『天に透かせた命の色彩』
「…はぁ」
軽く息を吐き、綾雅は空を見上げたが、そこに期待した太陽はない。ただ、あまりに巨大な…白亜の天蓋があるだけ。けれど今はそれすらも、亀裂を持って崩壊しようとしている。
「キレイですわね。」
聞こえた声に綾雅は瞬時に振り向く。
「師匠!」
見れば、陽灯と友姫が歩み寄って来ている所だった。苑の姿は見えないが、狙撃位置に着いているのだろう。
己を通り過ぎ、その前に立つ陽灯。綾雅はそんな風に靡く黒髪から視線を動かし、また空を仰ぐ。
「…綺麗、ですか。」
空の結界は、やはり綾雅にとって吐き気を覚えるほど異様なものだった。あれ程の結界を作れるほどのアニマ。それを行使する志保を想像すると…。
「僕にはヤバいものにしか見えないですね!
ホーント、意味解んない。」
友姫から離れ、自分の横に立った天莉愛に、綾雅は茶化すように笑う。
「天才様にも解んない事がね?」
「あら。僕なら、ちゃんと諦めるもの。」
その言葉の意味が分からず、綾雅は天莉愛の顔を凝視した。が、天莉愛はその視線に気付きながらも…ただずっと、陽灯の背中を眺めているだけ。
やがて綾雅は、そうか。と噛み締めるように呟いた。
「イーサン。対面の小隊は?射程距離は?」
『土方支部と真霧小隊と、満逢小隊…は、迅也くんが行方不明…。』
――またあの白い人か…。
あまり聴きたくなかった名前に、綾雅は心の中で舌打ちをする。
今、隊員達は結界を中心として、大きく三層の円形に配置されている。
今までの戦災で、悪魔達が市民街へ向かったことはないが、今回は360°何処にも悪魔たちを逃がさない作戦を取っている。
『えーっと、うん。
互いに射程内だヨ!』
現在、綾雅達はアンゲルスを真後ろにした一層目に。
「…そう、ですの。ええ。安心ですわ。
永徳、くれぐれも誤射のないよう!」
礼人達…狙撃部は三層目。
『名指しすんな!…もうしねぇよ。』
「冗談ですわ。」
『センスゼロ。』
そして二層目には小隊長が…厳密には正統者が配置されている。
『結界が消えて大穴が見えたら、一斉砲撃が始まる。
僕らの任務は地上に降りたものの殲滅だ。』
現在、神夜小隊は小隊長不在のため、火砕泰芽が配置されている。
『先頭から、友姫ちゃん。天莉愛ちゃんと綾雅くん。フレッドくん。心結ちゃんと伊菜褒ちゃんはフリーで。
陽灯ちゃんが最後尾…、でオッケーかな?』
「状況によって、一列ずつズラしますわ。
友姫、初撃からの判断を任せます。」
――状況によって?
陽灯の言う意味が分からず、その姿を見つめていると、振り返った陽灯と目が合う。
陽灯は困ったように綾雅に微笑みかけ、何も言わず友姫と入れ替わった。
「よ〜し!任せて。」
振り向き陽灯の方を見ようとした綾雅の頭を、友姫が乱暴に撫でる。グチャグチャになった髪を抑え睨み付けても、友姫は満面の笑みで笑うだけだ。
「友姫。後でたっぷり聞きたいことあるかなら。」
「僕はないけど力いっぱい殴るわ!」
『結界解除カウントダウン、5秒前』
綾雅と天莉愛の言葉に、友姫は目を見開き首を傾げ、またニンマリと笑う。
『5』
「あっはは〜!グゥの音も出ない!」
『4』
そう大袈裟なほど大笑いして、前を向き、GEMから槍を現した。
「いくらでもどうぞ!」
『3』
友姫の言葉に、綾雅と天莉愛は目を見合せ、そして似たような笑い方をする。
『2』
「「言質取った!」」
『1』
そう、同時に武器を現した。
『0』
白亜の天蓋が崩れ去る。音はなく、その破片も地に落ちる前に、ひとつ、ひとつ、またひとつと、すべて泡のように消えていく。
その全てが消え、空には傾いた太陽があるだけ。
――静かだ。
声も、呼吸する音も、武器の擦れ合う音すらしない。ただ己の心臓が規則正しく動いているだけ。
市民の避難は既に完了している。鳥や、虫すら、別の地域にまで逃げおおせたような静けさだった。
ピーヒョロロロと、ふいに高く澄んだ鳥の声が響く。三羽ほどの鳶が廃ビルの上を旋回していた。
「礼人!あの鳥の真下を!」
ドクンと心臓が脈打つ。
『ちっ。やっぱ姿が見えん。
イーサン!オレの視覚地点を共有してくれ!』
『全狙撃部へ共有!』
『同時ですか。』
『いや、もう撃つ!』
言うが速いか、四方から数発の銃弾が放たれ…次の瞬間には先程の静寂が嘘のように、全方位から銃弾が注がれる。それこそ数え切れないほど。
鳶の旋回していた真下。そこに居る誰かに目掛けて。
――まさか。
綾雅がその人物の可能性に気付いた時には、再び静寂が訪れていた。その静寂の中、廃ビルが崩れ落ちていく。
瓦礫の音すら消え去ったあと。風が、綾雅の頬を撫でる。
「お前が、始めるのか。」
ざあと強い風が、今度は綾雅の頬を打つ。
『すまん。』
礼人の声が耳に届く。けれど、違う。その謝罪は綾雅だけに向けられたものでは無い。むしろ陽灯に。…それは失敗したことへの謝罪。故に次に起こるのは…
「真っ暗…。」
穴が、空いていた。空に黒い…。覆い尽くさんばかりの。光のすべてを吸い込んだような大穴が。
あれが開けば、幾度の戦災とは比べ物にならない敵が来る。それを綾雅も、隊員も、誰もが解っていた。
それを今、起こしているのは
――漆の、華綾の力…。そう、見慣れた…?
ハッと気付いた可能性に息を呑み、後ろへ振り返った。後ろにいるはずの正統者へ。己の父へ。
『一斉砲撃、直ぐ来るヨ!』
「違う!イーサン止めてくれ!」
『えっ、中止!砲撃中止!』
イーサンの声を聞きながら、綾雅はまた前を向く。
「あれは闇の力だ!門じゃない!」
その視線の先で、いくつかの光が闇に向かっていく。炎が、雷が、力が。無為に闇に飲み込まれていく…。
『ゴメ〜ン!三分の一、間に合わなかったヨ!』
闇は打ち消え、再び太陽が顔を覗かせる。その光に綾雅は目をしばたかせた。
『だが、三分の二は全く無駄にならずに済んだ。
良く気付いたな。』
綾雅の耳に聴き飽きた父親の声が届く。一瞬視線を落としてから、振り返った友姫に見つめられ、綾雅は息を吐く。
背後からは、力は放たれていなかった。
「暗闇と空白は違うから。多分、帆凪おばちゃんとかも解ってたろ。」
綾雅と帆凪の共通点。つまり綾雅は、暗に“視える目”なら解ると言ったのだ。
そして、少しの沈黙は肯定を表した。
少なくとも、綾雅にとっては。…自分の声は無力だと。
『…何にしても一存だけじゃ信憑性薄いからな。
良くやった。』
一方的に切られた通信を、綾雅は鼻で笑った。
「…よくやった、か。」
空を見上げれば、今度こそ大穴が拡がっていく。黒いが、しかし綾雅の目には空白のように見える“それ”が。
『綾雅くん。』
イーサンの諌めるような、励ますような、綾雅にはよく分からない類の声。それをよく分からないまま。それでも受け入れるため、綾雅は一つ息を吐いて…、答える。
「間違いないよ、今度こそ。」
――黒じゃない、空っぽの…彼方へ通じる門だ。
そうして武器を構える。綾雅だけでなく、小隊全員が、アンゲルス隊員が、そしてきっと彼方の者達も。
『一斉砲撃!』
イーサンの声と共に、周囲からまた光が放たれる。
「わ…!」
けれど、それは先程とは比べ物にならない。
赤、藍、緑、黄、青、橙、白。それ以上の、七色以上のたくさんの強い光が、大空の元で弧を描いて飛んでいく。
「虹みたい…」
驚嘆する伊菜褒達と同様に、綾雅も目を見開いていた。己の父が放っているだろう炎の大きさに。それが同じように円状に連なっていることに。自分が侮っていたもの達の力の大きさに。
「…キレイだ……。」
綾雅の目には、きっと伊菜褒以上にこの空が輝いて見えた。一人一人のアニマが、一つ一つの星に見える。その命が輝く様が視える。
この光のすべてが、己に劣ると思っていた。それは父も例外ではなく…、母でさえも。
この世界で真に対等なのは、己の半身である双子の姉だけだと思っていた。
だが、どうだろう?今、あの空白を輝きで満たしているのは…?
「こんな…、空は作れない。」
宝石のような。花火のような。宇宙のような。無限さえ見せる輝き。
単純なアニマの量だけでも、志保の結界よりずっと多い。そして綾雅自身のアニマより。
けれど…、違う。けれど、そういう事ではないのだ。綾雅がこんなのにも眼を奪われていのは。
忘れていた呼吸を、それでも惜しむように、静かに吐く。
――生きてる色だ。たくさんの。鮮やかな濃淡…。
水は単なる水では無い。黄色は単なる黄色ではない。
使い方があって。使う理由があって。使ってきた今までがあって。同じ色は唯一つとして無い…。
「こんなにも生きてたのか。」
染みる程の輝きが、瞳に灼き付いていた。




