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閑話.ある料理人の変化。

「帰ったね」

「……」

 わざわざ言わなくてもわかっていることを言うジャスパーに、俺は口の中で舌を打ちながら無言を貫いた。まさか、あんな子供と離れるのが寂しいなんて、口が裂けても言うもんか。

 俺が何も言わないのを見たジャスパーは肩を竦め、次の作業に取り掛かる。先にスープ担当だったジャスパーについて3年、今では俺が責任者みたいな立場になっているが、穏やかな性格のこの男はそれに対して文句を言うことなく、さらに俺を完璧に補助してくれている。

 人との関わりが苦手な俺が、周りが貴族だらけのこの職場で致命的な失敗もせず過ごしているのは、明らかにこの男のおかげだ。

 ……絶対に口に出して言うつもりはないけどな。

「……」

 俺はスープの味を見る。

(……ちゃんと旨味が出ているな)

 この作り方を知ったのは、まだほんの少し前。だが、今ではこの作り方じゃないと旨味に気づいた俺たち料理人は、いや、この夏季休暇の間貴族院に残っていた学生たちも、以前のスープはとても食えたものじゃないと思っているはずだ。

(あんな子供も作れたこの味を、俺たちは知らなかったんだな……)

 珍しい黒髪に黒い瞳の小さな子供。本当に、この短期間でかなり俺の深いところまで入り込んできやがって。


「おはよーございます!」


 これからはもう、あの明るく弾むような声を聞くことができないのかと思うと、俺は無意識のうちに溜め息をついていた。






 俺の家は、王都ベルトナールの北の広場前で食事処をしている。

 俺は3人兄弟の3番目で、歳の離れた後継ぎで料理人の長男、経理として支える次男とは違い、宙ぶらりんの立場だ。

 平民が通う学校を卒業し、勉強が嫌いで上の学校には行かず、そのまま実家で見習いとして働いていた。でも、どんなに頑張ったって、俺が実家を継ぐことなんてできるはずがなく、新しいメニュー1つ提案するにも兄貴の許可が必要だった。

 もともと、俺は料理が好きだったわけじゃなく、何もすることがなかったから実家で働いていただけで……ただ淡々と過ごすしかない毎日に、勝手に鬱屈した思いを抱いていた。


 そんな俺の転機は、4年前。

 たまたま、うちの店にやってきた今の高等貴族院の食堂の料理長に、たまたま、俺が料理を運んだ時だった。

「美味そうだな」

 食べもせず、見た目だけでそう言った料理長……その時はもちろん知らなかったけど……に、俺は思わず言ってしまった。

「俺が作ったらもっと美味い」

 今考えたら、とても客の前で言うことじゃなかった。でも、その時の俺は、どんなに提案をしようとも代々受け継がれた味を変える気がない頭の固い兄貴のやり方が気に入らなくて、客に愚痴ることしかできなかったんだ。

 料理長は一口食べて、それから俺を見た。

「それほど不味いとも思わないが……」

 俺の言葉に反応してくれると思わなかったので、俺はそのテーブルから立ち去ることを忘れて唖然と客の男を見下ろす。すると、男は気障な笑みを口元に浮かべた。

「俺のところにくるか?」

「は?」

「美味い物、作れるんだろう?」

 にやっと笑った料理長の顔は人相が悪いのに魅力的で、何を言ってるんだって笑い飛ばせなかった。






 それからは、本当にあっという間だった。

 飯を食い終わった料理長が親父に話があると言い出して、そこで初めて俺は料理長が高等貴族院の料理長だということを知った。

 親父も兄貴たちも、そんなところに俺が行っても通用しないって断ろうとしたけど、料理長は俺の意見を聞いてくれた。


「お前はどうしたいんだ?」


 行きたいって、不思議なほどすんなりと言葉が出た。親父たちはびっくりしたし、止めておけ、貴族相手じゃ一度の失敗で命がないって止めようとしたけど、俺はそのくらいの方が面白いって思った。今の生温い、何の変化もないここにいたって、俺はいつまでも文句を言うだけの男でしかない。

 最終的には、親父も兄貴たちも俺の頑固さに頷いてくれた。下の兄貴が、何かあったらいつでも帰って来いって言ってくれたのが意外だった。






 でも、変化を求めて料理長について行ったはずなのに、高等貴族院の中でもこれまでの味を守るということが大前提としてあった。いや、それはむしろ俺の実家よりも強固なもので、調味料の種類や量さえも決められていて、変化なんて誰も求めていなかった。

 確かに、使っている材料は貴族の子供が食べるだけあって高級なものを使っているが、これでは何かを新しく作り出そうとか考えることもできない。

 場所が変わっても同じ境遇なのかって思ったが、ここの料理人は、特に料理長には、強い矜持があるのがわかった。味を守るといっても、より良い味を出すための技術向上への意欲は半端なく高く、同じ料理方法、同じ味だというのに、味が良くなっていくのが不思議でたまらなかった。

 実家にいる時みたいに、日々安穏としていたら置いて行かれる。

 俺は基本から必死に勉強して、1年の見習い期間の後、スープ担当に振り分けられた。


 当時のスープ担当の責任者はジャスパーという俺と同じくらいの男だった。

 どんなものでも美味そうに食い、見習いたちの些細な愚痴や悩みも真摯に対応していて、俺と違って……いつもニコニコしている奴だった。

 ふくよかな外見のせいか、奴が作った物は不思議と美味く感じて、俺は一方的に敵愾心を抱いた。その上、噂で奴が貴族の血をひいているらしいと聞いて、絶対に負けたくないと毎日居残ってスープ作りに没頭した。

 でも、貴族院で作るスープは基本の塩スープで、どんなに頑張って試行錯誤してもなかなか味に変化がない。俺は火の加護があるから、微妙な火加減で煮込み時間を変化させたり、材料は決まっているので切り方を変えてみたりしたが……最初に飲んだスープの味とほとんど変わらなかった。


 どうすればいいんだろうか。

 明日の朝食の下ごしらえが終わった、誰もいない厨房の竈の前で考え込んでいると、

「お疲れ様」

 聞き慣れた声に、自然と俺は眉を顰めた。別にこっそりと何かするわけじゃないが、弱みを見つけられたような気がしていたたまれなかった。

「リアムは真面目だね」

「はぁ?」

「毎日居残っていろいろ考えているだろう? すごく尊敬してる」

「……っ」

 別に、悪口じゃない。むしろ褒めている言葉なのに、その時の俺はなぜかカッときて、とっさにジャスパーの襟元を掴んでいた。

「俺のことっ、たかが平民だって思ってるだろ!」

 お前なんか、身内の力を使ってここにいるんだろうが! 声に出さなかった俺の叫びを、なぜかジャスパーは静かに笑んで受け止めていた。

「……僕の母はね、貴族の屋敷で下働きをしている時にそこの息子に手をつけられたんだ。そして、生まれたのが僕ってわけ」

「お……前……」

 唐突な言葉に、俺は思わず息をのむ。だが、ジャスパーの口は止まらなかった。

「でも、もうそこの息子は結婚していて既に子供がいたし、僕は魔力も少なくて、母と共に屋敷を追い出されたんだよ」

 平民の学校に入り、卒業してすぐに母親が病死して、天涯孤独になったジャスパーをこの貴族院の料理人として雇われるようにしてくれたのは、二度と会わないと思った父親だった。

「ただ、それは親としての愛情じゃなくて、もしも僕が問題を起こした時、たとえ遊んだ相手が生んだ子供と言えど連座になる可能性があるからなんだ。貴族の中では足の引っ張り合いは普通らしいし。……僕はここに、目に見えない鎖で繋がれているようなものなんだよ」

 まさか、そんな深刻な身の上を話してもらえると思っていなかった俺は、掴んだ襟元を離すのが精一杯だった。

 俺なんかより、こいつの方がよっぽど……。

「僕はここから逃げられないから、ただいることを許されるために働いているだけ。でも、リアムは違うだろう? 少しでも美味しいものを作ろうと頑張っている。それに、わざわざ料理長が引き抜いてきた期待の新人だし」

「ば、馬鹿なこと言うなよっ」

「リアムを見ていると、僕も物を作ることが楽しくなってきたんだ。せっかく一緒の担当になったんだし、頑張ろう?」

「……当たり前、だろっ。俺たち、料理人なんだから、少しでも美味しいものを作るんだよっ」

「そうだね」

 相変わらず、ジャスパーはニコニコ笑っている。とてもあんな過去を背負っているとは思えないほど能天気な顔なのに、俺はもうこいつを馬鹿になんてできないと思った。











 それからも、ジャスパーは変わらなかった。

 いつも穏やかな笑みを浮かべ、見習いたちの悩みを聞いてやってる。

 ただ、変わったのは、夕食後の厨房で、俺と一緒にスープの研究をするようになった。俺にはあまり変化のない味でも、ジャスパーは少しずつ美味しくなったって嬉しそうにしている。不思議と、相棒がいると腐ることもなく、いつしか俺がスープ担当の責任者になって……そして。


「お前たち、今度食堂のメニューを大幅に改革することになった。王都から俺たちを教えてくれる料理人も来る。いいか、貪欲に味と技術を盗めっ」

 はぁ? メニューの改革? あれだけ厳密に守ってきたもんを変えるっていうのか?

 困惑と、戸惑いと、そして結局貴族の一言でこれまでのすべてが簡単に覆されてしまうことに怒りを感じながら、俺はまるで侵略者を迎え撃つ気分でいたんだが。





「……ん、今日のも美味しいね」

 俺の差し出した味見用の皿を受け取ったジャスパーが、一口飲んで満足そうに頷く。

「リナの好きなクリーム味だから、彼女がいたらきっと頬を押さえて喜んだだろうね」

 ジャスパーの言った光景が簡単に思い浮かべて、俺も思わず笑ってしまった。

 別れたばかりだというのに、もう会いたいなんてな。ま、ここから王都なんて近いもんだ。

「ジャスパー」

「ん?」

「あいつんちに行く時は、お前も一緒だからな」

「……え……」

「俺1人で子供に会いに行くなんて恥ずかしいだろ。お前も一緒に恥をかけ」

 鎖で繋がれているなんて言ったって、目に見えてるもんじゃない。お前だって自由なんだぞ、ジャスパー。

 察しの良いあいつは、俺の言いたいことをちゃんとくみ取ったらしい。いつも以上にニコニコしやがって、

「うん、一緒に恥ずかしい思いをしようか」

 そう言った。

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