風邪
時系列は『毒温泉旅行記』の翌日です。
視点は鈴本です。
朝、起きたら体が妙に重かった。
更に言うならば、腕を動かそうとして神経を削られるような痛みを味わい、頭を動かして凄まじい目眩を感じ、喉が呼吸の度にひりつき、そして俺は確信した。
風邪をひいたらしい、と。
「いや、うん、まさか補正があっても風邪を引くとは。やっぱり昨日の全裸ダンジョンが効いた?」
「言うな」
確かに湯上りの状態で全裸でダンジョン攻略をさせられた事は確かだ。原因もそれだろう。しかし、舞戸以外は全員同じ条件で、なのに風邪をひいたのは俺だけだった。
舞戸にしたって、薄い浴衣一枚であの底冷えのするような地下に居たはずなのに……ああ、もしかして、鳥海が湯たんぽの役割を果たしていたのか。なら納得だ。鳥海は体温が高い。夏は暑くて冬はぬくい。冬になると針生が妙に鳥海にくっつきたがるのはそういう事だ。
「君、疲れてたのかもよ」
「どうだろうな」
俺は自慢できることじゃないが、すぐに扁桃腺が腫れる性質だ。俺だけ風邪をひいたのもそういう事なんじゃないかと思うが。
「割と君、いつも気、張ってるでしょう。最近のんびり気味になって、それが緩んだのかもね」
そんなことを言いながら舞戸が俺の側に粥の入った小さな土鍋と取り分ける器とスプーンの乗った盆を置いて、器に粥を取り分ける。
「起きられる?」
「起きられる。ついでに言えば自力で食えるからな」
妙に気づかわしげな舞戸を制して自力で起き上がると、体の節が酷く痛んだ。
……こういう事に『痛感耐性』は効かないのか。くそ。
舞戸が粥の器にスプーンを添えて渡してくれたので、力の入らない手で受け取って食い始める。
粥は白粥では無かった。鶏の出汁を取って香味野菜と煮たらしい。おかしくなっている味覚にも美味いと感じられるのがありがたかった。
「ごっそさん」
食欲自体はそこまで減衰していなかった為、割と短時間で完食した。
「ん。お粗末様でした。じゃあ社長謹製風邪薬(仮)ver.1.1を服用するように」
そして舞戸は小さなフラスコに入ったどす黒い液体を盆の上に置いた。
どす黒い。
どう見ても薬には見えない。毒だ。毒だろう。毒に決まっている。
「……それ、絶対に不味いよな」
「ver.1.0の時は墨とカカオ99%チョコレートと干し柿混ぜて薬品臭くした物を2で割ったような味がしたよ」
3で割るんじゃないのか。2なのか。
「……飲まなくてもいい。寝てりゃ治る」
「飲もうね。私に飲ませた事を忘れたとは言わせないよ」
飲んだら余計に体調が悪くなりそうだ。勘弁してくれ……。
結局押し問答を続ける気力も無く、社長謹製風邪薬(仮)……おい、そういえば、仮、って何だ、仮って……。
……まあ、それを飲んだ。
……錆びた鉄のような風味が最初に鼻腔を突き抜け、後から濃すぎる日本茶のような渋みといやにまろやかな味が舌の上を流れていった。そして最後に青臭いような爽やかなような、絶妙な風味が残る。
「……不味い」
究極の不味さだ。なのに吐き気を催さない所が社長の凄い所か。どうせなら美味い薬を作って欲しいもんだ。
「お疲れ様」
何時の間にか舞戸は切った果物を持ってきていた。口直しに、という事らしい。
薄皮まで剥かれた……というより、『消された』オレンジと、櫛切りになった桃が2切れずつだ。
有難くそれも平らげて、舞戸に『お掃除』された後、俺はひたすら回復の為に寝ることになった。
うつらうつらしていたのか、深く眠っていたのかは分からないが、とりあえず目が覚めたら体は大分楽になっていた。
まだ頭が熱をもっていたり、体が倦怠感に支配されていたりはするが、痛みの類はもうほとんどない。
……寝ていたからなのか、社長の薬が効いたのかは分からんが。
寝汗をかいたらしく、体がべたついて気持ち悪い。喉も乾いた。
水を求めて起き上がった所で、枕元に水差しとコップが置いてあることに気付いて有難く飲む。
飲みたいだけ水を飲むと、頭がすっきりしてきたような気さえしてくる。
布団の上で上体を起こしてみたところで、俺から少し離れた所に布団が1つ増えている事に気付いた。
……風邪ひきが増えたらしい。覗いてみたら針生だった。
また微妙な人選だな……。
そして少しして、舞戸が昼食を持って入ってきた。
「調子は?」
「そこまで悪くも無い。ただ、怠いな」
舞戸は俺と布団を一通り『お掃除』してから、昼食を手渡してくれる。
昼食は煮込みうどんだった。
「そういや、針生も寝込み出しちゃったよ。昼前まで症状に気付かなかったみたいだね」
うどんを啜っていたら舞戸から驚くべき報告があった。
「気づかなかった、って」
「うん、元気に遊んでて、それで突然「あ、なんか俺体調悪い」ってなったみたい」
……らしい、といえばらしいか。
「ん……」
起こしてしまったか、針生がもぞもぞと動いてから目を覚ました。
「おはよ。食欲は?」
「えっとね……うん、お腹減った、かも」
その後数度やり取りをして、舞戸は針生を『お掃除』してから昼食を取りに出て行った。
……あいつも大変だな。
「飲みたくない……」
「鈴本は飲んだぞ」
「やだ。やだやだやだ。俺絶対それ飲まない。寝て根性で治す!」
風邪のせいか、駄々っ子5割増しになっているらしい針生をなんとか宥め賺して、舞戸は薬を飲ませる。
……あいつ、本当に大変だな……。
「じゃ、また寝てなね」
「いや、もう起きる。十分だ」
「寝るのもう飽きたよー」
「よくない。寝てなさい」
昼食も終わって俺も薬をまた飲んで(この味はなんとかならないのか)、口直しに、とまた果物を切ってもらって、針生と争奪戦を繰り広げて。
そしてもう起きようと思っていたら、舞戸には寝ているように言われた。
「しかしだな、案外暇なんだ。いい加減しっかり寝たせいで眠くも無い。眠れもしないのに布団の中にいろ、というのは少々酷じゃないのか」
「もう眠くないし!加鳥たちは今めっちゃ遊んでんのにー……」
体は怠いが、それだけだ。針生の方は熱が出てきてるらしいから寝かせておく必要があるだろうが、俺はもう寝ていなくてもいいだろう。
そう思って抗議したわけだが、はいはい、と流されて寝かされて布団を掛けられる。
……抵抗しようと思えばいくらでもできたんだろうが、肩を押さえられて寝かされた時点でもう色々とどうでも良くなった。
「やだー」
「ええい大人しく寝てなさい!17にもなって1人じゃ眠れないとかいう訳でも無かろうにッ!」
……針生の方はそうでも無かったらしく、ばたばたぼふぼふ、と布団を蹴り上げるような音が聞こえる。
「……じゃあ強制的に寝かすからねっ!」
針生と舞戸の攻防は、簡単に決着がついた。
舞戸が『子守唄』を歌ったためだ。
布団を蹴る音が止み、静かになる。……寝たらしい。
そして当然だが、その効果は俺にも波及する。
意識が深く優しい場所へ引きずられていく感覚。
……俺はこれを既に何回か聞いているんだが、何故かこれには一向に耐性が付かない。
……別に付かなくても構わない、と思う俺も居る訳だが。
起きたら夕方だった。
俺は本当に今日一日、只寝て過ごした事になる。その代わりというか、体はすっかり本調子に戻っていた。
隣の布団を見てみると、針生が掛布団をはねのけて寝ていた。
とりあえず布団を掛けなおしておいてやる。
そこでふと視線を感じてそちらを見ると、メイドさん人形と目が合った。
目が合うとそれは何かに納得するかのように数度頷き、ドアを開けて勝手に出て行った。
……なんだったんだ。
「起きた?」
その答えはすぐに分かった。さっきの人形は舞戸が俺達が起きたかを見るために寄越したんだろう。
「起きた。もう本調子だ」
「うん、それは良かった。社長が夜の分の薬も作って待ってるけど」
「もう飲まないからな」
……社長が嬉々として薬を作る姿が容易に想像できるな。
「まあ、無理にとは言わないよ。食欲はある?」
「ある。普通の物が食えそうだ」
答えると、それは良かった、と舞戸が嬉しそうに笑う。
「……ん。あ」
話していたらまた針生が起きた。
「起こしちゃった?ごめん」
「平気。つか、むしろもっと早く起こして欲しかった……もう夕方じゃん……」
舞戸はぶつぶつ何か言う針生を宥めつつ、首筋と額に手を当てて熱を測る。
「針生は……まだ熱っぽいね。君は夜も病人食ね」
「えー」
針生がまたぶつぶつ言い始めたが、普通の食事と病人食と2種類作るのは骨だろう。こいつには頭が下がる。
「3人分かあ……何にしよ。針生、何か食べたいものとかある?」
「えっと……あ、ちょっと待って、考えるから!」
……待て。
「おい、3人、って」
「羽ヶ崎君と加鳥がだな、夕方になってから「やっぱりなんかおかしい」って言い出して。熱が凄いことになってたから会議室で寝かせてる」
……そりゃあまた、ご苦労様だな。
「なんだろうねー、時差式風邪?いっぺんに全員、とかよりは良いけど、なんか不思議だねー」
「思いついた!卵入ってるお粥がいい!」
「おー、了解了解。それじゃあ卵粥と……あと煮奴でもつけよっか。お豆腐なら消化もいいだろうし」
……結局、角三君と社長と舞戸を除く全員が順繰りに風邪を引いて、俺達は2日間、停滞を余儀なくされた。
まあ、のんびりできたとも言えるだろう。今まで殆どノンストップで進んできてたしな。体調を崩すのも今で良かったと思おう。
ちなみに、社長謹製風邪薬(仮)はver.1.16にまで進化した。
味は色々と変わりはしたものの、改善はされなかったらしい。




