第23話
薄暗く、入り組んだ木々が覆い茂る、深い森。夜ともなれば慣れ親しんだ者でも時に恐怖を感じる事すらあるそこだが、日の高い内は風と共にすがすがしい気分を運んできてくれる。
「いい陽気だな」
リーベルを背負い森を歩く高志が、葉の間から差す日差しから目を守る為、手でひさしを作りながら言った。空は穏やかで、走れば汗をかくが風が吹けば涼しいといった過ごしやすい気温は、着替えを持たない高志達にとっては非常にありがたかった。
「ふわぁ…………なんだか眠くなってくるよねぇ、こうあったかいと」
あくびをかみ殺したリーベルが、高志の肩へとあごを乗せてきた。高志はいくらかぎょっとしたが、よくある事なので放っておいた。年頃の女性がやるにしては褒められた行動ではないが、しかし誰に見られるというわけでもなかった。
「やっぱり、ウィリーについてきてもらった方が良かったかね。それらしい気配すらねぇぞ」
その場で立ち止まった高志が、周囲をぐるりと見渡しながらぼやいた。
ふたりは現在村近くの、老婆にトーラウルフとやらが出るぞと言われた方とは逆の森へと来ていた。こちらはそのような化け物が出る事はないらしく、狩りの練習がしたいというふたりにウィリーが教えてくれた場所だった。
話をした際にウィリーは心配なのか着いて行くと言ってきたが、しかしふたりはそれを辞退していた。
理由は色々とあったが、ふたりが特殊な存在であるという点が大きかった。誰かを背負ったまま行動するハンターなどいないし、もちろん背中に羽を生やす人間だっていない。そうであれば自分達のやり方は自分達で見つけるべきだという、リーベルの発案が採り上げられた形だった。
「ウィリーが言ってた。武器の扱いは狩りの一番じゃないって…………あれってつまり、こういう事だったんだろね」
肩にあごを乗せたまま、リーベルが眠たそうな顔で呟いた。既にふたりは4時間近くを森でうろうろとし続けており、しかし獲物はまだ一匹すら見つかっていないのだった。
「一応色々と話は聞いといたが、いざやるとなると話は別だな。気配を察知しろって言われたから、スキル的な何かでどうにかなると期待してたんだが」
高志はそう言うと、自分の甘い考えを頭の中で戒め、どうしたものかと腕を組んで考えた。現実世界の方の問題で、そろそろログアウトすべき時間だった。何があったというわけではなく、単に日付が変わってしばらく経つ程度にはおそかったからだ。
「鳥はいっぱい見かけるんだけどねぇ。さすがに無理だろうし」
リーベルが目線だけを上にあげる。森のそこかしこからは鳥のさえずりが聞こえてきており、確かに数だけで言えば結構な量がいそうだった。
「無理というか、無意味だな。手羽先2本とからあげひとつにしかならん。しかも小ぶりのだ」
鳥というのは全身が羽毛で覆われており、考えるまでもなく見た目より肉の量はかなり少ない。よって小さな鳥は罠でも使って捕えるのならまだしも、こうして足を使った狩りをするには向いていなかった。それに当然、体が小さければ的も小さい。
「こうしてみると、向こう岸の森は恵まれてたんだね。1時間も探せば必ずネズミが一匹はいたし」
既にネズミとしか呼ばれなくなったジャイアントラットの事を考えているのだろう、リーベルが目を閉じて思い出すように言った。高志は「だな」とため息をつくと、渓谷があるだろう方角へと顔を向けた。
「あっちは人の手が入ってなかったし、ライバルのハンターもいないのかもな…………って、よくよく考えると俺ら、向こうで普通の動物見かけてなくねぇか?」
原始時代の人々のような生活――当時の人達からすれば憤慨ものの表現かもしれないが――の事を思い出すと、高志はそんな事実に今更ながら思い至った。
ウィリーの言によると死んだ後に肉なり皮なりに変貌する生き物は魔物となるはずで、その他の生き物は普通に死骸となるはずだった。
しかし高志は一度たりとも、そのような生き物を見たためしがない。
「言われてみればそうだね。全部食べられちゃったのかな?」
「全部て。生態系的におかしいだろ…………魔物の存在自体がゲーム的すぎて、断言するのはあれかもだが」
「じゃあ何だというのだね、明智君。答えてみたまえよ」
「お前本当に年頃の女子か? まぁ、そうだな。例えば…………」
高志はしばし思案すると、ここが何でもありだという世界ではないと過程した上で、それらしい答えをいくつか思い浮かべた。
「そもそも、いなかったとかどうよ」
高志の答え。それに、リーベルが良くわからないといった顔をした。
「つまり、元からあそこは魔物だけが住んでたんじゃないかって話さ。魔物だけで食物連鎖が構築されてるってわけだな。魔物が魔物に食われて、魔物を食うと。別におかしな話じゃない」
「にゃるほどねぇ…………納得納得。でも、それって全部食べられちゃったってのと同じじゃにゃいの?」
「厳密に言えば違うが…………まぁ、一緒だな」
どうせ大昔に起こった事の検証などできやしないし、今後そんな機会があるとも思えない。であるなら、魔物だけしかいなさそうだという事実が大事で、原因などはどうでも良かった。
「魔物だけか、もしくは魔物だらけか…………いずれにせよ、これは有益な情報になり得るな。ライバルがいないってのは大きいぞ」
「お、とうとう財を成す事を考え始めましたかな? 独占? うはうは?」
「人聞きの悪い事を言うな。望んで独占状態になったわけじゃないし、最小労力での最大成果を得ようという、社会人として至極まっとうな思考だ。というか、独占もくそもねぇだろ。でっけぇ熊だのヘビだのが闊歩してんだぞ。誰も近寄りたがらねぇよ」
「まぁ、そだよねぇ。でもせっかく村を見つけたのに、また戻っちゃうの? タカシずっと人里が恋しい~って言ってたじゃん」
「俺が欲しかったのは落ち着ける拠点と、人並みの生活だ。別に手放すつもりはないよ。何かこう、簡単に向こうと行き来できる方法があればいいんだが」
高志達が元いた方の岸壁には、残念ながら縄梯子を垂らしてくれる人々はいない。そうなると、現状は一方通行のようなものだった。
「橋をかけるってのは?」
リーベルが無邪気そうに言う。高志はそれに首を振ると、「危険だ」と返した。
「橋ってのは誰でも渡れるんだぞ。魔物がこっちに来たらどうすんだ。そもそも大げさ過ぎる」
「そっか。じゃあ、階段…………は一緒かぁ」
「同じっていうか、何年かけてこしらえるつもりなんだよ…………いや、待てよ? リーベル!」
高志はリーベルの答えから小さな閃きを感じると、彼女のほうへがばっと振り向いた。
「なんじゃらほい?」
至近距離。焦点が合うのに時間がかかるような、そんな距離にあるリーベルの顔。長いまつ毛や、透き通るような青い瞳が目に入る。高志は慌てて顔を背けると、言った。
「すまん…………いや、そうじゃない。お前、10秒でどれだけの高さまで飛べる?」
風の吹きすさぶ、巨大な渓谷。双方の岸壁は高く切り立ち、そこに年輪のような土の層を露出させている。
途中途中からは岩や生える方向を間違えてしまった植物の根だのが飛び出し、場所によってはわずかな段差に積もった土に根を生やし、まるで真横に成長してしまっている樹木もあった。
「よっ、ほっ、とっ」
岸壁の中腹には、縄梯子を軽快に上る高志の姿が。彼は高い場所がさほど得意ではなかったが、しかし自分が手違いで落ちるような真似をするはずがないと、妙な自信があった。それはどう考えても甘い思考だと自分でもわかっていたが、それでもそう思ってしまうのはきっと不整地踏破というスキルのせいだろうと考えていた。
「気をつけてよー! すぐにもう一回は無理だからー!」
頭上からリーベルの叫ぶ声が聞こえてくる。高志は「わかってる!」とそれに叫び返すが、しかし手は休めずに登り続けた。
「お疲れ様ー。やーやー、しかし飛べるっていうのは凄いね。普通ならやれない事も、こんな簡単にやれちゃうんだから。凄くない? 僕の邪気眼凄くない?」
岸壁を登り終えた高志を、腰に手を当て、可能な限りといった様子で胸を張ったリーベルが出迎えてくれた。
「はいはい、凄い凄い。いやまぁ、あながち言い過ぎでもないな」
高志は後ろを振り返ると、今登ってきた岸壁の下を覗き見た。まるで吸い込まれるような高さのそれは、確かに自力で登ろうなどとは決して思わないだろうものだった。
向こう岸で引き上げてくれる者がいないのであれば、先回りできる者、すなわちリーベルが行けば良い。
話はそんな、至極単純なものだった。数十メートルもの長さの縄梯子はかなりの重量があったが、リーベルは事前の実験通りなんとか崖上まで持ち上げる事ができた。そこに高志の体重が加われば間違いなく支える事など不可能だが、それは梯子を木にくくりつけてしまえば良いだけの話だった。
デメリットとしてはリーベルの疲労が蓄積されてしまい、しばらく邪気眼を使えなくなってしまう事だったが、それは十分に休息をとる事でなんとかなる問題だった。崖上ですぐに危険に遭遇ともなれば問題にもなろうが、そんな可能性までもを考慮に入れてしまっては、それこそ何もできなくなってしまう。
「ふふーん、でしょ? いやー、僕はこういう事態を考えて取っておくべきスキルだと思ったんだよねー」
鼻の穴を膨らませ、えくぼを深くし、これ以上にないほどご機嫌な様子のリーベル。高志は何かを言い返そうとしたが、しかしやめておいた。きっとこれは、日常的に高志の背に頼らざるを得なくなってしまっている状況を、彼女なりに申し訳なく思っている事の裏返しだろうと思われた。
「そうか。今後もその慧眼に期待するとしよう…………さ、縄をあげるぞ」
ふたりは高志が登ってきた縄梯子を引き上げると、それを近くの茂みの中へと隠した。こうしておけば動物や何かが間違って梯子を壊すなり利用するなりする事がなくなるし、万が一知恵のある存在がいたとしても、偶然見つけてしまうという可能性をかなり低くする事ができた。
「ネズミ肉、いっぱい持って帰ろうね」
手にした弓――尖らせた木の槍ではなく、弓だ!――を掲げ、リーベルが鼻息を荒くする。高志は「なんでネズミ限定なんだ」と小さく笑うと、しかし彼女と同じように、弓を掲げて意気込んだ。