女神と魔王の西洋将棋
時系列は最終話です。
魔王視点です。
チェスしながら色々話しています。
「チェックメイト」
私がナイトを動かすと、フィアナは悔しそうな顔をして、実に女神らしからぬ呻きを上げた。
「……全く、敵わんな、お前には」
「それでも10回に3回はお前が勝つようになってきただろう」
フィアナは最初こそ、全く私に勝てなかった。
しかし、めきめきとチェスの腕は上達して、今や私もひやりとさせられる局面が多い。
「全知全能の女神が聞いて呆れるわ。……全く」
フィアナは形を取り戻したものの、魔力は全く只の人と変わらない。
フィアナは100年ちょっと前、女神であることを辞めた……否、全知全能であることを捨てたのだ。
そしてその力を、この世界の人間たちに与え、彼ら自身の力による発展と平和を望んだ。
……それが正しかったのか、間違っていたのかは、簡単に決められないだろう。
何も知らないことが幸せであると、私は思わない。
何も知らないという事は、不幸も幸福も知らないというだけの事だ。
だから、この世界の人間にとっては……きっと、良かった事なのではないかと、思う。
その分、異世界の……私の世界には、迷惑を掛けたが。
「さて、茶でも淹れようか」
「うむ。……お前の淹れる茶を味わえるようになったことは、形を取って良かった事の1つだな」
フィアナは穏やかに笑いながら、チェス盤の駒を元の位置に戻し始めた。
……もう一局やりたいらしい。
どうせ私も長い時間を持て余す身だ。幾らでも付き合おう。
「舞戸は帰れただろうか」
ふと気になって零すと、フィアナが大胆にクイーンを動かしながら、にやり、と笑ってみせた。
「帰れるであろうよ。あれは」
フィアナは疑いすらしない。
それは、舞戸の『共有』とやらで舞戸の内側を覗いているからかもしれない。
「そうだな。……彼らの帰還の際の邪魔のようなものが入らなければいいが」
「ああ。それなのだがな。……アレについて、考えてみた。聞いてくれるか、ドミトリアス」
フィアナが盤上を眺めるのを止めて、私の目を見た。
「聞こう」
「よし。……まず、『虚空の玉』だ。あれを消す時に化け物になる、という事についてはもう結論が出ているな」
確か、彼らの……私の居た世界によるものだったか。
魔力の通路となる『虚空の玉』を消してしまえば私の居た世界は崩壊していた。
それに抵抗するために、私の世界の意思が、『虚空の玉』を化け物にしたのだろう、と。
そういう事を舞戸から聞いた。
「そこで、だ。……ならば、この世界も同様に、自分が、つまり世界が崩壊せぬよう、魔力の源となる異界の者どもを帰すまいとするのは至極当然のことではないか?」
「つまり、舞戸達が帰ろうとする時に出てきた化け物は、この世界の意思だと」
……つまり、世界には自我がある、と。
「まあ、そういう事だ。……さて、世界に自我、というのはどうしたものか。余はこの世界の子守りをせねばならぬということか」
「お前の創った世界だ。面倒を見てやれ。私もできることは何でも手伝おう」
「ああ。世話になるぞ。しかし、まさかかような形でこの世界をなんとかしていくことになるとはな」
まだこの世界はフィアナの力を必要としているという事なのかもしれない。
彼女は、全知全能で無くなって尚、この世界を創った女神であり……この世界の母なのだ。
「しかし、舞戸以外は全員帰れたらしいが、つまりこの世界の意思の顕現を倒した、という事だろう?この世界の自我は大丈夫なのか?」
「ああ。叱っておいた」
フィアナは宙で手を振って、次元の門を開いた。
そしてそこから、あらゆる色を混ぜたような、不可思議な色の……手乗りサイズの、竜が現れた。
「ついでにこっちにはな」
そして反対の手でやはり次元の門を開くと、そこからやはり不可思議な色をした、顔の無い少女のようなものが現れた。
「仲良くせよと言ってある」
早速その竜は少女に飛びついて懐いている。
少女も竜と全身で戯れるようにしている所を見ると、実際仲が良い……のだろう。
「これは」
「まあ、世界和平と言った所か」
遊んでおいで、とフィアナが二人(?)に声をかけると、それらは外に駈け出して行った。
「まあ、友達が居った方が良かろうと思うてな」
「……魔力が人間並みだろう、今のお前は」
「何、出力が人間並みでも技術は女神ぞ?」
フィアナは笑ってカップを傾ける。
「おや」
突然フィアナは宙を見たと思うと、からから笑い出した。
「やりよったわ。あ奴、この世界を出たぞ」
「舞戸か」
フィアナは心底嬉しそうに一頻り笑ってから、容赦なく私のクイーンをとっていった。
……とらせたのだが。
「この世界からあの経路で行くとなると、どういう道筋になるんだ?」
クイーンをとりにナイトが動いたことで、私に有利な形になった。
フィアナも気づいていない訳ではないだろうが。
「この世界を出てからの事は分からぬよ。……ただ、あ奴なら、『自分』を通って元の世界に戻るような気がするな」
「『自分』」
「全ての者は、2つの世界を生きているのだ。1つ目の世界は自分の外側に、もう1つは自分の内側にある世界だ。そして、ある意味では、内側の世界、つまり自分自身の世界は、全ての世界と繋がっている」
……残念ながら、3000年程生きた私でも、世界の話になると付いていけない部分がある。
フィアナに以前説明されたこともあったが、フィアナにしてみれば『鳥が何故空を飛べるか聞かれた気分』らしく、結局まともに理解できる説明では無かった。
「望めば異世界の片鱗程度、見る事は容易い。自分の世界は全ての世界に通ずるのだ。そこを飛び越えられる者は少数であっても、な。しかし舞戸の事だ、きっと鍵なぞ使わずとも世界を行き来するだろうて」
フィアナは駒を慎重に動かして私の番を促す。
「彼女にはそれができると」
ルークをとってフィアナの番を促す。
フィアナは上手く私の策に嵌まっているようだ。
「お前だってできるだろうに」
「試したことがないものでな」
嘘だ。
過去に何度か、元の世界へ帰る手段を模索した事がある。
そして、それも成功しかけた。
「元の世界が恋しくはないのか」
「あのころからは何もかも変わってしまったさ」
3000年も経てば、元の世界への未練などあって無い様なものだ。
それに一番大切なものはこの世界にある。もう帰れるわけがない。
だから、私は自分の意思でこの世界に留まることにしたのだ。
「……そうか。さて、チェックメイトだ」
……フィアナの声に盤上を見てみると、確かにそうだ。
「……余としてはお前に帰ってもらっては困る。チェスの相手が居なくなるのは寂しい」
「私を放っておいた癖によく言う」
フィアナはからから笑うと、カップを傾け……中身が既に無い事に気付いた。
「淹れてこよう。全く、大した女神だ」
「全知全能を舐めるなよ?」
次の一局ではまた悔しがらせてやろう、と思いつつ、私は茶を淹れるために席を立った。




