風邪2
時間軸は本編73話らへんです。
視点は鈴本です。
「いやー今回も大漁大漁!気分いいっすわー!」
「一周回ってこんなにあってもなーってなるよねー。金持ちの気分」
「まあいいんじゃないの、ある分には困んないでしょ」
「そろそろ置き場所が無いんじゃないでしょうかねえ……うーん」
「僕は嬉しいけどなあ」
「加鳥さんのそれは一体何なんですかね」
「……なんか、1人だけSF……」
北棟西階段を攻略した俺達は、また例の如く大量の装備を手に入れていた。
武器だったり防具だったり、加鳥のパワードスーツのパーツだったり。
……まあ、階段攻略の度にこれだからな。正直、もう持て余してる気はする。装備に関しては鳥海が作ったり舞戸が作ったりしているからそれほど不自由はない。これ以上何か手に入っても、精々いい所でマイナーチェンジといったところだ。まあ、加鳥は例外として。
「今日のご飯何かなー」
「異世界生活だとご飯が1つの楽しみですよねー」
大量の装備なりアイテムなりが入った教室を携えて、俺達は鳥海の『転移』で舞戸が居る2F北東に帰る。俺達が最初に来た場所だけあって、どことなくなじみ深いエリアだな。
さて、舞戸がここらで待っているはずなんだが、細かい場所は特に決めていない。まあ、大凡初めに居た辺りだろう、と見当をつけて進んでいく。
……と。
『……ったく、小せえ癖に無茶ばっかりしやがる』
ふと、そんな声が聞こえた。
低い、渋みのあるというか、そういう声だ。誰かの声のような気もしたが、聞いた覚えはない。
「今の声は何だ?」
「声?ん?何か聞こえた?」
だが、俺がそう聞いてみても他の連中は特に何も聞こえていないらしい。『地獄耳』持ちの鳥海がきょとんとしている以上、ただの空耳だったのか……。
「鈴本も聞こえた?」
と思ったら、羽ヶ崎君がそんなことを言う。
「聞こえた。低い男性の声だ」
「『小せえ癖に無茶ばっかりしやがる』だっけ?」
「ああ。……声に覚えは?」
「無い」
羽ヶ崎君も俺と同じ声が聞こえたらしいが、やはり聞き覚えは無いらしい。
「えー、鈴本と羽ヶ崎君だけ何か聞こえたの?何?」
「いや、何とも言えない。ただ、低い男性の声が聞こえた、というだけで……」
針生が不思議がっているのに答えながら、しかしまた次の声が聞こえてくる。
『あーくそ、熱いし湿っぽいし、鬱陶しいったらありゃしねえ。なんでこいつは俺を布団代わりにしたがるんだよ』
……その声を聞いた時、何か、ピンとくるものがあった。
羽ヶ崎君の顔を見れば、羽ヶ崎君もまた同じような事を感じたらしい。
「これってまさかさあ……」
「……ケトラミ、か?」
俺達の脳裏に浮かんだのは、舞戸がいつの間にやら連れてきた、軽トラサイズの狼である。
声のする方へ、と意識して進めば案外すぐに化学実験室が見つかった。そして、実験室の傍で丸くなる巨大な狼と、その狼の腹に埋もれるようにして寝ているメイドも。
『……お。帰ってきたみてぇだな。静かにしてろよ。やっとこいつが寝たところだからな』
そしてその狼は、俺達を金色の目で一睨みするとそう言った。
「うわ喋ったっ!」
俺も羽ヶ崎君も、目の前の現象に慄いた。狼が喋っている。あり得ないことに、狼が喋っている。舞戸は何やら喋っているらしいが、こうも人間の言葉を喋られると、違和感しか無い。
「え?喋ったの?」
一方針生達は、何が?というような顔で首を傾げている。ああ、そうだろうな。どうやら俺と羽ヶ崎君にしかケトラミの声は聞こえていないらしいから、俺と羽ヶ崎君以外にとっては『何も喋っていない』ことになる。
これを一体どう説明したもんかな、と悩んでいると、ケトラミの腹の上で舞戸が身じろぎして目を開けた。
『この馬鹿共!起きちまっただろうが!』
途端にケトラミの一喝が飛ぶ。尤も、それが聞こえるのは俺と羽ヶ崎君だけなわけで、他の連中には「がう」と吠える声だけが聞こえるんだろうが。
「けとらみ、どした?」
舞戸が何かしたのか、と思っていると、何やら舞戸の様子がおかしい。声が掠れて聞き取りづらい。こいつには珍しく、起き上がる気配もない。ちょっとぼんやりしすぎじゃないのか。
「すまん、起こしたか」
一応声をかけてみると、舞戸は気の抜けた笑みを浮かべた。
「らいじょぶ。おかえりなさいませー」
……どう見ても大丈夫ではない。見ているだけで分かるぼんやりさといい、妙に怠そうな様子といい……何より。
『なんか頭は回らないし、その割に視界はくるくる回ってるし、喉とか鼻とか変だし、なんだか本格的に変になってきたぞ』と。
舞戸自身の声が、聞こえる。
俺も羽ヶ崎君も、立ち尽くした。一体これは何だ。何故、脳内に直接話しかけられているんだ、俺達は。
俺と羽ヶ崎君の困惑は他の連中には伝わらない。舞戸も気にする様子もなく、のろのろとした動作で起き上がろうとする。ついでに『皆さん帰ってきたなら起きねばー』という舞戸の声も聞こえる。
ケトラミは尻尾を器用に使って、起き上がろうとする舞戸をまた腹の上に倒して寝かせた。
「けとらみー」
『寝てろ』
更にもう一発、尻尾で舞戸の頭をはたいて、ケトラミは舞戸を尻尾で抱え込む。
……何はともあれ、だ。
推理できることには……今の俺と羽ヶ崎君に起きている奇妙な現象は、十中八九、舞戸の体調不良によるものだろう、と。そう思われる。
「……大丈夫、じゃなさそうだな。ケトラミ、こいつどうしたんだ?」
物の試し、と思いつつケトラミに話しかけると、ケトラミは俺をじろりと見下ろして呆れたように言った。
『風邪だろ』
……話しかけたのは俺だが、こうもあっさりと当たり前のように会話を成立させられてしまうと、何とも言い難い奇妙な感覚があるな。
「馬鹿も風邪ひくんだ?」
ついでに羽ヶ崎君もケトラミの言葉を聞いたらしく、そう言う。するとケトラミは笑うように少々息を漏らして、舞戸を尻尾で軽く撫でた。
舞戸は『何やら鈴本と羽ヶ崎君がケトラミと会話をするという不利儀な光景が……あ、夢か、これ。成程』などという馬鹿みたいな言葉を俺達の脳内に垂れ流していたが……まあ、こっちも何となく理屈は分かった。
要はこいつの脳内の言葉が大体全部、俺と羽ヶ崎君に向かって垂れ流されている、ということなんだろう。ケトラミについてはその副産物に違いない。
以前、舞戸はケトラミとの間に『パス』なるものがあると言っていた。もしかすると、今、俺や羽ヶ崎君にもそのパスなるものが結ばれてしまっているのかもしれない。
その原因は……まあ、こっちも心当たりが、あるが。
『おい、神官。こいつ治せねえか?』
俺が現状を整理していると、ケトラミはそう、刈谷に話しかけた。だが、刈谷にはケトラミの声が聞こえていない。ケトラミもそれに気づいたのか、舌打ちするような忌々し気な表情を浮かべた。狼も案外、表情豊かに表現できるものなんだな。
「刈谷、舞戸の風邪治せる?」
通じない言葉は仕方ない、羽ヶ崎君が通訳になって刈谷にケトラミの言葉を伝える。
「風邪はちょっと……治せないと思います。すみません」
だろうな。刈谷の仕事は怪我を直す事だが、病気の類はそれとはまた別らしい。舞戸も『まあ、しょうがないよね。怪我とかとは違う訳だし』と1人、納得しているらしい。……というかこいつは自分の頭の中の言葉が垂れ流されていることに気付いてないのか?
「俺が作ったので良ければ薬出しましょうか」
「……それ、安全なんだろうな」
「大丈夫です。多分」
刈谷が駄目となれば、まあ、頼るべきは社長もとい薬の力、ということになるんだが、これはこれで心配だな。『多分』って何だよ。『多分』って。
舞戸が『凄く不安!著しく不安!嫌だぞ!たとえ薬持ってきても飲まんぞっ!』とか言ってるが、まあ、気持ちは分からないでもない。それでも飲ませるが。
「じゃあ社長に頼むしかないんじゃない?こいつこのままほっとけないでしょ。いや、舞戸の為とかじゃなくて、僕らの為に」
「まあ、そうだな……色々とまずいことになってる」
舞戸が風邪だというのなら、それはすぐにでも治させないとまずい。舞戸が辛いだろうということ以前に、だ。
「こいつの脳内、俺と羽ヶ崎君に対して駄々漏れなんだよ」
俺達の精神に、悪影響を及ぼす。間違いなく。
「え、ええー……?脳内駄々漏れってどゆこと?」
「そのままだ。舞戸が考えた言葉であろう言葉が脳内に直接流れ込んでくる」
「『こいつ、直接脳内に……!』って奴かー。あははは」
「なんかちょっと楽しそうだなあ」
笑い事じゃねえ。割と洒落にならないんだよ。こっちは。
今のところまだ舞戸はそんなに妙な事は考えていない。だが、いつ、どういう妙なことを考えるか分かったものじゃない。そんな思考を俺達に垂れ流されたらたまったもんじゃない。どういう顔して聞けばいいんだ。
「そうですか。鈴本さんと羽ヶ崎さんだけ……というと、やはり原因はアレでしょうか」
「だろうね。……あーくそ、なんでこんな目に遭わなきゃなんないわけ」
「強いて言うなら死にかけたのが悪い、ということだろうな」
「こんなペナルティあるとか聞いてないんだけど」
……思い当たる原因は、1Fの溶岩地帯で俺と羽ヶ崎君が死にかけた時の舞戸の処置だ。
何を思ったか、舞戸はどうやら『共有』で自分の命を俺達に分けてしまったらしい。そこらへんの事は俺はよく知らないんだが、羽ヶ崎君は知っているらしい。物凄く苦い顔で大凡どんなことが行われたかを説明してくれた。……説明してくれた時の羽ヶ崎君の顔は、ちょっと忘れられそうにない。
「まあ今回は逆に良かったと思いましょう」
「思えないんだけど」
「しかし風邪を引いた舞戸さんの症状を的確に知ることができるということはメリットなのではないでしょうか?」
社長は妙にポジティブシンキングだが、その被害に遭っているのは俺達だ。社長じゃないからな。いや、社長なら自分の脳内に舞戸の思考が垂れ流されてても涼しい顔をしていそうだが。
「では舞戸さんの症状を教えてください」
「頭回らない、目眩、喉と鼻が変」
社長が聞いてきた瞬間に羽ヶ崎君が即答して『もう喋らないから』みたいな顔して黙った。
「そうですか。あの様子だと熱もあったようですし、ならそのあたりの症状に効きそうな薬を調合しましょう。腹痛の類は無さそうですから、消化器官系は大丈夫みたいですね。念のため胃薬も兼用させておいた方がいいですかねえ」
社長が妙にうきうきした様子で薬を作りに行くと同時に、『暑い……』と声がうわ言のように聞こえてきた。当然の権利のように、脳内に直接。
すると羽ヶ崎君が舌打ちしながら適当なビニール袋を1枚持って講義室を出ていった。多分、氷枕でも作ってやるんだろう。何だかんだ、羽ヶ崎君はそういう奴だ。
それから少しして、メイド人形が揃って米を研ぎ始めたり社長がどす黒い謎の薬を開発して俺達を戦慄させたりと色々あったが、その中でも時折、うわ言めいた言葉が聞こえることがあった。
その度に俺と羽ヶ崎君は落ち着かない思いをする羽目になったし、俺も一度、結局落ち着かなさに任せて外に出て、ケトラミの腹の上で寝る舞戸の様子を見に行った。
寝てる奴を見に行くなんていい趣味じゃないことは百も承知だが、緊急事態なんだから仕方ないだろう、と自分で自分を納得させて、近づく。
『起こすなよ』
近づいてすぐ、ケトラミがそう言った。低く唸るような声は、正に『番犬』を思わせる。そんなこと言ったら殺されそうだけどな。
「分かってる。……舞戸の様子は?」
『変わりねえ。良くも悪くも、な』
少し遠巻きに舞戸を眺めてみるが、呼吸が荒いのが見て分かる。やはり熱があるらしく、肌が赤みがかって、汗ばんでいる。頭の上には案の定氷水が入ったビニール袋が乗っていて、ずり落ちそうになるとケトラミの尻尾によって舞戸の頭の上に戻されているらしかった。
『あれだけ命を消耗したんだ。この程度で済んでよかったな』
次に返ってきたケトラミの言葉には少々棘があった。
そしてその棘を当然向けられるべき俺は、返す言葉を見つけられない。
舞戸に命を消耗させたのは俺だ。俺がもっと上手く戦っていれば俺が死にかけることはなかったし、羽ヶ崎君を巻き込むことも無かった。
その分、舞戸を消耗させることもなかったはずだった。
『……あと1、2人分やってたら、こいつ、死んでたぜ』
言葉が重い。
俺自身死にかけた訳だが、自分自身が限りなく近づいた『死』はどこか遠かった。自分の意識が朦朧としてたんだから当たり前だが、実感もなく、覚悟も無く、ただそのまま流されて受け入れることになっていたんだろうな、というような意識しか無い。生き残ってしまえば所詮は他人事のようなものだった。
……そんな曖昧な自分の死より、他者の死の方が、重い。
自分が死ねば一瞬で終わる死の意識だが、自分が生き残ってしまえば、死んだ奴の死を意識し続けなければならない。
助けられて生き残ってしまったなら、それこそ、自分が死ぬまで、ずっとだろう。
俺が黙っていたら、ケトラミが狼の癖に器用にため息を吐いた。
『こいつは馬鹿だ。力量もねえ。だから時々、油断してる時なんかは、時々こいつが伝えようとしていないことまで読めちまうことがある』
そっぽを向きながら発された言葉は、少々唐突だった。
「……今回みたいに、か?」
『ああ。ま、そうだな。頭ン中垂れ流される身にもなれよ、とは思うが、まあ、しょうがねえ。雑魚なんだからそこは許してやるしかねえ。……んで、時々、こいつはお前らのことも考えてるぜ』
聞きたいような、聞きたくないような、そんな思いが過った。
それから、そもそも聞くべきじゃない、という考えに至ったが、俺がそれを言うより先に、ケトラミがもう言葉を発していた。
『こいつがお前らを恨んでたことは一度もねえよ。その代わり、自分の力が無いからなんとかしねえとって。ずっと『考えて』やがる』
……教えられた内容は、知っている内容だった。
舞戸なら境遇やら何やらを恨むより先にまず『足りないものを埋める方法を考える』だろう。常に前進していこうとする奴だ。知っている。
それに、舞戸が俺達を恨むわけはないとも、知っていた。
……知っていたが、信じきれない部分もあった。『恨む訳はない』なんて傲慢な考えに浸っていることが罪悪のように感じることも度々あった。
いっそ恨まれ嫌われていると思っていた方が、気が楽だったのかもしれない。
『それから、怖がってるな。……こいつにとって一番怖い事は多分、自分が死ぬことじゃねえ。お前らを失うことなんだろうよ』
『聞きたくなかったか?』
そう言って、ケトラミは皮肉気に口を歪める。
「……ああ」
他者の死が一番重い。
舞戸にとっても、他者の死が一番重い。
知っていたが、聞きたくはなかった。
「聞きたくは、なかったな」
『そうかよ』
「だが、もう知ってる」
『……ああ、そうかよ』
ケトラミは尻尾で舞戸を撫でながら、俺を睨むようにして笑った。狼が喉を鳴らすようにして笑うのは、少々不気味で凄みがある。
『テメエもこいつと同じ事考えてるなら、そう、こいつに言ってやれ。自力で気づけってのは、この馬鹿にゃ無理だ』
「……考えておく」
俺が曖昧な答えを返すと、ケトラミはまた笑って、それから、話は終わりだと言うようにそっぽを向いた。
俺が化学講義室に戻ってしばらくすると、メイド人形が化学実験室で調理を始めたので全員で見物していた。人形が動いて勝手に飯を炊いて味噌汁を作っているのは不思議な光景だった。ぼんやり眺めているには丁度いい光景だったな。
「何ぼーっとしてんの」
少ししたら、羽ヶ崎君が俺の横に来ていた。
「メイド人形見てる」
「見てて面白い?」
「って程でも無いな」
「まあ、もう見慣れたよね。この程度」
そうだな。もう見慣れた。……ただ、『見慣れた』と言うならば、ここに舞戸が一緒に居てようやく『見慣れた光景』だ。居ない奴が違和感になって、妙に意識に引っかかる。
「……なんというか、疲れた」
違和感も、脳内に時折漏れてくる声も、存分に俺を疲れさせていたらしい。一度自覚してしまえば、動くのが億劫になるくらいには頭が重くなる。
「まあ、だろうね。ていうか疲れてなきゃメイド人形なんてぼーっと眺めないでしょ」
「確かにな」
羽ヶ崎君はそう言いつつも俺と同様にメイド人形の作業風景を眺めて……唐突に、言った。
「あのさ。鈴本は……その、罪悪感とか、ある?消耗させたこと、について」
何の、とも、誰の、とも、聞かなくても、羽ヶ崎君が何を聞きたいのかは分かった。
「無いと言ったら嘘になる。だが、有ると言うべきじゃないんだろうなとも思う」
「……それは舞戸が気にするから?」
「半分ぐらいはそうだな、多分」
「もう半分は?」
「俺が気にするから。要は、気にしたくないから気にしないように努めている。そういうことだ」
何とも回りくどい説明をしたが、羽ヶ崎君は、ああそう、と言って呆れたようにため息を吐いて済ませた。
メイド人形はどうやら、大量の米を炊いているらしかった。俺達が見ている前で、やたらと飯だけができあがっていく。今晩はひたすら米を食えってことか。まあ用意してもらえるだけありがたいが、何故米だけなんだ。
「……さっきの、ケトラミの、聞こえてたんだけど。言う気、無いだろ」
同じくメイド人形達の乱心ぶりを見ていた羽ヶ崎君が唐突にそう言ってくる。
ケトラミはさっき言っていた。『テメエもこいつと同じ事考えてるなら、そう、こいつに言ってやれ』と。自分の死がどこか遠くて、尚且つ他者の死が兎角重いのだと。そう、言えと。
「そうだな。無い」
だが俺は、ケトラミに返した曖昧な返答とは別に、はっきり否定してしまうことにした。
「言えばいいじゃん。お前が言ったら舞戸も聞くと思うけど」
「どういう意味だ、それ」
羽ヶ崎君に問い返してみるも、答えは無い。多分、羽ヶ崎君も何をどう問えばいいのか分かってないんだろう。
「……エゴに思えるから、言わない。それだけだ」
だから俺が喋るしかない。そして、俺がそう言えば、羽ヶ崎君はそれをわざとらしく鼻で笑った。
「社長に言わせたら合理的じゃないって事になりそうだけど」
「承知の上だ。全く以て合理的じゃない。だがそもそも、他人の頭の中なんて、見えない方がいい。見るべきじゃない。見えた方が効率が良くて合理的だったとしても、何でもかんでも共有してたら、重い。潰れる。俺には知ってしまったものを全部恙なく処理する能力が無い」
「まあ、答え合わせしない限りは逃げ場あるからね」
羽ヶ崎君は随分と切れ味の鋭い事を言う。しかしそれが自嘲でもあると分かっているから、俺も、そうだな、と返すだけにする。
「……あいつ起きたらさっさと社長の薬でもなんでも飲ませて、さっさと寝かしつけて、さっさと治させないと駄目だわ」
「そうだな」
俺達の視線の先では、社長が出来上がった薬を角三君に飲ませているところだった。
角三君は「まずい」というシンプルかつ切実な感想を残して水を飲みに消えていった。
……まあ、不味くても多分、効くだろ。なら飲ませない理由は無いな。
更にそれから舞戸が起きてきて、実に危なっかしい『転移』を使ったり、社長謹製の風邪薬から逃げようとしたりしていたが、それらも全部、俺と羽ヶ崎君には思考が筒抜けだったので、舞戸が何かしようとしても大体は先回りすることができた。
そうして舞戸に無理矢理風邪薬を飲ませたら、舞戸は動かなくなった。それを社長が嬉々として観察し、嬉々としてケトラミまで運んでいった。
……飲んだら動けなくなる風邪薬って、本当に風邪薬か?まあ今回はむしろこれくらいで良かった気もするが……。
ただ、恐らく舞戸が寝着く直前。『これじゃホントに足手まといもいい所じゃないか』だの、『これじゃ足りないんだよなあ、まだ、もっと』だのという声が脳内に垂れ流されて、俺も羽ヶ崎君も顔を顰めることになった。
……聞いてしまったが、これはどうすればいいんだ。唐突に(恐らく舞戸にとっては本当に唐突に)「そんな風に考えなくていい」とでも言えばいいのか。それとも、「それがお前の役割だろう」とでも言えばいいのか。
それじゃ、あまりにも安っぽくはないか。いや、俺自身が高尚な考えを持っているなんて奢る気にはなれないが、それにしたって、あまりにも、不誠実に過ぎないか。
……こうやって分からなくなるから、やっぱり、人の頭の中身なんて垂れ流されるべきじゃないと思う。
それからも時々、俺も舞戸も気が抜けて油断しきっている時、かつ、少々舞戸が体調を崩しかけているか、或いは疲れているかしている時に限り……舞戸の頭の中身が垂れ流されることがあった。
……ただそれはほとんどが、どうでもいい、他愛の無い内容だった。
『うわー夕焼けすごく綺麗』だの、『ちょっと今日は冷える……ひえる……ヒエログリフ……ヒエラルキー……』だの、『あの人スカートの端折れて捲れてる……』だの、『また針生がシャツ破いたー』だの、『また刈谷がふんどし破いたー』だの、『そういえばそろそろベーコン仕込まなきゃなあ』だの、『月が大きい。おいしそう。そうだプリン作ろう』だの。
それらは気が抜けてぼんやりしている時に突然頭の中にゆるりと入ってきて、特に何の違和感もなく流れ去っていった。……まあ、舞戸がふらっと来てふと何かどうでもいい事を言って、またふらっと去っていくのとさして変わりがない、というか。
要は、それほど苦じゃなかった。いや、絶対に無い方がいいが。だが、それでも、舞戸が風邪で寝込んだ時のアレとは全く異なるものだった。
本来見えてはならないものが見えるわけでもなく、どうでもいい物だけがただちらりと見えるだけの。
そんなのが続いたので、俺はこの『パス』とやらがそれほど嫌いじゃなくなった。少なくとも、最初に感じた罪悪感だの何だのを考えるのが馬鹿らしくなったので、色々割り切れるようになった。
その結果、他の部員が神殿に潜入する時には『パス』を利用して中継を見ることができる程度にまでなった。
これが鈍化なのか成長なのかは分からないが、ひとまず、それほど悪い方へは行っていないだろう、というような思いはある。
……それから。
更にもう少しして、俺は、ドッグタグの『共有』を提案することになる。
その重さを知りながら、それでも、ここで提案しなかったらもっと重いものを抱える羽目になる、という選択を迫られて。
……だがその時にはもう、舞戸の頭の中なんて覗かなくても、大体、舞戸が考えている事は分かっていたし、分かっていると傲慢にも言い切れるようになっていた。
だから思う。
やっぱり、人の頭の中なんて、覗けるべきじゃない。
覗かないまま、相手が何を考えているのか考えることが必要なんだと思う。相手の為にも、自分の為にも。
『パス』なんて、笑える映像を共有したり、時々どうでもいい一言をちらりと流したり、或いは、舞戸がモンスター達とやっているように、コミュニケーションを補強したり。そんな程度のものでいい。
『道』の役割なんて、その程度であるべきだろう。
それから、舞戸は風邪を引くべきじゃない。それはよく分かった。
頭の中身を垂れ流されることもそうだが……。
……夕食が、飯と炒飯と味噌汁だけになる。
「すげえ!俺、チャーハンおかずにご飯食ってる!」
「お好み焼きをおかずにご飯食べる人もいるわけですし、まあ、それだと思えば……」
「思えねえよ。馬鹿なの?全部米じゃん」
「味噌汁が味噌粥じゃなくてよかったって思うことにするわ!」
「それにしても、なんで炒め物とかじゃなくてチャーハンなんだろうなあ……不思議だなあ……」
メイド人形達が何を思ってこの献立にしたのかは分からないが……ひとまず、メイド長の働きあっての普段の食卓だということが再確認できた日になった。




