不揃いな多角形を敷き詰める問題
柘植視点です。
時系列は8、9話あたりと、118、119話あたり、そして微妙に1話以前も含まれます。
キャラクターのイメージが崩れる恐れがあります。ご注意ください。
俺が初めてまともに舞戸さんと話した時の台詞は、大体こんなかんじでした。
「合理的じゃないですね」
「1つだけ正方形のピースがあっても、他がバラバラな多角形だったら敷き詰められないことに変わりはないよ」
どうしてこういう流れになったのかはさっぱり覚えていませんが、当時俺の事をあだ名では無く苗字で律儀に呼んでいた舞戸さんが、こういうセリフを言った事だけは覚えています。
「やっぱり、舞戸さんを連れてこの道程を来るのは無理ですね」
俺が言わないと誰も言わなかったと思いますが、俺が言わなくても分かっていたとも思います。
今日俺達が見つけた遺跡のようなものは、化学実験室から徒歩で5時間程度の距離にあり、その間に出てくるモンスターは、今までに出会ったものより強いものでした。
「情けないけどな、確かにそうだ」
現に今、鎧の隙間を縫って腹を貫かれた鈴本は、血だまりを作りながら羽ヶ崎さんに傷を治されていますし、針生は指が一本取れて、加鳥に治されている所です。
俺達が全力を尽くしてこの様ですから、舞戸さんがいたら、まず進めないでしょう。
「けど、どうすんの。あいつ、置いていくの?」
「それしかないでしょうね」
羽ヶ崎さんが渋い顔をするのはきっと、舞戸さんを一人置き去りにすることの罪悪感以上に、それを合理的だと感じる自分が嫌なんでしょう。俺には分からない感覚ですが。
「なあ、社長」
怪我が治ったらしい鈴本が上体を起こしながら、どこか虚ろな目で腹のあたりを押さえていました。
「俺達が帰れなかったら……例えば、俺達が死んだら、あいつも死ぬよな?」
「死ぬでしょうね」
食料や水を調達する手段がない舞戸さんは、この世界で生きていくことができません。
俺達からの供給が途絶えてしまえば、簡単に死んでしまうでしょう。
「俺達が死ななければいい話です」
「そりゃ、俺だって死にたくないけどさー、死にたくて死ぬわけじゃないじゃん」
針生の指も戻ったらしく、握ったり開いたりして調子を確かめているようです。
「俺達が死ぬことを前提に話を進めること自体がナンセンスだと思います。俺達の目的は舞戸さんを生き残らせることではありません。俺達全員が生きて帰ることですから」
「そんなことは分かってる。けど、卑怯でしょ」
羽ヶ崎さんを見ると、冷えた目と視線がぶつかりました。
「それを僕たちから言うのは、卑怯じゃないの。舞戸には選択肢、無いんだから」
舞戸さんは選べません。
舞戸さんが死んだら俺達も生きていくのが困難になるかもしれませんが、それ以上に、俺達が死んだら舞戸さんが生きていく事は不可能です。
最初から、舞戸さんに選択肢はありません。俺達が死ねと言ったら、舞戸さんは死ぬしかありません。
そして、舞戸さんは、死ねと言ったらきっと死ぬでしょう。
「そうですね。でも仕方のない事ですから。これ以上に合理的な方法がありますか?」
在る訳がありません。
そんなことは全員分かっています。ただ、それを実行できないだけです。
俺は、それがもどかしい。
「……条件がある。もし、あいつから、あいつが1人で残ることを言いださなかったら、実行しない。時間が掛かっても拠点をずらしていくか、俺達の内の誰かを残していく。社長、いいか?」
合理的じゃありません。
全く以って、合理的じゃありません。
「構いませんが、その方が卑怯じゃないですか?」
「かもな」
確かに、舞戸さんは、そんな茶番に付き合わされても、結論に辿り着けるでしょう。
しかし、馬鹿げています。決まっている結論にたどり着くまでに時間をかける事に、俺は意味を見出せません。
見出せませんが、おそらく、俺以外の人には必要な事なんだとも、思います。
そして、それが、この世界で、否、この世界でなくとも、うまくやっていく方法なんだとも。
自分が如何に合理的に動いたとしても、周囲が同じ基準で合理的に動かない限り、それが噛み合って回っていかない。
1人だけ正方形でいても、角がぶつかりあって摩耗していく他ない。
不揃いな多角形を敷き詰める事はできない。
人間は不揃いな多角形だ。
知っています。
それでも俺は合理的であろうとすることを止めない。
そうでもなければ、おそらく、俺自身が耐えられないからです。
俺は合理的にできているつもりです。
だから、合理的な行動をとっていれば、間違いなくそれが自分にとって一番負荷のかからない行動になるはずだと。
感情論で動くよりも、自分が納得できるだろうと、踏んだからです。
そして、俺は舞戸さんのコバルトブルーのドレスが赤く染まるのを見る羽目になりました。
「うわー、大丈夫なん?それ」
鳥海が覗きこんできた以上、おそらく先輩に平手打ちを食らった箇所は余程、痕になってるんでしょう。
「舞戸さんは」
「ん、刈谷が治したとこだけど、まだ起きない。今針生が見てる」
糸魚川先輩への説明と説教が済んだ時には、舞戸さんの処置……できる事は全て終わっていて、それぞれがどことなく浮ついた様子で思い思いに過ごしているだけでした。
「にしても、なんか、珍しいよね」
鳥海が苦笑しながら続けました。
「言い方悪いかもしれないけどさ、社長がついてて、舞戸さんがこうなるって、なんか、意外だった、っていうか。いや、責めてる訳じゃ無いんだけど、なんか、意外だったなー、って」
「そうですね。自分でも驚いてます」
福山を殺さないように戦った判断は、今考えても十分に合理的なものです。
人を生き返らせる可能性が見えていても、それが確実なものであるという保証が無い以上、人を殺すことはリスクです。
更に言うと、俺達は、どうやったら『死ぬ』のか、まだ分かっていません。
鈴本は下半身が焼失しても生きていますし、舞戸さんは全身が溶けて脚が1本無くなっても生きています。
俺も一度、背骨が砕けた事があります。しかし、それでも、生きています。
……しかし、『餓死』はあったのです。
そして、回復魔法を使うモンスターとの戦闘だって、数えきれないほど行っています。
モンスターが死ぬのに、俺達が死なないという保証は無い。回復魔法は万能では無い。
更に言えば、いつ、俺達だって死ぬか分からないのです。
明らかに、この世界は『死』が遠い。けれど、『死』が無い訳では無いのです。
手探りでその境界線を探っている内に、向こう側へ行ってしまう事が無いなんて過信できるほど、俺は馬鹿ではありません。
……ですから、俺が福山を殺しに行かなかったのは正しい事です。
福山が重大な情報を持っていないとは限らない以上、殺すという事は余りにもリスキーです。
だから、非常に合理的で、正しい。正しかったはずです。
……ですが、その正しさの結果が、舞戸さんの負傷です。
回復魔法で傷が塞がって尚、目が覚めない状態ですから、相当重篤なんでしょう。
それこそ、死が近いような。
……この状況を見ると、やはり俺は、正しい判断ができていなかったのではないかと思います。
福山と舞戸さんを俺の天秤にかけたら、間違いなく舞戸さんに天秤は傾くのですから。
「俺も舞戸さん、見てきます」
「ああうん、分かった」
コバルトブルーのドレスを染める血を見た時、反射的に殺してやろうと、体が動きかけた事は間違いありません。
しかし、それを止めたのが理性だったのか、それとも……考えたくはありませんが、恐怖だったのでは、と。
人を殺すという事に対する。
……殺さなかった事は、合理的だったのか、感情論に従った結果だったのか、また、殺すことは合理的だったのか、それとも感情的な事だったのか、それすら、曖昧になってきました。
「あ、社長」
部屋に入ると、明らかに力が抜ける感覚がありました。元凶でしょう。
そして、針生が舞戸さんの寝ているベッドの淵に腕と顎を乗せてぐったりしている所でした。
「はい」
手に持ったものを俺に突き出してきました。
……舞戸さんが装備している、元凶の腕輪です。
「先輩が、お前らが装備してろー、ってー」
そういう事なら、俺も装備せざるを得ません。
元凶の性質もまだ良く分かっていませんが、舞戸さんに装備させておくよりは外しておいた方がいいという事は明白でしょうし。
この世界に来て最初の数日間でも思っていた事ですが、舞戸さんは眠る時にあまりにも静かすぎます。
文字通り、死んだように眠っているので、不安になるのか、針生は時々舞戸さんの腹の辺りを布団越しに触って、息をしていることを確かめているようでした。
「あのさー、社長」
寝るときに静かさとは対極にいる針生が、舞戸さんを見ながら話し始めました。
「俺さ、福山殺せなかった」
針生の視線は、舞戸さんの青白い顔を見つめたまま動きません。
「なんかさ、散々今までモンスターは殺しておいて、人も、結構怪我させたりしておいて、今更かもしれないけど、やっぱ、人殺す事って、人に怪我させることと違うな、って」
この世界は、回復魔法もある分、怪我と死が直結しにくい世界です。
それこそ、高い壁を挟んだかのような隔たりがあるのでしょう。
そして、針生はそういう事を割り切れる性格ではありません。
ある意味では、俺と真逆の性格なのかもしれません。それがこいつのいい所であるとも思いますが。
「奇遇ですね。俺も同じことを考えていました」
「え、社長も?」
珍しい、とばかりに針生が目を軽く瞠って続けました。
「社長も、そういうこと考えるんだ……って、あ、ちょっと待って、社長、物理的に殺せなかった、とか、そういう話じゃないよね?」
「物理的には何回もチャンスはありましたから。心情的な意味でです」
言うと、針生は今度こそ驚いたような顔をして……随分失礼なことを言いました。
「……熱でもある?」
「ありません」
針生が俺の額にむかって手を伸ばしてきたので、身を逸らして避けると、針生が残念そうな顔をして手を引っ込めました。
「……心情、って、どんな?やっぱり、罪悪感とか、人を殺す恐怖とか、そういうの、在る?」
「合理的に判断して、殺すべきでない、と判断したのか、その判断に感情があったのか、判断できない、という事です」
言葉にすると、尚更、事実と記憶が重く圧し掛かるようで。(俺は、言霊信仰はしていませんが、プラシーボ効果は信仰しています。)
「意外だな。なんか、社長ってさ、そういう事、特に思わないんじゃないかとか、思ってた」
針生のいう事は自分でも思う事です。
ここに居る時、自分に求められる役割は、合理的でいる事ですから。
本来、こういうぶれ方をするのは望ましくないのだと思います。
「駄目だよね。俺。……日和ってる内に、こんなことになっちゃった」
「次が無い事を祈りますが、もし次があったら、今度は、殺さないといけませんね」
最善を狙った結果最悪の事態になるのであれば、最初からそんなものを狙わない方がいい。
人を殺さないで済むならそうするのが一番だったとして、でも、念の為に殺す、位の気でいないといけないのかもしれません。
……酷い世界だ。
自分の中に感情論などという、非合理的な部分は無い方がいい。
判断が殺す方に動いても、殺さない方に動いても、どちらの場合でも、それは合理的な考え方に基づいているべきで、だから、今回、殺せなかったのは……判断ミス、なのでしょう。
決して、感情論で動いた結果では無く。
それからも舞戸さんは目を覚ます気配が無く、先輩に「あんた達女の子が寝てる部屋にいつまでいるのよ!」ということでまた平手打ちをくらい、部屋を追い出されました。
翌日、朝見に行ったら、まだ舞戸さんは寝ている所でした。
それから少しして針生が見に行きましたが、まだ眠っていて、俺が昼前に様子を見にまた部屋に入ると……布団の中で蠢く舞戸さんがいました。
「舞戸さん、具合はどうですか」
声を掛けると、舞戸さんはまじまじと俺の顔を見て、何とも言えない顔になりました。
「あ、うん、布団がふかふかででられないだけで元気だよ。元気だけど、社長、その顔、どうしたの」
……先輩に食らった平手打ちは相当な威力でした。未だに痕になっているんでしょう。
「糸魚川先輩に平手打ちを」
「なんでまた」
舞戸さんがベッドから出ようとしたので、頭を押さえて布団の中に戻しました。まだ貧血のはずですから。
「舞戸さんに生死の淵をさまよわせてしまったので」
……朝、針生と一緒にまた舞戸さんを見ていたら先輩に「このスケベ野郎共!いつまで舞戸の寝顔みてるのよ!汚らわしい!」と、余計な一発を食らったとは言いにくかったので。
「そりゃあ、……理不尽極まりないね」
舞戸さんの、こういう所は実に客観的です。
……思うんですが、舞戸さんは、こと、自分の事に関しては、客観的すぎます。
周囲に対しては主観的な癖に。
……その後、会話していくうちに、トロッコ問題の話になりました。
いや、俺が、そういう話にしたんです。
命を天秤にかける話です。おそらく、愉快な話ではなかったと思いますが、舞戸さんは付き合ってくれました。
舞戸さんはこんな事を言いました。
「人が人を殺す事には抵抗があるからで、それが……人間にとって大事なことなんじゃないか、と、思うよ」
人が人を殺してはいけない理由をあげるとしたら、どういうものになるのか、以前話し合った事がありました。
……結論はかなり複合的なものになってしまって、あまりスマートでは無かったので伏せますが、結局、人間が社会的な生物である以上当然である、というような方針になりました。
しかしそれは、あくまで、人が人を殺さなくても死なない、殺されない状況での話です。
そうでないなら、正当防衛として、或いは緊急避難として、人が人を殺すべきだとおもいます。
そうじゃなかったら、何故俺が納得できないのか。
「合理的じゃない」
人が人を殺すことに抵抗があるなんて、そんな非合理な理由で俺は動くべきではない。俺は合理的でいるべきで、それがここでの俺の役割で、あくまで、俺が選んだ生き方です。
だから、俺が納得できないのは、人を殺すことが合理的では無いからなのだと。
そう思ったのに。
「人間は非合理の塊だよ。そして君は人間だ。どうしようもないよ、これは」
なのに、舞戸さんはこんなことを言う。
俺が人間で、非合理的な存在だと言う。
そして、それをどうしようもない事だと。
何時だったか、この世界に来る前、確か、春休みの合宿の時だったと思います。
寝てしまった人と、他の話題で盛り上がっている人達から離れて、人間から人間性を、つまり、非合理な部分を切り取ったら、合理的に社会が回るのではないか、というようなことを話したことがあります。
鈴本は「とんだディストピア思想主義者がいたもんだな」と笑い、舞戸さんは「それは無理だなあ」と一蹴しました。
何故無理かを聞いたら、
「自分が好きなものを好きだと感じている以上、その気持ちや対象を大切にしたくなるのはしょうがないじゃない」
と。だから、人間から人間性は取り除けないのだ、と。そういう答えが返ってきました。
否定できませんでした。
いつか、否定できるロジックを組んで舞戸さんに再挑戦しようと思っていたのですが、いつまでたっても見つかりません。
それが、舞戸さんの意見があまりに馬鹿げているからなのか、正しいからなのかは分かりません。
どちらにせよ、非合理的です。あまりにも、非合理的だと思います。
しかし、否定できない以上、俺にも、舞戸さんの例のような、非合理的な部分があるのだと、そういう結論に落ち着かざるを得ない。
非合理な俺の一部分の存在を認めないといけません。そして、それを俺は案外嫌いでもないのだとも。
「……そうですね。視野狭窄が一番いけない。問題は0と1じゃない。分かっています。大丈夫です。俺もレバーを半引きにしてトロッコを脱線させる位の事は考えます。……もう大丈夫です」
俺は、人間のようです。残念ながら。
そう言うと、舞戸さんはどことなく安心したような顔で笑いました。
『1つだけ正方形のピースがあっても、他がバラバラな多角形だったら敷き詰められないことに変わりはない』という事は、俺と、俺以外についてのみ言える事では無く、おそらく、俺の中でも言えることなんでしょう。
俺の中には、正方形では無い、不揃いな多角形のピースが幾つかあるんでしょう。
そのピースを削って、正方形にしていけば、俺は。
……気づけば吸いっぱなしだった息を吐いて、改めて舞戸さんを見ると、あまり顔色が良くないのが嫌でも目につきました。
「……舞戸さんはお人よしですね。いっそ責められた方が楽なんですが」
俺は、このピースをこの形のままに持っていたら、また舞戸さんや、他の誰かに皺寄せが行く事になるのでしょう。
今度こそ、俺が人を殺さないことで、死ぬかもしれない。
なのに、それを良しとするんですね。舞戸さんは。
「私からすると君達があまりにお人よしなんだけれどね。……お人よしでいさせてくれてありがとうね」
「こっちの台詞です」
とりあえず、もう一度針生と話してみようと思いました。
もう一度話したら、この問題に別の解が見つかる気がするので。
恐らく、また「熱でもあるんじゃないの」とでも言われるんでしょう。もっと困惑するかもしれません。
その時の事を考えると、少し楽しみな気もします。