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第29話


「お前が見たのは、恐らくトロールだ」


 薬師の家から出てからしばらく。人気のない夜の道を歩いていると、ふいにウィリーがそう言った。高志はその場で足をゆっくりと止めると、抱きかかえていたリーベルをそっと地面に下ろした。


「トロール…………聞くまでもないだろうけど、やばい相手だな?」


 高志の問いに、ウィリーが頷いた。


「出会わなくて済むのであれば、一生そうでありたい魔物だ。俺も今日まで噂でしか聞いた事がなかった」


「今日までって、あいつを見たのか?」


「あぁ。お前に話を聞いた後に墓の傍でな。幸いにも、どこかへ去っていく所だった」


「そうか…………やっぱり、マリーはあいつに?」


「だろうな。見つけた時、マリーは木の枝に引っかかっていた。背丈よりも高い場所だ」


「…………あぁっ、ちくしょう! ちくしょうっ!」


 高志はその場で立ち止まると、頭を抱え、そう悪態を吐いた。責任という二文字が頭をかき乱し、マリーの辛そうな寝顔が彼の心を突き刺した。


「すまん。ウィリー、すまん。俺のせいだ」


 謝ってどうにかなる事でもないとわかってはいるが、それでも謝罪をする高志。そんな彼に、しかしウィリーは首を振った。


「違う。誰のせいでもあるまい。しいて言うなれば、化け物のせいだ」


 当たり前の事を言うように、淡々とウィリーが言った。それに「そうじゃない!」と叫び、両手でウィリーの胸倉を掴む高志。


「危険を察知してた! もっと早くに帰れたんだ! 俺はどうでも良い事に時間を使って…………くそっ! 何もかもが間違ってた!」


 トーラウルフに危険を示唆されてから村へ帰るまでの行動を思い出し、どっと後悔の念が押し寄せてくる。あの場では最善だと思っていた判断がどれも間違っていて、実は無意識の自分がマリーを殺したがっていたのではなどという、そんな有り得ない考えさえもが頭に浮かんでくる。


「違う…………僕が……僕が、あんな風にマリーを呼ばなければ…………」


 地べたに座り、両足を抱え込んだ格好のリーベルが、涙声でそう言った。高志は何かを言い返そうと彼女の方を見たが、しかし浮かんでくる言葉はどれも意味がないように思え、黙り込んだ。


「ふたりには、感謝している」


 いたたまれない静けさの中、ウィリーがそんな事を言った。言ってる事の意味がわからず、高志は険しい顔でウィリーの方を見た。横では、リーベルも同じようにしている。


「そして我が妹マリーにもだ。君らのおかげで、村はこうして無事だ。無防備にしていたら、今頃地獄だったかもしれん」


 ウィリーが後ろを振り返り、広場の赤い光の方を見つめる。彼は無言のままでいるふたりの方へ視線を戻すと、さらに続けた。


「事前に危険を知っていたのは、我々とて同じだ。異変はあった。遠くへ行くなとマリーへ言い聞かせる事も出来ただろう。それが罪であるというのなら、我々は同罪だ」


 表情を崩すことなく、ウィリーは冷静にそう言った。ふたりはそれぞれに何かを言いかけたが、しかしそれは叶わず、また静けさが戻った。


 そして高志はそんなウィリーに、自分とウィリーとは生まれてからの歳月が近いというだけで、中身はまったくの別物なのだという事を改めて悟った。


 自分の妹があのような目にあって、悲しくないはずがない。怒りに燃えぬはずがない。しかしそういった心を制御し、彼は物事を冷静に見つめている。高志は取り乱した自分の振る舞いを思い出すと、まるで大人と子供じゃないかと自嘲した。


「…………何か、やれる事はあるか?」


 湧き上がってくる様々な感情を押し殺すと、深呼吸をしてから、高志はそう言った。気持ち的にはわめき散らし、何かに八つ当たりし、そして悲しんでいたいと思っていたが、それは今に相応しくない行動だと自分に言い聞かせ、気持ちを可能な限り落ち着かせた。ウィリーに比べれば彼はずっと子供だったが、しかしそういった事をやれる程度には大人だった。


「ある。皆を守らねばならない。しかし、強制ではない。村の事は村の者がやるべきだからな」


 ウィリーが少し冷たい口調で言った。それにリーベルが「だったら」と口を挟んでくる。


「僕らもやるべきだし、やらなくちゃ駄目だよ」


 そう言い、リーベルが高志の方を見てくる。高志はそれに頷くと、ウィリーの方へ真剣なまなざしを向けた。


「なんでもいい。手伝わせてくれ。俺は、俺なりにだが、自分にも責任があると思っているし、それによそ様でいたつもりもない。きっとこいつも同じだ」


 リーベルの肩へ手を置き、彼女が頷く様を見る。ふたりは視線をウィリーへ向けると、彼の言葉を待った。


「実の所、そう言ってもらわねば困ると思っていた。君らを当てにしたい」


 ほっとした様子のウィリー。彼は再び広場の方をみやると、ぼんやりと見える炎の明かりを指差した。


「トロールは極度に火を恐れる。数日の間、火を絶やさぬようにせねばならない」


 ウィリーは腕を下ろすが、視線はずっと炎の方に向けられていた。ウィリーに促されるように炎を見た高志は、だから火を焚いていたのかという得心と共に、しかし「数日?」と疑問を口にした。


「そうだ。5日もあれば十分だろう。移動中に必要な分は、動きながら集められる」


 ウィリーが遠くを見ながら言った。高志はその言葉の意味を考えると、悲しい答えを導き出した。


「村を、捨てるのか」


 高志の言葉に、ウィリーが「違う」と首を振った。


「捨てるのは土地だ。人がいれば村はまた作れる。トロールは縄張りを持つ魔物と聞く。ここはもう駄目だろう」


 ウィリーがそうきっぱりと言った。高志は二の句が次げず、黙って村を眺め見た。


 村は最初に来た頃と何も変わらず、穏やかで、ただ大げさな焚き火をしているだけのように見える。収穫を待つ田畑は豊かに実り、人々は素朴ながらも幸せな日々を送っている。子供は自由に森へ遊びに出かけられるし、武器を持った事のない大人が大多数だ。先祖の切り開いた土地は安全で、近くには尊敬すべき先人達の墓があり、森は自然の恵みを運んでくれる。村は貧しいかもしれないが、それでも彼らは笑顔を絶やさない。


 しかし炎の光が届かない森の中には一匹の化け物がおり、それが村の全てを脅かしているのだ。


 ウィリーは大した事はないとばかりに村を捨てると言ったが、その胸中は張り裂かれんばかりのはずだった。大人数を受け入れてくれる別の村などあるはずがなく、新たにどこかを切り開くような余裕も時間もあるとは思えない。村人は恐らく良くて散り散りで、下手をすればどこかで野たれ死ぬ事にでもなるのだろう。


「………………」


 そう考えると高志は、どんどんとその化け物に対する怒りが沸いてくるのを感じた。いったい何の権利があってそのような事をするのか。村の人々はレイヤを神と崇めているようだが、その神が許可したとでも言うのだろうかと。


「俺は、許してない」


 誰へともなく、高志は言った。それが化け物に対してか、それとも自分に対してかはわからなかったが、しかしそう言った。その後彼はウィリーと今後についてを話し合うと、村と、自分と、そしてマリーの為に、行動を開始するのだった。



 そしてマリーが亡くなったのは、その翌日だった。



 横についていたリーベルに手を握られたまま、何の前触れもなく、ただあっさりと、マリーは消え去った。それは丁度高志達が死んだ時と同じように、呼吸が止まり、姿が薄くなると、やがて消えてなくなったのだ。高志とリーベルは僅かな希望に縋ってウィリーの家を訪れたが、しかしベッドから復活する誰かなどいなかった。


 村は総出でマリーの事を偲び、思い思いの品を炎の中へと投げ込んだ。それはマリーにとって思い出深いだろう品々や、花束、人形、穀物や動物など、そういったものだった。


 やがて長老がひとつの丸い石を炎へ投げ込むと同時に儀式は終わり、石は焼け跡から取り出され、綺麗に磨かれてから墓へと移された。墓へ向かう道中は危険だった為、運ぶ役目は高志とリーベルが引き受けた。ふたりはうず高く詰まれた石の集まりにマリーのそれを乗せると、少しだけ涙を流した。


「命の重さだ」


 マリーの石の上に花を乗せると、高志はそう呟いた。空になった両手が、妙に手持ちぶさたを感じる。


「僕達とは、違うんだね」


 しみじみと、そして悲しそうに、リーベルが言った。高志は「そうだな」と頷くと、少し考え、そして今更ながらに気付いた事実に、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「ここは…………ゲームの世界なんかじゃない」


 積まれた墓石をひとつひとつ見ていくと、高志は最初のそれが置かれてからの長い歳月を感じ取った。


「ここは、まるでゲームみたいだが、しかしそうではなく、実在するひとつの世界だ。ゲームの世界じゃあない。ゲームの"ような"世界だ」


 高志はそう呟くと、墓石に背を向けた。彼は黙って背中へ乗ってきたリーベルの足を掴むと、残された者としてやるべき事をやる為に、村へと戻った。


 その後高志は、村の皆がそこを出て行くまでに、17回死んだ。


 死因は全て、ひとつの例外もなく、トロールによるものだった。高志は村人の脱出やその準備を手伝いつつ、時間が出来るたびに森へと入っていき、そして殺された。


 最初の何度かは村人が危険だと彼を止めたが、5回を過ぎる頃には誰も何も言わなくなった。村人は高志の頭がおかしくなってしまったのではと噂していたが、しかし実際は違っていた。


「リーベル、手伝って欲しい事がある」


 最初の死から4日も過ぎた頃の、17度目の死後。高志はベッドから体を起こすと、椅子でうなだれていたリーベルにそう声をかけた。リーベルは意味がわからないといった様子で首を傾げたが、ただ「わかった」とだけ答えてくれた。


「仔細はウィリーを交えて話す。今はとにかく、必要なものを揃えて欲しい」


 高志はそう言うと、リーベルに用意すべき品々を伝えた。彼は窓へと近付いてそこから顔を出すと、すっかり人気のなくなってしまった村の様子を眺め見た。


「トロール、か」


 高志はそう敵の名を呟くと、胸の内から湧き上がる黒い炎が育っていくのを、もっと育てと煽り立てた。それは悲しみと、喪失感と、そして罪の意識から自分を守ってくれるだろうと。


「後悔させてやる」




スローライフ。スロー……あれ?

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