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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

軍師少女と英雄論

作者: ちゃば


 見渡す限り一面の死体の山。

 静まり返る中、鼻をねじ曲げるような死臭が生温い風によって運ばれていく。

 青白い月明かりの中で力無く立ち尽くす少女は、目の前に広がる光景を虚ろな瞳で見下ろしていた。


 少女の名前はメイ・マグレーディ。

 この戦場を任された軍師である。





「あぁ、もう……!」


 軍議室で資料と睨み合うメイは呻き声を上げた。

 纏まらない作戦に苛立ちが募っていく。


 今はまだ王城に攻め込まんとする反乱軍を、なんとか追い返している形の防衛軍だが、兵士の疲弊もかなりのもので、そろそろ破られても可笑しくは無い。

 しかし、疲弊は反乱軍にも言える事で、あちらも常に限界が見え隠れしている。

 互いの軍勢の余力的にも、明日の衝突で恐らく勝負が決まるだろう。


 ちらりと机上に放置している上官からの書状に目をやる。

 回りくどく書かれているが、簡潔に言えば負けは許されない、と。ご丁寧に戦法まで指定してきてるときた。


 一体上は軍師の仕事をなんだと思ってるんだろうか、最後くらい自由に考えさせろ。

 負けは許さない?そんな事は分かっている。

 ここで負けたら全てが無駄になるのだ。負ける気なんて毛頭無い。

 ……無い、のだが。

 それでも上の人間が求めるやり方で戦えば、大きな犠牲を出してしまうのは目に見えている。


 思考がグルグルと回る不快感に自然と身体に力が入る。

 これではダメだ、外の空気でも吸ってこようか。

 イライラした気持ちを解消させる為大きく腕を伸ばすと、目の前に湯気を立てた珈琲が差し出された。


「煮詰まってんなぁ」

「うるさい」


 苦笑しながらカップを差し出す赤髪の青年に舌打ちを返す。

 いつの間に部屋に入ったんだ、この男は。


「ここへ来るなんて珍しいわね、アッシュ」


 軍議の時間までは、まだ時間があったはず。と先程までの苛立ちをぶつける様に睨みを効かせる。

 しかし彼はメイの批難の視線もどこ吹く風で自分の珈琲を飲みはじめた。


 アッシュ・ハーフェン。

 階級は曹長。一兵卒として軍に入り、たった三年という異例の短期間で曹長まで駆け上がった、所謂叩き上げの兵士である。

 メイはカップの中の乳白色を見て不機嫌そうに受け取った。


「……子供扱いしないでよ」

「いやあ、そういう事はブラックを優雅に飲める大人の女になってから言ってくれ」


 見せつけるように自分のカップを傾け笑うアッシュにむっつりと黙り込んだ。

 勿論その中身は真っ黒である。


 階級の差など無いようにじゃれ合う二人だが、始まりは平和なものでは無かった。


 二人の出会いは二年前、アッシュがまだ一等兵だった頃に遡る。


 当時この国では飢饉や疫病が流行り、飢えた民衆による反乱が幾度となく起きていた。

 いや、起きていた、では語弊がある。現在もそれが続いているのだ。

 その時に王命によって結成されたのが、アッシュやメイが身を置いている防衛軍である。


 アッシュはその日、身を置いてる前線基地で、いつもの通り剣の手入れをしながら同期の連中と世間話に花を咲かせていた。

 同じく国を憂い護ろうとするべく集まった若者達だ、気の置けない仲になるのに時間などかからず、日々の会話が娯楽の無い生活の楽しみになっているのだ。

 疲労も回復し始め次第に騒がしくなる中、お調子者のユーリが立ち上がり得意気に上官の部屋で見聞きした事を話し始める。


「昼間武器の状態の報告にいったんだけどよ、どうやらこの前線に凄腕の軍師が来たらしいぜ!」

「軍師?」

「そう、なんでも別の前線で絶望的な戦況から作戦一つで見事に反乱軍を壊滅させたとか」

「まじかよ! そりゃすげぇな!」


 もたらされた朗報に兵士達の歓声が上がる。

 勿論、アッシュもこの苦しい戦況が変わるかもしれない喜びに思わず拳を握った。


「まあ、落ち着けよ、この話には続きがあってな、その軍師……」

「な、なんだよ……」


 深刻な顔のユーリに兵達はごくりと唾を飲み込む。


「実は……実は相当可愛い女の子らしいぜー!」


 真剣な顔はどこへいったのか、先程とはうって変わり笑顔で声を弾ませるユーリにつられるように、笑いが起きた。

 この女っ気の無い男所帯だ、そりゃあテンションもあがるさ。

 苦戦している今、少しでも士気が上がったらいい。

 アッシュも持っていた剣を置き、小突きあってもみくちゃになっている仲間に混ざった。


 しかし、兵士達の期待とは裏腹に、実際に戦いが始まった途端にその軍師の噂は真逆のものになってしまった。


 どうやら彼女は、類希な戦術センスを軍上層部に気に入られ、初の女性軍師として起用されたらしい。


 確かに温故知新と言うべきか、王道な戦術から斬新で相手の度肝を抜くようなものまで有り、それでいて幾層にも緻密に組まれた策に相手は手も足も出ない様子をみせた。

 それを十七歳の女の子が組み立てている、軍内でも若手と言われるアッシュでさえ五つ歳上なのだ、凄腕という前評判は間違いでは無いだろう。


 しかし、たった一点だけ致命的な欠点があった。

 彼女は味方陣営の被害を省みない手を多用するのだ。


 みるみる減っていく仲間に兵達の焦りが募っていく。

 アッシュも例外ではなく、就任以降一度だって姿を見せない軍師への不信感は増していった。


 そして、あの重苦しい曇り空の日にトドメを刺されたのだ。

 あの日の指令は特に酷かった。

 上官伝いで受けた指示は、囮の部隊を作り、その隙を別働隊で後ろから叩くというものだ。

 そこまでなら今まで何度だって乗り越えてきたし、上手くやれただろう。

 しかし、その後に続いた囮になった部隊は敵を引き付け続けろという命令に、どんなに劣勢になっても引く事を許されず囮部隊はほぼ壊滅まで追い込まれる事となった。


 机上では素晴らしい戦法だろうが、実際に受けた被害は甚大だった。


「ユーリ!ユーリ!聞こえるか?!しっかりしろよ、おい!!くそっ!なんなんだよ、こんな作戦おかしいだろ!」

「フェルマ二等兵!今矢を抜くからな、気を確かに持てよ!」


 夜になり、戦いが一度落ち着いた隙に基地へ戻ったアッシュは、あまりに惨い光景に声を失った。


 あの日、久方ぶりの朗報に笑い合った同士達が血だらけで横たわっている。

 その周りにも、止血の為だろう包帯をきつく巻き付けている者、腕に添え木をされながら放心している者もいる。

 勿論アッシュとて、無傷ではない。腹や胸に包帯を巻き軍服の上着を肩から掛けている状態だ。


 今までも確かに苦戦はしていたが、ここまで酷かっただろうか。

 痛みに呻く同期の傍らで、アッシュは歯を食いしばる。震える手を握り締め、絞り出す様にアッシュは呟く。


「……ゆるせねぇ」

「アッシュ?」

「……軍師の奴は何処にいるんだよ。てめぇで立てた作戦の結果で俺達がどうなってんのか知ってるのかよ」


 普段飄々としているアッシュの怒気に、部屋に居る兵士や軍医の顔が悔しげに歪む。


「知る訳がないだろう。反乱軍はひとまず押し戻せたし、劣勢だった前線も回復したんだ、悔しいが作戦は成功だ。軍師サマは今頃基地内部で祝杯でも上げてる頃だろうよ」

「なんだよ、それ……お前ら、それでいいのかよ!?」


 諦めた様に目を伏せる仲間達に、アッシュは堪らず部屋を飛び出した。



 ドタドタと荒々しい足音を立てながら怒りのままに軍議室へ向かう。


 作戦が成功だって?

 ふざけるな。こんなのが成功なら全ての兵に爆薬を持たせて突撃させればいいじゃないか。この状況と何が違うっていうんだ?


 この際処罰を受けようが、どうでもいい。一矢報いてやる。


 俺達は、道具じゃない!


 アッシュは、その一心で疲弊した体を引き摺り、歩みを進めた。


 本部の有る建物に向かう為基地を出ると、先程まで命懸けで死守した戦場を横切る。

 処理しきれていない死体がこちらに顔を向けどろりと濁った瞳で虚空を見つめる様子に罪悪感に身が切られる思いだった。


 心の中で物言わぬ同士達に謝罪をしながら、目を背けると一段高い丘が見えた。

 先程の戦いで待機されられていた丘だ。

 待機命令が出ている間、無惨にも殺されていく仲間をあの場所からただただ見守るしか無かった。


 胸を抉る様な悔しさが、今更ながらこみ上げてきて視界が滲んだ。

 慌てて腕で目元を拭い目を開くと、丘の上に動く影が見えた。

 どうやら人間らしい。


 こんな時に何をやっているんだ?

 悲観に暮れているのだろうか。


 気持ちは分かるが、退けたとはいえ未だ反乱軍が近くにいるかもしれない。

 これ以上無駄な死人を出したくないと、アッシュは仕方なく足を丘に向けた。


「おい、アン……タ……」


 危ないから基地に戻れ、そう考えていた言葉は声になる前に萎んでしまった。


 それはそうだろう。

 アッシュの視線の先に居たのは、肩口で切り揃えられたサラリとした黒髪に華奢な体躯、凡そ身の丈に合っていないサイズの軍服を着た少女だったのだ。


「は、え……?」


 この前線に女は一人しか居ない。

 傷つき疲弊した身体を引きずってでも探していた、その相手がそこにいた。

 こんな所で出会すなんて思ってもいなかったのだ。


 アッシュが上手く言葉を紡げず震える手で指差すと、メイは緩慢な動きでこちらを振り向く。

 気の強そうなアーモンド型の大きな目は、その大きさに反して何も映していない様に見えた。


「……兵士は全員基地で待機という命令が出ている筈よ」


 冷たく温度のない声に、アッシュは我に返る。

 突然の事に消えていた怒りがまたふつふつと湧き上がってきた。


「……罰則なら覚悟の上だ。今回の作戦について説明しろ。どれだけの仲間が死んだと思ってるんだ。少しでも犠牲者が無いように作戦を立てるのがアンタら上の仕事だろう」


 そう噛み付く様に言葉を吐き出す。

 たかが一兵卒が作戦に異を唱えるなど、通常では有り得ない事だ。

 激昴するかと思われたが、意外にもメイは顔色一つ変えず、淡々と言葉葉を並べた。


「言いたい事はそれだけ?」

「……は?」

「……分かりやすく教えてあげるわ。今回は地形を生かす戦術を使ったの。

 この様な場所の場合、敵の注意を逸らすチェスの戦法の一つ、サクリファイスがより適当だと判断したから。手駒を犠牲にする事で有利な状況を作り敵に大きなダメージを与える。効率的でしょう?」


 ツラツラと原稿を読むかの様なメイの姿に、アッシュは怒りで目の前が真っ赤に染まった。


「てめぇ!ふざけんな! 何がチェスだ! アンタはこの場所にいて何も感じないのかよ!? そこで死んでる奴らにも家族や待ってる人がいたんだ! 俺達がやってんのは戦争ゴッコじゃねぇ! 命を賭けた本当の戦いなんだよ!」


「……手を離しなさい」


 アッシュが勢いのままにメイの胸ぐらを掴み上げ怒鳴りつけると、無表情こそ変わらなかったが平坦な声が揺らいだ。


「いいや、離さない。今までアンタの無茶な作戦で死んだ奴らの為にも、待機室で呻いてる仲間の為にも。

 もし、アンタにとって戦争が机上論の延長なら、軍師を辞めろ! 俺は、俺達は仲間を無駄に散らせるつもりはねぇ!」


「……もう一度言うわ。この手を、離しなさい」


 メイは胸元にあるアッシュの手を払い除けると、目前の男を睨みつける


「どっちが戦争ゴッコよ」


 視線はそのまま射殺す様な瞳を湛えて吐き捨てるように言葉を零した。




 





 王都の端の地区に住むメイは、小さい頃からチェスが得意だった。

 十五歳になる頃には住んでいた地区では負け無しで、勝つと周りの大人達に褒められ、たまに貴重な砂糖をふんだんに使った甘いキャンディを貰えたりした。


 そんなメイに、身体の弱い母も鼻が高い様子でメイが勝った日はいつも調子が良さそうだった。


「ね、メイ。今度そこの教会でチェスの大会が有るんだって! 出てみない?」

「大会?」

「そう! 防衛軍主催の大きな大会らしいのよ。十二歳以上なら参加できるらしいからメイでも出られるわ! 優勝だって狙えると思うの」


 大会には興味が無かったが、母が楽しそうに勧めてくるのでつい頷いてしまった。

 先の事を知っていれば、決して出場しなかったと断言できる。


 メイは、母との約束通りに出場した大会で、大人達を蹴散らし、周囲の期待を裏切ること無く見事に優勝を果たした。


 しかし、それがメイの運命を大きく狂わせてしまったのだ。


 軍は泣き叫ぶメイを親から引き離し、軍師として徴兵した。


 そう、この大会は初めから防衛軍が優秀な人材を確保する為に開かれたフェイクだったのだ。


【国の為】


 そう言ってはメイを苦戦している戦場に連れて行き、作戦を立てさせる。


 初めは自分の肩に沢山の命が掛かっているという重圧に耐えられず、来る日も来る日も胃液が尽きる程に嘔吐した。


 逃げ出したかった。

 しかし、そんな事をすれば王都で待っている家族に迷惑がかかってしまう。

 戦争さえ終われば皆んなに会えるんだ。

 その一心で机に齧り付く。


 防衛軍も反乱軍も元は王国民だ、何とか誰も殺さずに押し返せないだろうか。

 犠牲を最小限に。

 今日は勝負を焦ってしまった。明日は絶対に勝たなくては。


 何故だろう……?

 勝てば勝つ程に足元に転がる屍が増えていく。


 あれ? 優先すべきは人の命? それとも軍の勝利?

 正解がわからなくなってしまった。

 靄がかかる思考に判断力が失われていく。


 そんな自分を嘲笑うかのように、勝つ度にこれでもかと誉めそやす上層部の人間。


 いつの間にか自分の立てる作戦がどこか遠くに感じて、自分の言葉一つで命が消える事に実感が湧かなくなっていった。

 それでも、戦場に残された亡骸を見る度に心がギシギシと嫌な音をたてて軋む。

 涙はとっくに枯れ果てた。


「兵達は国が為に死ぬ覚悟を持って集っている。遠慮をする事は無い、お前は勝つ事のみ考えれば良い」

「…………」

「……お前はこんな言葉を知っているか? 1人殺せば殺人犯、10人殺せば殺人鬼。100人殺して国を救えば英雄だ。殺す事に怯えるな」

「……はい」


 ーー自分は悪くない。


 誰かにそう言って欲しくて現実から目を背けた少女は、自軍の勝利為のみに言われた上官の言葉にみっともなく縋り付いてしまった。

 息をするだけで痛みを伴う世界の中で、考える事を放棄したのだ。


「国の為だなんだって勝手に命賭けて、本当に死んだらお説教?

 ……冗談じゃ無いのよ、覚悟もないのに地獄を語るな」


 嫌悪を露わにしたメイの言葉に、アッシュは思わず拳を振り降ろした。


 思ったよりも体重が乗ってしまった重たい拳を受けふらつくもメイはなんとか踏み止まり、お返しとばかりにアッシュの顎を強く蹴り上げた。


「ぐぅっ」


 地面に崩れ落ちたアッシュが痛みに呻く。

 自らに落ちた影に顔を上げると、月によって逆光になってはいるが、近づいてきたメイの顔が目に入った。


「そんな大怪我でよくもまあ、喧嘩ふっかけてくるわね。そんな風に真っ直ぐに生きられるなんて、羨ましいわ」

「は?」

「私にはもう、闘い続けるしか残されてないんだから」


 先程までの態度とはうって変わり、大きな瞳を歪め自嘲気味に笑う目の前の少女に言葉が詰まる。

 歪められたその瞳には、沢山の哀しみが渦巻いている様に見えたのだ。


 アッシュは、苛立ちに頭を掻き乱した。

 憎しみすら抱いていた相手なのに、彼女も命の代わりになにか大切なモノを削ってきたんだと気付いてしまったのだ。


「くそっ!」


 悪態をつきながら羽織っていた上着をバサッとメイの頭に被せた。

 突然の事にメイは戸惑っているようで動きが止まっている。


「……殴って悪かった。仲間の苦しんでる顔見てカッとなってた。情けねぇけど……さっさとその顔どうにかして基地に戻った方がいい。まだ残党がいるかもしれないから」


 くるりと基地へ向き直ったアッシュだが、思い出したように足を止め口を開いた。


「……俺達は、確かに自ら命を賭けて集まってるけど、生きるのに投げやりな奴は一人だって居ないんだ。それだけは理解して欲しい」


 言い終えると今度は止まらずに丘を下りていった。


 アッシュが消えた方向をぼんやりと見ていると、ぱたぱたと水滴がメイの身体に触れた。


「……雨」


 軍服を取り視線を空に向けると、満天の星空が包み込むように眼前に広がっている。


「……」


 肌に触れる軍服の温もりに、メイは凍っていた自分が溶かされていくのを感じた。


 気が付いてしまったらもう駄目だった。

 メイは何年か振りに声を上げて泣きじゃくった。


 恐ろしかったのだ、人の命を数字として測る自分が。

 苦しかったのだ、一人きりで背負う命の重さが。


 何も解決してなどいないけれど、あの日からずっと凍り付いていた何かをメイは確かに思い出した。


 その日を境にメイは少しずつ変わっていったのだった。




 日が落ちてきたのか、軍議室に西日が射し込んできた。そろそろ、切り出す頃合だろう。


 アッシュはメイが珈琲を殆ど飲み干したのを確認してから話を振った。


「そんで? 今度は何に悩んでるんだ?」


「何も無いわよ、ただ明日で最後にしなきゃって緊張してたの」


 アッシュの問い掛けに、メイは気まずそうな顔をして目線を逸らし、更にさり気なく手にしていた書状を隠した。


 あからさまな態度に溜息を吐く。

 どうにも彼女は大事な事を教えない傾向に有るのだ。


「嘘つけ、お前はイラついてる時大概良くない方向に突っ走るんだ、お兄さんを頼りなさい」

「だってアッシュ頭悪いじゃない」

「はあ!?」


 戯けてウインクをしながら胸を叩くと、メイは拗ねたように悪態をつく。

 それにしても、よくまあここまで仲良くなったものだと、アッシュは感慨に耽った。



 あの一件以降、メイの立てる戦術は様変わりした。


 斬新さや勢いは欠けたものの堅実で、兵士からの不満の声はかなり減った。

 罪滅ぼしのつもりなのか、こっそりとユーリ達の様に怪我が元で兵士として働けなくなった者達に、軍内での働き口を探してやっていたのを知った時は思わず頭を撫でてしまったものだ。

 まあ、その手はすぐに払いのけられてしまったのだが……。


 メイの努力の甲斐もあって、軍医の補佐や補給兵として今も前線基地に残る者は多い。

 正直な所、今の彼女を悪く言う者の方が少なく、皆、妹の様に可愛がっている。


 しかし、その変化に上の人間が良い顔をしていない事は軍議にあまり顔を出さないアッシュの耳にも入る程の噂になっていた。

 勝率や消耗していく兵糧や武器類などのデータでしか見ていない上層部の人間には、過去のメイの戦績があまりに華々し過ぎて、今が手を抜いている様に見えるのだろう。


 あまりしっかりとは読み取れなかったが、先程隠される前に盗み見た書状にも、敗戦、反逆罪、連行等ときな臭い単語が並んでいた。


 それでも尚、頑として兵達を庇うべく両の手を目一杯広げて立ち回るメイは、アッシュの目に酷く脆く映った。

 もしあの時メイを止めていなければ、こんな風に彼女の身を危険に晒す事は無かったかもしれない。


 後悔はしていない、あのまま兵たちをそれこそ消耗品の様に扱い続けたら防衛軍は内側から壊れていただろう。

 ただ、この詰めの場面に、そんな甘い考えでは勝利は掴めないのも事実だ。泣いても笑っても明日で終わる。


 メイにできないのなら、やれる人間がやるしか無い。


「なあ、メイ。こんなご時世だ。沢山の命を犠牲にしても、勝てば官軍。英雄だ」


 アッシュがぽそりと言葉を零すととメイの顔がみるみる強ばり、血の気が引いていった。


「なあ、次が勝負時ってわかってんだろ? アレ、やるべきだろ」


 アッシュの言葉にハッとした表情をみせてると、見ていて痛々しい程怯えた表情で持っていたペンを机に叩きける。


「なんなのいきなり、やめてよ」


 机に乗った手がカタカタと震えている。


 元はメイの十八番だったのだ、勝率は格段に上がる。

 この決めの場面だ。

 軍の上層部だって、これを望んでいるのだろう。

 それでも、やっと人の心を取り戻したコイツにそんな判断を下せる訳がない。


 まったく、現実は残酷だよな。

 アッシュは内心で自嘲的に笑う。


「冗談。忘れて」


 へらりと笑いながら頭を撫でると、縋るようにその手を握られる。


「ねぇ、私、ちゃんと考えてるからね。余計な事したら許さない……か、ら……?」

「ごめんな、メイ」


 アッシュはぐらりと傾く身体を受け止めた。

 机の上の珈琲に視線を向けると僅かに残った白に近い液体が振動で揺れている。


 メイが甘党で助かった。

 これだけ甘くなっていれば薬の存在にも気付かないだろう。


 ゆっくり眠っていてくれ、起きた頃にはきっと全て終わっているから。


 百万人殺そうが、絶対にお前を解放してやる。

 全部終わった平和な世界で、殺戮者の汚名なんて背負わせない。

 どうか、どうか幸せになってくれ。


 アッシュは祈る様に、腕の中にいる華奢な身体をそっと抱き締めた。


 お前のおかげで、この国は平和になろうとしてる。

 お前のおかげで、皆前を向いて戦場にいける。


 だからどうか背筋を伸ばして堂々と生きて欲しい。

 お前は、国を救った英雄だ。




「……アッシュ」


 遠慮がちに開かれた扉の向こうからおずおずとユーリが部屋に入ってくる。


「大丈夫、よく寝てる」


 アッシュはそっとメイを受け渡すと、髪をひと撫でして立ち上がる。


「なあ、アッシュ。お前これでいいのかよ」


 ユーリのどこか咎める様な色を含んだ言葉に答えず、アッシュは微笑んだ。


「メイを頼んだ」


 その顔にユーリは息を飲み込み部屋を出るアッシュを見送る。

 覚悟を決めた瞳に気圧されてしまったのだ。







 翌日、出陣する前に基地内に集まった一同は、本来なら指令を下す筈のメイの姿が見当たらない事に怪訝な顔をしていた。


 ざわざわとした不穏な空気を切り払うようにアッシュは叫ぶ。


「お前らよく聞け!今回マグレーディ軍師は上官からの命令で前線には来られなかった。代わりに俺から今回の作戦を伝える!」


 ここ何年も無かった事態に狼狽える一同は、続く言葉に更に衝撃を受ける事になる。


「最後の作戦は……サクリファイスの戦法をとる」


 言った途端反発する声が大きくなる。

 特に古参の兵は脂汗を滲ませながら猛烈に抗議した。


「曹長!あの日見た地獄を忘れたんですか!」

「そうだ!あんな事を繰り返したら…!」


 アッシュは、当然だと言わんばかりの表情で、兵達から上がる怒声に耳を傾ける。


 こうなるのは当たり前だ。何も思わない訳がない。

 たった数年前の恐怖が拭えるなんてあり得ないのだから。

 それでも、こんな戦争は終わらせなければならないのだ。


「……皆の意見は最もだ。正直、被害は甚大になると思う。それでも、今こちらにある兵力で反乱軍を迎え撃つには必要な作戦だと俺は思う」

「しかし……」

「最近の温い作戦で腑抜けたのかよ。俺達は、何の為にここにいるんだ。保険をかけた作戦の陰で逃げ隠れする為か? 違うだろ?! 国を、家族を守る為だろうが! 正念場だぞ、男を見せやがれ!」


 兵達は、アッシュの言葉に自らの立場が悪くなる事など省みず、必死に自分達を庇ってくれていた少女の姿を思い出す。


 そうだ、守られている場合じゃない。今度は自分達が国を、そして、あの少女を守るんだ。

 怯えた表情をしていた兵士達の目に光が宿った瞬間だった。


 そこからは早かった。

 二つの部隊を作りサクリファイスの陣形を組み立てる。今回は崖下に待機の部隊を作る事にした。

 そこで身を隠している間に、反乱軍の本拠地を突撃部隊が叩く。そして、頃合いを見て別働隊が乗り込み徹底的に潰すのだ。


 一度メイのやり方を実際に体験しているのだ、再現する位ならアッシュにもできた。


「突撃部隊は俺が率いる。別働隊はガルマ伍長に従ってくれ」


 ふと、メイの顔が頭に浮かんだが、それを振り払うように両手で頬を叩く。

 敵の本拠地は目の前だ、振り返る余裕は無い。


「お前ら気合入れろよ!」

「おおおおぉぉ!!!」


 アッシュの掛け声に答える兵士達の豪快な声に空気が震えた。








 日が高く上がったころメイは目を覚ました。

 目を開きまず飛び込んできた真っ白な天井と、身を包む布の感触に医務室だと察する。


 混入された薬のせいか、頭がぐらぐらと揺れる感覚に顔を顰める。

 一体自分は何をしていたのか。


「…う……」

「マグレーティ軍師。お目覚めですか、ご気分は?」


 側に控えていたユーリに声を掛けられメイは勢い良く上体を起こした。


「アッシュ! アッシュはどこ?!」


 縋り付くように詰め寄るメイにユーリは奥歯を噛み締め振り絞る様に声を出した。

 その様子に、騒めく心を隠す様にメイは拳を握りしめる。


「……アイツは」

「…………」

「……兵を率いて戦場に。捨て身で指揮を」

「……あのバカ!」


 ユーリが悔しげに零した言葉を受けると、メイは反射的に走り出そうと床に足を付けた。

 しかし、ユーリに肩を掴まれた事で阻まれてしまう。

 バッと振り返り忌々しげにユーリの顔を見上げると、悲痛に歪めた情けない男の顔が目に入った。


「軍師! アイツの覚悟を無駄にしないで下さい!  アイツは……アイツは! 貴方に!」

「……離しなさい。ユーリ補給兵」


 そう言ったメイの瞳は、先程までの弱々しいものでは無く軍師としての意思の光を湛えていた。


「私の許可なく死ぬなんて許さない、絶対に」

「ぐん、し……」

「現状の報告を、それから早駆けできるなるべく脚の早い軍馬を。私が直接前線に向かう」


 ユーリは戸惑っていた。

 目の前のこの少女はこんなに強い瞳をしていただろうか。

 アッシュとの約束を無視してでも従いたくなってしまう程の力を感じた。

 第一ユーリだってあの男を助けたいと思っているのだ。


「……時間がないの。早く!」

「……直ぐに手配します」


 だから、これは決してあの少女に負けたのではないのだ。

 そう誰かに言い訳をしながら、ユーリはメイの命令を遂行する為に部屋を飛び出した。








 アッシュは嫌な音を立てて折れてしまった剣を投げ捨て足元に転がる死体の腕から血に塗れた剣を拾い上げた。


「くそッ」


 後ろから襲い掛かる剣先を振り向きざまに払いのけガラ空きになった相手の胸元を斬りつける。


 はあはあと肩で息をしながら周りを素早く見渡した。

 敵味方関係なく転がる骸に胸が痛むも、撹乱できた様子に口端が釣り上がるのを感じる。

 先程後発隊が合流した事により戦況は一気にこちらに傾いた。

 ここまでくれば、勝ちは決定的だろう。

 少し気が緩むと、意識の外に置いていた腹の傷が痛み出す。


 アッシュは混乱の最中、斬りつけた敵の背後に隠れていた伏兵の槍によって左脇腹を刺されていた。

 溢れる血を抑える事もできずそのままにしていた所為で意識も軽く靄がかかっていた。


 戦場から身体を引き摺る様に離れ、近くの木陰に身を隠す様に座り込む。


「いってぇな。はは、は……」


 耳に入る喧騒もどこか遠くに聞こえ、自分の限界を悟った。


 ここまでか。

 そう覚悟を決めた時だった。

 高台に現れた馬上に命を賭しても護りたいと願った少女の姿を見つけたのは。

 彼女は焦った様にキョロキョロと視線を戦場に走らせ何かを捜しているようだった。

 これは、自分の都合の良い夢だろうか?

 首をひねるも腹の痛みは消えずこれが現実だと知らせている。


「……メイ」


 ああ、最期にあの姿を見られるのならば、自分の一生に後悔は無い。


 それ程までに彼女が愛しい。


 アッシュは自らの浅くなる呼吸を感じながらも焼き付けるように上を見上げていた。


 すると、偶然だろうか。

 敵兵の一人が高台のメイに向けて矢を構えているのが目に入った。

 その後は、頭で考えるより先に身体が動いていた。


 アッシュは痛みも忘れ木陰から飛び出すと、残った力を振り絞りメイの元へ駆けた。

 途中他の兵が射った矢が身体に突き刺さるのも気にせずに、地を蹴って走る。



 走る。走る。



「っ! メイィィィイ!!」


 アッシュは力の限り名前を叫び、踏み切って敵兵とメイの間へ身を滑らせた。


 瞬間、容赦なく空を切る音と共に、矢がアッシュの背に刺さった。


「ッ?! アッシュ!?」


 メイは馬から飛び降りると、地に倒れるアッシュの元へと駆け付ける。


「アッシュ……!」

「……メ、イ」

「すぐに手当てをするわ、だからじっとしていて!」

「……な、くな……め、い」


 アッシュが震える手を伸ばしメイの目に浮かぶ涙を拭うも、ゲホゲホと咳き込み血を吐くアッシュにメイの涙は止まらない。


「……ねぇ、アッシュ。傷が癒えたら、私の田舎に来ない……? 私ね、アッシュとこれからも……ずっと一緒に」

「……わり、なぁ」


 祈るようなメイの震える声を堰き止める様に、アッシュは微かに笑うと指先でメイの唇に触れる。


「……め、い……しあわ、せ、に……」

「アッシュ!? しっかりして、アッシュ!」


 メイは血に塗れ意識を失ったアッシュを抱き抱え必死に名前を呼ぶも、ヒューヒューと異音の混ざる弱々しい呼吸音しか返ってこない。


「いやだ、アッシュ……! お願い、置いていかないで」


 メイがぼろぼろと涙を零し縋り付くも、かつてはキラキラとしていたアッシュの瞳は虚ろに虚空を見つめ生理的な涙を溢れさせている。

 微かな呼吸さえも聞こえなくなってしまった。


「アッシュ、ねぇ、お願いよ。私、貴方が居ないとどうやって立てば良いのか分からないの。貴方が居ないと、私、私……! いやぁああ!!」


 戦場に響き渡ったメイの悲鳴は誰に聞かれる事もなく喧騒によって掻き消された。





 メイやアッシュの読み通り、この一戦で長年にわたる反乱は止み、防衛軍は勝利を納めた。


 この内乱について後世に語り継がれた物語がある。

 そこには、英雄と讃えられた可憐な少女が、軍師として指揮をとり混迷極める祖国を救ったが、何故か戦いの後に褒賞を断り、田舎に戻って珈琲を飲みながら一人でひっそりと晩年を迎えた。と記されている。





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― 新着の感想 ―
[一言] 戦争は、勝った方も負けた方も末端の人程悲しいですね。
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