「見損なったぞ、我が弟よ。」
「アヤメ。」
次の言葉を吐くため、ミハヤは息を吸おうとする。だが、その口は二度と閉まることはなかった。
驚きもなく、怒りなど生まれるはずもなく、そんな思考に辿り着く前に、ミハヤとミハヤの意識は切り離された。
つまり、ミハヤの偽りの体の消失。
「くそっ…」
アヤメにより、肉体を破壊されたと理解したミハヤは悪態を吐きながら立ち上がる。
アヤメが何を考え、こんな行動を起こしたにせよ、今は最悪のタイミングだ。
「ミハヤ様!」
側に控えていたアサカを手で問題ないと制す。
いや問題しかないのだが、つまり我が身に大事はないという意味で。アサカがそれで納得しないのは解っていたが、それでも今は納得できるような答えが用意できていない。
とにかく、まず、この確かな眼で状況を確かめなければ。
そう何もかもの忠言や、雑音を無視して、扉を抉じ開ける。
僕自身の手で。
「今度は…、二の句もなく殺してくれるなよ。」
切れた息をなるべく悟られるよう…、半分はもうそんなの構ってられないなと思いながら、部屋の中央に立つアヤメを見る。
何より、彼女を囲うように立つ王達に注意を払って。
「…悪趣味だ。」
呟くような言葉に、一瞬彼女の声だと気付かなかった。
僕の知る彼女は常に自身に溢れていて、伝えるという意味だけで発声していたから。
でも、今のは、どちらなのか解らない。
「悪趣味とは、何の話だい?」
視線と手と部下で何とか王達を押さえながら、努めて冷静に話しかける。
いくつの可能性が考えられる?
彼女は母殺しに成功したはず。それは問題なかったはずだ。
しかし、その殺し方が意にそぐわなかった可能性はある。
だからと言って、癇癪を起こすような彼女ではない。
確実に、僕側に何か許容できない何かがあったはずだ。
しかし…
「可笑しいな。
君と僕は、かなり有効な関係を築けていたと思っていたのだけど。」
一度試しはしたけれど、でもそれ以降は嘘偽りはなかった。
家族とは到底呼べなくとも、共犯者程度にはなれていたと思っていた。
親殺し同士で。
「ミハヤ。」
驚く必要も、悲しむ必要も、まして怒らなくって良い。
僕があの陽だまりの人を裏切ったように…。いや別に、これは裏切りでもないのだけど。
アヤメはその赤い眼で、僕を見ていた。うん。僕はどうやら凄く嫌われていた。
「お前が死んだあと、コイツらが何て言ったか知っているか?
想像は付くのか?」
ああ、なんだ、そんなことか、と少し嗤ってしまう。
「代えはどうしよう?とか、そんなところだろうね。」
残念だけど、そんなことで動揺しないよ。
「…………………そうか。」
やけに大きな間を開けてそう言ったアヤメは、僕から背を向けて玉座の方へ歩み出した。
やはり、彼女は皇帝になることを望んでいるらしい。
何故だろう。
いや。僕はそもそも、彼女がどうして親殺しをしたかったのかも知らないのだった。
ただ、僕は知っている。
「そんな席に、何の意味もないよ。」
そこに座れば皇帝になるわけではない。
君は確かに血という意味では僕より優位だけれど、でもそれだけだ。
後ろ楯も、利点も、過度な力もない。
アヤメは僕の呼び声に反応することすらなく、簡単に皇帝に座に辿り着く。
「その意味のない席に座らされ続けて、挙げ句がこれか。」
座に倒れる僕だった偽りの体に手を伸ばす。
なるほど。アヤメの杖を僕の口へ突き刺したのか。
確かに、魔法そのものでないがゆえ、守りが少しだけ手薄になる。
それでも誰かの手助けが必要だったはずだけどね。
「それも血族にね。
でもそれ、僕達の十八番。そうだろう?」
偽りの体って結構高いのだけど…、それは良いか。
アヤメは自らの杖を引き抜き、その血を僕達目掛けて振った。
「アヤメ…、」
その程度の魔法で、君に勝ち目はない。そう伝えようとして、言葉を失った。
「見損なったぞ。」
何故か、彼女が哀しんでいるような気がしたから。
この状況下でそんなはずないし、事実、その表情はいつも通りのポーカーフェイスだけれど…。
「これがお前の望んだ国なのか?
母とは違う平和な帝国をと言っていたあの言葉は偽りか?」
こんなもの?彼女に母の話をしたことがあったろうか?いや、仮にあったとして、彼女がこんなに饒舌になる理屈が何処にある?
「何故、こんなものを作った…、お前は」
深紅の眼が感情を宿していた。きっと僕でなくたって解る程。嫌悪だった。消して忘れられない眼だ。僕に向けられるべきものだ。母に向けられるものじゃない。まして…、まして…
「こんなもの?」
自分の声音に怒りを見た。知った。気付いた。僕は怒りを覚えている。帝国を、王達を、民を愚弄されることが許せない。
そして解ってる。
「…」
怒りは必要ない。驚くことも、悲しむこともない。ただ僕はパーツとしてあるべきだ。
ただ民達のために。
臣下のために。
人を殺してまで奪った世界を壊さないために。
そこまでする価値があった。人を殺すほどの意味があったのだ。
僕は許されない。許さなくて良い。
でも、
だけど、
それだからって、
僕の持ち物まで見下される理屈はない。
「君、なんでそこに居るの?」
人の生活は、君の残機ではないよ。
「お前から帝位を奪うため。」
その言葉を聴いた瞬間に、術式を展開する。9つと14と80の二乗程度の陣を計算しながら展開する。
僕は王ではなく、民でもなく、皇帝だから。貴殿方を守るべきだ。
遅い来る炎を防ぐため植物の盾を作り、同時に王たちを盾の内側に弾き飛ばす。
多少荒いくらいは許してほしいね。
「私まで守ろうとするとは。」
最も近くにいた怠惰の王が、本当に驚いたような声を出す。
まあ手引きしたのと言えば、君か嫉妬が王のどちらかだろう思ってはいたけど。
「そういう意味で、君を信用したことはないからね。」
あとこの程度の会話で僕の計算は崩れないから、半端な協力は無駄だよ。
そろそろ盾が消える頃かと思うと、もう王達が居た。
憤怒の王が口を開く。
「吾の力が必要か?」
そう当たり前のように、僕に向かって言った。
「え?」
少し間をおいてもやっぱり理解できなくて聞き間違えかと思う。
「…だから」
「いや、その必要はないよ。」
言いにくそうにするから聞き間違いではないと理解して、僕は燃え尽きる盾を見た。
憤怒が国は、宝石の価値が下落する一方で経済的にパッとしない年が続いていた。確かに帝国でパーティーでもすれば多少は良くなるかもしれないけど、今は憤怒だけを贔屓することは…
「ミハヤ様」
今度は強欲の王が僕の前に居る。それも僕の盾を魔力で補強しながら。
「一緒に死んであげようか?
スミェールチも一緒になるけど。
あっ、ノワールも?」
なんか言ってる。だから政治的話を抜きにこの人と喋るのは難しいんだ。
「何もかも無用だから。生き残った方を皇帝にすれば良い。
何も変わりはしないよ。」
助けなくても、助けても、死んでも、生きても。結局、この世界は変わらない。
この世界で一番の地位に付こうと、みんなが脳を持っている限り、自在には動かせない。
だから、安心して絶望していれば良い。
僕はただ…それを出来る限り、民に忘れていて欲しいだけ。
「そうだな。」
そう、傲慢の王は僕を通りすぎて、外への扉に手を掛ける。
「では終わったら、またいつも通り我らと呑もうか。」
盾が燃え尽きる。強欲が王も離れたから。
皮肉なのだろうか。何も考えていないのだろうか。わからない。幾度、貴殿方と席を共にしようと、気持ちなんて解ろうと思ったことすらなかった。
そしてそれを、今も悪いと思ってない。
でも確かなことは
「君は、僕が憎いのだね。」
例え逃げようともピッタリ付き添う運命が、すぐ後ろで僕を殺そうとしていた。




