『嘘を吐きたくない。』
廃ビルの最上階で一人、銃を構えていた少女は動揺のあまり立ち上がった。
「こ…、れは?!
みんな、体は大丈夫か!」
遥か下、眼下で鈍い輝きを放つ、真っ黒な力。
『外傷とかは、ないね~…?
目眩ましか?』
『菜友ちゃん怖いよぉ…』
質問しながらも、クザーヌス・菜友はスコープ越しに3人を確認していた。
乾 末尋の言う通り、彼にも他の二人にも負傷している様子はない。
一先ず安堵して、また口を開く。
「水上さん。
何かの模様のように見えます。効果は不明。大きさも遮蔽物が多く測りかねます。
撃ちますか?」
少なくとも今のところは攻撃性を感じない。何かの準備段階と考えるのが自然だ。
何の効果にせよ、視界に入りきらない規模のものならば処理すべき。そう、班長である水上に伝える。
『……いや』
『即刻退避だ!!!』
割って入った声に、菜友はまた驚いた。
普段驚くことの少ない彼女なのだが、戦時中とは言え、今日はやけに驚くことが多い。
『水上くん、隊員の避難を最優先に!
君自身もだ!』
『えっ、ちょ、繋さん?!』
普段は落ち着き払っている班長と彩瀬小隊長の会話から、今が相当な異常事態だとやっと受け入れる。
「…死ぬと思った方が良いな。」
たぶん間に合わない。なら考えるべきは、その死に方だ。
などと考えていると、目の前に退避経路が表示される。
『な、なに?菜友ちゃん、どういうこと?どうしたらいいの?』
とにかく不安気な声を出し続けるのは、服部 淑美だ。
菜友の所属する班は、本人と水上を除いた3人全員が小学生。
不安を溢すのは至極当然だ。
幸い、この三人は菜友より遥か遠く、恐らくこの力の影響から、より離れた地点に居る。
菜友は自分ができる限りの柔らかい声音を探し出す。
『退避経路が見えるだろう?
末尋、二人を先導しなさい。
淑美、考星、走るんだ。』
結局、柔らかいどころか、普段より少し厳しい声音になってしまった。
「わかった。…ごめんね。」
考星の言葉の意味を考えるより、菜友はいつものように反省をする。
口調が強いこと、言葉が過ぎること。
前者はいつも末尋に窘められていたし、後者に至ってはそれで深く人を傷つけてしまった。
「…友姫。」
きっとここに居る彼女の名を口にする。
どうか彼女も、仲間の三人と同様、逃げられる場所に居れば良いと思う。
ああ、でもいけない。
「…っ」
有り得もしない頭の傷が、また痛む。
悪い人である私がそんなことを願ったら、むしろ逆になってしまう。
だから祈ってはいけない。だから救われてはいけない。だから思い出させてはいけない。
だから忘れているのかも確認は出来ない。
「…?」
だから君の罪はいつまでも清算されることはない。
「なにか居るんだね。」
頭の傷を撫でながら独りごちる。
無自覚だっただけで、ずっと精神異常を抱えていたのかも知れないけど、でもそれはある種の正常。
だって、ここに居る多くが、叫び出したいほどの後悔を持っている。
「私に、そんなものはない。私自身が、一番よく解ってる。」
あの日、私は親友の顔にスコップを投げつけた。嘘つきと罵った。約束を破ったのは私なのに。
私は酷く、悪い子だ。
あの子は罵らなかった。睨みもしなかった。泣きもしなかった。
私一人が悪い子だったせいで、友姫ちゃんの兄は死んだ。両親が死んだ。パパが死んだ。生まれる筈だった弟も消え失せた。ママも死んだ。
悪い子だけが生き残っちゃった。
「そんな権利はない。」
悪い子はもうなにも許されない。
「…でしょう?」
いいや後悔している。後悔すら許されない罪など存在しない。何かを感じる権利は死刑囚にだってある。
「…随分と、私に甘い幻聴。」
不思議と手に力が灯っていくのが解る。もしかしたら幻聴ではないのかもしれないけど、それを解明する意味はない。
ああ、だけどもし
赦されるなら
違う。赦しなど必要ない。
ただ本当に望むべくは
「…ふ……」
何故か、広角が上がる。
「アヤカシ全部を殺したい…っ」
音が流れてしまえば、体は一瞬で熱くなる。いな、今まで殺していた熱が戻る。本当の、思いを、考えを、欲を口に出したから。
「ああっ、そうだ…」
この世界全部に存在するアヤカシを、懺悔もろとも殺しさって、初めから存在してないことにしたい!
本当を嘘に変えてしまいたい!!!
そうすれば友姫ちゃんは本物の嘘つきになってくれる。
そうすれば家族は笑っててくれる。
そうすれば私は悪い子じゃなくなる。
だから
「これ意図して動いてる?」
『は…?」
「おっけ」
目を見開くと同時に、菜友の体が大きく蹴りあげられる。
「うっ…ぐ……?!!」
少なくない痛みを感じながら目を見開く。
…可笑しい。
視線の先には人がいる。可笑しい。その人がいる地点が、明らかに地上だ。私を蹴りあげたのは、その人物であるはずだ。可笑しい。私は、今の今まで、ビルの上に。いったい、何が、どういう。
「ヤバいなこれ。
洗脳系の力って理解でおけ?」
「いや改造人間Nでしょ」
「言ってる場合か。」
重力により地面に叩きつけられながら、聞こえるその声は、菜友にとって聞き覚えしかなった。
「三馬鹿…?」
なんとか左腕で上半身だけ起こし、その3人を視界に収める。
土方、美須々、斉賀の三人。菜友の同級生だった。
「んん?意識あるくね?
何これ、めんどくせー!」
土方 歳三は私らの世代で一番強い土の能力者だったはず。
敵に回したら厄介この上ない。
「はっ…!?
逆に洗脳されているのは俺達の方で、味方だと思ってるのは俺達だけ」
美須々 秋一も確か能力者で風だったか植物だったはず。だけど能力は使わない。
「だから馬鹿。
話をややこしくすんな!」
斉賀 遊戯、能力なしだけどフィジカルお化け。それで友姫の友達、だと思う。
三人纏めて、特に敵に回したらいけない。
「なんで私は蹴られたんだ?』
立ち上がろうとしたけど、自分のようで違う声に、私はそのまま伏せる。
何か異常なことだけは解る。とにかく仲間に危害を加えるだけは避けなければいけない。
まず、何か、情報を
『なニがどういう…、…?!」
ガラスが落ちていた。恐らくどこかの建物の窓ガラスだったもの。
そこに、私でないものが映っている。
蛇のように蠢く髪、肉が溶けてしまったように所々露になる骨、不気味さに不釣り合いなほど美しく生える白い片翼、そして無い眼。
今、現に、この視界を理解しているのに、でも、私の目のあるべき場所にはなにもない。
『これでよく私と認識したな。』
空っぽの暗闇。
「友達なもんで!」
美須々のその明るい声が、余計に現実なんだと思い知らせる。
いつもそうだ。美須々は、この三馬鹿は底抜けに明るくて…、前も
『…前ってなんだ?』
ふわりと体が軽くなる。
「正面じゃね?」
「過去じゃね?」
「もうどっちでも良いよ」
片翼が勝手に動き出す。一枚しかない翼が動いたところで何の意味があるのかと思う。
『寒い』
なのに、体は浮き上がる。
「え、俺らの会話が?」
「ごめんやっぱ黙って。」
そう言いながら武器を構える三人。
濃い。ちょっと濃い。薄い。
薄いのは変わり種としても、やっぱり濃いのが一番美味しそう。
『主食、主菜、汁物』
これで三つ纏めて美味しく食べられる。
「副菜は?」
言われて確かにと思う。確かに、これはよくない。きっとバランスが悪い。
『悪いのはいけない。許されない。悪いから正さないと。悪いことを考えた悪い子は殺してしまわないと。』
私の声が明らかに私の声じゃない。リフレインされてるような変な感覚を覚える。
悪いのは、確かにいけない。ただ今は凄く寒くて痛くて。
「今生きてないからノーカンじゃね」
ない眼が、それでも見開いた。私も、私じゃないものも、虚を衝かれて。そして解離する。
美須々の声だった。そうだ。前も土方がふざけて、美須々がもっとやらかして、斉賀が収集させようとしてトドメを刺すんだ。
『生きてる。存在してる。楽しんでる!』
体がふわりと動き出す。蛇のような髪が勝手に蠢く。ない眼から何かが零れる。
いいや。違う。生きていない。
だって心臓が動いていない。だって心が伴ってない。だって未来がない。
「くっそ…。いつもの倍以上に強い。」
今更…。鼓動を真似てみても、笑ってみせても、生殖器を造っても、そういうことではないんだ。
そういうことでは、ないんだよ…。
「切っても切っても終わんねぇよ、これ!」
私は望んでない。こんなもの欲しくない。そんな力を望んだんじゃない。
違う。違うんだよ。
「でも換装を壊したら本当にどうなるか、解らない!
本部からの返答を…!」
アヤカシを滅ぼせたとして、みんなが居てくれないなら何の意味もないんだ。
「絶対、人間に戻すからな…!」
アヤカシは生物には成らんよ。
『ァァぁァァアあアァアアあア!!!!!!!!』
視界が映る。紫の光が溢れている。この光だけは生きてるように思う。
だから、たぶん、私達が解り合えないだけじゃないかなと思った。
思ったからって、もうどうにもならない。
「チィッ…。
――土よ、我らを守る障壁となれ!――」
どうしてこうなったのか解らない。現状が未だに理解できていない。
明確なのは、私でない私が、仲間を傷つけたこと。そしてこれからも。
『まだちゃんと私だ。」
成り変わってしまったなら、迷うことは何もない。
『――纏めて、
集めて、
廻って、
掻き乱して。
路傍のアヤカシから散らしなさい――」
そう唱えて。呪って。祈って。呪って。
「…菜友?」
私自身を貫こう。
「悪かった。』




