「冥闇魔法」
「僕を殺せるって本気で思ったの?」
空中を見上げながら、ミハヤは問い掛けた。もはや上昇も落下も出来ない男に。
「っ…は、当然だ。君は、馬鹿…だからな。」
空中で静止する男はそれでも不敵に笑う。その場に留まらせている…、否、捕らえているのはミハヤで、男は自らの自由を失っているのに。
ミハヤは溜め息をつく。
「そうなの。解ったよ。」
「何が、解っただァ…?」
痛みに耐えながら、歯を剥き出し怒る男。ノワールはミハヤの使い魔であり、ノワールにとってミハヤは文字通り運命だ。
「君が…物事を考えて…、正解したことな…て…1度も、ねぇ癖に…!」
使い魔はいつどこに居ても王の存在を感じ、王が死ぬと同時に終わりを迎える。
ノワールも例外ではなく、ミハヤがどこに居るか常に感じ、魔力からどんな気持ちで居るかすらも解る。望む望まないに関わらず。
「そうかもしれないね。」
だが王は違う。使い魔が何処に居るかなんて解らない。何を思い、何を為したいのか、何一つとして解らない。
それでも自らの王たる証明をする使い魔に対し、何らかの感情は示すものだが…。
「んなことねぇよ!!!」
叫ぶノワールにミハヤは一瞬だけ視線を寄越して、またすぐに違う方を見る。
「そう。」
ミハヤは王のなかでも群を抜いて使い魔に関心がない。親しみも、憎しみも、正負どちらの感情もない。
「俺の眼を見ろよ!!おい!」
ノワールの言葉にミハヤは溜め息だけで返事をして、違う方を見続ける。
「残念だ。君となら良い関係が築けると傲っていた。
家族だしね。」
笑みを向けるのは決してノワールではなく、王座の前に立つアヤメだ。
「君は…、何がしたいのだろうね。」
自らを殺そうとするかと思いきや、アヤメからの攻撃は最初だけ。あとはすべてノワールのみだ。
ミハヤにとってアヤメの裏切りは意外ではない。問題はその方法だった。彼女はミハヤが考えていたより姑息で、そして愚かな手段を取っている。想定外に。
(ノワールは使い捨てなのか?だとしても、傍観する理由はどこだ。)
そう辺りに神経を巡らせても、特に術式を描いている様子もない。魔力量そのものは同等かそれ以上にあるアヤメだが、戦うことには馴れていないはずだ。術式を隠せるとはミハヤには思えなかった。
「出来れば君とは戦いたくない。
今からでも、さっきの言葉を訂正してくれれば僕は許せるよ。」
裏切りに慣れていた。裏切ることも、裏切られることも。
初めの裏切りはサダフという侍女。ミハヤは彼女が出す少量の毒を飲み干し続け、最後の皿だけを彼女に飲ませた。そして彼女はミハヤの眼を見ながら死刑になった。
その眼のなかで溶ける雪を、ミハヤは未だ夢に見る。
その後も、先生や、騎士、町行く人…、獣さえ、ミハヤを殺すために調教された。
「この帝国のために尽くしてくれるなら、例え上部だけでも友人で居られるとも。」
いつか来る最期の日まで、ミハヤは本気で信じる。裏切っても、裏切られても、温かなスープに救われた事実は変わらない。
教えられたことも、守られたことも、微笑みを向けられたことも、温もりを与えてくれたことも。
「嘘つきめ。」
相変わらず感情の見えないアヤメ。ミハヤはそれを疑いと取って微笑んだ。
「信じられないのも仕方ない。
そういう意味で、君と僕は似てる。
でもそれは王達が証明してくれるよ。」
七つの王は、多かれ少なかれミハヤと対立してきた過去がある。何より裏切りの多くを知ってる人々だった。ミハヤが裏切りを許すことを彼らはよく知っている。
「そーゆうことじゃねぇ!」
またノワールは叫んだ。そんなに叫んで喉が枯れないのかなとミハヤはお門違いな心配をする。
「俺を見ろ!話してるのは俺だ!俺の眼を見ろ!そうだろ?!」
一番最後の言葉は何に向けられたものかミハヤには解らなかった。ただノワールがいつになく必死な事だけは気付けた。
「今、必要なことなの?」
嫌みではなく単純な疑問だった。時間稼ぎでないのなら、会話は後ででも構わないはずだ。ミハヤは二人を殺すつもりがない。他の誰でもないノワールは、ミハヤの性格を知っているはずだった。
「どうして?」
なのに、何故。
「おせぇよ、馬鹿が。」
ノワールの眼を見る。その眼の色が緑だった。それにほんの少し違和感を覚えた。
可笑しい。
緑なんて…、いやそもそも色彩そのものがノワールには与えられていない。
ノワール…文字通りの黒。この帝国の罪や悪意やすべて飲み込むとミハヤが名付けた。
(僕だけの使い魔。)
ノワールがミハヤの目を見つめ返す。ノワールの目にはミハヤの灰色の目が映っている。如何なる色彩も持たない。映らない。汚されない。
「あ」
ミハヤは思い出した。そう言えば、ノワールだけは僕を裏切ったことがなかったと。
たちまち翡翠のひまわりが枯れていく。虹彩がぐにゃりと歪み、めちゃくちゃな模様を描き始める。花に、星に、三角に、丸に…ピタリと変形を止める。ひび割れる。パラパラと地面に落ちていく。
でも驚く必要はない。その向こうにこそ、本来の色彩があるのだから。色はなく、花などもなく、そして黒くもない。
「なるほど…。本当に馬鹿だったね。」
これはアヤメによる幻覚だ。そうミハヤは理解した。しかし未だ、いつからが幻覚で、どんな術式なのか、そもそもそんな反応すら感じ取れない。
「闇の魔法…、いや冥闇の力。」
魔法には基本的に術式が伴うものだが、そもそもアヤメは此方の出身だ。炎の能力だけでなく、闇の力も正統者に由来している可能性がある。
「全く…厄介だね。」
もはや幻覚と理解する世界を見渡す。見れば見るほど現実と変わりがない。綻びが見つからない。唯一の綻びであったノワールの眼の色も変わらない。
(いや…、変わらないと認識させられている?)
ノワールの眼の色もまた、ミハヤはつい先程まで現実のものと思っていた。
「…」
目を閉じる。もはや視覚や聴覚の五感に信用がおけないと感じたから。今の寄る辺は思考と力のみ。
考える。思考する。思案する。
今はしないノワールの声がなぜ聞こえたのか?
アヤメはどうしてミハヤにトドメを刺さないのか?
前皇帝は何故この力を使わなかったのか?
「使えば、僕を殺せたろうに。」
考えろ。
計算しろ。
演算をし続けろ。
この世に数式で現せないことはない。それをミハヤは熟知している。あの灯りで焼いてしまった虫は、使った紙のために死んだ木は、血肉となるために殺された獣は無駄ではないはずだから。
目を閉じても、眼球には闇が…、その向こうに外の灯りが見えている。自分自身の呼吸が聞こえる。人と人が混ざりあった複雑な匂いがする。…というか、香辛料。
うん。あれだ。この独特な匂いは…強欲が王が舐めてた飴だ。
(僕はそれ嫌いなんだけどって言ったらむしろ寄ってきて…)
溜め息を吐いて、ミハヤは笑う。強欲が王の嫌がらせを思い出して笑ったわけではない。自分の愚かさを自嘲したのだ。あまりに、複雑にものを考えすぎていた。それは不可能だとはじめから度外視していたのだ。
そっと目を開ける。眩しさに怯えて、でもその眩しさを見るために目を開ける。
「ミハヤ」
目の前に、微笑む陽灯が居た。




