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第2話

 その日高志は、会社を休んだ。


 彼は自分が手にした不思議なゲーム機を前に、両腕を組み、そして机の上に置かれた石ころをじっと見つめていた。


「ただの石だな」


 高志は鉱物の専門家ではなく、石の事など詳しくなかった。あえて言えば多孔質で、表面があまり磨耗していない事から、川の下流で見つかるような石ではなさそうだといった程度の事だけはわかった。


「ネットで調べてみるか。似たような報告があるかもしれん」


 高志はこのゲーム機が昨日発売されたばかりであり、非現実的な何かが起こっていればネットで話題になっているはずだとあたりをつけた。

 

 まずは大手ニュースサイトからはじまり、トピックにプレスタの名前がある項目を次々と見ていった。そしてやがて個人が運営するような小さな掲示板に至るまでを小一時間調べ続けたが、しかしこれといって変わった情報は見つからなかった。どれもがプレスタの素晴らしさを賞賛する記事や、同日発売されたソフトの品評といったようなもので、異常現象の報告といったような変わった書き込みはなかった。


「メーカーか、それとも研究機関とかになるのかね。相談した方がいいのかな」


 机の上の石ころを指ではじきつつ、高志がぼやいた。彼はネットで発売元へ連絡を入れようとしたが、その前に別の新たな可能性に気づき、それを取りやめた。

 おかしくなったのは、自分ではないかという疑念。


「…………たまたま、家の中に石があったのかもしれない。誰かが投げ込んだとか、そういう感じか。確率的にはあり得ない話でもないだろ。落雷で死ぬ人がいるくらいだし。プレイ中にびっくりし過ぎて、無意識のうちに石を掴んでたんだ」


 口に出して言うと、なんだかそれが真実のような気がしてきた。彼は少し落ち着いてきた気持ちで再び椅子に腰掛けると、VRデバイスを手に取った。考えれば簡単な話で、もう一度試してみれば良いだけの事だった。


「石は……向こうにおいとくか。いや、机の上も整理しとこう」


 高志はあらゆる可能性を消しておこうと、窓を閉め、机の上の荷物を布団の上へとどかし、デスク周辺をよくよく観察した。当たり前の話だが他に石ころなどなく、そもそも自然物と呼べるものは存在しなかった。彼は観葉植物の類は好きだが、しかし世話をするとなると話は別だった。


「よし、行くか」


 念には念をと素っ裸になった高志は、そう気合を入れてVRデバイスを頭に装着した。第三者がこの場を見れば、十分に頭がおかしくなったと判断しそうな光景だったが、幸いな事に彼はひとり暮らしだった。


 そして再びゲーム機本体の電源を入れた瞬間、彼は自分がおかしくなったわけではない事を悟った。


 ――テイクアウトアイテム 残り2/3個――


 黒い画面に、白いメッセージ。空中に浮かび上がるそれは、高志に強い衝撃を与えた。魔法だか宇宙人の技術だか何だか知らないが、自分が今超常現象と呼ばれる何かに間違いなく遭遇していると、高志は混乱のなかでどこか理解した。


「いや、重要なのは再現性だ、再現性。そうだ。俺は現代科学の申し子のはずだ」


 理解はしても納得はしないと、高志はやがて現れただだっ広い草原の景色を見つつ、そう発した。彼はきょろきょろと周囲を見渡すと、やがて落ちていた枯れた木の枝を見つけ、そのうちの何本かを手にとった。

 そしてまじまじと検分すると、最も特徴的な形をしたひとつを残し、他を放り捨てる。彼は手にした一本を顔に近づけ、その節の数や形といった特徴を出来る限り記憶し、そして満足した頃に終了ボタンを押した。


「…………よし。俺は今、間違いなくスタンド攻撃を受けてるな」


 アパートの一室へと戻った視界の中、高志は手にした枝を見てそう呟いた。心のどこかでなんとなく察してはいたが、枝は確かに、彼がゲーム中で拾ったものと同じ特徴を有していた。

 

 彼は震える手で枝を机の上に置くと、特に意味はなかったが、先ほど避けておいた石をその隣に置いた。そしてじっとそのふたつを見つめると、自分の採りうる行動のいくつかを頭に思い描いた。誰かに相談、メーカーへの連絡、様子見、ネットを使って呼びかけといったような、そういった事だ。

 

 そして浮かんできたアイデアのひとつに思い至った時、彼は少しだけ感じる罪悪感めいた感情から部屋の中をきょろきょろと見回し、そして今度はVRデバイスの方を見た。


「なんでも…………持ち帰れるのか?」


 頭の中に先ほど見た広い草原の光景を思い浮かべ、次いで小学生の頃にプレイしたファンタジアのゲームを記憶の中から掘り起こした。主人公たる勇者が世界を救うため、仲間や装備を整え、魔王と戦う。そんな単純なゲームだが、目の前にある謎のVRデバイスがある以上、それだけで片付けて良い事ではなかった。


 例えば、通貨には金貨があったはずだ。

 アイテムとして、金の延べ棒や宝石が存在する。

 瞬間移動の使える魔法の杖さえもがある。


 高志はそれらの事実を思い出すと、誰かへ相談するというアイデアを一時的に封印する事にした。少しばかり。そう、もう少しばかり、このVRデバイスの事を調べてからでも良いのではないだろうかと。


「魔法の道具とかは、なしだな。こっちで使えるのかがわからん」


 高志はそう考えをまとめると、VRデバイスを頭に装着した。魔法に関する何かは非常に魅力的であり、できれば持ち帰れるかを確かめたかったが、残念ながらそれを確かめるわけにはいかなかった。彼は先ほど現れたシステムメッセージを憶えていたからだ。


 ――テイクアウトアイテム 残り1/3個――


 再び現れたメッセージに、高志は「やっぱそうだよな」と残念に思いつつ発した。

 メッセージが確かであれば、持ち帰れるものはあとひとつ。


「でかい宝石のひとつでも手に入れれば、やばい事になりそうだな。億を超えるようなのもあるし。出所があれだけど、実家の納屋で見つけたとかでいけるか? 忘れられた家宝的なあれで」


 高志はぶつぶつと呟きつつ、やがて現れた草原の光景に満足し、今度はちょっとした野心と目的を持ちつつ、しかしどこへともなく歩き始めた。相変わらずの心地よい空気が体を撫で、太陽の光がエアコンで冷えた体を温めてくれる。


「…………これは、思ったよりおお事なんじゃないか?」


 高志は今しがた自分が体験した感覚に、今度は全身が震えるのを感じた。彼は自分が臆病な人間だと思った事はそうないが、しかし理解できない現象に遭遇した時、体はこうも正直に反応するのだという事を知った。


 日差しの熱。風の感触。


 このごく当たり前の自然現象を、なぜ自分が感じているのか。彼とゲーム機とを繋ぐインターフェイスはあくまで視界を提供するVRデバイスのみであり、触覚やその他といったものは繋がっていない。今起きている事は、間違いなく超常現象だった。

 

 高志はしばらくその場で立ち止まり、考えなければいけない事を必死で頭の中に思い浮かべ、そして実行に移した。彼は前にログインした際に投げ捨てた枝の元まで戻ると、少しだけ躊躇してから、それで自分の腕を引っかいた。


「リアルだな……けど、少し鈍いか?」


 高志は引っかいた箇所からにじみ出てきた血液を見つめると、ほとんど感じないわずかな痛みに若干安堵しつつ、次いでVRデバイスを取り外した。そして1DKの部屋の中で見る自分の腕に傷がない事を確認すると、ほっとため息を吐いた。ゲームの中での死がこちらと直結していたら、とんでもない事になる。


「あぁ…………これは、あれだな。もう、魔法だ。なんかわからんけど、そういうのだ」


 高志が今先ほどの行動を思い出し、諦めにも似た心境で言った。

 彼は先ほどゲームの中で、振り返り、歩き、しゃがみ、枝を拾い、立ち上がり、それを腕につきたて、ひっかくという一連の動作を自然にやってのけた。コントローラーをどう操作したかなど憶えていないし、むしろ普段通り、自分の体を動かすように、それらをやってのけていた。


 最新のプログラムを搭載した二足歩行のロボットが、ただ歩くという動作に、力加減、タイミング、バランス等と非常な苦労している事を考えれば、それはまさに異常な事だった。高志の反応がさして大きくないのは、ただ驚き疲れてしまっているだけだった。


 彼はもう何度目になるかわからないVRデバイスの装着を行うと、メッセージに「わかってるよ」と返し、現れた草原の上でほとんど無意識のように体を動かし、現実と同じように動作が出来る事を確認した。


「よし。むしろそう来るなら楽でいい。人体の動かし方なら30年近くの経験があるからな」


 高志は周囲を見渡すと、彼の中のゲームの常識に従い、森から離れるようにして移動し始めた。森は危険であり、多数の動物やモンスター達がいるものだと彼は考えていた。

 いまいるのがゲームの世界だとするならば、自分はまごう事なき最低レベルの弱者であり、そうであれば弱者らしく行動するつもりだった。敵に相当する何かがいれば逃げるつもりだったし、今必要なものは情報であると考えていた。


「チュートリアルとかないのか…………いや、そもそもこれってゲームの世界なのか?」


 高志は自分を奮い立たせるべく、時折VRデバイスを外して現実世界の様子を確認したりしつつ、出来るだけ独り言を話しながら歩いた。究極の没入感を提供されてしまっている今、そうでもしないと、冷静さを保てそうになかった。自分はあくまで客観的に世界を見ているぞと、声に出して確認する必要があった。


「町とか、城とかか。まずは人を見つけた方がいいな。少なくともそこにモンスターは出ないだろうし…………人間はAIみたいに動作するのかな。ここはどこそこの町ですって言い続けたり」


 時折腕時計の時間を確認しつつ、高志はどこまでも歩いていった。理想は町を見つける事だったが、ゲームのように長距離を短時間で移動できるとも限らず、大地の縮尺が現実世界と同様に広い可能性もあった。衛星のような高地から大地を見渡す事など不可能なので、高志はとりあえず海か川にでもぶち当たれれば良い方だろうなと考えていた。


 ――スキルが上昇しました 徒歩 0.11――


 草原の上を30分も歩き続けた頃だろうか、突然現れた中空のメッセージにびくりとする高志。彼はしばしぽかんとしてそのメッセージを見つめていたが、やがてそれが消えると共に呟いた。


「スキル制か…………こりゃ面倒だぞ」


 自身の強さを示す上で、単純な段階のみで表現されるものがレベル制。逆にひとつひとつの動作や特技に個別の段階が設けられたものが、スキル制。どちらがより現実に近いかといえば後者だったが、しかし自分の成長の度合いが把握しにくいという欠点があった。

 LV1で戦えるモンスター、LV5で戦えるモンスターと考えると単純だが、剣の腕前が5と盾の扱いが3以上で、回復が4あれば戦えるモンスター。ただし剣が10あれば盾はなくとも……となると手に負えない。そして大抵の場合、スキルの数は数十から数百種に渡る。


「そもそも0.1がどの程度を指してるのかがまったくわからん…………うおおっ!?」


 スキルについてをあれこれ考えつつ歩いていた高志が、叫び声を上げて腰を低くした。たった今しがた乗り越えた倒木の陰に、人が倒れていたからだ。


「だ、大丈夫か? おい、なぁあんた」


 恐る恐る倒れた人物に近寄り、声をかける高志。どうやら倒れているのは女性で、銀色の長い髪を後ろで縛り、高志と同じようなシンプルなシャツとズボンといった格好をしていた。


「おいおい、最初の遭遇が死体とか、洒落にならんぞ」


 高志は女性の傍にひざを突くと、首元に揃えた人差し指と中指を当てた。僅かに感じる脈の動き。


 ――スキルが上昇しました 医術 0.05――


 中空に現れる表示。高志はびくりと驚くと、中空へ向かって呟いた。


「びびったろうが……いや、脈計ってるだけだぞ。医術もくそもねぇだろ」


「そうなんだ。おっぱいでも触ろうとしてんのかと思ってた」


「ん。いやいや、そんなわけ…………うわあぁ! 喋ったぁああ!」


 下から聞こえた声に驚き、飛び退る高志。すると声の主である女は「そら喋るわよ」と冷静に発し、首を高志の方へ向けてきた。

 切れ長の目と、真っ直ぐに通った高い鼻筋。化粧はしていないだろうにも関わらず、透き通るような白い肌。少し尖らせたような唇は紅を引いたように赤く、顔は完璧な左右対称だった。長い耳はきっと何か人間以外の種族なのだろうが、高志にそれが何の種族なのかはわからなかった。彼はゲームの世界だとわかっているにも関わらず、本気で美しい顔だと思った。


「私、リーベル。よろしくね」


 女が倒れたまま手を差し出してくる。高志は「あ、はい」と曖昧に返事をすると、差し出された手を掴んだ。そして引き起こしてやろうと力をこめるが、しかし女は立ち上がらず、ずるずると引きずられ始めた。


「いや、すまん…………っていうか、何してんだ」


 引きずられた格好のままもがくリーベルを見て、おずおずと高志が言った。リーベルは「いえ」と顔の前で手を振ると、その場で上半身だけを起こした。

 高志はゲームの世界の住人と普通に会話が出来ているという事実に少し感動すると、逆に、自分の町の名前を連呼し続けるようなキャラクターがいないだろう事を残念にも思った。


「なぁ、ちょっと聞きたいんだが、この辺りに人の住んでる所は――」

「…………そぉいっ!!」


 高志がリーベルに尋ねている途中、彼女は急にその場で高く飛び跳ね、空中で前方方向に回転し、そして顔面から地面に落下した。


「いや、何やってんの!? お前何やってんの!? 怖いって!」

「うへへ、失敬失敬。慣れてなくて」


 てへへと頭をかくリーベルの鼻から、つうっと赤い鼻血が流れていく。高志はどん引きしつつも、シャツの裾で鼻血をぬぐってやる。


 ――スキルが上昇しました 医術 0.07――


「簡単すぎじゃね!? 医療スキルあがるの簡単すぎじゃね!?」

「や、耳元でうるさいぞよ。それよりちょっとおぶってくんないかな。歩けそうにないや」

「え? あぁ、そら構わんけど……なんだ? そういうイベントなのか?」


 高志はどこか釈然としないものの、言われた通りリーベルを負ぶってやる。現実世界の彼は女性ひとりの体重が乗ればかなりふらついたろうが、しかし今の彼は、簡単に背負って歩く事が出来た。


「んで、リーベル。どっちに行けばいいんだ。人里に連れてってくれんだろ?」

「いあ、わかんない。フィーリングでいきまっしょい」


 期待していたのとは違うリーベルの答えに、高志は首だけで背後へ振り向いた。そして疑問符を浮かべる高志に、彼女が言った。


「わっちも今日プレイはじめたばっかだもん。君もじゃないの?」




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