実験室の雪の日
時系列は例の如く1話前です。
視点も例の如く作中未登場の科学部顧問です。
雪が降ったようです。
冬、某日。
正月が終わって2週間……ってかんじの今日、学校は歓声に包まれていた。
なんでかって、雪が降ったから。
……そう。高校生ってのはこう、まだ雪が嫌いじゃないらしいんだなー。もう僕ら位になると雪ってのはうっとおしいだけなんだけどね。高校生はまだなんとなく、雪を楽しむ余裕があるらしいね。
という事で、朝、科学実験室に今日の授業の準備しに行ったわけなんだけどね。
丁度、加鳥が実験室に入る所だった。
……そしたら、中が騒がしくなった。
「ぎゃああああああああああ!」
「うわああああああああああ!」
舞戸と針生の悲鳴がシンクロする中、僕も実験室に入って。
「うぉわっ」
「あ、おはようございます」
振り返った加鳥の顔みて、慄いた。
いや、こりゃ……ひゃー、派手にやったね。また。
「どうしたん、その顔」
「雪にタイヤ取られて道路にダイブしちゃいました」
顔面右半分ぐらい、傷だらけになってる加鳥が居た。
現在進行形で血が出てるような。割と生々しい奴。
「こんな日に自転車乗るなよ!」
「他に交通手段が無くて……」
「時間かかってもいいから歩きなさいよ、ったくもー」
「大丈夫だと思ったんですよー。おかしいなぁ……」
それでこけて顔面擦りむいたってんだからなー……。こいつもちょくちょくよー分からん。
「うわ、傷口に泥入ってる……とりあえずエタノール持ってくるね」
いや、保健室行けよ!……あ、まだ保険医来てないのか。こいつら大概朝早くから来てるしなー……。
「……で、なんでお前らはこんな朝からここに居るの」
「雪でぬれちゃって……すみません」
成程。ガスバーナー点けて、その傍に靴とか靴下とかが干してある。
雪で濡れちゃった服を乾かしてるらしいね。確かに、実験室ならこういうこともできるか。
「火にさえ気を付けてくれれば構わんけど、刈谷」
「はい」
「ズボンまで乾かそうとするのはどうかと思うよ?」
「あ、すみません」
今日体育でもあるのか、寒いから毎日ズボンの下に履いてるんだかは知らんけど、こいつは今下半身短パンだけで寒そうにしてた。ね。どうかと思うよ、本当に。
「単純に暖を取るためってのもありますね」
社長らしからぬ発言にちょっと驚く。こいつ、別に寒くても暑くても顔色変えない印象があるからなー。
……と思ったら、なんとなーく、意味が分かった。
成程、これ、社長自身が暖を取るんじゃないのね。他の連中がガスバーナーの周りに群れてる、っていう事なのね。実際、社長自身は机の端っこで数学広げてた。あれじゃー寒かろうになー。
「ちょっとちょっと、お前ら。クラスにストーブあるでしょ?何故にそっち行かないのよ」
「先生は女子を乗り越えてストーブにたどり着けるんですか?俺にはできません」
さりげなくガスバーナーの恩恵にあずかってるらしい鈴本の疲れた声に納得した。
成程、確かに女子の壁は乗り越えられんわ。群れって強いよね。分かる分かる。
「……で、そっちは何やってんの」
「あ。先生。んーと、新聞紙ってストック、ありませんでしたっけ?」
実験室の隅っこ、有象無象が積み上げられたスペースでごそごそやってる鳥海と針生は新聞紙を探しているらしい。
……察した。
「靴に詰める用?」
「そうなんです。いやあ、踏んでみたら雪だまりが思いのほか深くて……」
「凍ってそうな水溜まり踏んだら踏み破って……」
アホか。お前ら一体何歳児なの?
「新聞紙はそこじゃなくてそっちの棚の下だよー」
舞戸が消毒用エタノールの瓶抱えて戻ってきた。……ただエタノール持ってくるだけにしちゃ遅いなー、と思ったら、昇降口近辺に隠れるようにこっそり置かれている消毒用アルコールのスプレーを取りに行ってたらしい。えらい。
「ほい、加鳥」
「あ、ありがとう。……ええと、じゃあ早速」
加鳥は瓶の栓を開けた。
で、スプレーなんて可愛い方法でなく、勢いよく中身をそのまま自分の顔面にぶっかける、という暴挙に。
……あ、僕、見なかった事にしとこ。一応学校の備品だからね、これ……。
「……泥、残ってる」
傷口に入っちゃってるらしい泥を落とすためだったらしいんだけど落ち切らなかった泥があったらしく、その後角三にスプレーで泥を落とされてた。
その後、刈谷が持ってたらしい薬塗られたり舞戸が持ってたらしい絆創膏を貼られたりして、加鳥は無事……無事かなぁ……とにかく、とりあえず手当されたわけだった。
ちなみに、消毒用アルコールは中身を9割方減らしたものの、1割は残ってたからそのまま素知らぬ顔で針生がささっと元の場所に戻してきたらしい。
蓋を少し緩めて、『きっと揮発しちゃったんですよ』と誤魔化す細工もしてきたとか。
……しーらない、っと……。
朝はそれで終わりだったんだけど、今度は放課後って奴がある。
授業が終わって放課後来てみたら、連中はもう集まってガスバーナーの周りにたむろしていた。
「お前ら、何やってんの?」
「あ、先生。大丈夫です。ちゃんと仕事してますよ、これ」
見れば、確かになんか煮てた。
青いから硫酸銅かなんかかね。そっちは……透明だからなんだか分からん。
「来週の科学実験教室向けの展示に大きい結晶を作ろうという事になりまして」
確かに、こいつらは来週、他所の学校に行って小中学生向けの科学教室みたいなイベントに参加する。
けど、そこでやることはもう先々週ぐらいに決まってたはずで、そこに『結晶の展示』なんて無かったはずなんだよなー。
「という事で、とりあえず硫酸銅と食塩とミョウバンを煮溶かしてるところです」
成程なー。まあ、展示物が増えるのは悪くないし、別に構わんけど。
……皆、ガスバーナーの周りから動かないんだよな、これが。
「……寒いから?」
「はい!」
うん、素直なのはいいことだ。
暖を取りつつ、それでもきちんとやることはやってるらしい連中は……待ち時間だから、と言い訳しつつトランプを広げ始めた。
……うん、まあ、構わんけど。
「はい、じゃあ闇のゲームの始まりデース」
……うん、まあ、構わんけど!今度は何をベットするんだお前らはっ!
「初期手札が酷すぎたんだ」
「……うわ、外、寒そう……」
大富豪かなんかやって、鈴本と角三が大貧民と貧民になったらしいね。
遠い目しながらコートを着たりネックウォーマーに首を通したりし始めた。
……うん。
「お疲れ様―!あはは、やった、俺はぬくぬくしてよーっと!」
「いやー、この寒い中外行くとかお疲れ様っすわー」
「くそ、覚えてろ……」
「ちょっと行って雪とってくるだけでしょ?」
「じゃあ羽ヶ崎君、行ってよ……」
「絶対嫌」
……そして、鈴本と角三は黒画用紙とデジカメとルーペを手に、外へ出ていった。
「あいつらは何をしに行ったの」
「雪をとってきて貰うんです」
……ああ、『取って』じゃなくて、『撮って』ね。
成程、雪の結晶は1㎜ぐらいだから、肉眼でも結晶構造が観察できたりする。
ルーペなり接写機能付きのデジカメなりがあれば、写真にも撮れるんだな、これが。
きっと鈴本と角三は空から落ちてくる雪の結晶を黒画用紙で受け止めて、それが融ける前にデジカメに収めようと頑張るんだろう。
「雪も結晶ですから、展示しようという話になりまして」
ま、タイムリーな展示になるだろうし、綺麗なのは間違いないし、良いんでないの。
「罰ゲームにも丁度良かったよねぇ」
……うん、まあ、良いんでないの……。
それから室内に残った連中は硫酸銅だの塩だのミョウバンだのを煮たり、発泡スチロールで保温用の容器を作ったり(大きな結晶を作るためには温度がゆっくり下がる必要があるからね)、核になる結晶を吊るすように糸とか割りばしとかを駆使して頑張ってたりした。
その間、ずっとガスバーナーの周りから離れないんだから、こいつら良い根性してるよなーと思う。
「これ、もしかしたらパソコン室に行った方があったかかったんじゃないかな……」
舞戸がぼやいてるけど、僕もそう思うよ。
この学校、教室にはエアコンついてるし、特別教室の類にもエアコンついてるところはあるんだけど、換気しなきゃいけないとかお金が無いとかそういう理由で実験室の類にはエアコンついてないのよね。
けど、パソコン室にはちゃんとエアコンついてるし、そうでなくてもあそこはパソコンがうぃんうぃんやってるおかげでちょっとあったかいし。
「いいんじゃないですか。ここの方が落ち着きますし」
「……うん、火のあったかさもいいよね、うん」
しかし、こいつらはどうも、この寒々とした実験室が落ち着くらしいね。
「んーと、さ?鈴本と角三君帰ってくるまでにもう1ゲームぐらいできるんでないかなー、って?」
「あー、やっちゃおっかぁ。2人に文句言われそうだけど……」
「いいじゃんいいじゃん。やっちゃおうよ」
ま、他の場所じゃーこうやってトランプ広げてきゃいきゃいできんわな。
……それだけじゃないんだろうけどね。
「くそ、寒い!」
「ただい……っくしゅ」
そうこうしてるうちに、がたがた震えながら鈴本と角三が帰ってきた。
「おーお疲れ様っす!」
「うわ、うわー……ほら、火だよ、こっちに火があるよ、おいでおいで!」
「写真見せてよ」
震えながら鈴本が羽ヶ崎にデジカメを渡すと、羽ヶ崎は早速データを物色し始めた。
「へー」
「あ、いいないいな。俺にも見せて」
「展示に使えそうですか?」
嬉しそうに写真見物する連中に混ぜてもらって僕も写真を見せてもらうと、結構良く撮れてる雪の結晶の写真のデータがたくさん入っていた。
ほー、いいんでないの?これなら小中学生もだけど、親御さんたちにも楽しんでもらえそーね。
「ほんとに寒っ……っしゅ」
「うわ、角三君手が真っ赤」
んで、こいつらはというと、雪の結晶の写真見物もそこそこに、角三の手に注目し始めた。
あーあーあー、あんなに赤くなっちゃって、しもやけにならなきゃいいけどね。
「鈴本は色が変わらないのが不気味だね。……あ、つべたい」
「お前の手はなんでこんなに温いんだ。子供か」
一方、鈴本は冷えてるにもかかわらず、手の色が変わってない。そういう性質なんだろうけどね。
更にその一方、舞戸は手が温いらしい。……あいつもしかして今、眠いんでないの?
「温度測ってみようぜ!」
……で、こういう事に妙に積極的な鳥海が、赤外線温度計を持ってきた。
これ、直接温度計ぶっ刺さなくていいし、すぐに温度測れるから便利なんだけど、微妙に使う機会に恵まれずにお蔵入りしかけてるんだよね。
「ええと、角三君は……お。22℃」
早速、と言わんばかりに鳥海が角三の手の温度を測る。
「寒い」
「だろうね」
外に居たにしてはあったかい方なんでないかな、とも思うけど。
「鈴本は……あ、20℃かー」
「……俺の方が雪、触ってたよね……?」
「角三君の方が血行がいいんだろうな」
「それもそうかもしれませんが、人間は手の先などが急冷されると血管を広げて血を流そうとするので。それで一時的にブーストが掛かって暖まった可能性がありますね」
へー。そう言われてみれば、冷たい水にいきなり触ったりするとその後手がじんじんするよね。あれかー。
こう、社長のこういう無駄知識ってのはどこから出て来るんだか、一回こいつの頭の中を見てみたい気もする。きっと三大奇書より奇奇怪怪なんだろうなー。
「あ、俺28℃あるわー」
「鳥海は冬でもあったかいよね」
やいのやいの言いながらそれぞれの手に赤外線温度計を照射して連中は楽しんで……そして。
「羽ヶ崎君はーっと……ん?」
あれ?あれ?とか言いながら鳥海が何度も羽ヶ崎の手の温度を測り直している。
……見せてもらった。
「……15℃」
……羽ヶ崎の手、見たらなんかこう……。
「羽ヶ崎君の手、なんかあれだよね。死体色してるよね。あははは」
うん。それ。死体色してる。
なんかこう、赤いとか白いとかじゃなくて……紫。
羽ヶ崎は……滅茶苦茶血行が悪いらしいね。うん。まさか、外行って雪触ってた奴より温度低いとは驚きだけど。
というか、15℃って。15℃って。
「確かに色的にはゾンビだな」
「ま、まあ、ほら、赤外線温度計で測れるのは表面温度だし?羽ヶ崎君が実はリビングデッドだとかそういう話じゃないと思うんだけどなー?」
「誰がゾンビだよ!」
「早すぎた埋葬……」
「確かに死んでないけど埋まってもないから!」
「私は羽ヶ崎君の手が作り物だって言われたら信じる」
「ああそう……」
「あ、靴そこそこいいかんじ?」
「お。湿っぽいけど……んー、ま、許容範囲?」
そうこうしてるうちに、靴びしょびしょ組の靴も乾いてきたらしい。
何度か授業の合間に新聞紙取り替えたりしてたみたいね。
「じゃ、そろそろ帰るか」
こいつら今日の部活に靴乾かしにきたんじゃないだろーな!やることはそこそこやってるから文句言えないけど!
「そだね。雪、酷くなりそうだし」
「電車動いてるかなー」
まあ雪が酷くなったら電車止まったりしそうだし、僕としてはさっさと生徒を帰した方がいいよな、っていう立場なんで反対はしない。
「気を付けて帰れよー。雪だまりだの氷だのに足突っ込むんじゃないぞー。自転車は気を付けて乗れよー」
「はーい」
「ういーす」
「さようならー」
ホントに気を付けてくれるかは怪しいけどなー。
硫酸銅水溶液を発泡スチロールの容器に入れて冬眠に就かせて、連中は元気に帰っていった。
……これ、明日には綺麗な結晶になってるんでないかな。ね。




