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楽園の檻  作者: AIR
4/6

陽だまり

 


『そりゃあ、もちろん、兄さんの逆鱗に触れたよ!だって事もあろうにグローリア、他の誰でもない、きみを連れて逃げ出そうとしたんだ、兄さんからきみを奪おうとした。それは決して許される行いじゃない。だから、ソールの名を与えられた少年は、罰を受けることになった』



 何度も気を失い、夢と現をさ迷う私に語りかけられていたツヴァイの言葉が、何故か今になって脳裏を過ぎる。

 それは最大の禁忌だとツヴァイは言ったけれど、ソールはただ、口にしただけだ。

「逃げよう」と、あの晩、口にしてしまっただけ、たったそれだけのことで死んでしまった。

 私のせいで死んでしまった。


 ———私がソールを、殺したのだ。





「グローリア?」



 気がつくと目の前には眉尻を下げ、心配そうな面持ちでこちらを見下すマレがいた。

 吸血鬼との茶会が終わり、どうやら私は元いた薔薇園へと戻されたらしく、辺りを見回してもあの化け物の姿はない。

 また、最奥部に続くも閉ざされていた。



「グローリア、もう部屋に戻ろう。あまり顔色が良くないみたい。ここに来ると、いつもそう……」



 恐る恐る差し伸べられたマレの手が私の頬に触れると、まるで私という存在を認識するように、ゆっくりと輪郭をなぞってゆく。

 その指先が震えていることには気がつかない振りをして、私は「大丈夫よ」と譫言のように繰り返した。



「熱が引いたとはいえ、まだ体調も万全ではないだろうし、一度室内に戻った方がいい」


「……そうね」


「この薔薇園にグローリアが来ると、いつもそう。まるで、埋められた皆がグローリアまで引き込もうとしているみたいに感じてしまって、少し怖くなる。こんな風に言うのは、死んでしまった皆に悪い事かもしれないけれど……」



 馬鹿ね、マレ、そんな訳ないでしょう?

 例えあの世からソールが迎えに来たとしても、私はその手を拒絶するだろう。

 一度自覚してしまった「生」への執着は、この身が尽きる最期まで、いや、例えこの身が尽きたとしても、変わらず私の中で燻り続けるに違いない。

 何をしてでも、何を犠牲にしても、生きたいと、そう願ったあの日のことを、私は決して忘れない。



『どうして?グローリア……』


『ソール、私は』



 たとえ、何を犠牲にしても———。





 4





 グローリア、と私を呼ぶ声がした。


 暖かな春の陽だまりを連想させる柔らかな声色は、知り合って間もない頃からどこか懐かしさを感じさせ、名前を呼ばれる度に心地よい気分になった。


 この異常な屋敷において、彼は特別な存在だ。

 仄暗い屋敷に射し込む淡い光であり、俯いてばかりいた私に、空の青さを教えてくれた人でもある。


 ——ソール。


 私たちの、希望の光。



「グローリア、おいで。今日は海の話をしよう」



 子供たちが集まる部屋の真ん中で、ソールが私を手招きして呼ぶので、杖をつきながら、ゆっくりではあるが、導かれるように彼の隣に座り込んだ。

 すると、まるでそうなることが当たり前のように、部屋にいた子供たちが自然と私たちの周りに集まり始め、気がつくと四方をすっかり囲まれていた。


 ソールにはそういう力がある。

 人を寄せつける引力と言えばいいのか、彼の周りには常に誰かがいて、その最たる例が双子の姉であるルーナだ。

 私がこの屋敷に来る二ヶ月程前に、二人は共に吸血鬼に連れられてきたそうで、それから現在に至るまで姉のルーナは異常な程にソールに付きっきりだった。

 ソールがいなければ呼吸もままならない、そんなことを言ってのけてしまいそうな執着ぶりに、しかしソールという人柄を知っている身としては、然もありなんと頷けてしまう。


 太陽がなければ輝くことのない月のように、ルーナもまた、ソールという光がなければ、暗闇に似たこの屋敷の中を自由に動き回ることさえできないのだろう。


 例外があるとすれば、ルーナはソールが私に構うことを快く思っていないようで、私がいるとあまりソールのもとに寄ってこない。

 今だって、こちらの様子を気にしてはいるが、少し離れた場所に座り、それ以上近づくことはしかなった。



「ねぇ、ソール。海って何?」



 ふと、ソールの言葉が引っかかり質問した私に、ソールが微笑んだ。



「海っていうのは、陸地じゃないところのことで、塩水の溜まる場所のことだよ。とても大きいんだ」


「そんなに大きいの?」


「うん。空みたいに、先が見えないからね」



 そうなんだ、とひどく感慨深かった。

 私は外の世界について、あまりよく知らない。

 吸血鬼に連れられてくる以前から、自由と呼べるものの殆どを両親によって奪われていた私は、遠くへ出掛けることは疎か、自分の家から出たことさえ数える程だった。

 商売のためにと一般的な教養を身につけさせられたが、私が余計な真似をしないようにと、教えられる知識は大いに偏っていた。


 だから、ソールの話を聞く度に、家の外にはそんなにも広い世界があるのかと愕然として、今まで自分がどれだけ狭隘な範囲の中で生きていたのか思い知らされるのだ。



「海にはね、たくさんの生き物がいるんだ。この世すべての生き物のうち1割が陸の生き物で、残りの9割は海の生き物だとされている。世界で一番大きな生き物も、海にいる」


「……海って広いのね、とても」


「うん。俺は一度、海を渡ったことがあるんだけどね、初めて海を目の当たりにした時、感動したよ。あの広大さはとてもじゃないけど言葉に表せない。強く美しい、生命の源——きっと、グローリアも同じことを思うだろう」



 生命の源。

 神秘の奇跡。

 強く美しい、広大な海原。


 ソールはその目で見たもの、本の知識で得たもの、住んでいた地域に伝わる民間説話など、様々な媒体をもとに海の話をしてくれた。


 中でも一際興味を引いたのは、海の怪物の話だった。



「昔から、船乗りたちに伝わる怪異があってね、水平線のみが続く海上ではセイレーンに気をつけろ、と皆が口を揃えて言うんだ。どこからともなく美しい歌声が聞こえた時、それはセイレーンの歌で、魅了された船乗りは次々と海に飛び込み、招かれた暴風雨によって船は難破してしまうらしい。生きて戻る人間は殆どいないそうだ」



 吸血鬼に出会う以前なら、想像上の生き物、ただの与太話だろうと一笑に付しただろうが、こうして幽鬼に囚われる身となった今は、セイレーンの存在も決して夢物語とは思わない。

 同じことを考えたのか、周りにいた子供たちはセイレーンの被害に遭った船乗りたちに己の憂き身を重ね合わせて、顔を真っ青にさせていた。

 それに気づいたソールが、眉尻を下げて訂正する。



「ああ、ごめんね、皆。怖がらせようとしたわけじゃないんだ。ただ、船乗りたちを惑わすほど、セイレーンの歌声が美しいことを知って欲しくて。セイレーンは海の上にしか現れないから、大丈夫、安心してほしい」



 セイレーンの歌声を実際に聞いたことがあるかのような言い回しに違和感を覚えたが、あまりにソールが穏やかに語るため追求はしなかった。





「似てると思ったんだ。セイレーンに」



 子供たちが寝静まった夜更け、バルコニーに出て星空を見上げていれば、隣にいたソールがふと口を開いた。


 いつからか、あれはそう、ウィクトリアがいなくなった頃からだ。

 その頃から、ソールと二人で手を繋いで、ただ星空を眺めるだけの夜を過ごすようになった。



「似てるって、何が?」


「きみだよ、グローリア」


「……私が?」



 セイレーンは海の怪物だ。

 そんなものに似ていると言われ、素直に喜べるはずもなく、ソールの真意を探った。



「セイレーンの歌は人を惑わす。でも、彼女は、人を襲うために歌っていたわけじゃない」


「ソール。セイレーンに、会ったことがあるのね?」


「……ルーナには内緒だよ」



 もしやと思い口にした言葉が肯定され、面食らったものの、現在置かれている自分たちの状況を鑑みれば、そういうことがあっても可笑しくないような気にさせられてしまう。



「昔、父親に連れられて海を渡った時、嵐に遭ってね、その時セイレーンの歌を聞いたんだ。船の上にいた殆どの人間は海に身を投げ出し、俺もその内の一人だったんだけど、セイレーンに助けられた」


「助けられた……?」


「セイレーンは本当は人を殺めたくないんだ。歌を聞いた人間が勝手に狂って、惑わされているだけ。だけど歌わずにはいられないから、嵐の日に騒音に紛れて歌うんだって」



 分からない、と私は言った。

 だって、そうでしょう、人を殺めたくないのなら、おかしな力のあるその歌声を封じればいいだけだ。

 歌わなければいい、たったそれだけのことなのに、それでも歌わずにいられないなんて、私には分からないことだった。



「グローリア、きみは彼女によく似ている」


「……似てないわ。私は、私だったら、人が死んでしまうのを分かっていながら歌ったりしない」


「そうだね。きっと、そうだ。あの苦しみは、彼女にしか分からない。でもね、グローリア、俺が言いたいことはそうじゃないんだよ」



 握られた手に力が籠る。

 向き合ったソールの双眸は、何故か悲愴の色を滲ませ、私を憐れむように見つめていた。



「あの吸血鬼は、随分ときみに執着しているように思う。少し前から、そうなんじゃないかと疑念はあったけど、確信に変わったのはウィクトリアが死んでからだ。今も俺の知らないところで、あの吸血鬼と二人きりで会っているんだろう?」


「………」



 事実だった。

 ウィクトリアが亡くなった後、吸血鬼は私を特別な薔薇園に招くようになり、そこで何をするわけでもなくただ二人きりの時間を共有する。


 最初の頃は本当にただジッと見つめられるだけで、あの赤い眼差しを自分一人が占領していることに恐ろしさに似た感情があったが、次第に居心地の悪さも感じるようになり、吸血鬼は何がしたいのだろうかと考え始めた。

 人間を観察したいのなら月に数回催される食事会で事足りるだろうに、どうして私だけを連れ出してあの花園に連れてゆくのか、不可知でしかなかった。


 だが、吸血鬼の行動原理は理解の及ばないものでも、もしやと連想することはできた。

 吸血鬼は死ぬことが決まった子供たちと、ああして接触しているのではないだろうか、私はもう直に、殺されるのではないだろうか、と。


 惨たらしく死んだ父母の姿が脳裏を過ぎり、寒さに震えた。



「ソール、私たち、いつまで生きていられるんだろうね」



 私は今、確かに生きているはずなのに、まるで生きた空がない。

 繋いだ手のひらから伝わる温度さえも、錯覚なのではないだろうかと、たちどころに現実が意識の奥へ遠ざかる。



「……こんなの間違ってる。ただ死を待つだけの毎日なんて、“生きてる”ことにはならない」



 ソールの言葉は魔法のようだった。

 彼が時折見せる、何にも交わらない眩いばかりの光は、歪な環境下に慣れてしまった私には一層鮮烈で、その眩しさに思わず目を細めてしまう。



「ねぇ、グローリア。いつかここを出て、みんなで幸せに暮らそう。大丈夫、きっと、明るい未来は失われない、だって俺たちは———生きている、から」



 この光の先が、私たちの進むべき方向なのだ。






 それからしばらく経った頃、マレやドロル、ラクリマ、その他に二人の女の子を引き連れ、吸血鬼の弟たるツヴァイが屋敷に現れた。


 初めてツヴァイと対峙した時、兄の吸血鬼とは違う表情の豊かさに人間的な要素を感じ取った私は、彼が人に紛れて医師の真似事をしていると名乗ったこともあり、この吸血鬼ならば、少なくともあの化け物よりは意思疎通が図れるのではないかと期待した。

 しかし、マレたちのことを「兄さんへの手土産に」と言って、気に入らなければ廃棄してもいいと、弊履を捨てるかのように扱ったのを見て、叶わない望みと知る。


 見た目や振る舞いがどんなに人間のそれに近しくとも、彼らは吸血鬼という種であり、私たちとは根底から相容れない存在なのだ。

 彼らを自分たちと同じように考えてはいけない、そう改めて思い知らされただけだった。


 ツヴァイは子供たちのメディカルケアや、生活環境の改善のため、定期的に屋敷に足を運ぶようになった。

 吸血鬼という名の捕食者が二人になったことにより、屋敷の空気は以前より張り詰めたものになり、診療のためにツヴァイと向き合わなければならない僅かな時間は、子供たちにとって食事会の次に憂苦なものでしかなく、診療日が近づくにつれ皆は悄然とする。



「やぁ、グローリア。今日は特別なメニューがあるんだ」



 いつにも増して胡散臭い笑みを携えて、朗らかに言い放ったツヴァイに、私はといえば悪寒が止まらなかった。


 嫌な予感がした——。

 こういう時の直感ほど外れたことはない。

 たとえば母親が私の足を火炙りにした時、吸血鬼が庭に現れ目に付いた人々を手に掛けていた時、その直前に、まるで覚悟を決めろと言わんばかりに私の第六感は悪い知らせを運んでくる。


 ツヴァイは私を台の上に座らせ、床に届かず宙に浮いた脚を熱心に見つめた。



「支えるものがあれば、まだ歩ける状態だったね。それにしても酷な事をする。白魚のような肌に映える、醜い火傷の痕。一体どんな涜聖を働けば、こんな仕打ちが返ってくるんだろうねぇ。これまで、さぞや大変だったに違いない、幼くして足を悪くするなんて、ああ、可哀想に。可哀想なグローリア」



 しげしげと眺めるツヴァイの口振りは同情的であっても、どこか楽しそうで、「人間は時に、僕たちのような化け物と同じくらい残酷だ」と叙情的な詩人を真似た身振りからは、誠意の欠片も感じられない。



「………可哀想なグローリア、きみはこれから、耐え難い苦痛を味わうことになる」



 それは、死の訪れを意味しているのかと、絶望に顔を上げた。


 だが、跪いて私の脚に口付けたツヴァイの触れ方が、割れ物でも扱うように慎重で、労わるようなものだったため、死を与える人間に向けるものではないと困惑した。



「舌を噛まないように、僕の指を噛んでいてね。大丈夫、これは栄誉な痛みだ。人間の身でありながら、兄さんに選ばれたきみにだけ与えられるもの。さぁ、ヘマをして死なないように、僕の指を噛んで、この痛みに耐えてくれるね?」



 私の返答を待たずに、ツヴァイの牙が脹脛に突き立てられた。


 瞬間、全身を駆け巡った激痛に、私の意思とは関係なく身体が暴れ始める。

 絹を裂くような叫び声は、自分はこんな声も出せたのかとどこか冷静だった私を驚かせた。



「僕らの牙には毒があってね、もちろん人間にとっては猛毒だけれど、微量の摂取なら、対象を死なせることなく弱らせることも出来るんだ。今回は、きみの足を使い物にさせないようにする。ふふ、信じられる?あの兄さんが、わざわざ僕に、こーんな面倒臭いことを頼んできたんだよ」



 経験したことのない痛みだった。

 母親の折檻ですら、こんなにも激しい痛みを伴ったことはない。

 いっそのこと死んでしまった方が楽になるのではないかと思わせる激しい苦痛に、意識を保つことは既に困難を極め、やけに弾んだツヴァイの言葉は私の耳に届きはしても、すぐに理解することはなかった。



「僕は肩書きこそ医者だけど、人を生かすより殺す方が得手なんだ。だからきみのことも、気に入ったのなら殺して観賞用に保管しておけばいいと提案したんだけど、どうにも兄さんは動いているきみを望んでいるみたいで、すげなく却下されてしまったよ。生きることは、こんなにも苦しいのにね?」



 可哀想なグローリア、と。

 ツヴァイは何度目になるか分からない、憐れみの言葉を投げた。






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