第20話
「正直に言うぞ。俺は今、かなり衝撃を受けてる」
与えられた仮の住まいの中で高志は、普段はしない神妙な面もちでリーベルへ向かい、小さな声でそう言った。案内をしてくれたウィリーは既に建物を後にしており、今そこにいるのはふたりだけだった。
「え、そうなの? 何? 何がありましたん? 君、さっきまでニコニコでしたやん」
興味津々といった様子でリーベルが、テーブル向こうから顔を寄せてくる。高志は内緒話をするように彼女と顔を付きあわせると、「ここは異常だ」と断言した。そしてひとつしかない入口の方をちらりと見やると、次いで口を開いた。
「お前、彼らがAIだと思うか?」
高志の質問に、リーベルはきょとんとした顔で首を傾げた。
「AIって、人工知能の事だよね? やー、さすがに違うんじゃない?」
「だろ? 俺もそう思う。あまりに所作が自然すぎるんだよな…………だが、それでもここはゲームの世界なわけだ。現実世界にアナウンスが流れたりはしない」
「うん。あっちでもあったらいいなーって、最近良く思うけど」
「それは俺も同感だが、ないものはないからな。しかしそうなると、ここはマジでいったい何なんだ? SF的な解釈は出来なくもないが、神の御業だって言われた方がまだしっくりくんぞ」
現実世界で1秒間に起こる全ての事をコンピューターなりなんなりでシミュレートしようとすると、必ず1秒以上かかってしまう。そんな当たり前の事が、高志は気になっていた。
なぜならばゲームの世界は現実世界よりも時間が早く進んでいるわけで、それは理屈に合わなかった。限定されたシミュレートだとか、現実世界も階層化されたシミュレーターのどこかで、ゲームの世界は上の階層にあるから時間が早いだとか、無理矢理整合性を合わせる事も出来なくはなかったが、だったら大いなる存在による仕業だとした方が、まだまともな考えのように思えた。
「うーん、僕に難しい事はわからないけど」
リーベルが珍しく真面目な顔で腕を組み、視線を天井の方へ向けた。
「ここはゲームの世界で、あの人達はゲームの世界に住んでる人。創ったのは神様とかそういう感じの凄い人で、僕達にはわかんない。それでいいんじゃないの?」
視線を高志の方へ戻し、自信たっぷりの表情で言うリーベル。高志は「いやまぁそうなんだが」と返すとしばし考え、そして結論を出すのを諦めた。
「考えてわかる事でもねぇか…………理論的にも中の人には気付けない、ってあったしな」
「むつかしい事考えてたらハゲるよ、君。こういうのは楽しんだもの勝ちだって」
「まぁ、そうだよな…………ちなみに髪の毛の話は止めろ。最近ちょっと気にしてんだ」
高志はリーベルの言う通りだと自分に言い聞かせると、「そういや」と話題を変えた。
「お前さっきまで随分様子が変だったけど、どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
こちらの世界で具合が悪くなる事がそもそもわからなかったが、とりあえずそう尋ねる高志。するとリーベルは少し下唇をつき出し、テーブルへあごを乗せ、拗ねたように言った。
「…………僕、人見知りなんだよね」
リーベルの発言に対し、高志は「それはギャグで言ってるのか?」と返す。しかし彼女は無言で首を振り、冗談で言っているわけではなさそうだった。
「その割にはお前、俺の時は最初っから馴れ馴れしかったじゃねぇか」
「高志の場合は、あの、ほら、なんていうか…………特別だったんだよ」
「あれがか? ふむ…………まぁ、確かに特別と言えば特別か。お互いにとってな」
オカルトじみた超常現象に巻き込まれたさなか、初めて出会った同じ立場の人間。それが特別でなくて何なのだろうと、高志は腕を組んでしみじみと思った。
「はは、まぁ、そうだね…………僕は君に会えて良かったよ」
「ん、それもお互い様さ。あの森で独りでやってけたかと聞かれると、多分無理だろうな」
「そうかな? 高志ならなんだかんだやりそうだけど。僕はほら、ひとりじゃ歩く事もできないんだから」
「俺だって孤独は堪えるわ。歩くっていうのが、前へ進むっていう意味なら、それも一緒だろ」
「う、うわ、うまい事言ったつもりですかな? 似合いませんぞ」
「うるせぇ。ほっとけ」
ふたりは森でそうしてきたように、村が用意してくれた料理が運ばれてくるまで、そんな他愛のない話を続けた。ふたりが話を終えるきっかけを作ったのは小さな少女で、建物に入るなり大きな声で「こんばんは」と声を発し、料理を手にしたウィリーと共に仕切りの内側へと入ってきた。
「マリーです。お食事、できました」
丁寧にお辞儀をする、小学校低学年程の可愛らしい少女。照れているのか唇を小さく噛み、上目遣いで太郎たちの方をきょろきょろと伺っている。茶色のくりくりとしたくせっ毛を布でバンダナのようにまとめており、赤や黄色といった色とりどりの染めが成された簡素なワンピースに身を包んでいた。
建物前に集まっていた人々を見た限りでは染物を身にまとったような者はおらず、高志は彼女が何か特別な身分にあるか、もしくはわざわざ特別な日に着るような何かを用意してくれたのだろうと想像した。
「ありがとう。俺はタカシで、こっちはリーベル。よろしくな」
高志が手を伸ばすと、少女ははにかみながらも手を握り返してくれた。
「どれも村で採れるもので、大したものが出せなくて申し訳ない。君らの舌に合えば良いんだが」
お盆を手にしたウィリーが、そう言って湯気の立つ木の器をテーブルへ並べてくれる。
器の中身は野菜の入ったスープ、焼き目のついた丸パン、それに何かをペースト状にしたオレンジ色の付合わせといったもので、きっと普段の高志であれば随分と質素な料理だといった感想を持っただろう品々だったが、しかし今の高志には正真正銘のご馳走に見えた。
「久しぶりに、肉以外が食える」
ほとんど無意識のうちに、高志は呟いた。煮込まれた野菜が発する芳醇な香りと、まだわずかに残っているパンの焼けた匂いが鼻をくすぐり、体は早くそれを消化せよと唾液を分泌してくる。否応なしに期待が高まり、高志は食事の前に必要な作法があるかどうかの確認をすると、その後すぐに食事へと飛びついた。
そして、その期待が裏切られる事はなかった。
「あのマリーって娘が、僕らが最初に見かけた人影だったみたいだよ」
食事を終え、頂いた湯と布きれで体を拭き――もちろんパーティションが役に立った――、その後ベッドの上でごろごろとしていた時、ふとリーベルが言った。高志は「そうなのか」と少女の顔を思い浮かべると、いつかお礼をするべきだろうと心に書き留めた。
「なんかひそひそと話してたが、その事か。女性から男性に話しかけちゃいけないとか、そういうのがあるのか?」
「んーん、単なる人見知りみたいだよ。僕の方を選んだのは、きっと人徳の成せる業だね」
「はいはい。人見知り同士、何か通じるものがあったんすかね」
「あはは、あったあった。心で通じる何かだねー」
食事中に何かあった時の為なのか、ふたりが食べ終えるまでウィリーとマリーはずっと傍に付き添ってくれていた。食べるのを見られるのはいくらか居心地の悪い思いをするものだが、しかし夢中で食べていた高志はほとんど気にならなかった。
「文化面で言えば、驚くほど現実世界のそれに近そうだったな。都合が良いというか何というか」
「まぁ、ゲームの世界だからねぇ。でもまだわかんないよ? きっと世界は広いだろうし」
「そうだな。世界は広い…………ふむ。今後、どうするかな」
リーベルに向けてというより、独り言として呟く高志。
彼はもしかしたら大金が掴めるのではという淡い期待からここへ来ているのであって、今の所はそれ以上でも以下でもなかった。少なくともこの世界をメインの生活圏にしようなどという考えは微塵もなく、今後そう思う日が来るかどうかすら定かではなかった。この不可思議な現象がいつまで続くかはわからないし、もしかしたらVRデバイスが壊れるなどという事だって十分に有り得た。修理の見込みがない事は考えるまでもない。
「お宝を探すんじゃないの?」
眠気が襲っているのか、少しぼんやりとした様子でリーベルが言った。高志は「そうだが」と肯定すると、「しかしだ」とそれに続けた。
「単にお宝を手にするったって、方法は色々あるぞ。いつか魔王のくだりで言ったように誰かから奪う事もできるし、まっとうなやり方で手にする事もできる。ゲームの世界っていうくらいだから、もしかしたら隠された財宝なんてのもあるかもな。ダンジョンだか、それとも竜の巣だかは知らんが」
「いいねぇ、わくわくするねぇ。隠された財宝を求め、勇者リーベルいざゆかん」
「はは、それじゃ俺はそのお供だな。だが、実際は相当しんどいと思うぞ。動物や魔物が相手ならまだしも、立ちはだかるのが人だったら、お前切れるか?」
「うっ、それはちょっと…………あいや、相手によるかな」
「お前、やっぱ強いな…………」
高志はベッドの上で寝返りを打つと、布団と言うよりは布きれと呼ぶべき見た目の掛け布団を首まで引き上げ、その感触を楽しんだ。もちろんごわごわとして触り心地など良くはなかったが、少なくとも何も無いよりはずっとマシだった。
「とりあえず村を拠点に、あっちこっちと行ってまわろうか。そのうち、何か良い案が浮かぶかもだからな…………あぁそれと、お礼代わりに村の仕事を手伝うのも、忘れないように、しないと」
うつらうつらとしてきた高志は、そんな事をぼんやりと口にした。しかしリーベルからの返事はなく、彼女の方からは既に小さな寝息が聞こえ始めていた。
「ログアウトしないと…………いや、もう安全か」
高志は自分達が家屋の中におり、そして入り口にはかんぬきがかけられている事を思い出すと、いよいよ重くなってきたまぶたに逆らうのを止めた。
――安全な場所 復活地点が更新されました――