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楽園の檻  作者: AIR
2/6

ギニー・ピッグ




 砕いた遺骨を遺灰に混ぜ、皆で掘った土の中に埋める。

 美しい薔薇が咲き誇る庭園には、これで何十人になるか分からない子供たちが眠っており、誰かが死んでしまう度に私たちは幾度となくこの土を掘り起こしてきた。


 掘り起こして、埋めて、また掘って、何度繰り返せば、終わりが見えるのか。

 答えのない問い掛けを、永遠と自問する。



 ———ゴーン、ゴーン



 皆が哀しみに暮れていたその時、重苦しい屋敷の鐘が鳴った。

 それは吸血鬼が子供たちに集合を掛けた、気鬱な合図であり、心無しか顔を蒼くさせた子供たちに、私は静かな声で「行きましょう」と告げた。




「今宵の晩餐は皆で摂ろう」



 得も言われぬ絶佳、艶麗な容姿をした化け物が広間に集まった子供たちに向かって鷹揚に宣ったその一言で、おぞましいくらいに静かな夕食会は開かれた。


 七日に一度の頻度で開かれる吸血鬼を交えた夕食会は、吸血鬼にしてみれば人間の食事風景を観察したいだけなのだろうが、子供たちにとっては鬼胎をいだくものでしかない。

 もし何か粗相をしてしまったら、吸血鬼の勘気を被ってしまったら、そんなことばかり考えていては当然食事が喉を通るはずもなく、戦々恐々と、ひたすらに晩餐が終わることを祈るだけだ。

 何とも気が進まない——。


 加えて、私たちは先程ソールの弔いを終えたばかりである。

 ソールを殺した張本人を前にして平静を保っていられる程、私たちは成熟し切れていないし、現に今だって隣に座るマレがテーブルの下で拳を握り締め、血が滲むのも気に留めず、必死に己の激情をこらえているようだった。


 吸血鬼の人一人を手に掛けたとは思えない、落ち着き払った巍然たる振る舞い。

 きっとこの化け物にとって人を殺すという行為は、空気を吸って吐くような、態態わざわざ意識する必要の無い、造作ない行いなのだろう。

 私たちが歩を進める時、そこに生きた蟻がいるかどうかなんて一々気にしたりしない、吸血鬼も同じだ、価値なんて無きに等しい、私たちの命は風前の灯なのだ。

 私がそっとマレの拳に手を置くと、マレも分かっていると言わんばかりに顔を横に振り、手に込めていた力を緩めた。


 沈黙は、時が経てば経つほど重くなる。

 カチャカチャと響く金属音だけが、この空間で唯一、音というものを作り出しており、憎悪の感情を押し殺した子供たちは懸命に、また賢く、味のない料理を口に運んでいた。


 そんな折。



「———グローリア」



 ふと、吸血鬼がおもむろに、他の誰でもない私の名を呼んだ。

 何時ぞやと変わらず真っ直ぐにこちらを射貫く様は恐ろしく鋭く、静寂に包まれていたはずの空間が、さらに水を打ったように静まり返った。


 鶴の一声、と言えばいいのか、吸血鬼に名を紡がれると、まるで心臓を直接握られたかのような錯覚に陥ってしまう。

 この美しき化け物が絶対的な存在なのだと、畏怖せざるを得ない存在なのだと、改めて思い知らされるのだ。



「何か、言いたそうな顔だな」



 ———いいえ。

 絞り出した声は掠れていたけれど、かろうじて音にはなったようだ。

 何も無い、何も言ってはいけない。

 吸血鬼の勘気を被ってはいけない、だから、私は否と言う。

 口を開けばきっと、何故と問うてしまうから、ソールは何故、殺されなければならなかったのかと……。


 汗が滲む。

 カラカラと喉が乾き、足の指先から血が失われてゆく。

 まるで綯交ぜになった私の心を見透かしたように、吸血鬼は私から視線を逸らさず、その赤い瞳で言外に冷罵を語っていた。



「ソールは……ソールは、何をしたというのでしょうっ」



 私ではない、それはルーナの問い掛けだった。

 殺された子供たちの内、少なからずは吸血鬼の戯れや糧として命を絶たれたが、吸血鬼の定めた厳格なルールを遵守する者は、高い確率で生きながらえる事ができる。

 ソールは選択を間違えない賢兄で、自ら吸血鬼の不興を買うような真似をするとは思えない、故にソールの事をよく知るルーナは、疑問に思えてならないのだろう。


 はたまた、ソールの死に納得出来ていないルーナの、心の叫びか?



「……」



 吸血鬼は悠然と視線を滑らせ、ルーナを見遣るが、やはりそこにあるのは虚無で、私たちを歯牙にも掛けない様子が見て取れる。

 吸血鬼の視線を受けたルーナは、それだけで声にならない悲鳴を上げた。



「………愚にもつかぬその問い掛けは、よもや私に答えを求めている訳ではあるまい?」



 駄物風情がこの私に問うか、と吸血鬼は吐き捨てた。

 取り付く島もない口振りに、まずい、そう思ったのは私だけではないようで、ルーナ自身、顔を蒼白にさせ、吸血鬼の忌諱に触れたことを知りおののいている。



「あ、あ……うあああぁぁあぁ!!」



 けれど、次の刹那にはその瞳は怨嗟の篭ったそれに変わった。

 ルーナは懐に忍ばせていたらしいナイフを手に取り、テーブルの上に乗って、冷めた料理を蹴散らして走る。



「ああぁああぁぁぁあ」



 鬼気迫るルーナの形相は唯一人、吸血鬼だけに向いて、憎しみに塗り潰された瞳は化け物以外を映そうとせず、荒れ狂う怒号は獣の咆吼のようだ。

 吸血鬼に一矢報いるため、人である事をかなぐり捨てんばかりの勢いは、まるで鬼神のようであった。


 しかし、そうしかしだ、ルーナの決死の刃が吸血鬼に届く事は無い。



「あぁ……!」



 ルーナは自らの心臓を貫いて、その場に雪崩込んだのだ。

 地面に叩きつけられた食器は割れ、赤い染みがテーブルクロスを汚し、倒れたルーナはぴくりとも動かなくなる。


 吸血鬼には目を合わせた人間を意のままに操る能力があるという———ルーナは、吸血鬼によって自害をするように仕向けられ、殺されたのである。



「ルーナ!」



 まだ生きているのでは、なんて期待してはいけない、吸血鬼に逆らう事は絶対的な死を意味し、万が一にもあの化け物が殺し損ねる事など有りはしないのだから。


 ルーナは死んだ。

 舞台で踊る演者のように、その死に様を私たちの目にしかと焼き付けて、ルーナは息絶えた。


 咄嗟にルーナの名を呼んだラクリマを視線で制し、お願いだから何もしてくれるなと、他の子供たちにも目配せし、訴える。

 この状況で誰がどう動いても、悪いようにしか転ばない。

 ならば私たちに出来る事は、吸血鬼の作り出す状況を甘受する事だけで、それ以外の言動は求められていない。

 受け入れるしかないのだ、ルーナの死も、ソールの死も。

 でなければ、ただただいたずらに死者が増えてゆく。



「グローリア。今一度問おう、何か言いたいことは?」



 吸血鬼が私に問う。

 正しい答は、たった一つしかないというのに。


 ———“何も、ありません”


 私たちは、ギニー・ピッグだもの。



 その後、夕食会は早々にお開きになった。

 興を削がれたとでも言わんばかりに吸血鬼が立ち去った後、私たちはルーナの遺体を焼却し残った遺骨を丁寧に庭に埋めた。



「ソールだけじゃなく、ルーナまで死んでしまったわ……。一日に二人も消えてしまうなんて、でも、そうよね、きっとソールが連れて行ったんだわ。姉のルーナ一人きりじゃあ、可哀想だから……きっとそうに違いない!幸せね、ルーナ、あなたはとても幸せよ、ふふ」


 鎮魂歌を捧げたのち、誰に語る訳でもなく壊れたように独り言を続けるラクリマの目は、既に正気のそれではなかった。

「自分」という心の存在を守るためなのか、深く考えることを放棄し現実逃避を図る子供は少なくない。

 むしろ、いつ自分が殺されてしまうのかと寒心に堪えないこの屋敷で、真っ当な人間であり続けることは難しく、徐々に精神に異常をきたし始める過程こそ人間らしいと言えよう。


 私だってそうだ、マレやソール、「ウィクトリア」がいなければきっと、今頃は心を壊して死んでいたかもしれない。


 だからこそ——ラクリマはもう、駄目だ。


 三日経った晩に、ラクリマが吸血鬼の餌食となって亡くなったことを知らされた。





 2



「やぁやぁ、お姫様。調子はいかが?」



 暗晦な屋敷には似つかわしくない、朗々とした陽気な声が耳朶を打つ。


 最近になって増設された書庫に閉じこもり、陽の当たらない室内で無心になって本を読んでいた私は、よく知ったその声色に少しばかり視線を上げる。

 視界の片隅に映ったのは吸血鬼と同じくらいの歳であろう成人男性で、ああやはり、と思うのと同時に、何故この男がここにいるのか思案する。


 男の名はツヴァイ。

 吸血鬼から二番目ツヴァイと呼ばれているために、そう呼ぶことにしたのだが、本名ではないだろう。

 この男は成人男性として唯一、屋敷にいることを許された特別な人間——いいや違うな、屋敷に自由に出入りすることを許された、吸血鬼・・・だ。


 ツヴァイは屋敷の主であるあの化け物のことを「兄さん」と呼ぶ。

 吸血鬼という種族にも人間と同じように兄弟がいることに驚いたが、次いで沸き起こった感情はといえば、捕食者が増えたことによる絶望だった。

 吸血鬼一人でさえ太刀打ちできないのに、それがもう一人いるともなれば、もはや生への希望は何処にも見い出せない。


 けれど予想に反し、ツヴァイが屋敷に喚ばれた理由は、私たちの体調を診察するというものだった。

「わざわざ外から拐かすのも骨が折れる」とは吸血鬼の言葉で、屋敷にいる子供たちが吸血鬼の作意ではないこと、つまり病を患って死んでしまうことのないようにと、極力子供たちの数を減らさないために定期検診を催すようになったのだ。



「———失礼致しました」



 このような不躾な格好で、と続けて、本を置き、近くにあった杖を手に立ち上がり、私の知りうる限り最上級の礼をとる。

 軽快な口調に呑まれることなかれ、この男は列記とした化け物で、あの吸血鬼と兄弟という間柄にあるだけのことはあって、笑顔の裏に見え隠れするのは残忍で冷酷な色だ。

 僅かにでも選択を間違えば、この命は容易く消え去るだろう。



「そんなに堅く構えることはないよ、グローリア。もっと気安く接してくれればいい。僕はきみの専属医のようなものだからね」



 ツヴァイは吸血鬼でありながら、人間に紛れ医師という職業に従事して生活していると言うのだから吃驚きっきょうしてしまう。

 契機はやはり「花嫁」の存在で、ツヴァイもまた、人間への理解を深めようと努力している最中さなからしい。

 兄であるあの化け物は、人間を理解するために、子供を略取し屋敷という檻に囲ってまでいるというのに、同じ吸血鬼でもこうも考え方が違うのか。



「足は……今日は随分調子が良いみたいだね」



 ツヴァイが私の腰を抱き上げ、ずり上がった裾の下から覗く足をゆっくりと撫でた。

 ただの診察とは違い、まるで何かを楽しむかのような含みを孕んだ指の動きに、私は思わず身悶えしてしまう。


 すると、やつは益々笑みを深めた。



「グローリア。きみの足が治ることは未来永劫ない、傷の深さや、治癒力の問題じゃなく、兄さんがそうさせないからさ」


「………」


「小鳥を飼う時、万が一に逃げ出さないよう、予め翼を捥いでおくと便利でね。死んだって構わない、動かないのであれば、愛玩用にはうってつけだろう?グローリア、僕たちはそういう種族なんだ」



 さぁ、とツヴァイが言う。



「可愛いお姫様、その足が治らないように、今日もその身に毒を染み込ませようね」



「———きみは兄さんの、『お気に入り』だから」







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