
バーベキューの後片付けと、お店の開店準備のことを謝ると、父さんは笑いながら大丈夫と言った。
「リナはたくさん頑張ったからな、しばらくゆっくりしているといい」
「えぇ~、父さん、がんばってるのに?」
「父さんは父さんだからな」
ちっとも理由にならないことを言って胸を張る父さん。私は店の中を見回す。
「お兄ちゃんは?」
「ケインは学校に行ったわ。友達に会いたいんですって」
そっか。父さんもケインも、ちゃんと日常に戻ってる。
ゆっくりしても良いって言われたけど……私はどうしようかな。父さんが常連のお客さんに会いたいように、ケインが学校の友達に会いたいように、私も会いたい人……あ!
「母さん、いちば行っていい?」
「市場?」
「ラムレイさんに、会いに行くの」
まだ学校にも行っていない私の交友関係は本当に狭い。そんな私の数少ない知り合いで、私の知識の師匠でもあるラムレイさんに、貴族院での話をしたら? 珍しいことが好きなラムレイさんなら、きっと興味深く聞いてくれるだろうし、お土産にもらった中に珍しい油があったから、それも見せてあげたいし。
うん。そう考えると、すっごく会いたくなっちゃった。




