第17話
小さな箱。他に形容しようのない、木で出来た、シンプルなデザインの、蝶番などなく、ただ上下にかみ合わせてあるだけの箱。それをしばし見つめていた高志は、なんとも言えない表情で呟いた。
「…………シュールすぎる」
今までもネズミの牙だのヘビの毒だのといったゲームらしいアイテムといった形のものは存在したが、それでもそれらはあくまで元の生き物が元来より持つ何かといったものだった。
しかし目の前の箱は、さすがに熊が飲み込んでいたというのも無理な話で、あまりに異質なものだった。
「うん。なんていうか、いかにもゲームって感じだね」
何があってもいつも元気一杯のリーベルですら、きょとんとした様子でそう言った。高志は「まったくだ」とそれに同意すると、その小さな箱を手に取り、しげしげと眺めた。
「まぁ、完全に人工物だな…………えらく軽いが、何が入ってるんだ?」
箱は空なのではと疑う程の重さしかなく、軽く振ってみると何かが入っている感触はしたが、しかし物音を立てる程ではなかった。
「宝箱っていうくらいだから、いい物だといいね…………早くもお宝ゲット?」
期待と不安が入り混じったかのような様子のリーベル。しかし札束にしては軽すぎるし、宝石や何かといった価値がありそうなものにしては感触が変だと、高志はあまり期待する気にはなれなかった。
「まぁ、空けてみるか」
高志はリーベルにも中身が見えるようにとしゃがみ込むと、蓋へ手をかけ、それを開いた。
――宝箱の罠が発動 高志は毒に侵されました――
流れるメッセージ。「あ」と声を発するリーベルと、蓋を開けたままの状態で固まる高志。高志はわずかな間だけ目を閉じてため息を吐くと、構わず箱の中身を覗き見た。
「…………布?」
小さく折りたたまれた、何かの布。高志は徐々に込み上げてきた吐き気を意識して無視すると、布をつまんで引っ張り出してみた。
「………………靴下、だね」
「………………靴下、だな」
ふたり同時に、同じ事を発する。高志は喜んで良いものかどうかの判断が付かず、とりあえずそれをリーベルに手渡した。
「ふっ。どうせ俺の命なんて、せいぜい靴下程度の軽さかもな」
ニヒルに笑う高志。「あはは……」と口だけで笑う、困ったような顔のリーベル。高志はその場ですっくと立ち上がると、天を仰ぎ、そして叫んだ。
「殺せよ! あぁ、殺せよちくしょう! お前なんか大っ嫌いだ!」
運命の女神だか何だか知らないが、高志はそういった存在に向かって叫ぶと、そして死んだ。
――スキルが上昇しました 不死1.00――
「おーい、タカシー。こっちこっちー!」
森の中で地べたに座り込んだリーベルが、高志を見つけて大きく手を振ってくる。復活地点から走り続けてきた高志は「うぅい」と適当な返答をすると、彼女の傍に無造作に腰掛けた。
「ん、タカシ元気ないっぽい?」
リーベルが心配そうに覗き込んでくる。高志は「いや」と手を振って否定したが、「あぁもポンポン殺されりゃな」と肯定もした。
「まー、そうだよねぇ。好きなゲームでもやられ続けるとムキーってなるし」
「だな。つーか死ぬ事自体はまぁ、こんな世界で町人以下の俺たちだろ? それは仕方ないとは思うんだ。ぶっちゃけしんどいのは、この2時間近くかかる元の地点まで戻る作業だ。俺はマラソンランナーかっての」
「…………ゲーム続けるの、嫌になっちゃった?」
「んー、いや、ゲーム自体は楽しんでるよ。時間が長いせいもあるだろうが、充実してる感じはするな。焚き火をしてたり、夢中になって木の枝集めたり、そういうのは嫌いじゃない」
「ほんとに? 辞めたりしない?」
「しないよ。少なくとも今の所はな…………だがまぁ、早いトコ落ち着ける場所を探したいってのが正直な所だな」
高志はリーベルのとなりでごろりと横になると、手馴れた動作で枕代わりのネズミの皮を後頭部へと挟み込んだ。
「巷には俺たちみたいな体験をした小説だのゲームだのがあって、その中の主人公たちはすぐに切った貼ったの世界に飛び込んでってるが、ありゃ嘘だな」
高志は大蛇に始まり、ネズミ、熊と戦った際の事を思い出すと、さらに続けた。
「死んでも大丈夫だってわかってても、やっぱそうなる時のストレスは強烈だし、戦ってる最中だってそうだ。ましてや人が相手となったら、例えそれが殺し殺されじゃなくても、それこそ本気の敵意を向けられるだけでもトラウマになるわ。お前ら途上国の少年兵かっての。こちとら寝てる間の襲撃が怖くて、わざわざ毎回ログアウトしてんだぞ。それなしだったら3日でギブアップするわ」
架空の存在に対する不満をつらつらと吐き出すと、高志はひとつため息を吐いた。それを見たリーベルはしばし何か考えている様子だったが、やがて高志と同じように地面へ横になった。
「フツーは何か、理由があったりするもんね。世界を救う為とか、誰かを守る為とか」
「だな。いわゆる大儀ってやつだ。戦争に行く人もそういう感じなんだろな…………その点、俺たちは何もねぇ」
「あわよくばお金儲けーだもんね。にしし、主人公にはなれませんなぁ」
「あぁ、無理だ無理。そういうのは…………あぁ、だから物語の主人公は勇者って呼ばれてんのかもな。確かに勇敢なる者だわ」
高志は自分の中にある想像上の勇者を思い浮かべると、その手の届かない存在に憧憬の念を抱いた。しかしそれと同時に、本当は誰よりも現代日本に生きる自分のような安全な生活を欲しているのではと考えると、実に悲しい存在のようにも思えてきた。
「…………まぁ、あれだ。脇役らしく、慎ましやかに行こう。安全な場所を探して、のんびり地道に、ちょっとの無理だけでなんとかやっていける程度の範囲で、そんな場所から夢を見よう」
高志はそう口にすると、何だかすっきりしたような気がした。横ではリーベルがにこにこと笑顔を浮かべており、高志は何だか気恥ずかしくなって顔を背けた。
「そいやお前、さっきのあれ何だよ。空飛んでただろ」
話題を変えるべく、高志が言った。するとリーベルは「何って」と不思議そうな顔をし、「邪気眼だよ」と答えてきた。
「いや、意味がわからん。あれはその、戦士なら手に入れられるスキルとか、そういった感じか?」
「んーん、違うよ。初期ポイントがあれば誰でも取れるはず。僕は足りなかったから、ペナルティ使って取ったけど」
「うお、お前、あれの為に足を犠牲にしたのか? いやいや、まじかよ。何でだ? あれってそんなに凄いスキルなのか?」
「やー、凄くはないんじゃないかなぁ。今のトコ10秒しか使えないし。うへへ」
「いやいや、じゃあ何故によ」
「何故って、だって飛んでみたいじゃん」
きっぱりとした答え。高志は何かを言おうと口をぱくぱくとさせたが、あまりに簡潔すぎるために何も言い返せなかった。
「飛べるんだよ? 鳥みたいに。何の道具もなくて、びゅーんって。それって凄くない? どんなにお金持ちになっても、絶対に出来ない事だよ? ずっと夢だったんだ」
飛び立った際の事を思い出しているのか、夢見がちな表情で語るリーベル。高志はそんなリーベルをしばらくぽかんと見ていたが、やがて実に彼女らしいと納得し、小さく笑った。
「なっ、何がおかしいのさ! ライト兄弟が実現するまで、400万年以上も人類が見続けてきた夢だよ? 謝れ! 昔の人に謝れ!」
「いや、すまんすまん。悪気はないんだ。馬鹿にもしてないよ。良い夢だと思う。俺もキャラクターメイキングが出来ていたら、もしかしたら選んだかもな」
「むー、適当に言ってない? 本当は子供っぽいとか思ってるんでしょ?」
「思ってない思ってない。お前の言葉を借りるなら、ライト兄弟は初飛行の時にまだ子供だったか? そうじゃないだろ?」
「そらそうだけどさぁ。でも、誰に言っても馬鹿にされるよ? もしくは悟ったような表情でため息吐かれたりとかさぁ」
「まぁ、現実社会に生きてるとどうしてもな…………あぁ、そうだ。どうせなら崖の方で休むとしよう。運が良ければまた誰かいるかもしれん」
ふたりは荷物をまとめると、すぐ近くの渓谷へ向かって歩き始めた。不整地踏破のスキルがある高志はいつもよりずっと楽に、そして素早く移動する事ができ、その足取りはとても楽だった。
「あ、そういえばあの靴下」
背中の上で、リーベルが思い出したように口を開いた。
「ん? あぁ、履いてるのか。俺が履くとすぐに穴が開きそうだし、そのまま使ってくれ」
「これ、履いてると疲労になりにくくなる効果があるみたいだよ。あと多分、冷え性にも効く」
「おおい! おめぇ一切疲労になんねぇだろうが! よこせ! 今すぐよこせ!」
「えぇ!? でも僕冷え性なんだよ!?」
「知るかよ! 超知るかよ!」
「や、ちょ、えっち! 高志のえっちぃ! 脱がすなー!」
「えっちて、お前ずっと裸足だったろうが。こっちは死活問題なんだよ!」
ふたりは静かな森をなかでぎゃーぎゃーわめきつつ進むと、やがていつぞやの崖へと到着した。風の音が吹きすさぶそこは相も変わらず絶景で、高志は奪い取った靴下が飛ばされぬよう注意をしながらふちへと歩みよった。
「いない、か…………まぁ、そうだよな。そうそう都合よくいくはずが――」
高志が諦めてその場に腰を下ろしかけた時、リーベルが「あっ!」と大きな声をあげた。
「高志! あれみて! あそこ!」
リーベルが大きく乗り出し、いつぞやの白い石の塔とは少し離れた場所を指差す。高志はそちらへ目を凝らすと、同じように驚きの声を上げた。
そこには、明らかに人とわかる複数人の人々が、高志達の方へと大きく手を振っていた。