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第4話



  ――過労により、タカシは死亡しました――


 暗闇の中に浮かび上がった、そんな文字列。ぞっとした高志は急いでVRデバイスを外したが、しかし彼の懸念が現実になる事はなかった。1DKのアパートはしっかりとそこにあったし、彼自身がどうにかなってしまっている様子もなかった。


「…………ちょっと、焦ったじゃねぇか」


 高志は額にかいていた冷や汗を手の甲で拭うと、深呼吸をして自分を落ち着かせた。強い喉の渇きを感じた彼は冷蔵庫に向かうと、麦茶をぐいとあおり、そして台所のシンクでばしゃばしゃと顔を洗った。


「なんだこれ…………ダウナーってやつか?」


 良くわからない、無性に落ち込んできた自分に戸惑いながら、高志が呟いた。暗い湖の底に閉じ込められてしまったような、誰もいない深い森の中に置き去りにされてしまったような、そんな孤独を感じさせる、強い無気力感。


 高志はそのままシンクによりかかるようにして地べたへ座ると、両腕で足を抱え込み、じっと床を見つめた。何かを考えるのが億劫で、永遠にそうしていたいと感じていた。


「…………ん、あれ?」


 しかしものの5分も経たず、その感覚は綺麗さっぱりとなくなってしまった。高志はひとり首を傾げると、立ち上がり、そして机へと向かった。


「ううむ、さっきのがペナルティなんか? つーか、こっち側にくんのかよ」


 真偽のほどはわからないが、高志はそう言ってVRデバイスを手にとった。そろそろひと区切りつけて休憩しても良かったが、死んだ後にどうなるのかを知りたかったし、ゲーム内のリーベルが心配しているかもしれなかった。


「これで二度とログインできませんとかだったら、正直迂闊だったな」


 VRデバイスを頭に装着し、しばし待つ。するとやがて、いつものようにテイクアウトシステムのメッセージが流れ、次に青々とした一面の草原が映し出された。


 高志はひとつ安堵のため息を漏らすと、リーベルを探すために、周囲をきょろきょろと見回した。しかし彼女の姿はどこにもなく、彼はひとり眉をひそめた。


「…………おいおい、冗談じゃねぇぞ。ここに戻んのかよ」


 足元に見つけた、2本の枝。高志は見覚えのあるその枝を手にすると、今自分が立っているのが初めてこのゲームにログインした場所と同一である事を悟った。すなわちリーベルは現在地から歩いて2~3時間程も離れた場所にいるはずで、そこへ移動すると考えると、正直かなりうんざりした気持ちにさせられた。


「確か、あっちの方だったか?」


 高志はそう言いながら、もうひとつの問題点に気付き、舌打ちをした。周囲は似たような光景が延々と続いており、下手をするとリーベルの事を見つけられない可能性があった。

 しかし彼は、どうやらそれらが杞憂に終わりそうなひとつの機能に、気が付いた。


「方向と、これは距離か。助かった」


 パーティーメンバーの状態を表す、視界右上の表示。それのリーベルの名前の脇に矢印のアイコンと数字が表示されており、高志はそれが仲間の位置情報を示すものだろうとあたりをつけた。

 

 距離に関しては時間と速度を計算すれば、キロメートルで考えた場合におおよそ正しい位置が。そして方向は彼の記憶しているそれと大体が一致していた。


「とりあえず…………走るか」


 高志は矢印の指し示す方向へ向き直ると、長距離走をする程度の速度で走り始めた。それは現実世界の彼であれば数百メートルもいかずにバテてしまうだろう速度だったが、しかしここでの彼はさしたる疲れを感じる事もなく、なんなくやってのけた。


  ――疲労――


 走り始めて15分も経った頃、走行スキルが上がったというアナウンスが数回流れた後に、再びその表示が現れた。高志は「来たかっ!」とひとり警戒の声を上げると、走る速度を落とし、やがてその場で静止した。


「……………………」


 その場で立ち尽くし、じっと待ち続ける高志。彼は左上の表示を見つめながら、5分、10分と待ったが、しかしそれが消える事はなかった。


「…………どうしろっつーんだ。回復剤とか、そういうのが必要なのか?」


 腕を組み、途方に暮れる高志。彼は少し離れた場所に倒木を見つけると、そろりそろりと歩いて近付き、ため息と共にそれに腰掛けた。


「RPGだと、薬草とかにスタミナを回復させる効用があったりするよな」


 高志はぼんやりとそんな事をつぶやくと、手近にあった草を手で毟ってみた。彼はその手を持ち上げかけたところで、「馬鹿馬鹿しい」とそれを投げ捨てた。よしんば薬草なるものが存在するとしても、どうしてたまたまここに生えていた草がそうだと言えるだろう。


  ――スキルが上昇しました 自然回復 0.02――


 中空に流れるアナウンス。高志はなにげなくその表示を眺めたが、すぐに驚いて立ち上がる事となった。


「消えてる…………なんでだ? さっきの草か?」


 忌々しい疲労の表示が消え、そこには何の表示もなくなっていた。高志はしばらくその場で立ち止まって考え込むと、やがて意を決し、先ほど投げ捨てた雑草も念のために拾い集め、再び走り始めた。

 そして今度は5分ほどを走った後、再び現れた疲労の文字に、高志は足を止めた。少しだけあがった息を整えると、一度雑草を地面に置き、立ったまましばらくを待った。


「…………」


 高志は消えずに居座る疲労の文字を数分の間見続けると、次はその場に腰を下ろし、また同じように待ち始めた。


  ――スキルが上昇しました 自然回復 0.03――


 現れるアナウンス。そして消える疲労の文字。高志は「やっぱりそうか」とひとりほくそ笑むと、小さくガッツポーズをとった。


「座る事で休憩してると判断されるのか…………まぁ、いかにもって感じではあるな」


 高志は妙な満足感と共にそう発すると、「よし!」と膝を叩いて立ち上がり、今度は先ほどよりも早い足取りで走り始めた。

 

 風を切り、自然の匂いを感じながら、高志はパーティー表示の示す矢印の方向へ走り続け、そしてようやく遠目にリーベルと思われる人影を見つけるまでに追いついた。彼は声をかけようと手を上げかけたが、しかしリーベルが何やら忙しそうにしているようだったので、黙って走り寄る事にした。


「何やってんだあいつは……」


 近付くにつれて見えてきた、リーベルの奇行。彼女は初めて出会った際のように、座った状態から不恰好に飛び上がり、地面へ落下していた。それが一度きりであれば高志も特にどうとは思わなかったろうが、しかし連続してそれが行われ続けているとなると、話は別だった。


「いつつ、やっぱ難しいな…………おぉ、タカシ! おかえり!」


 顔に痣をつくり、髪にいくつもの草を絡ませたリーベルが、高志に気づいて元気良く挨拶をしてきた。高志は「おうよ」と軽く手を上げて応えると、痛々しい彼女の様子に少し顔をしかめつつ、傍に歩み寄った。


「やめとけ。お前のそれはハンデっつーより、むしろ呪いに近いレベルだ」


 そう言いながら、リーベルに背を向け、腰を下ろす。高志は「君って優しいんだね」という言葉を照れ隠しに聞こえないふりをしつつ、「早く乗れよ」と彼女を促した。リーベルは何やら上機嫌に鼻歌を奏でながら、背中に飛び乗ってきた。


「よっしゃ、がんがん行きまっしょい! 疲労は座ればとれるし、余裕余裕! はいよシルバー!」


「くそがっ! 知ってたのかよこのやろう! つーか俺は馬か!」


「もちろんだよ君ぃ。だってさっき、結構騎乗スキルが上がってたもん。あ、エロい意味じゃないよ?」


「うるせぇよ! つーかまじで馬扱いかよ! なんなんだよこのゲーム!」


 暴れて振り落とそうとする高志と、しがみつくリーベル。ふたりはぎゃーぎゃーと騒ぎながらも、当てもない旅路を再開した。


「そういえばさっき、タカシって死んだんだよね。何ともなかった?」


 歩き始めて小一時間がたった頃、リーベルが何となしにそんな事を聞いてきた。高志がアパートで経験した妙な無気力感の事を話すと、彼女は「地味にやだね、それ」と顔を顰めた。


「でもまぁ、死んでもOKって事は結構無茶が出来るよね。回数制限とかあったらあれだけど、そのあたりどうなの?」


「さぁなぁ。でも特にアナウンスのメッセージも流れなかったし、大丈夫なんじゃないか? 歴代のファンタジアはどうだったんだ?」


「うーん、ナンバリングによってまちまちなんだよね。スキルにペナルティがあるのもあったし、所持金が半分になって復活ってのもあったよ。あんまり評判は良くなかったけど」


「ふむ…………だがいずれにせよ、復活自体はできるわけか。この世界においてもそうだかはわからんが、いくらか安心できる情報ではあるな」


 とりとめのない話をしつつ、足を進める。疲労の表示が現れた際と、現実世界で用を足すために立ち止まる以外は、ふたりは話をしながら歩き続けた。


 そしてさらに1時間程もただ歩くだけの作業が続いた頃、ようやく、しかし望まない形で、高志に変化が訪れた。


 ――口渇状態――

 ――空腹状態――


 視界の左上に現れた、新しい表示。高志は疲労の際に得た経験からすぐに足を止めると、リーベルをゆっくりと地面へと降ろした。


「む、どしたん。今度は何ぞや?」


 リーベルが興味津々といった様子で尋ねてくる。高志は「見ればわかるだろ?」と視線をパーティー表示の方へ移すが、しかしそこにはふたりとも「元気」の表示がされているだけだった。


「表示に出るのと出ないのがあるのか…………いや、パラメータの表示、と言っていいのかわからんが、左上に口渇と空腹が表示された」


「空腹と、何? こーかつ?」


「こうかつ。喉が渇く事だな。言われてみれば、確かに水分を摂ってない」


 高志はその行動に何か意味があるのかはわからなかったが、とりあえずその場にしゃがみ込んだ。


「現実世界基準で考えれば2、3日は水なしでも…………あぁいや、重労働が入れば話は別か。しかし食事は結構持つはずだが……」


 そう言いながらも、結局はゲームの世界だからわからないと、ふたつの表示をにらみ付ける高志。彼はきょろきょろと周囲を見回すが、しかしそのふたつを解消出来るような何かは見つけられそうにもなかった。


「やっぱり、森の方に行く?」


 リーベルが言った。高志はうぅんとうなり声を上げると、しばしを思考に費やした。


 森へ行けば、草原よりは高い確率で水が存在する。植物は水分を必要とし、逆説的に、植物の多い場所には水分が豊富にある。それは確かな事実のひとつだろうが、しかしこの世界においてもそれが通じるのかがわからない。

 しかしこれだけリアルな光景が、ただのでたらめで作られているともまた、思えない。ゲームとは無数のプランナーやデザイナーが頭を絞ってプレイヤーにそれらしい世界観を提供するものであり、それはどこか、やはり現実世界の様々な法則に即し、説得力を与えているものである。


「…………虎穴に入らずんば虎子を得ず、か」


 高志は森の方を眺め見ると、その葉や幹が作り出す、薄暗い別世界にごくりとつばを飲んだ。


「まぁ、死んでもさっきんとこに戻るだけだしね」


 リーベルが実に軽い調子で言った。高志は「それを言うなよ……」とじと目で彼女をみやると、先ほどのゲーム中で死んだ際の妙な孤独感を思い出し、ぶるりと震えた。




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