『愛本陽灯』
「…着いちゃった。」
自分で発した言葉を、自分の耳で聞いて、苦笑する。着きたくなかったのか?と。
「いやまあ、着きたくないでしょう。」
さすがに仕方ないと思う。ここに辿り着くイコール、死の確定なんだから。みんなを救える可能性と同時に、ね。
「はぁーあ。吐いたりしちゃうかなぁ。」
やだなぁと思いながら、陣の再調整を進める。
礼人達と分かれ、友姫達と合流するまでの時間に、アンゲルスの裏口に描いていた。文字通り光の速度で。半径2、30メートルはある魔術陣を。
…ここまでの状況になるとは、予見してなかったけど。
「だからこそ、誰にも、どうにもならない。」
きっと咲空さんの千里眼すら見通していなかったはず。
こんな魔法は、あの雷の悪魔一人では発動できない。…あれはきっと、数百年の悲願の上に成り立っている。
彼方も、此方も、きっと予想していなかった…。望まないはずの展開。
誰も望まない…。
あれ
望まない事態は有り得ない…?
あ
「あぁ…、そっか………。」
耳に降りるリミッター。地面へ投げようと、外しかけていた手が止まってしまう。代わりに、涙が地へ降りる。
「私を死なせるためかあ……ぁ……………」
解ってしまったら、もう、泣けてしまう。
私が救えるんじゃなくて…、私を殺すために、全部仕組まれてたんだ…。あの雷の悪魔の怨みや、その人の後ろにあった全部の事象。幸も、不幸も、生も、死も…。ただその何もかもが、私への殺意だけで体系化された。
「あんまりですわ…。ひいおばあさま…………。」
などと言えば高笑いでもするのだと解る程度には、あなたのことも音盤で聴いた。あなたが最高位の天才だと。全て仕組まれてたんだと。もう全部、解ってるつもりだった。
「どうしましょう……。これは……、あまりに……。」
礼人のトラウマが作られたことも、あの人の惨痛も、世界の終着も。
「私、何か悪いことしましたかしら…」
そうは言いながらも、手は陣の形成を進めていく。視界が滲んで見えなくても、手が震えても、行動が止まることはない。
それは、私が生まれる前から、決まってたことだから?
「あぁ、もう、嫌ですの…」
そんなこと考えたくない。事実だとしても、考えを進めたくない。私の生は祝福されていた。ここで死ぬために。ここで救うと決められていた。
でも同時に、私は世界の終着も聴いてる。ひいおばあさまはその事も解ってたはずで…。
でも…
「止めるわけにも、いかない…。」
救えることだけは嘘じゃないから…。そして、そうしなければ、今までの全てが無に還ってしまう。
解ってる。
「もう主観は要らない。」
私は初めから装置でしかない。運んで、前に立って、時を待って、散らばって、枷となるだけ。
「…辛いよ。でも助けたいよ。
私が助けられたのも、事実ですもの。本当なんですのよ。」
救われた。救われてきた。
リミッターを手放し、ナイフで自分の掌を切る。
…テストが好きだった。
頑張れば、評価して貰えるから。そこに孤児とか、私の足りないものとか、何も入る隙がなかったから。
テストが嫌いになった。
努力しなければ評価されないと気付いてしまったから。
私が私の価値を、そこにしか見出だせないと解ったから。
『どうして…、そう、頑ななの…。
貴方がお金について悩む必要は、万に一つもないのよ…!』
話して、話して、話し合って、話し尽くして、夜が何度も明けて、先生は物凄く疲れた顔をした。
『せめて、戦わない人にはなれないの……?』
顔を覆い、くぐもった声で先生は言う。
こんなに感情を出す先生は、はじめて見た気がする。でも、私はハッキリ…はい。と答えた。
『もう止めません。
貴方が決めたことに、間違いはないわ。
ただ貴方には帰る場所があることを、思い出してちょうだい。』
…酷く、苦しそうな顔をする貴方に、私は上手く笑えていましたか?もし、そうでないのなら、過去に戻ってでも大丈夫だと伝えてあげたい。だけど、あの時の私は…、疲れていた。努力すれば、一番になれてしまう場所に。
…死のうとしてたと思う。
周りからの期待とか。私のあるべき姿とか。孤児であることとか。何もかもの偶像を、無に還したかった。努力しても絶対に1番にはなれない場所で、徹底的に自分を無価値だと証明して。
でも思いの外、私は研修生の時、1番だった。
…嫌ではなかった。
どうしてだろう。
わからない。
ただ事実として、世界は広がった。同期と、師匠と、上司と、仲間と、部下と、同寮の人と、友達と…
「…ふっ……」
その全部の人との繋がりに、私がどれだけ救われたか。
私にとってアンゲルスが救いだった。悪魔なんて最初から関係ない。そこでの関わりこそが、繋がりが、私の灯り。
私が気付かない私を面白いと言ってくれた。色んな考えを話し合えた。ぶつかり合えた。ぶつかってくれた。思い通りにいかなくて、気付いたなら上手くいってて、それ含め思い通りじゃなくて。
「…ぁ」
ねぇ…、ああ…、もうっ!テストだけじゃ何にも解んないんだね。知ってたけど、ここまでとは思ってなかった。
だから、ね?きっと。ひいおばあさまも、ケアレスミスするんだって
「陽灯!」
信じてみたいんだ。
「ミハヤ…!」
伸ばす手すら躊躇う私。でもミハヤは躊躇わず走ってくれる。だから私は余計に苦しくて、でもやっぱりミハヤは何の壁もないみたいに私を抱き締める。
光から隠してくれる、優しい温もり。
「陽灯…。陽灯だ…!」
「ミハヤ…」
足元の魔術陣は貴方にも見えてるはずなのに。私が貴方に復讐するかもしれないのに。誰かに見つかったら、貴方は殺されるしかないのに。
ただ、貴方は、私が生きてて良かった…って、それだけなの?
「よかった……っ…!」
それだけのために探しに来てくれたの…?私は貴方のこと、信じられなかったのに…。何も返せなかったのに……。何にも残せないのに………。
「なんで……っ………」
聞きたいことも、知りたいことも、たくさんある。貴方の行動は聴けても、貴方の心は…
「うん?」
見上げると、そこには世にも不格好な人が居た。私のよく知る、泣き虫の優しい人が。
…そう、だった。
心は知らないけど、知らなくても、大丈夫。貴方は私を想ってる。日向のお茶会が証明してる。それを聴いてた。
「……嘘つき。」
だから笑えた。深く、息を吐けた。好きだって、ちゃんと受け入れられた。
「すまない。」
もし音盤を聴いた理由が、このためなら…。何て暖かな絶望だろう。例え、そんな意図じゃなかったとしても、全部、良いや。
「はい。許しますわ。」
私は笑うのに、貴方はとても困った顔をする。軽すぎるって思って、でもそれを自分が言うのは違うって考えてる。
「私。ただ、話して欲しいだけでしたの。それが出来るから、もう良いんですの。」
ぎゅーっと出来るオプション付き。ふふっ、喝采を送りますわ!
「ごめん。君の自由を奪いたくなくて。
…反って傷付けた。」
ナーバスモードに入るミハヤに、私は余計にぎゅーっと抱き締める。何なら苦しいほどに。
「巻き込みたくなかったんですのよね。私はアンゲルスに在るから。
もう解りましたの。」
その結論に辿り着けなかったのは、ただ私が臆病だっただけ。
「貴方は私が大好きですのね。」
そう、貴方の腕の中から窺い見る。
こんな時でも、まだやっぱり怯えてる。自分がこんなチキンでしたとは。
「もう…」
貴方はまた困った顔をして、ぎゅっと抱き締める。力は強くないのに、痛いほど。
「愛してるんだってば。」
「………ふふっ」
愛が、こんな風に暖かいものだなんて…、思ったことがなかった。痛くて、重くて、酷いものしか知らなかった。
想われる程の事をした覚えがない。だけどその想いはもう疑わなくていい。
「私も…」
同意…ではなく、ちゃんと言葉にしたい。
「…愛してますの」
顔はあげられない。この外には光が待ってるから。でも言葉は尽きない。
「愛してます。愛してる。あなたが好き。」
光に焼けてしまう前に、あなたの記憶に枯れない花を添えたい。
「大好きですの。
涙脆いところ。冷めたお茶も最後まで飲むところ。人の目を見て話すところ。字が上手くなったところ。」
溢れて終れない。好きなところ百個じゃ足りない。嫌いなところも好きなんですの。
「君は…、本当に物好きなんだから…」
「あら、心外。
私の自慢の人ですのに。」
彼氏や恋人では収まりきれなくて、とはいえ旦那はちょっと身勝手すぎるけど、満足だった。
「…うん。君だけの僕だよ。」
口付けを落としてくれる。それに応えられる。
触れたところから、心臓が、頭が、四肢が、暖かな感触に包まれる。
「……次は」
あなたを抱き締める腕に力を込める。抱き止めるためじゃない。生きるこの心臓に光を差すため。
「貴方だけの私に…」
熱い。
「ぅっ…ぃ………っ……」
苦しい。
「はっ……ぁ…ぁあ……」
吐き出すような感覚。
「ぐ…ぅ…ぅぅ…っ」
ああ、そう、わたしたちのよく知る愛と似てる。
膝から力が抜ける。膝だけじゃない。全身から。血液という解りやすいエネルギー源が零れていくから。
力を失っていく私を、ミハヤは抱き留めてくれる。
「まって………? ダメ…。だめだめだめ…。」
抱き留めようとしても、私は崩れていく。必死に掴んでも、繋ぎ止めても、ズルズルと落ちていってしまう。
「僕が何とかする。だから…、こんな……。
これは、きっと僕にも使えるだろう…?!大丈夫なんだ!何も心配することなんかないんだ!」
あなたの膝で天を仰ぐ。あなたが影になるから光は私に届かない。
曇りではないはずだけど、今日は雨みたいね。…傘を差してあげられればよかったのだけど。
「違う。僕は、ただ君を、先に彼方へ、安全なところに…」
魔術陣は廻り始める。血液そのものに、多くのアニマは宿っているから。
「…メ、な……っ」
ああ、上手く言葉が流れない。私は今、手を伸ばせている?貴方の頬を撫でてあげたいのだけど、上手に出来てる?
無駄遣いの仕方も、慰め方も、仲直りの仕方も、貴方が教えてくれたんだもの。最期まで責任取ってくれるんでしょう?
「イヤだ……。凍らないで…。
他には何にも要らない…。君だけなんだ。何もかも償うから…。だから…!」
ああ、何だか、とんでもないこと言ってる。そんなこと言ったら嫌よ。頬をつねってあげなきゃ。ほら。つねれてる?
「ど…して、治させてくれないのぉ…?
僕を好きだと言ったなら、側に置いてよ…。使ってよぉ……。君にとっても僕は無価値なの…?要らないの?」
ひっぱたかなきゃ…。私の可愛い人に、そんなこと言うお口はどこなの?示してくれなきゃ解らないの。
「……て……」
私の口は物凄く役立たずになったらしいわ。だからお願い。どうかその手を握らせて。触れさせて。
「…、…ヤ」
「…!
うん…。ああ…、僕だよ!君の僕だ!」
貴方の手のひらのなかに、残された精一杯の力を込める。これしかあげられないけど、ありったけの愛を込める。愛本陽灯の全部を、貴方にあげる。
「……どうして?」
ああ、良かった。泣き止んでくれて…。
「ミハヤァ"!!!!!」
獣のような慟哭が聴こえた気がした。確かに聴こえた。聴いたよ。
ああ、光が溢れてしまう。灯りは打ち消されるしかない。でも、その前にすべて貴方にあげられた。故に、もう愛本陽灯は居ない。
ただ
「アハッ…!」
文字通りの光が、天を射殺すだけ。




