第1話
実弾兵器の合間に、ファンタジーを書こうと。
デスゲームとか、そういう暗いのはやりません。目指せほのぼの死
それはただの石だった。
どこにでもある、ありふれた、手の平で十分に掴める程度の大きさの、薄っすらとついた土が茶色に彩る、何の変哲もない、ただの石だった。
「あぁ……ぁ……」
しかしだからこそ、それを手にしている男にとって、それは驚愕だった。男は1DKの狭い部屋で、平成の時代に作られたとりわけ特徴のないデスクチェアに座り、机の上に置かれた石を持つその手をわなわなと震わせ、首をすくませ、目を見開いていた。頭の中は混乱し、口からは意味を成さない声がもれ出すだけだった。
その石は、本当にただの石だった。
男にはその事実が、何よりも恐ろしかった。
第一章 命の重さ
今年29歳になる鈴木高志はその日、とても疲れていた。
それなりに、しかし声を大にして言う程ではない程度に整った顔と、昔は筋肉質だったものの、今では見る影もない中肉中背の平均的な身体。さして特徴のない高校を卒業した彼は、同じく平均的な大学へ入り、そして2年を経た頃に大学で受ける授業に意味を見出せず、制止してくれた心優しい周囲の人間に耳を貸す事もなく、中退。
その後しばらくはアルバイトで生計を立て、24歳の夏に就職。誰かに胸を張って自慢出来る事といえば、アルバイト時代に趣味としてやっていた3DCG(3次元コンピューターグラフィクス)の技術を買われ、4年の無職期間というハンデがあったにも関わらず、正社員として就職する事が出来た事くらいだった。それは運の要素が非常に大きかったという事実は当然にあったが、しかし彼がそれなりに努力をしていたのだというのも、また事実だった。
そしてその程度の幸運は、少し周囲に目を向ければいくらでも転がっているものだった。
高志は自分を特別な人間だと思った事はないし、大多数の他人からしても事実そうだった。自分がある程度を何でもこなせる人間だという事を彼自身知っていたし、それなりに早い頭の回転と、それなりの教養と、それなりの運動神経と、それなりの一般常識を持っている事も知っていた。しかしそのどれもこれもが才能と呼ぶにはあまりに申し訳ない程度のものであり、周囲を唸らせるような抜きん出た何かというのは一切持っていなかった。
すなわち、ひと言で言えば、彼はいわゆる普通の社会人だった。
「19時か……この時間に帰るのは久しぶりだな」
自宅へ向けた線路際のアスファルトを歩く高志が、腕時計を見てひとりごちた。
電気屋でどうしても購入したものがあった彼は、店舗がその営業を終了させてしまう前に、仕事を切り上げる必要があった。毎日2~3時間の残業が常態化した職場でそれを行うのは困難だったが、しかし彼はやり遂げた。
しかしその代わりに、彼はとても疲れていた。
「…………失敗したかな」
今も腕に負担をかけ続けている有名電気店のロゴが入った紙袋を少し掲げ、そして逆の手に持ち変える。マウスより重い物を持つ事のなくなった彼の日常は、恐らく明日には筋肉痛が襲ってくるだろう事実を想像させる程度には、彼の肉体を弱らせていた。
職場の最寄り駅から電車に揺られ、25分。世界最大のメトロポリスである大東京の範囲には含まれているものの、しかしいささか閑散とした下町の町並みに囲まれた駅で降りた彼は、そこから15分程を歩き、家賃8万円の古いとも新しいともつかないアパートの一室へと入った。女っ気のない部屋は今朝彼が出て行った時のままの状態であり、近々それが変わるだろう予定もなく、いつも通りいささかうんざりした感情で靴を脱いだ。
「VRか。21世紀だな」
残暑の汗にまみれたシャツを脱ぎ、手早く部屋着に着替えた彼は、エアコンのスイッチを入れ、帰宅途中のコンビニで買った弁当の中身を電子レンジで暖めながら、そんな事を言った。
電気屋で購入した彼が欲しかったものとは、まさに今日発売されたばかりの最新ゲーム機だった。プレイスターシステム(通称プレスタ)という商品名のそれは、VRデバイスと呼ばれる眼鏡状のモニターを頭に装着して遊ぶタイプのゲーム機で、その種のものでは最新だった。頭の動きと連動してモニターの表示が変わり、つまりは自分が右を向けばゲーム内のキャラも右を向き、当然景色も右を向いたキャラクターから見えるそれに追随するという、非常に没頭感の強い映像を提供してくれるゲーム機だった。
「普段ゲームのCGを作っておいて、家でゲームはやってません、とはいかねぇからな」
彼はそう自分に言い訳をすると、決して安くはないそのゲーム機を箱から取り出し、説明書のページをぞんざいにめくっていった。弁当を食べながらという決して行儀の良い行為ではなかったが、誰に迷惑をかけるというわけでもなかった。
説明書に書かれていた内容を「こういうのはどれも同じか」というひと言でまとめた高志は、ゲーム機を箱から取り出すと、コネクタの形状から推測して配線を繋ぎ、本体と同時に購入していたソフトウェアをセットした。
「ファンタジアシリーズってまだ続いてたんだな……最初のやつは小学校の頃だぞ」
ファンタジアと題されたソフトのパッケージを眺めると、それに続けて書かれた14の数字が、どれだけそのソフトのシリーズが愛されているのかを語りかけてきた。
3Dデザイナーという職業はゲーム業界においても必要とされる職業であり、高志もその中のひとりだが、しかし高志の会社が請け負う仕事はアニメや映画といった映像製作が主で、ゲームの仕事も時折あるものの、高志自身もそこまでゲーム関連の仕事に興味があるわけでもなかった。
しかしゲーム自体が嫌いなわけでななく、昭和後期生まれの多くがそうであるように、彼もゲームと共に青春時代を生きてきた。手元にあるファンタジアというシリーズのゲームも、最初の2作は随分と熱心にプレイをした記憶がある。
そして彼はどちらかというと3Dポリゴンがぐりぐりと画面を動かす現在のゲームより、昔ながらのドット絵で描画された古いタイプのゲームが好きであり、それがゆえに、現在のポリゴン描画全盛の時代において、自然とゲームの世界からは遠ざかっていた。今でも戦略や経営といった、比較的映像が重要視されない、シミュレーションゲームといったジャンルの方は、パソコンを用いてときおりプレイはしていたが。
「ハードディスクへのインストールに30分か…………ちょっと横になるかな」
高志はひとり呟くと、敷きっぱなしになっている布団の上へ横になった。真新しいゲーム機の本体に自分の疲れた顔が映り、彼はひとつため息をついた。ゲームのプレイは楽しみではあったが、若い頃に感じた程のわくわく感はなく、何か本体とソフトを購入したという事実それ自体に満足感を覚えてしまっており、高志は「週末にプレイすれば良いか」という心境になっていた。そして高志自身、その週末がいつの週末の事なのかどうか、よくわからなかった。
彼は近未来的なデザインで作られた、ケーブルの繋がる機械仕掛けの眼鏡、すなわちVRデバイスを手にすると、それを顔に装着してみた。本体に電源が入っていない以上、当然ただの暗闇が訪れるだけで、それだけだった。
「アイマスクとしては優秀だな」
視界の全てが暗闇に覆われ、外界からの光が全て遮断されている事がわかる。高志は疲れた体をほぐすように大きく伸びをすると、そのまま気づかぬうちに寝てしまった。
――ワールドコネクトシステム インストール…………完了――
いつもより遥かに早い時間に寝たにも関わらず、翌朝いつもと同じ時間に目を覚ました高志は、なんだか損をしたような気がしつつも、いつも通り会社へ行く支度をし始めた。といっても必要なのは髭を剃り、軽く髪型を整え、外着に着替えるだけで、準備は15分もあれば十分だった。
「…………あれ? こんなデザインだったか?」
ドアへ向かって歩き始めた高志が、布団の上に置かれたVRデバイスが目に入り、そう呟いた。昨晩の記憶からすると、VRデバイスはSFチックにデザインされた、メカメカしい見た目だったはずだった。
しかしそこにあるVRデバイスは、曲線でデザインされた、ファンタジックというか、呪術めいた不思議なデザインで作られていた。真鍮で造られた眼鏡に、複雑に絡み合ったツタが所狭しと暴れ周り、無数のつぼみがアクセントを加えている。メガネで言うとレンズの部分には、装飾された見た事のない言語が何行にも渡って浮き彫りされており、その凝ったデザインにデザイナーの端くれとして少し関心をした。
「ファンタジア同梱版だからか。コスト凄いだろうに、ようやるわ」
高志はいわゆる剣と魔法の世界で冒険をするというファンタジアシリーズのコンセプトを思い出すと、そう言って納得した。昨日は本当に疲れていたし、自分の記憶の方が間違っていたのだろうと。
「ちょっとやってみるか。オープニングくらいは見れるだろ」
高志は腕時計の時間を確認すると、定時に出社するのであればあと30分ほどの余裕がある事を確認した。体の疲れは十分にとれており、今はやる気にあふれていた。
彼はVRデバイスを手にすると、パソコンの置かれた机へと向かい、椅子に腰掛けた。昔ながらの方向キーと複数のボタンで作られたコントローラーを握って感触を確かめると、片手でVRデバイスを頭に装着し、そのままコントローラーにある電源スイッチを押した。
わずかに聞こえるゲーム機の駆動音。
そして、真っ暗だった視界に、光が溢れた。
「………………嘘だろ」
一面に広がる青々とした平原と、高い入道雲のそびえる、どこまでも続く突き抜けるような高い空。強い太陽の日差しがさんさんと降り注ぎ、眩しさに目を細める。
ほとんど無意識のうちに、そして自然に首をまわすと、無数の木々が視界に入る。まばらに生えた木々の向こうには鬱蒼とした森が広がっており、そこから何羽かの鳥が飛び立っていった。
「こんなん…………作れない事はないけど……いや、無理だろ」
映像製作の現場に携わる人間として、現在の技術でできる事、できない事、その区別はついているつもりだった。彼は実写と見分けがつかないレベルのCGを作る事が出来たし、今までに何度もそういった仕事をこなしてきた事があるが、しかしゲームの中でというと話は別だった。
映画やアニメ、ゲームの中で流れるムービーといったものは、既に生成された動画を流しているのに過ぎない。リアルな映像を作るには膨大な時間と計算が必要だが、一度映像が出来上がってさえしまえば、それはただの動画に過ぎない。動画とは連続して切り替えられる静止画なわけだが、その1枚1枚に何十時間だろうが何百時間だろうが、動画をつくるためだけであれば、いくらでも計算をかける事ができる。
しかしゲームのプレイ中に表示される画面は、今現在ゲーム機本体がリアルタイムに計算して描画されたCGであり、単に動画を再生するのとはわけが違う。理由は単純で、カメラとなるプレイヤーの動きを事前に決める事が出来ないからだ。プレイヤーは好きなように動くし、好きな方向を見る。つまりゲーム中の映像において その瞬間瞬間で作られる映像は、例えば秒間24枚の静止画で作られているとすれば、わずか24分の1秒以下で計算される必要があるからだ。
「俺が知らないだけで、何か新しい技術が……」
高志は首をきょろきょろと動かすと、その本物としか思えない景色を目に焼き付けた。
草が風に揺れ、間に見える土の上には小さな虫が這っている。雲は時間と共にその姿を徐々に変え、それが太陽を遮ると、周囲はうっすらと暗くなった。森の木々はざわめき、風に乗った木の葉がゆらゆらとどこかへ飛んでいく。視点を合わせる距離によって焦点が変わり、遠くを見れば近くが、近くをみれば遠くはぼやける。
高志はしばしの間をぼけっと美しい景色に見とれていたが、ふとコントローラーの事を思い出し、方向キーの上を押した。すると景色が後ろへ流れ出し、自分が前へ進んでいるのだとわかった。
「これが、俺か」
高志が首を下に向けると、当たり前のようにゲーム中の自分の姿が視界に入った。足を交互に出して地面を歩く自分の姿は、シンプルな茶色いチュニックに、ふくらはぎまでの長さの薄青いズボン、そして紐で編まれたサンダルといった出で立ちだった。それぞれは麻か何かで作られているのだろう荒々しい質感で、歩くたびにサンダルの紐が揺れ、服が風にはためいた。両腕は何か見えない皿を大事そうに持つような格好で、博史はコントローラーを持つ自分とそれが同じである事に気づいた。
「なんかアクションは出来ないのか。走ったりとか、ジャンプとか」
高志がそう言ってコントローラーのボタンを適当に押すと、ふと視界が下へと動き、ゲームの中のキャラクターがその場にしゃがみ込んだ。キャラクターは草を押しつぶすように置かれていたこぶし大の石を手にすると、再び立ち上がった。
キャラクターは左手に石を持っていた。
高志は右利きであり、彼は無意識に、頭の中で、
石を右手に持ち替えるイメージを浮かべた。
キャラクターが、彼の思った通りに、石を右手に持ち替えた。
「うおぁっ!!」
高志はぞわりとした恐怖に襲われ、声を上げてコントローラーを投げ飛ばした。しかし相変わらず草原の上に立つ自分の姿が目に入り、彼は慌ててVRデバイスを頭から外した。
「偶然っ、だっ。くそっ! 怖すぎんぞ!」
心臓が早鐘を打ち、息は荒れている。まるで自分が本当にゲームの世界に入り込んでしまったようで、気持ちが悪かった。彼はきょろきょろと周囲を見回すと、そこに写る勝手知ったる自分の部屋の光景に安堵を覚えた。自分はジーンズとシャツという一般的な格好をしており、そして――
右手には、石を持っていた。
主人公、おっさん
地の分をごりごり書いた作品がどうなのか不明だったので、テストを兼ねて