第7話
疲労、空腹、渇き。今までに現れたこの3つのペナルティめいたパラメーターへの対策は、現状において最優先に解決しなければならない事案だった。疲労においてはその場で座るという簡単な方法で対処できたが、他ふたつをなんとかしなければならない。
死ぬとスタート地点に戻される。
少なくとも現状ではそうだろうとされているその事実が、問題だった。どれだけ順調に旅路を進めても、死んでしまえば振り出しに戻されてしまう。これはすなわち行動半径を限定されてしまうという事であり、今後のあらゆる行動に大きな影響を及ぼす事になりそうだった。
「や、まぁいいけど。食べられるのかな?」
今から正体不明の蛇を食わされるというのに、あっけらかんとした様子でリーベルが言った。いくらかでもうろたえるのではと期待していた高志は若干がっかりしたが、しかし断られるよりは良いと思う事にした。正直、自分の舌で試すのは少々抵抗があった。
「蛇は普通に食えるだろ。食べたことはないけどな…………でも生でとなるとわからんな」
高志は冷たい蛇の死骸へ左手を添えると、それなりに鋭利な形状をした石を押し付け、体重をかけ、切るというよりは押し裂くといった体で力を込めてみた。
「切れるけど、硬ったいな。変にナイフや何かで戦わなくて済んで良かったのかもだ」
石は鱗の隙間に沈んでいくが、すぐに鱗へ引っかかって止まってしまう。高志は慣れない手つきと道具でなんとか不恰好に切り口をつくると、中に見える薄青い肉を確認し、そして皮と肉の間に石を滑り込ませた。
彼は皮と肉とに十分な隙間が出来た事を確認すると、足で蛇の胴を押さえ、皮を両手で掴み、体力測定の際に用いる背筋力を測る装置を使うのと同様に、思いっきり引っ張り上げた。
「おおー、綺麗にはがれるもんだね」
ばりばりと音を立てて剥がれていく皮に、リーベルが感心の声をあげる。高志は「見よう見まねだけどな」と発すると、重量のある蛇に難儀しながらも、なんとか肉片を取り出すべく格闘した。
――スキルが上昇しました 大成功 解体1.50――
中空に現れるアナウンス。高志が「大成功?」とそれに向かって呟いた時、それは起こった。
「おお、おおおー!?」
リーベルの素っ頓狂な声。高志が何事だと視線を下ろすと、彼女の視線の先、すなわち蛇に起こった異変を察知した。
蛇の死骸が、薄青く光っている。
舌の飛び出た頭部から尻尾の先に至るまで、蛍光塗料が塗られた看板がぼうっと光るかのように、うっすらと、青く、蛇を包み込むように発光している。
高志は危険なのかどうかさえわからず、とりあえず1歩2歩と、リーベルの方へと後ずさった。何かあれば、彼女を抱えて走るつもりだった。
そしてわずかな時間の後、蛇の死骸は消え去った。
正確に言うと、小さな袋状の何かと、肉の塊を残して。
「………………」
「………………」
無言で呆然とするふたり。そんなふたりに、新たなアナウンスが流される。
――蛇の肉を手に入れた――
――謎の袋(未鑑定)を手に入れた――
2行に渡った文字列。高志はしかめっ面をしたままそれを読むと、複雑な面持ちで首を傾げた。
「解体がうまくいったという事なんだろうし、まぁ、それはそれでいいんだが、しかしどうなんだ。シュールすぎるだろう」
20センチ四方のブロック肉と化した蛇の死骸と、その横にぽつんと置かれた、手のひらサイズの生物的な膜のようなもので作られた袋。高志はうさんくさいものを見るようにしながらそれらに歩み寄ると、肉を一瞥し、次いで袋をつまみあげた。
「なんだこれ…………未鑑定とあったが、どういう事だ?」
薄ピンクの半透明な、しかしそれなりの強度がある膜状の袋。頭頂部はひだ状にまとめられており、縛っている紐こそないが、しかし開けば中身が確認できるだろう事は伺えた。
――鑑定失敗 謎の袋――
――スキルが上昇しました 鑑定0.05――
さらに現れたアナウンス。高志は「そう言われても」と呟くが、しかし悪くない兆候だと考えた。恐らく鑑定とやらを行えばこのアイテムが何がしかがわかるという事で、そして鑑定に何か専用の道具なりなんなりが必要なわけではないと判ったからだ。
「失敗しても鑑定スキルは上がるようだから、じろじろと見続けてればそのうち成功するか?」
「おぉ? 鑑定を実行できたの?」
「ん、実行できたというより、観察してたら勝手にだな」
「にゃるほど。なんだろね、それ」
「わからん。だがもしかすると、これが例の売って金にする素材とやらかもしれんな」
高志は袋に何かもっと特徴でもないものかと、角度を変えたり、少し手で押してみたりしながら観察した。それは鑑定とやらを実行するという意図ももちろんあったが、それだけでもなかった。単純に、好奇心や未知への興味といったものがあった。
――鑑定成功 大失敗 蛇毒の袋――
その場で5分もじろじろと袋を見つめていた頃、ようやく待望のアナウンスが流れた。しかしその釈然としない内容に、高志は首を傾げた。
「なんなんだ。成功なのに、大失敗? つーか、これ毒かよ」
そっと袋を地面に下ろす高志。彼はいくらか強い力を加えればきっと破れてしまうだろうその袋に、どうやって運搬したものかと考え始めた。
「あっ…………」
リーベルの声。高志が何事だと見やると、彼女は視線を右上の方へやっていた。
「高志、毒ってなってるよ?」
次いで同じくリーベルの声。彼女の視線の先を追おうとしていた高志は、それがパーティー表示を見ているのだと気付き、自分もそれを見ようとした。
しかし残念な事に、それが叶う事はなかった。
――毒により、タカシは死亡しました――
暗転、そして無気力感と焦燥感。高志はVRデバイスを取り外すと、倒れこむように布団の上で横になった。そしてぶつぶつと意味の通じない独り言をつぶやきつつ5分が経過すると、がばりと起き上がり、一度布団の上を強く手で殴りつけてから、再び机へと向かった。
彼は今までに死んだ時と同様に草原を走ると、時折座っての休みを交えつつ、矢印の指し示す方へと急いだ。
「……………………ファアアアアック!!」
森へ入る前に、高志は一度だけ叫んで苛立ちを発散した。
「ん、おかへひタカヒー」
森へ入ってしばらく。ようやくリーベルの元へ到着すると、彼女は何やらもぐもぐと咀嚼をしたまま、そう手をあげて発してきた。
「…………お前、凄いな」
リーベルの手元にあるのは、ブロックサイズの、しかしいくつもの歯型によって削り取られた状態の蛇の肉。高志が関心だとそう言うと、リーベルは「でも不味いよ」と軽い調子で返してきた。
「やっぱ不味いのか…………やっぱり、せめて火を通したい所だよな」
「んだねー。それと出来れば塩コショウもかも」
リーベルの向かいに腰を下ろし、彼女が食べ終えるのを待つ高志。もしかしたら何か異常が起きるのではと警戒していた彼だったが、しかしそれは杞憂に終わり、リーベルは小さなげっぷと共に食事を終えた。
「あー、生臭い。空腹表示は消えたけどさ……量的に、大体4食分くらいになるのかな?」
少しだけ小さくなったブロック肉を掲げ、リーベル。高志は「かもな」と返答をしたが、しかし意識は別の問題に向けられていた。
「それよりどう運ぶか、だな。それと冷蔵庫があるわけじゃないから、そんなに持たないぞ」
気温についてはせいぜい日本で言う春から初夏にかけてといった程度の過ごし易い環境だが、しかし生肉というのは恐ろしい早さで細菌の繁殖が進むものであり、とても衛生的とはいえない現在の環境で、少なくとも半日も経ったそれを食べる気にはとてもなれなかった。
そしてもちろん、肉の塊を手に持ったまま移動するなど論外だった。
「それについては、ふふん。こういったものを用意しておいたのだよ」
得意げな笑みで、鼻を鳴らしたリーベルが背中側から何やら取り出した。
それは蛇と格闘した際に高志が引き摺り下ろしたものだろうツタや、その辺りに生えている幅広の葉を使ったらしき即席の肩掛けバッグで、かなり実用性は低そうだったが、しかし肉を運ぶ程度であればまったく問題なく使えそうな代物だった。
「おぉ、これはいいな…………ナイスだリーベル」
バッグを受け取り、感心の声を上げる高志。彼はリーベルの方へ手の平を突き出すと、同じく突き出された彼女の手の平を受け止めた。
「待ってる間暇だったしね。なんか工作スキルが上がったけど、レベルが上がると凄いものが作れるようになるのかな?」
「うーん、どうだろうな。いくら器用な人間でも作り方を知らなければそれまでだし、材料が無ければ話にならん。普通に考えればそんな感じだが…………しかしなぁ」
先程の蛇が生肉に姿を変えた際の事を思い出し、言ってはみたものの自信がなくなった高志。彼は「おいおい確かめてみよう」と言うひと事にまとめると、リーベルからブロック肉を受け取り、それを葉で出来たバッグ――実態は袋のようなものだが――の中にしまい込んだ。
「それはどうするの?」
毒の袋を指し示すリーベル。高志は逡巡すると、恐らくバッグを作った際に余ったのだろう幅広の葉が置かれているのに気付き、それを手にした。
「念のため、持っていこう。毒殺か、せめて目潰しあたりに使えるかもしれん」
実際に自分が死ぬまでに、実にわずかな時間しかかからなかった。とするとこの毒はかなり強力なはずで、使いようによっては頼もしい武器になるはずだった。
「割らないように気をつけなきゃだね…………あ、振りじゃないよ?」
神妙な顔のリーベル。高志は「わかってるよ」と手を振ると、肉がクッションとなるような位置に毒の袋を包んだ葉を置いた。食べ物の上に毒を置くという行為はなんとなく躊躇われたが、しかし他に保持出来る場所がないのも事実だった。
「さて、それじゃ水辺探しの再開といこう。食料はなんとかなったが、むしろ水の方が切実だ」
高志はそう言うと、バッグが自分の腹側に来るように調節し、リーベルへ背を向けてしゃがみ込んだ。リーベルが「いつもすまないねぇ、おっとさん」と言いながら背中に収まると、高志は立ち上がり、そして再び当ての無い旅路を再開した。
「少し開けてきたな…………背の高い木が多いのか」
歩き始めてどれくらいが経ったろうか、時間の感覚をなくした高志が、徐々に歩きやすくなった地形にそうぼやいた。
多くの葉をつける背の高い木が連立していれば、当然の事ながら多くの太陽光を遮る。そうなると地面付近は植物の育成には不適切な場所となり、新たな樹木が育ちにくくなる。
やがて枯れ落ちた大木は新たな日光スポットを作り出し、そこで生存競争が行われ、勝者となった木が大木として成長し、敗者は日光不足によって消えていくのだろうと、高志はそんな植物同士の争いに思いを馳せた。
「かなり日が落ちてきたね…………そろそろ引き返す?」
リーベルが不安そうな様子で言った。高志は彼女の声に促される形で太陽の方を見やると、確かにオレンジがかった夕日のそれが目えた。
「そうだな。その方が良いかもしれん。せめてもう少し草原側に移動しよう」
「帰り道わかる? ぶっちゃけ僕はさっぱりだよ」
「幸いな事にと言って良いのかわからんが、何度も往復したからな」
「おおー、さすが頼りになりますな。もう僕はタカシなしじゃ生きられないよ。あ、おっぱいでも揉んどく?」
「いらん! つーかお前、あれか。胸にコンプレックスでも持ってんのか?」
「なななな、何を、何を言ってますかね、この野郎は。もう、あれですよ。ボンッ、キュッ、ボンッですよ。グラマラスいえーいですよ」
「嘘付けよ。どう考えてもこっちで巨乳になれて喜んでる反応だろが」
高志はリーベルとぎゃーぎゃー騒ぎつつ、草原に戻る方角へと歩き始めた。道のりはジャングルめいた先程までの場所よりはずっと歩きやすく、しかし草原に比べれば遅々たるものだったが、気楽な調子で進む事ができた。
そして歩くことしばらく。かなり沈みかけてきた夕日に焦燥感を憶えつつも、しかしそれが作り出すオレンジに染まった美しい自然の光景を楽しんでいた頃、木の合間から見える草原を遮るように育つ、邪魔な藪の一帯へと差し掛かった。
「これは…………迂回した方が良さそうだな。足元が全く見えん」
リーベルを背負っている以上、藪をかき分けて進む事は難しく、あたりも暗い事から、非常に危険だった。見えない段差でもあろうものなら、踏み外し、怪我をする恐れがある。
「りょーかい、司令官。僕には応援する事しか…………おろ? 何だろ」
背中のリーベルがそう発し、何やら伸び上がろうとしているのか、もぞもぞと動き始める。高志は倒れないようにバランスを保つと、黙って彼女の言葉を待った。
「ねぇタカシ、あっちにあるあれって、滝じゃないの?」
リーベルが左手奥を指差して言った。高志は「んな馬鹿な」と答えたが、しかしそちらの方をみやると、そこには確かに、滝と呼ぶにはあまりに小規模だが、それでも水を噴出する小さな岩場の存在があった。




