殻に殻を
鈴本視点です。
時系列では1話と2話にあたります。
多少残酷な描写があります。
キャラクターのイメージが壊れる恐れがあります。
恋愛要素は例の如くありません。
ご注意ください。
俺達は弱い。だから俺達には殻が必要だった。
「起きろ!森だ!森だぞ!おら!」
よく分からないセリフを聞きながら揺り起こされて見てみれば、そこにはふざけた格好の舞戸が居た。
よく分からないが、俺達は揃って幻覚でも見ているのか……或いは、異世界にでもふっとばされてしまったらしかった。
とりあえず後者の方で考えるとして、俺達は外を探索することにした。何故かと問われれば、このままここに留まっているだけで状況が好転するとは思えない程度には、俺達が現実主義者だったから、と答えるしかない。
そして、その上で舞戸だけは置いていくことになった。だって、しょうがないだろ?こいつだけ何故か、本当に何故か……俺達がそれなりに異世界ファンタジーらしい恰好をしているのに、こいつだけは……ふざけた事に、メイド服なんていう物を着ていたからだ。
舞戸の運動能力は低くない。廊下を走っている時なんてびっくりするぐらい速かった。しかし、着ている服が服だし、何より、例え運動能力が多少高かったところで、所詮文化部のものだ。スタミナは無いし、他の部分だって、どうせ俺達には劣る。
だったら無理に足手まといになりそうな奴は連れていかなくてもいい、という結論になったのだ。
その後、掃除ボックスに入っていた装備を分配した。剣は兎も角、ファンタジックな杖がある時点でもしかしたらこれは所謂異世界トリップというものなのではないか、という気がしていたが、それでもその時はまだそこまで深く考えてはいなかった。
「森だな」
「森だね」
「森ですね」
丁度同じく化学実験室に居た羽ヶ崎君と社長と一緒に外に出てみれば、奇妙な光景が広がっていた。
巨大な木が鬱蒼と繁る森は、明らかに日本のそれとは雰囲気が違う。そして、その森のどこからか聞こえる、動物のものらしき鳴き声もまた、存在するのがおかしなものばかりだ。
……明らかな敵意を持った鳥獣の鳴き声、なんていうものを、現代日本で聞いたことがある人が果たしていただろうか。そして、それを初めて聞いたとしたら。その鳴き声を発する在りえない異形の生き物が、突如として現れたとしたら。
普通、動けないはずだ。
なのに、俺は動いた。
何も考えずに、体が動いていた。
地面を蹴れば在りえない高さまで体が浮いて、それに自分で驚く暇も無く、手にした剣でその鳥の片翼を切り落としていた。
何時着地したかもよく分からなかった。
翼を失って地に落ちた鳥が泣き叫んで暴れる姿を眺めている内にやっと我に返って、そして、その鳥の姿にいたたまれなくなって止めを刺し……今度こそ俺達は認めざるを得なかった。俺達は本当に異世界という奴に来てしまったのだ、と。
気づけば、剣を握る手は自分の意思とは無関係に固く握られ、剣を手から放すのに苦労した。
此処が異世界なら、本当に悪趣味な世界だと思う。モンスターを倒したら消えてくれればいいのに。俺が殺した鳥の死体は依然としてそこにあり続けた。
刀身を伝って手にまで達した鳥の血液のぬめりとぬるさは、一生忘れられそうにない。
近くに水辺を見つけて剣と手を洗ったが、なんとなく嫌な感じが手に残り続けた。指先は冷えて、満足に動かすことができない。血の通った生き物を自分の手で殺すという事は、何の覚悟もしていなかった俺に十分すぎるほど打撃を加えていったらしい。
俺は俺自身が思っていたよりずっと弱かった。
「何が一体どうなってんの、これ。さっきの鈴本の動き方、ありえないでしょ。それにあの鳥も」
水辺の側に実のなる木があり、そこで一時休憩することにした途端、堰を切ったように羽ヶ崎君が喋り出した。
「そうだな、俺自身未だに信じられない」
自分の体がまるで自分の物ではないような感覚。こんなに俺の足は地面を力強く蹴る物だったのか。あの高さまで飛んで、その後着地にだって何の問題も無かった。どう考えたっておかしい。
「重力が弱い、とかそういう話ならまだ分かるんですけどね……単純に俺達の身体能力がバグったと考えた方がいいんじゃないですか」
社長の言葉にも納得せざるを得ない。俺はこの中で誰よりもこの異常性を知っている。
「それから、さっきから俺もおかしいです。あの木の実ですが」
社長の指さす先には、明らかに俺達の知らない果物が生っていた。
「食えます。分かるんですよ、何故だか」
「それはどういう事だ?」
「分かりません。とにかく情報が流れ込んでくるんです。対象に意識を集中させると」
そう言いながら社長は頭を押さえて苦しそうにしていた。自分の意思とは無関係に流れ込んでくる対象の情報に翻弄されていたらしい。しかしそれが収まった頃、社長は重大な発見をした。
スキルの発見。俺達の持っていたドッグタグには、何時の間にかスキルという物が刻まれていた。『鑑定』と、それだけだったが、それは十分すぎるほどに衝撃だった。
俺のドッグタグにも『斬撃』『片手剣術』と刻まれていた。俺があの鳥を簡単に殺せたのはこのスキルという物の所為だったのか、と、納得できた。
一度自覚してしまえば制御もできるようになったらしく、社長はありとあらゆるものを『鑑定』してみせた。食べられる物と食べられない物を区別できるという事は大きなアドバンテージだった。これができなかったら、俺達はとてもじゃないが見たことも無いおかしな色の果物なんて、とても食べる気にならなかっただろう。
休憩は切り上げて、果物の採集を始めた。何か食べる物が無いと俺達はきっと飢え死ぬ。この状況がいつまで続くかも分からない。
俺が木に登って果物を採っては社長と羽ヶ崎君に投げ渡していたら、木と木の隙間に箱のようなものがあるのを見つけた。意識を集中させて良く見れば、蝶番で蓋のついた木箱だという事が分かった。元々目は悪い方ではないが、それでも見え方がおかしい。木目まで見える。その箱に意識を集中させていた時、背後に羽音が聞こえた。
意識を別の場所に集中させてしまった分出遅れた。剣は鞘に収まっている。それにここは木の上だ。足場が悪すぎる。バランスをとる余裕も無い。
間に合わない。
一瞬の間にそこまで考えて、しかしそれでも尚動かない指先を叱咤する前に、それはごとり、と重く硬い音を立てて、それぞれが木に激突して地に落ちた。大きな鳥は3羽。それぞれ体の半分ほどを凍り付かせて死んでいた。
「僕も、おかしいみたいだわ」
羽ヶ崎君が杖から指を引き剥がしながら、血の気の失せた顔でにやり、と笑ってよろめいた。
それから精神力を消耗したらしい羽ヶ崎君の為に休憩をまた取って、果物と、羽ヶ崎君が『氷魔法』で凍らせた鳥の死体、そして木の下にあった箱から出てきた一振りの包丁を持って元来た道を帰った。
見慣れない場所に見慣れた教室のドアが見えた時の何とも言えない安堵感は凄かった。強張った体が緩むのを感じながらドアを決めたとおりにノックすると、内側でバタバタと音がして、鍵が開き、ドアが勢いよく開かれた。
「ただいま」
「お帰りなさいませご主人様」
疲弊した俺達とは違って、舞戸には冗談を言う余裕もあるようだった。
「やめろ、お前が言うと気持ち悪い」
「ご無体な」
一度弛緩してしまった緊張はここで完全に緩み切ってしまった。
俺達が感じた異常も恐怖も、こいつは何も知らない。知らないから笑っていられる。冗談だって言えるんだろう。知らないから……正常でいられる。それは腹立たしくもあったが、同時に安堵でもあった。俺達はほんの30分かそこらの間に、正常から離れてしまっていたのだという事にやっと気付いた。
それから荷物を置いて、ざっと状況を説明してみれば、俺の口から出る言葉なのにまるで他人事のような気がした。まるで物語でも話しているような。
まるで実感を伴わない説明をしている途中で、舞戸が俺達のような戦闘能力を有さないのであろうことも発覚した。なんだよ、『お掃除』って。その時の舞戸の絶望したような表情は面白かった。いや、決して嫌な意味では無くて。その瞬間は、確かに俺たちは正常だった。
多分、その時なんとなく思ったことは俺達3人とも同じだったんだろう。その後なんやかややり取りして、すぐに水を取りに行くため外に出た。
「俺達はこのままだと確実に壊れるでしょうね」
社長が自嘲気味に笑いながら容赦なく鳥を『土魔法』で貫いた。社長は俺なんかより余程強い。俺と違って、今必要なことを必要な事と割り切れるんだろう。
「どういうこと」
羽ヶ崎君は水辺の水を汲んでいる。俺がさっき血を洗った場所だが、文句は言っていられない。
「俺達はきっとこのままこのおかしな状況に慣れていくんでしょう。スキルにも、異様な身体能力にも」
「そうだな」
「そして、きっと殺す事にも慣れていきます。摩耗します、俺たちは確実に」
慣れるという事は摩耗するという事だという表現が妙にしっくりくる。そうか、俺は摩耗したのか。削れて。だからこんなにも痛い。
「殺すことに慣れきった頃、俺たちはどうなっているでしょうね」
俺達は命のやり取りから遠く離れすぎた。自分の手を汚さなくても肉が食えるし、害獣を駆除するなんて遠い世界の話だ。
そのツケが回ってきたと考えれば、まだ納得できるか。今まで少しずつ慣らしていた訳でもなく、急激に命のやり取りとの距離が縮まって、だからきっと俺達は壊れる。ぬるま湯につかっていた代償として、俺たちは大事なものを失うんだろう。
「いっそ現実を虚構だと割り切ってしまうのも手ですね」
これは嘘だと、夢だと、或いはゲームだと。そう考えて、思い込んで、自分を守る殻にする。それは実に魅力的な案でもあった。でも、それをやったら『俺』じゃない。
「それ、なんかむかつく」
羽ヶ崎君らしいな、と思う。むかつく、という言葉で摩耗し続ける痛みを選ぶ。羽ヶ崎君のこういう所をかっこいいなと思う。
「リアルをフィクションにした時点で壊れた同然でしょ」
「まあそうですね。そういうのは俺達、嫌いですよね」
フラスコに栓をして羽ヶ崎君が立ち上がった。とりあえずこれだけあれば今日と明日位まではなんとか持つだろう。
「ですから、こういうことにしませんか。俺達は壊れない為に、摩耗する理由と意味を作りましょう」
「……どういうことだ、それは」
「依存するんですよ。俺達の中で一番壊れ無さそうな、正常でいられそうな人間に、精神的に」
成程、俺が感じた事を社長も感じていたのか。
「元々女性はストレスフルな状態に耐えうる能力が高いです。その代わりに戦闘能力は男より低いですが、今回はそれも好都合ですね。自分より弱い生物は見ていて落ち着きますから」
「依存って」
「拠り所にしてしまいましょう。舞戸さんを見て俺たちは正常な感覚を取り戻せばいい。その為に、舞戸さんを正常なままに保つんです。舞戸さんという言い訳があれば、俺達は摩耗にも耐えられるでしょう」
自分が生きる為では無く、他人を生かす為という言い訳。ある意味ではフィクションという殻に篭るより酷い現実逃避。けど、俺達はそうでもしないときっと耐えられない。俺達は弱い。
「そんなことあいつは望んでないよ。あいつ共有したがってるから」
「でしょうねえ」
舞戸は一つでも多くの事を共有しようとしている。それはきっと、俺達との差を埋めるためになんだろう。永遠に埋まることなど無いと知りながら、それでも舞戸はそうしたがる。……エゴイズムかもしれないが、依存するのはお互い様だろう。あいつだって俺達に精神的に依存しているのだろうから。
「要はばれなきゃいいんです、ばれなきゃ」
社長が水の入ったフラスコを鞄に詰め終わった。そろそろ戻ろう。もうすぐ陽が沈む。
「ま、ばれなきゃ、いいよね」
羽ヶ崎君にとってもここが落とし所なのだろう。フィクションにするのは実験室の中、いや、舞戸だけでいい。それは俺達が殻に篭るのではなくて舞戸を殻に閉じ込めるのだという殻。俺達より弱い生き物を『守ってあげる』なんて、エゴイズムでしかない。舞戸はそんなこと望んでいない。分かってはいるが、それすらも殻にして、俺は俺を守る。
もしこれを知ったら舞戸は、こんなこと望んでない、と怒るだろうか。それとも。
「これで俺達は共犯者ですね」
社長がにやりと笑いながら杖を構えた。
「ね」
羽ヶ崎君もどこか吹っ切れたような顔をしていた。
「さて。社長はフラスコ割るなよ?」
見れば鳥が3体ほど飛来してきていたが、何時の間にか俺の指先は自由に動くようになっていて。
俺は剣を自分の意思で抜いた。




