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第8話


「なるほど。この藪は小川に沿って生えてるんだな」


 直径2メートル程の岩の亀裂から軽く噴出す、水。出口付近は直径数センチだが、地面である1メートル下に落ちる頃には手の平程に広がっている。それが落ちる先には小さな水溜りのような、しかし人が入るにしては小さすぎる池があり、そこからあふれ出した水が小さな小川を作っていた。


 高志は小川が消え行く先にある藪はその水分を頼りに生きているのだろうと考え、感慨深く蛇行する藪の連なりを眺め見た。彼の思った通り、この世界は何もかもがでたらめなわけではなく、きちんと理由付けのされた何かも存在するのだと。


「飲めるかどうか確かめてみようず。復活場所からここへの道はわかる? またこれる?」


 いくらか興奮した様子のリーベルが、背中の上で体を弾ませつつまくし立ててくる。高志は「たぶんな」と落ち着いて返すと、彼女が落ちないようにしっかりと踏ん張り、足元を注意深く探りながら、水場へと近付いた。


「岩場だな。足を滑らせる心配はなさそうだ…………つっても、このサイズだ。滑らせた所で溺れる心配はないな」


 それにどれだけの歳月が必要だったのかはわからないが、池は小さな滝の水による侵食で出来た岩の塊だった。高志はリーベルを地面へ下ろすと、這うようにして慎重に池へと顔を近付けた。


「臭いは…………ない。しかし火山だとすると重金属の類が心配か? いや、このクソゲーの事だから…………」


 リーベルへ危険を促そうと考え込む高志だったが、しかし横を見やると、彼女は既に池へ直接口を付けて水を飲んでいる所だった。


「美味しい! すっごい美味いよタカスィ!」


「くそがっ! わかってるよ! どうせお前みたいな奴が長生きすんだよ!」


「え? や、ごめん。何の話?」


「…………なんでもない。ちょっと世の中の理不尽について考えてただけだ」


 高志は地面に這いつくばるリーベルと同じように、しかし水は手ですくい、口の中を潤した。冷たく冷えた水は心地良く、すぐに喉から胃へと軽い刺激と共に流れていった。体に染み入るようなその感覚に、高志は何か、ようやくひと息つけたかのような感覚がした。


「日が沈むな…………今日はお開きにするか」


 夕焼けにそまる大地と、長々と伸びる影。もういくばくもないうちに太陽はその姿を消してしまいそうだった。


「えぇー、ようやく盛り上がってきたトコじゃーん。水も食糧も手に入ったんだしー」


 高志の袖を掴み、小さな子供が嫌々をするように駄々をこねるリーベル。グラマラスなボディと知的な顔つき、そして長い耳を持ったミステリアスな女性がやるには似つかわしくないそれに、高志は得も言われぬ残念さを感じた。


「お前はハンデだけじゃなく、外見設定でもキャラメイクに失敗してんぞ」


「えぇぇ!? どう見ても超美人じゃないか! スタイルもぐんばつに良いよ?」


「だからこそだ、残念美女め。お前はもっとこう、ちんちくりんの方がキャラに合ってる。ドワーフとかハーフリングとか、そんなんだな」


「えぇ~、ゲームの中でくらい夢見させてよぉ」


「現実は夢が無いのか。残念だったな」


「うるさいっ! このっ! このっ!」


 手の平でばしばしと尻を叩いてくるリーベル。高志は痛くも何ともないので放っておき、そういえばログアウトすると身体は消えるのだろうか、などと考えていた。もし長時間残ってしまうのであれば、安全な場所でログアウトしないと面倒な事になる。


 ――タカシ(ヤング+)に被害 クリティカル 重症――


「なにぃっ!?」

「えぇぇっ!?」


 視界に現れるアナウンス。そして重なる驚きの声。高志は何か胃から込み上げるものを感じ、口元を手で押さえた。


「…………ごふっ」


 吐血する高志。まるで漫画のように指の間から血液が漏れ、ひじへと伝って落ちる。


「ご、ごめんね。そんなつもりはなかったんだけど」


「…………いやまぁ、それはいいんだ。あんま痛くねぇしな。それよりなんで吐血よ。殴られたのは尻だろうが。シュールすぎんぞ」


「う、うーん、攻撃って捉えられたって事だよね。どういう判定基準なんだろう。ちょっと本気で頭にきたからかな?」


「そういう事かもな。というか、そうだとするとむしろこっちがすまんかった」


「い、いや、いいんだよ。ごめんね」


「くそっ、あとヤングのあとにプラスマークが付いてるのも微妙にイラッとするな」


 高志は小さな池の水で口を拭うと、恐らく重症とされたせいなのだろう疲労感からその場に座り込み、そして仰向けに倒れこんだ。彼は両手を頭の後ろで組んで目を閉じると、しばし目を閉じて黙り込んだ。


「疲れた?」


 伺うようなリーベルの声。高志は「まあな」と返すと、「たった半日での出来事とは思えない」とその理由をまとめた。


「確かにねぇ。僕もこんなにはしゃいだのは久しぶりだよ…………ねぇタカシ、君は明日もログインするのかな」


「いや、残念だが明日は仕事だな。今日休んじまったから、そのしわ寄せでてんやわんやだ」


「そっか。仕事かぁ…………まぁ、普通はそうだよね」


「ん? うん。まぁ、そうだな」


 普通は、という物言いに引っ掛かりを覚えた高志だったが、しかしそれを言葉にするのはやめておいた。リーベルのように個人情報がうんぬんというつもりはないが、必要以上に人の心に踏み込むのは間抜けのする事だという程度の常識は知っているつもりだった。そういった事は尋ねるのではなく、相手が話し出すのを待つべきなのだ。


「というわけで俺は落ちるぞ。お前もひとりで色々試すのは構わんが、程ほどにしとけよ。正直、死んだ時のあの感覚は結構くるものがあるからな」


「ん……わかった」


「おう…………まぁ、あれだ。もし早く帰ってこれるようだったら、少しの間ならやれるさ」


「ホントに? ねぇ、それって何時頃になる?」


「さぁな。10時か、それとももっとか。あまり期待しないどけよ。それじゃな」


 高志は片手を上げてリーベルの頭をぐしゃぐしゃと撫で付けると、VRデバイスへと手をかけた。

 

「待ってるかんね! 絶対待ってるかんね!」


 リーベルが服を強く掴み、大きな声で言ってくる。高志はその様子に一瞬ぎょっとしたが、「はいはい」と曖昧に応じ、そして現実世界へと戻った。


「…………ふむ。疲れたな」


 1DKのアパートでひとり、高志は呟いた。壁掛けの時計は午後3時を示しており、一日はまだまだこれからだとも言えたが、しかし彼は気だるい疲労感に包まれていた。


 高志は重い足取りで布団の上までいくと、今になってようやく自分が全裸だった事を思い出し、とりあえず下着だけを身に着けて横になった。


「あぁ、そうだ…………次に入った時、どうやって会えば…………あぁ、パーティー機能が…………」


 高志は重くなった目蓋に抵抗しようとしたが、する必要もない事に気付くと、そのまま眠りに落ちた。




 次の日高志は、昨日あった一連の出来事がまるでなかった事のように、いつものように、当たり前に、起床し、着替え、外に出て、電車に乗り、そしてまた歩いて、会社へ行った。


 会社には何人かの彼の具合を心配してくれた部下と、何も言わずに仕事の説明を始める同期の仲間達と、そして胡散臭そうに勤怠届けを受け取る上司という、いつもと変わらない人々がいた。


 高志は仕事中に昨日の事を思い出して何度か手が止まる事があったが、しかしそれもわずかな時間だけだった。彼は5年間の社会人生活の中で、朝タイムカードを押し、そして夜もう一度同じ事をするまでの間は、自分という人間を押し殺して生活するという術を身に付けていた。


 それは時折うまくいかなかったし、それ自体に我慢がいかなくなる事もあったが、大体は問題なくやれた。それは会社や社会に強制された何かかもしれないが、しかし同時に自分を守る術でもあった。


「締め切り近いぞー、気張っていけー」


 丸めた雑誌をメガホン代わりにした上司が、きっと本人もほとんど効果がないとわかってはいるのだろうが、部下に向かってそう発破をかける。高志はきっと自分に対する当て付けだろうと判断したが、しかし表情には出さず、ただ淡々と仕事をこなした。


「鈴木主任、お昼どうっすか? 沢木亭のランチに行くんすけど」


 昼休みに入ると、気の良い部下がそう声をかけてくる。高志はいつものようにそれに付き合おうとしたが、しかし少し考えて、「いや、今日はいい」と断る事にした。


 高志は最寄のコンビニで小さめの弁当とお茶を買うと、それを持って会社の屋上に上がり、周囲のビルからは死角になる場所で広げると、ひとりで食べた。食事というよりは栄養補給と形容した方が近いだろうランチを終えると、彼は屋上の真ん中に立ち、周囲のビル群を見上げた。


「………………」


 昨日のこの時間は、何をしていただろうか。確か草原を走っていた時間だ。もしかすると、リーベルの脈を計っていたかもしれない。それとも既に森へ入っていただろうか。そういえば丁度、森の大木はこのビル群のようにそびえ立っていた。


「…………ん、たった一日で、随分と影響されたな」


 高志は両目をこすると、大きく伸びをした。そして頭の中の思考を仕事のそれに切り替えると、もはや周囲のビルはビルとしか見えなくなっていた。


「鈴木主任、データをサーバに上げといたんで、それ頼みます。カット88です」


 つまらないチャイムの音と共に、給金への対価として支払うべく労働力と時間の提供が再開される。高志は聞いた事もない監督が撮る、これまた聞いた事もない邦画タイトルの続編で使われるという、CGエフェクトの作成を行った。


 しかし例え有名監督による有名タイトルの作品だったとしても、きっとやる事は変わらないだろうと高志は考えていた。末端の開発者に回ってくるお金などそう大した差はないし、それはつまり作業にかけられる時間にも差がないという事になる。開発費のほとんどはいわゆる人件費で、時間とはまさに金そのものとなる。


 そしてあらゆる仕事に手を抜かず、一生懸命であるなら、あとはかけられる時間だけが成果物の良し悪しを決める事になる。そこにバラつきが出るようなら素人だし、プロとは常に最善の成果を提供すべきだと、少なくとも高志はそう思っていた。


「お先に失礼します。今日もありがとうございました!」


 元気な声で、職場のアルバイト達が一斉に帰宅していく。高志はその声でいわゆる定時が訪れた事を知ったが、しかしだからどうしたといった所だった。周りを見れば誰も彼もがデスクのパソコンに向かって作業をしており、帰り支度を始める者など誰もいなかった。


「88番上がりました。チェックお願いします」


 黙々と、ただ黙々と、目の前にある課題を片付けていく。もちろん仕事場ではただCGを作っていれば良いというわけではなく、上司に指示を仰いだり、部下に教育をしたり、クライアントと仕事の打ち合わせをしたりと、ひと通りの事はこなさなければならない。

 時には同僚と談笑する事だってあるし、短い時間ではあるが休憩をとる事もあったが、しかしそれらは、結局の所課題のひとつでしかない。一生懸命休憩しろという言葉は、社会人になるとなんとなく意味がわかるものだ。


「それじゃ、お先にあがります」


 2時間程を残業したあたりで、ちらほらと職場を後にする者が出始める。主に比較的暇なプロジェクトに配属されたメンバー達で、彼らのほとんどは出世とは無縁の立場だった。


「…………なるほど。まぁ、そういうのも有りだな」


 高志は日頃彼らに対して何かを思うような事はなかったが、今は少しだけ羨ましいと感じていた。出世して高い給料をもらうようになったからといって、だからどうしたというのだろう。貧乏人は総じて不幸だとでも言うのだろうか?


「いかんいかん。くそっ、影響されまくってんな」


 高志は恐らく疲れからくるのだろう集中力の欠如を自分で戒めると、頭を振り、目薬を差して、そして再び作業を開始した。


「鈴木さん、今日は天辺っすか?」


 丁度9時になったあたり。業界で良く使われる日付を跨ぐ事を示す単語を使い、同僚が尋ねてくる。高志は表計算ソフトに記入された自分のスケジュールを確認すると、少し考え、そして「多分な」と答えた。


「マジっすか。鈴木さん先行してませんでしたっけ?」


「してるけど、遅れてる奴がいるからその分をどっかで吸収しないと…………あれ、あいつ帰った?」


「帰りましたよ。8時頃に、普通に」


「まじかよ。頑張ってる俺がアホみたいだな」


「あはは、まぁ、ですね。明日叱っときます?」


「いや、いいよ。どうせ言っても聞かないだろうし、定時過ぎてれば帰る時間は自由」


「って事になってる。法的には」


「そーゆーこと。もしくは世界一時間にルーズな日本人らしく、遅刻には厳しいけど遅れる分には好きなだけどうぞな会社との雇用契約的には、だな。さ、もうひと踏ん張りしよう」


 高志はそう話を切り上げると、本来であれば自分がやらずとも良い箇所の作業を開始した。別に誰に言われたわけでもないし、強制もされていないが、しかし締め切り近くにスケジュールが遅れてくれば必然的に自分がやらざるを得ない為、結局は自分の為だと割り切った。


「………………また今度な」


 頭の中で響いた誰かの声に、高志はそう小さく呟いた。

 

 そして誰と相談するでもなく、ただ手を動かす。体に疲れは溜まっているし、脳は昼間の何割かしか働いていないだろうが、しかしこういった状況を見越して後回しにしておいた、頭を使う必要のない、単純作業をこなしていく。

 

 しかしそんな単純作業だからこそ、持て余した脳が余計な事を考え出す。


「待ってるかんね! 絶対待ってるかんね!」


 なぜそんなにも必死なのかと不思議に思った程の、もはや懇願に近い様子だった、別れ際のリーベル。

 

 いったい何があの声を出させたのだろう。何があの目をさせたのだろう。


 ゲーム内でどうしても手に入れたい、すなわち持ち帰りたい何かでもあるのだろうか。

 それとも友人がいなかったりとか、家族と不仲だったりとか、何かそういった事情でもあるのだろうか。現実に持ち帰りたい何かではなく、ただ現実に帰りたくないだけかもしれない。


 馬鹿馬鹿しい妄想とも呼べる思考だが、一度生まれてしまったそれは留まる事を知らず、次から次へと湧き出してくる。そして高志は単純労働を行っていたマウスを持つ右手がとまっているのに気付き、それをじっと見つめた。


「やっぱ今日、帰るわ」


 高志はそう言うと、手早く荷物をまとめ、会社を後にした。


 彼は駅までの道のりを急ぎ足で抜けると、電車とはこんなに遅いものだったのだろうかという疑問を抱きつつそれに揺られ、そして駅からは走り始めた。


 草原を走った時のような早さはなかったが、しかし彼は走った。




絶対に書かなければいけない彼の現実世界での日常で、そして書いてて辛かった……理由はお察しください。

思ったより長くなってしまった。分割すれば良かったかな。

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