第一回化学部ディスカッション~パンはパンでも~
非常にどうでもいいことこの上ない話です。
時系列は1話より前、視点は化学部顧問です。
繰り返しになりますが、この上なく下らない話です。
「パンはパンでも食べられないパンって何だろう。それが第一回化学部ディスカッションの議題です」
悲劇はここから始まった。
……いや、確かにさあ、昨日言ったよ。
「お前ら、実験暇になったんならさ、偶にはディスカッションとかしてみたら面白いんでないの?」
と。
最近は化学関係も色々ニュースあったりしたしね。だから、ディスカッションするのもいいかなー、とか安易に考えたのが間違ってたのかね。
だってさ。普通さ、化学部でなんかディスカッションするとしたら化学関連の話題出してくると思うじゃん。
議題は何でもいいよー、とか言ったらさ、これだよ。『パンはパンでも食べられないパンとは何か』。
……僕は生徒の自主性を重んじるし、面白そうだから止めないけどさ。
「……ふらいぱん」
「角三君、それは甘いですよ。いいですか、世の中には鉄の塊を食べられる人が居ないとも限りません。そして、俺達は世界に鉄の塊を食べられる人が居るかどうか、確認する術を持たない以上、フライパンを『食べられないパン』とするのは早計です」
角三が言った正論は、あっという間に社長に撃墜された。
「いや、待て、社長。そもそもここで問いている問題は『食べられないパン』だ。それは一部の人間にとって、なのか、万人に食べられない物なのかを定義する必要がある」
そして鈴本がこういう事を言いだしたので、会議は紛糾した。
「そもそも、食べる、って何?飲み込めたらOKなの?」
針生のいう事も尤もだわな。
確かに、食べる、という事には無限の解釈ができるし。
「飲み込む、或いは、それを体内に取り込む、っていう事でいいんじゃないかなあ」
ま、加鳥の意見が妥当ではあるか。
「あ、それ言ったら、フライパンは食べられるよ。鉄のフライパンで調理したものって、溶けだした鉄が入るでしょ。それを体内に取り込むことはできるんだし、という事はフライパンは食べられる」
舞戸の意見によって、この問いの答えは否定された。
つまり、『フライパンは食べられないパンでは無い』
……さて、ここからどう迷走していくのやら。
「じゃあ、取り込めないようなもの……例えば金でできたフライパンとかだったらいいんじゃないの?」
羽ヶ崎の言う通り、我々人間は金を吸収する機能無いからね。
「いやー、金箔とか、普通にお菓子に乗ってて食べてるから咀嚼して飲み込む、に入るんじゃない?というか、それ言うと多分ありとあらゆる物質は形状を工夫すれば食べられるんじゃないかな?」
「それはもうパンでは無いのではないですかね……」
鳥海は刈谷に論破された。
「それこそふりだしですよ。金のフライパンだろうが、それを咀嚼して飲み込むことができる人が居ないという証明はできないんです。食べたら死ぬかもしれませんが、金のパンだろうが、硫酸銅のパンだろうが、食べられないことはありませんよ。死ぬかもしれませんが、それは食べられない理由にはなりません。あくまで食べたくない理由ですから」
……意外と難しいな、この問題。
というか、難しくしてるんだな、この問題を。わざわざ!
何がお前らをこうも駆り立てるんだ。パンか。パンなのか。パンなんだな。
「じゃあ、そもそもパンって、何でしょう?」
社長が仕切り直して、また全員悩むことになる。
もうなんか哲学的ですらあるよね。何よ、『パンって何か』って。
「フライパン、の場合はパン、っていうのが調理器具のことで、ブレッドの方のパンとそれを混同させる事でフライパンも『パン』である、っていう回答にしてるわけでしょ?」
「舞戸さんの意見はその通りだと思います。ですから、俺達が探すべきなのは、咀嚼して飲み込むことも、自分に取り込むことも出来ない『パン』という名前の付いたものなんです」
……あー、どんどん話が変な方向に流れていく。
絶対この問題って、そういう話じゃないと思うんだけどなー。
「じゃあ、ギリシャ神話に出てくる『パン』とかどうですか?ほら、半分山羊で半分人間の。やぎ座のモデルになったっていう」
刈谷は意外とメルヘンチックな事知ってるよなあ。どこで仕入れてくるんだ、そんな知識。僕は知らんかったよ?
「成程。それは食べられないんじゃないか?」
お、これは……と思っていたら、何か調べていたらしい角三が挙手した。
「調べたら、ギリシャ神話のパンって、パーンって表記されることもあるみたい」
……静まり返る実験室。
「よし!つまり、パンはパーンでパンじゃないから『食べられないパン』じゃない!」
そしてハイタッチを交わす部員達。
お前らは……『パンはパンでも食べられないパン』を探してるの?見つからないことを喜んでるの?どっちなの?
「辞書引いてみたら、中国の経済活動中心の互助団体、っていうのが出てきたよ。これはどうかなあ」
加鳥は電子辞書に頼り出した。
「団体ぐらい吸収合併すれば食べたことになるだろ」
成程、吸収はできるけど、それでいいのか?
「となると、食べる、の定義がちょっと変わるんじゃない?『大きなものが自分より小さなものを吸収して、自分の一部にする』とか、『吸収したものが元の形を失って自分の一部になる』ってならない?」
あー、確かに、それだと結構しっくりくるな。
しっくりくるけど、羽ヶ崎にはその頭の良さをもっと別の方向に向けて欲しいんだけどなあ。
「パン、っていう撮影技術があるみたいですよ?」
電子辞書は強いなあ。
「それも吸収して自分のものにできるんじゃない?」
まあ、技術は盗んで吸収するものともいうし、そうかもね。
「それも食べる、という事に当てはまる、のかなあ……あー、わかんねー」
もう針生と角三は半分投げてるぞ。しっかりしろー。
「……あ。ねえ、辞書に『全ての、の意』っていう『パン』があったけど……」
おー。これは食べられないだろ。
……と思ったら。
「それは形容詞であって名詞じゃないのでパスです」
……ここまで来ておいて名詞じゃないとダメなのかよお前ら!
それから少し席をはずして戻ってきたら、もう大富豪やってた。
「おい、『パンはパンでも食べられないパン』の話はどうなったのよ」
「あ、終わりました」
え、終わっちゃったの?
「結論は?」
「そもそも、この『パンはパンでも食べられないパンってなーんだ?』『フライパン!』っていうのって、『パン』っていう音で表されるものが出題者と回答者の間で食い違っているという事が問題の全てなのであって、なので答えは『あなたが考えているパン』ということになりました。そこで出題者がパンを考えていなかった場合、出題者の出題ミスなので、回答者の咎にはなりません。つまり、言ってしまえば、『食べられないパン』は、出題者の心の中だけにあるのです」
……。
お前らの心の中のパンを見てみたいと思うね、僕は!