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ヒューマン・エボリューション  作者: 足立 和哉
3/3

後編 人類の進化

-14-

 森野はUSBメモリーの内容を別のUSBメモリーにコピーさせてもらい北九州市の北嶋康和宅を後にした。内容は保科達が喉から手が出るくらいの内容だった。森野は一刻でも早くデータの内容を保科に見せたいと思いメールに添付してデータを送信した。

 季節はいつしか桜咲く4月初旬を迎えていた。保科たちが2月に行った福井県の深山への遠征以来、何故かペアの民家や耕作地への襲撃は治まっていた。兄弟たちへの復讐という目的であれば襲撃は収まるはずはなかったので通称あんまペアの北嶋太郎の捜索は続いていたが、太郎の行方は杳として分からなかった。太郎の顔写真はなく保科哲哉と妹日登美の記憶を基にして作った似顔絵による捜索なので、彼が人間の中で密かに生活をしていても誰にも見分けはつかないのも確かであった。日登美も兄の哲哉には息子を自動車事故から助けてもらって以来、一切太郎の姿を見ていないと主張していた。

保科の周辺では、指導者である太郎が何らかの理由で死んだのではないかという意見さえ出始めていた。

 そのような状況の中で保科は森野獣医からメールで届いた北嶋元教授の遺稿に目を通していた。

「非常に興味深い話だ。彼らは研究者の身勝手な正義心と研究欲から生まれた犠牲者だったわけか」と保科はうなった。

 二日後には森野獣医が久しぶりに田野倉役場を訪れた。

「しかし、保科君、これは田野倉村にとってチャンスかもしれんぞ。太郎や他にもいるという新型ペアを是非とも生け捕りにして研究用と観光用に利用すべきだな」森野は挨拶もそこそこに保科とは別の考え方を披露した。

「次郎、三郎の解剖して切り取った臓器は標本としてホルマリン漬けしてあるし、骨格標本も作ってあるから、新型ペアの村ということでそれを使って観光資源にすればいい。博物館でも作ってもらえれば喜んで標本を提供するよ」森野は旨そうに煙草の煙を吸い込んだ。

「それは気持ちの良いものじゃないな」保科は顔を曇らせた。


 田野倉村役場の駐車場に日登美のイエローメタリックのワゴンRがひっそりと停めてあった。日登美は息子の翔太にも内緒で、ましてや兄の哲哉には絶対に悟られないように北嶋太郎との逢瀬を楽しんでいた。しかし今その車の中に日登美はいない。時々、日登美は自分が仕事に出ている間、太郎に車を貸していたのである。そして後部座席に身を小さくした太郎が受信機のイアホンを耳に当て険しい表情をしていた。そこは保科哲哉と森野有三が話をしている部屋から100mとは離れていない位置にあった。

「森野ガ弟タチヲバラバラニシタ」太郎は思わず受信器にむかって叫んでいた。

太郎は日登美と付き合ううちに日本語の発音がかなり上達していた。そして父親の北嶋邦康の助手もできていた手先の器用さで、役場の保科哲哉の部屋にコンセント型の盗聴器を取り付けるくらいは簡単にできた。


 獣医森野有三は、夕方近くまで役場にいて今後の新型ペア北嶋太郎への対策の基本的な方針を保科に進言した。森野は自分の車が置いてある村役場の駐車場に向かった。終業時間も過ぎて30分、駐車場付近に人影はなかった。

「結構遠くに停めてしまっていたな」森野は駐車場の端の薄暗くなった場所に停めてある黒色のアルファードを見ながらつぶやいた。派手な黄色い軽自動車の後を通り、次第に自分の車に近づいた時、右手の雑木林の付近から野球帽を被ったジャージ服姿の男が現れ森野に向かって「服ヲ着タペアガ倒レテイル。誰カ呼ンデ」と言った。

 森野は即座に直感的に『そのペアは太郎だ』と思った。

「どこにいる?」森野は初対面の男に命令口調で尋ねた。

 男は雑木林の中にある土の塊のある方向を指さした。森野は指さされた方角に向かって少しぬかるんだ土の上を歩き始めた。しかし森野は自分と土の塊の間に足跡が無いことに気が付いた。野球帽の男がペアを発見してから雑木林を出てきたのであれば、彼の足跡が当然ついているはずだと違和感を覚えた時、すぐ耳元で男の荒い息が聞こえた。

「弟タチ、バラバラニシタ、許サナイ」という声が聞こえた途端、森野は自分の首を人間の力とは思えない力で締め上げられるのを感じた。

 男はぐったりした森野の体を駐車場から死角になる位置に横たえ、森野のスーツのポケットの中に入っているUSBメモリーや書類を取り出し、それらを森野が持っていた書類封筒に入れてから日登美のワゴンRに乗り込み、静かにその場を立ち去った。


 翌早朝、遺体となった森野有三は犬の散歩で歩いていた近所の農家の主婦によって発見された。明らかな絞殺である。警察からの正式な発表はまだなかったが、田野倉村内では“あんまペア”によって殺されたという風評が流れた。

 “あんまペア”が『北嶋太郎』という名前であることは、何者かがツイッターに乗せて広く拡散されていた。そして地元新聞も『お尋ね者“太郎”、獣医師に復讐か』という見出しで一面を飾った。

 検死結果から森野獣医が人間以外の何者かにより絞殺されたと結論づけられたのはまもなくだった。人間以外の何者かが『太郎』であるという証拠はどこにも無かったが、大方の人間達は新聞報道の結論を真実であると解釈した。それは田野倉村村長も例外では無かった。

 田野倉村村長の田矢寅之助はこの事態を憂慮した。ペアたちの行動が一旦終息していたのに合わせてペア駆除も休止していた状態だったのだ。再び猟友会、県警機動隊を動員して山狩りを開始すると共に、太郎が人間の姿になって人里に入っている可能性も考え、警察官による村内巡回を厳重に実施させることにした。さらにペア退治に事実上の中心人物である山林保安課の保科哲哉周辺にも警護を強化するように手配した。

青年団長の森尾久司は村役場で保科に言った。「捕獲されたり射殺されるのは雑魚ばかりだ。身代わりのペアを差し出して、太郎はずる賢くどこかに潜んでいやがる。このままじゃペアが絶滅してしまうかもしれんわな」

「太郎は従来のペアより急速に進化してより人間に近づいてしまった。その進化が復讐を覚えさせ、その手段として人を殺すという宿命を背負ってしまったのかもしれませんね。太郎の父親の北嶋邦康は罪な研究をしたものです」と保科は答えた。

「何を呑気なことを言ってるのだか、この人は。自分が太郎に殺されてしまうかもしれないというのによ」森尾は呆れた顔をして保科を見た。


-15-

 保科哲哉が警察などの警護下に置かれると同時に、当然ながら保科の家族も警護の対象になった。日登美も例外ではなく仕事場への往復を警察の覆面パトカーが追走してくるようになった。これまで太郎と会う時は仕事の合間を抜け出したり、翔太を両親に預けたりしていたが、それも出来なくなってしまっていた。

『本当に太郎は森野獣医を殺したのだろうか?』日登美は考えたくもなかったが、今では太郎の正体を十分に知っている日登美は彼ならやりかねないと思った。日頃は口には出さないが、彼の弟ペア達に対する愛情は相当深く、その反面殺された恨みも相当大きいと感じていた。

 最後に会った時に日登美は太郎に自分が妊娠していることを告げていた。それは紛れも無く太郎との子供だった。太郎は素直に喜んだ。その喜び方は異常とも思えた。太郎は『自分は科学的に合成されてできた人間もどきだから、普通の人間との間に子供はできないと思っていた』と言って、その異常な喜びの訳を話してくれた。

『パーパとの悲願だった』とも言った。その時の逢瀬では太郎は日登美をやさしく抱いてくれた。

 その日以来、日登美は太郎に会えずにいた。今、人類間を越えて太郎に会いたいと心から思い、それは太郎も同じ思いだろうと思う日登美だった。そしてお腹に太郎の子供を宿した日登美に無理をしてでも会いに来るのではないかと一抹の不安も募っていた。


 森野獣医が殺害されてからペアもしくは太郎らしき動きは再び止まっていた。不気味な静けさが田野倉村を覆っていた。今年に入ってから異常気象は治まってきており、春には山々に新芽が芽吹き、初夏になる頃には食用できる草々も豊富に出揃い、山奥にいるペア達にも食料がさほど困らない時期に入ってきたようだ。それらの自然環境の回復もペアの里村への出現を抑制していたのかもしれなかった。

一部動物愛護団体は昨年からこの冬にかけてペアを射殺しすぎたためにペアが絶滅する恐れがあると警告をしていたが、世の中の一般の人々のペアへの関心は次第に薄れて行った。

太郎の行方は杳として知れなかったものの村を上げての警戒体制は七月に入ってから解除された。保科哲哉も自分が太郎の襲撃を受けるという感覚は薄れていた。

 その頃には日登美のお腹も目立つようになっていた。すでに家族の者には妊娠していること、しかし相手が誰かは言えないことと一人で産んで育てることを宣言した。哲哉を始めとして家族の者は、相手がおそらく妻子のある男性で不倫の末の結果とみていた。両親は落胆し相手を問いただそうとしたが、哲哉が世間体もあるからと無理矢理両親の意見を封じ込めていた。

 警戒体制が解除されてから二週間ほど経ったある日。その夜は梅雨の雨も上がり、蒸し暑い夜だった。網戸を開けて風通しをよくして日登美は一人息子の翔太と別室で寝ていた。その夜、日登美は便秘気味のせいもあり、中々寝付けないでいた。午前一時を過ぎた時、網戸の外に気配を感じた。日登美はそれが太郎だと直感した。

 日登美は静かに寝ている翔太の傍から離れ窓に近寄った。外には長身の太郎が立っていた。かつて日登美と会っていた時と同じやさしい目を向け、どこで調達しているのか身なりはサマースーツ姿で、どこへ出しても恥ずかしくない営業マンの容貌をしていた。警戒体制継続中はどこで過ごしていたのか分からないが、顔はやつれていた。

 太郎は日登美の膨らんだ腹部を見て笑顔になった。

『お腹の赤ちゃん、元気?』と周囲に音が聞こえないように手話で聞いてきた。

『元気よ。太郎も元気してた?』日登美も手話で聞き返した。

久しぶりに互いの目を見交わしながら手が動く時に出るかすかな音だけの静かな会話が三十分程度続いた。太郎は警戒態勢が強化されてからは深山にあるペアの住処で暮らしていたという。それでも大胆に町へ出てきて金は持っていなかったので食品や衣料品を万引きしていたという。日登美はそのような反社会的な行為は良くないからと言って自分の財布の中から当座の予算として5万円を渡した。それでも日登美は太郎の変わらない愛情を感じ、幸福感に浸っていた。その時、翔太が苦しそうな唸り声を上げた。

 太郎はびくっとした表情で寝室の奥を覗いたが、悪戯っ子のような笑顔を浮かべて首をすくめた。

『そろそろ行く。日登美を身重にならないうちに深山の私らの住処に連れて行きたいと思っているから、考えておいて。そこで赤ちゃんを産めばいい』

そう手話をしてから、太郎は日登美の顔に手を近づけた。太郎の提案に日登美は驚いたが、日登美は顔を太郎の顔に近づけ、お別れのキスをした。


-16-

翌日正午前に田野倉役場いた保科哲哉の元に県警機動隊の三村智康隊員が顔を出した。警戒体制が解除された後も定期的に保科邸周辺を警戒していた。三村は次郎、三郎の双子ペア駆除の際に二頭とも射殺した本人でもあった。

「保科さん。実は今日お宅の周りを巡回した時に、庭から別室の寝室の窓の下にかけてかすかな足跡を発見しました。雨上がりで少しぬかるんでいたのが発見の手掛かりになりました」三村は単調な口調で報告書を読み上げるように言った。

「靴跡の異常な大きさから、森野獣医の殺害現場で残されていた足跡と類似しており例の新型ペアの可能性があります。体毛も一部採取してあり、科学捜査研究所に回して分析を急がせています」

「ペアが私の家に来たのですか?」保科はついに来たかという気持ちだった。

「おそらく保科さんに復讐するために下見にきた可能性が高いと思われます。とにかく周囲に気をつけてください。警戒体制は本日午前十時半より再開することが決定されましたこと、報告事項として付け加えさせていただきます。では自分はこれで失礼します」軽く敬礼をして三村隊員は部屋を出て行った。

 哲哉はすぐに自宅にいる母親映子に電話で安否確認をした。

「そうなのよ。さきほど三村さんという県警の方がいらして聞きました。怖いわ。日登美はもう仕事に出かけてしまったけど、携帯にも電話しておいたわ。今は家の周りに四人ほど警察の方が警備についているわ」普段は呑気な映子の声もさすがに不安そうだった。

 相変わらず動物愛護協会関係者は「太郎を保護せよ」という活動を続けている。保科も自分が太郎に狙われる立場も理解をしていたが、できるなら保護して人間と共存させてやりたいと考えている。

確かに獣医師森野有三は太郎によって殺害された可能性が高いが、田野倉村役場でも半数が「太郎保護」の意見を持っている。それは皮肉にも森野がもたらした太郎の生い立ちを役場の職員が知ったからだ。しかし人を殺害した可能性の高い太郎を危険視し、むしろ現われたら射殺も止むなしという意見も役場内で多い。

特に警察関係者や地元猟友会の会員達は危険動物として発見次第射殺すべしという立場をとっていた。生い立ちがどうであれ太郎の弟たちは既に富山県の山間の村で三人の老人を殺害していた事実がある。新型ペアは元来おとなしいはずのペアが凶暴化という進化したという意見を持っているのだ。

『何故、自分の家に太郎は現れたのであろうか?やはり自分に復讐をしに来たのだろうか?』同じ疑問が何度も保科哲哉の頭をよぎった。

昨夜は窓も鍵をかけずに就寝していたので、襲撃しようと思えば簡単に無防備な自分を襲撃できたはずだった。

『復讐する意図があったのなら、何故襲撃してこなかったのだろうか?』哲哉は理解が出来ないでいた。

まさか日登美のお腹の子供の父親が北嶋太郎であり、日登美にだけ会いにきたということなど哲哉には分かるはずがなかった。


 翌日、久しぶりにペア警報が田野倉村に響き渡った。梅雨明けから二週間ほど経った八月初めの暑い日曜日だった。それは太郎にしては不用意な行動であった。村はずれに常時設置してある監視カメラに鮮明にペア二頭と共に長身の男性として映った。

「確かにこいつだ」役場に詰めていた保科哲哉はかつて自宅で出会った男の顔と一致しているのを確認した。二頭のペアは体毛深く半裸状態であったが、太郎はスーツ姿に身を固めていた。何か二頭のペアに指示を出しているように見えた。

「こっちに来るのか、お前の自宅へ行くのか」監視モニターの映像を見ながら山林保安課課長の吉田聡介がつぶやいた。

監視室に同席していた機動隊隊長の森川岳志は直ぐに無線機で役場前にいる隊員と保科の自宅にいる班長の三村隊員に太郎と二頭のペアが現われたことを伝えた。そして村内に武装させた隊員を二十名配置し、状況次第で射殺して良いという命令を下した。

保科哲哉は自宅にいる両親や妹の日登美にも連絡を入れた。

「どうなってるんだ」いきなり父親の興奮した声が聞こえてきた。

「どうやら太郎がそっちへ行くようだ。彼の目的は僕に対して復讐をはかることだから、父さんや母さんは心配いらないよ。ともかく僕が今から行くから」

「そんな危ない目に会わせるわけにはいかん。警察や猟友会の皆さんに任せておけばいい」父親の凜として声が携帯電話の向こうから聞こえてきた。

「それより日登美は家にいるかい?さっきから携帯に電話しているけど出ないんだよ」

「日登美は別室で翔太といるはずだが・・・」そう言って席を立って戻ってくると「日登美たちがいない」と絶句した。


ペア警報がなる1時間前だった。

「コンニチワ」保科哲哉の家に一人の長身の女性が日登美を訪ねてきた。

 日本人の女性としては珍しく180cmほどの身長があるので目立っていた。長い黒髪を後ろに束ねてダーググレーのワンピース姿は引き締まった体型もあり妖艶に見える。目鼻立ちははっきりとしており眉毛は濃かったが北欧系の美人をも思わせた。

 家の周囲を警護する三村隊員や猟友会のメンバーも思わず見とれてしまうほどの美人であった。

 日登美は初対面の女性に戸惑いを覚えた。彼女が差し出す名刺に目をやって驚いたように彼女を見つめ直した。名刺と思われた紙には伝言が書かれていた。

『日登美、彼女は私の仲間だ。彼女と一緒に山へ来て。北嶋太郎』

「私ハ、ミーナトイイマス。車ウンテンデキマス。ソノママ、ソット翔太連レテキテ。一緒ニイキマス。私ハ、アナタノ友人デ、コレカラカイモノデス」ミーナと言うその女性は片言の日本語と手話で日登美に話しかけた。

 そして間もなく哲哉の家の車庫から三人を乗せた黄色いワゴンRがどこかへと走り去って行った。

「友人と町へ買い物へ行ってきます」日登美から声をかけられた三村隊員は傍にいた猟友会の笹山良太から「どこの姉ちゃんだろうね。あんな美人は滅多にお目にかかれるもんじゃねえ」と声かけられたが、周囲を監視するだけで一切笹山の相手をしようとはしなかった。


「いないってどういうこと?誰も見てないの?やばいなこんな時に」哲哉は近くにいた森川隊長をみた。

「三村。応答しろ、保科家の日登美さん、並びに翔太君の行方を知らないか」

「1時間ほど前に日登美さんの車で町へ買い物に出かけました。日登美さんの友人と翔太君の三人です」通信機の向こうから三村隊員のやや焦った声が聞こえる。

「何かおかしいことでもあるのか」

「はい、この部落では全く見かけないタイプの女性だったもので、それが引っかかったのですが」

 その時、映像モニターに変化があった。村内に散開した機動隊員たちに追われたペアの二頭が山に向かって走り出している姿だった。

「隊長。ペアが二頭逃走しました。村内にはまだ太郎がいる模様です」モニターを見ていた別の隊員が報告した。

「ともかく三村、そちらに応援を行かせるから、用心しろ。場合によっては太郎を射殺しろ」森川は叫ぶようにしてマイクを置いた。


「こっちへ来るかの」猟友会の笹山良太は若い竜平に銃を常に構えているように指示を出した。

 三村も他の三人の隊員に自動小銃をいつでも撃てるよう指示を出した。そして一人で保科邸の周囲を見回ろうと裏手に回った三村の目に隣家の庭木が少し揺れたのが映った。その木の下には背の高い夏草が茂っており、その中に黒い物体がちらりと見えた。三村はその物体に自動小銃の照準を合わせながら徐々に近づいた。

「北嶋太郎か」三村はその物体に対して声をかけた。しかし黒い物体はピクリとも動かなかった。三村は慎重に歩みを続けた。その物体は黒い毛並の小熊の死骸であった。

「驚かせやがる」三村は口の中に溜まった粘りの強い唾液をペッと吐き出した。

その時、三村の口から「う」といううめき声が漏れた。三村が自分の胸を見ると鋭い矢の先端部分が見えた。そして先端からは赤い血が滴り落ちていた。

「ボーガンか」と三村はつぶやいた時、第二の矢が胸を貫いた。三村は静かに前に倒れ込み小熊の死骸の上に重なったまま動かなくなった。


 保科哲哉が自宅に戻ったのは三村の遺体が引き取られた後だった。

「今回は、どうやら三村隊員が標的だったようだな。彼もプロだからと思ってわしらも気を抜いていた」笹山良太は苦々しい表情で三村に言った。

「ボーガンと残りの矢は三村隊員の死体の傍に捨ててあった。しかし、この厳戒な包囲網をどうやって潜りぬけて逃げたのだろう」

「恐らく太郎は山に二頭のペアが逃げた時に別の方向に既に逃走したのだろうと思います」哲哉は役場を出る前にモニターをチェックして村はずれに停めてあった白いワゴン車に細身の男性が乗り込むを見ていた。この村では見かけない容貌であった。しかし太郎ではなかった。

「太郎と同じ新型のペアが北嶋元教授や太郎によって十頭を超えるレベルで作られています。白いワゴン車で逃走した見かけない男がおそらく新型ペアで三村隊員をボーガンで殺害したのではないでしょうか」哲哉はそう考えていた。

「あとは警察の仕事や。一旦、わしらは解散じゃ」笹山は竜平たちを促して家路についた。

 その夜、翔太と共に行方不明となっていた日登美から哲哉に携帯メールが届いた。

「北嶋太郎の復讐は三村隊員と森野獣医の殺害で終わりです。彼らは太郎の弟たちを殺害し、その体を解体した張本人だからです。兄さんは一切復讐の対象にはなっていません。そして私のお腹の子供の父親は太郎です。私はこれから山奥深くで太郎たちと共に暮らしていきます。探さないでください」


 あれから一年経った。直ぐに携帯電話に連絡を入れたりメールでの返信もしたが、一切反応がなかった。それでも保科一家は日登美の行方はあえて追わなかった。日登美の幸せは北嶋太郎と共にあると信じるようにした。

「これは大きいな」次第に大きくなる揺れに保科哲哉は両親に机の下に入るように指示した。ようやく揺れが収まった頃には戸棚の食器などが床に散乱していた。停電はなかったので哲哉は直ぐにテレビのスイッチを入れた。

 画面には地震速報が流れていた。震源地は福井県の山奥の地域で地震の規模を示すマグニチュードは7.1とかなり大きな地震だった。

「日登美たちがいるところじゃないかしら」母親の映子が声をだした。確かにそこはペアたちの保護地域であった。哲哉は以前捜索に行ったペアの居住地区付近が山崩れを起こしやすそうな地形になっていることを思い出していた。

「日登美たちはどこか別の場所で暮らしていればよいのだが」哲哉は日登美と翔太、そして丁度1歳になったであろう太郎との間にできた赤ん坊を気づかうだけしかなかった。


【エピローグ】

「博士!危ない!」メーブルのかん高い声が谷間に響いた。

大きな地震が通称古代渓谷を襲った。そこは有史前より地震の多発地帯であったが古代人類の化石がよく発見される渓谷地帯でもあった。

調査員達はみなちりぢりになって安全な場所を求めて走り回った。以前から危険視されていた渓谷の亀裂部分から表面の岩盤を剥がすように岩がバラバラと渓谷の川を埋め尽くそうとしていた。

小一時間も経ったころ、ようやく岩崩れも収まったのを見計らい一人の男性が崩れた岩肌に近づいた。

「メーブル君。こちらに来てみたまえ」190cm、90Kgの巨漢をものともせず、その博士と呼ばれた中年の男性が軽やかな動きで岩盤の一箇所に行ったかと思うと一点を指差した。日に焼けた黒い顔の一面を覆う体毛の中で嬉しそうな目が輝いているように見えた。

「博士、まだ近づくのは危ないじゃないですか」調査員の中では唯一の女性であるメーブルと呼ばれた女性が周囲の岩盤を見極めながら博士の元に恐る恐る近づいた。180cm近い身長の割には細い体型のメーブルが博士の横に並ぶと、まるで数字の10のように見えた。

「博士、これは人型の化石ですね。実にきれいな骨格をしています」メーブルは今までの恐怖が嘘のように晴れやかな顔で言った。

「そうだよ。大小二体の化石だ。親子かな。骨格の形状からみて大きな個体は十万年前に絶滅したホモ・サピエンスだ。小さい方はまだ1歳足らずの赤ん坊のようだが我々と同じホモ・サイエンスのようだ。我々の知識では十万年前に核エネルギーをうまく制御できなかったホモ・サピエンスが放射能汚染で絶滅しかけたところを、放射能に抵抗性のホモ・ネアンデルターレンシス・ヤポニカがホモ・サピエンスを殺戮殲滅させた。その後五万年もの時間をかけて徐々にホモ・ネアンデルタレンシス・ヤポニカが進化して我々ホモ・サイエンスになったとされている。つまり我々と同種の人類がホモ・サピエンスと同時に存在しているはずが無いのだが・・・」博士はこれまでの定説を覆しかねない発見と確信をした。

「いずれにせよ、研究所に持ち帰って詳細に種の分別をしなければならん。結果次第では画期的な発見になるわい」と博士がメーブルに声をかけた。

「博士。この格好は母親が赤ん坊を抱き包み、まるで危険から身を挺して赤ん坊を守っているような状態に見えませんか?」大きな眼をますます大きくしたメーブルは感動的な声を上げた。

「我々のような知能を持った人類が原始的な人類とうまく共存していたと見るべきなのか、家事手伝いのように使役人か奴隷のように利用していたのか・・・想像は膨らむ一方だわい」博士は毛深い顔に埋まった両の瞳を輝かせた。


 ホモ・サピエンスに先行して地球上に存在していたホモ・エレクトスは地球上に約180万年間生存していた。そしてホモ・エレクトス生存末期の約30万年間を共に地球上で過ごしたのがホモ・ネアンデルタレンシスだ。ホモ・ネアンデルタレンシスが誕生して10万年後に中央アフリカで誕生したホモ・サピエンスも先の2種の人類と20万年近くを地球上で共存したが、やがて地上の人類はホモ・サピエンスのみとなった。

しかし持てる叡智も科学力もホモ・サピエンスのもつ弱点から自らを絶滅の道へと導いてしまった。25万年間というこれまで地球上に生存していたどの人類よりも短い生存期間を閉じてしまっていた。

                                         (完)

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