実験室のメリークリスマス・イヴ
本編中に出てこない化学部顧問の視点です。
時系列は本編より前です。
うちの学校は進学校なので、冬休みの開始が遅い。冬休み開始が12月の25日からなんで、生徒たちからは不満の声が上がっているけど、まーしょうがないよね。教員としてはまあ、そんな不満たらたらの生徒たちを前に授業しなきゃならないんで非常にやりにくいってのはある。
で。問題はうちの部員たち。冬休み開始前日……つまり、24日の授業が終わった時点から、冬休み合宿に入る。お前ら24日も25日も合宿で潰しちゃっていいの?って聞いたら、全員何とも言えない表情して非常に面白かった。ま、こいつらは女の子と縁があるような人種じゃないんだよねー。「先生こそ三十路前なのに合宿なんぞに付き合ってていいんですか?」と言ってきた舞戸には薬品庫の整理を命じた。
……うん、そういえば、舞戸も女の子なんだから、一応、こいつらのクリスマスは女の子に縁がある、ってことになるの、かな?……うーん、舞戸を女の子換算すると多分本人は嫌がるんだろうけどなあ。
舞戸は紆余曲折あってこの部唯一の女子部員になっちゃったちょっと可哀想な子だ。ええとね、他の女子部員が一斉に示し合わせて辞めちゃったのね。本人は全く気にしてない、むしろすっきりしてるみたいだからいいんだけども……僕の所にそういう細かい話は伝わってきてないけど、一応教員ですんで。舞戸がその時なんかその女子達とひと悶着あったらしい、っていう事だけは知ってる。その時からちょっと舞戸、部活休んでたりしたけども、今は「元々女子一人でしたけどなにか?」みたいな顔して普通に部活来てるからまあ、いいや、って。本人がもういいんなら、他人が色々言うのもアレでしょ?
……で、問題なのは、その合宿の内容だよ。
この部、ストッパーが居ないんだよね……。大体は舞戸か鳥海あたりが点火するんだけど……鈴本と羽ヶ崎は割と、止めようとしてるように見えるんだよ。けど、実際は斜め45度に方向転換してるだけ。むしろ被害が読みにくくなるから性質が悪い。針生は火に油注いで扇ぐ係だし、社長は嬉々として油どころかガソリンぶちまけにいくし。で、気づくと角三あたりが火に巻かれてて、加鳥が「わー、あったかくなってきたなあ」ってやるのを刈谷が遠い目しながら見てる、っていう。
……この合宿中、彼らはどうも何かやるらしいんだけどね?僕は生徒たちの自主性を重んじるから止めなかった。うん。だって傍から見てると面白いんだもん、こいつら。
既に廊下の時点で何やら騒がしい。多分合宿らしく夕飯の支度してるんだろうなあ。
実験室に入ったら……おお。
「あ、せんせ。メリークルシミマース!」
いきなり舞戸が包丁砥いでてびびった。やめなさい、包丁を振るんじゃない。
「研究室の包丁があまりに切れないのでキレて研いでます」
「……砥石は?」
「自前です」
うん。この子はこういう子なんだよね。嫌いじゃないよ。
「で、こっちは」
「先生!助けて!人参の皮どこまで剥いたか分からないの!」
鳥海。……ピーラーで人参の皮剥いてるらしいんだけど、皮と実の区別がつかないらしく、あたりにはリボン状になってしまった人参が大量に散乱している。こいつは器用なのになー。なんでこういうとこだけこうなんだろ。
鳥海は成績優秀品行方正、社交性もあり明るく話も面白い。ただ、まあ、趣味が趣味なのと、体積がちょっと大きめなので運動はそんなにできない、ってのもあるのか『メリークルシミマス』組だな。うん。僕はこいつに関しては進路も将来もなんも心配してない。なんとでもなる程度に地頭もいいし、何より努力家でコツコツ型だ。
「頭流した後さっき流したのがシャンプーだったかリンスだったか分からなくなった感覚だよねーあはははは」
しかも、隣で針生も見ているのに、この様だ。高校生が2人もいて人参の皮が満足に剥けないっていう状況に一言物申したいと思うね、僕は。
……針生はなー。その閃きと好きな事へ打ち込める能力は高いんだけど、如何せん計画性が足りない。夏休みの宿題は夏休み最終週からスタート、っていう部類だな。うん。まあ、その分他の部員たちと比べて世渡りが上手そうなんだよなあ、こいつ。人当たりがいいっていうか、性格がいいっていうか、頭……いや、運がいいっていうか。うん。こいつはいつもにこにこしてるしノリもいいから、人と会って悪い印象になることはまずないんだよね。きっとこいつもなんとかなっちゃうんだろうなあ、色々。うん。割と僕はこいつ好きよ。
「……先生、白菜って……あの、どこまで食うべきですか」
隣では角三が白菜の解体をしている。うん。一枚ずつ剥いていくとその内芯だか葉だか分からない何かになるよね。置いておけば舞戸がどうにかすると思うよ。
角三は入部当初、入る部間違えたんじゃないかと心配した。だってこいつ、明らかに運動部です、っていう脚してるんだもん。実際、運動できるらしいねー。知らないけど。で、まあ、蓋を開けてみたら、案の定というか、頭の回転がゆっくりしてた。けど、その分ゆっくり考えてくれるから生徒に実験やらせる側としては有難いかな。最初は無口で他の部員たちにも倦厭されてたけど、無口なのも単純に何話すか考えてる内に話題が移っちゃってるだけだって分かってからはそんなことも無くなったし。
「あ、先生、豆腐って入れるの後でしたっけ?」
「舞戸に聞きなさい、僕は一切関与しないから」
……というかね、加鳥。
「何故に君は豆腐を手に乗せたまま固まってるの」
「え、え、だってこれ……手に乗せたまま切るの怖い、じゃ、ないですか?」
いや、知らないよ。というか、そうなら何故ケースから出しちゃったの。というか、そしたらお前は一丁丸ごと入れるつもりだったのか?
加鳥はなー。このぽやーっとした雰囲気がなー。嘘なんだよなー。いや、嘘じゃなくて本人の性格も大分ぽやーっとしてるんだけど、その割に頭の回転が速くて、見た目と雰囲気で騙されるっていうか。けど、こいつはちょっと見たら全然仕事進んでなくて大丈夫なのかあ?って思ってたら、次見た時には全部終わってるんだよね。まあ、実際草原でのんびり草食ってるかんじの雰囲気はそのまんまこいつの性格なんだけども。
「お、刈谷中々やるなぁ」
「あ、はい、どうもです」
更にとなりでは刈谷が中々手際よく大根を切っている所だった。こいつは割と料理するんだろうなあ。手つきがいい。
刈谷は自己評価が低すぎるとよく思う。成績もそんなに悪い訳じゃ無いし(むしろ心配しなきゃいけない奴らは他にいっぱいいるんだよっ!)運動面でもひっそり出来がいい。何より、こいつは性格がいいな。卑屈な所さえなければ謙虚だし、素直だし。こいつは自分の顔面偏差値が低いと思ってるらしいんで、そこが自己評価の元なのかね。つくづく色々惜しい奴ではある。
……で。こっちは。
「なんでお前らは遊んでるの」
「俺は手伝おうとしたら舞戸さんに追い出されました」
社長は……。うん。僕もこいつに料理させたくないな、なんとなく。
こいつはなー、もうちょっとこの猪突猛進っぷりが収まればただの秀才なんだが。……うん、そしたらこいつの魅力半減かあ。こいつのいいところは自分の興味の方向にどこまででも進んでいける所だしなー。性格も猪突猛進っていうか、無駄をそぎ落としていった結果そぎ落としちゃいけない物までそぎ落としちゃったっていう性格してるよね。落としちゃったものの筆頭は常識と良心。
「僕が手伝わなくても別に良さそうなので」
羽ヶ崎はこういう所がいい意味でも悪い意味でも合理的か。別にいいじゃんと思うんだけどねえ、合宿の晩御飯づくりぐらいみんなで楽しんでやれば。……うん、こいつに関しても僕は最初認識を誤っていたなー。こいつ、見た目はただの秀才っていうか勉強特化型、如何にも現代のもやしっ子なのよ。けどね、こいつ、性格はかなり攻撃的。単純に凄く理性が強くて冷静だからそういうのが出ないんだけど、こいつがポーカーとかやると、平気でフラッシュ狙いの為にワンペア捨てるもんね。で、その結果ノーペアになったのにレイズして周りをドロップさせるような度胸もあるし。あと、まあ、その攻撃性の筆頭があれだ、ツンデレ。それ言うと本人凄く嫌がるから言わないけど。
「羽ヶ崎君に同じでーす」
鈴本は割と器用に見えて実はそうでもないからボロ出さないようにしてるのかね。いや、単にめんどくさいだけか。……いや、お前部長だろ!働け!
うん、まあ、こいつは器用貧乏を地で行ってるよね。だから凄く小器用なように見えるんだけど、実際はそんなに器用じゃない。けどプライドだけはいっちょまえに有るし、頭もいいからそれがばれないんだなー。……ここだけの話、僕、こいつの事が好きっていう女の子2、3人知ってる。こいつ容姿には中々恵まれてるし、小器用に見えるしね。僕としては、こいつの価値……真摯でまっすぐで真面目で、っていう所を分かってる女子とくっついてほしいね。じゃないとこいつ付き合い始めてすぐに幻滅されて手ひどく振られそうだから。あはは。
「……で、何やってんの?大富豪?」
「はい。先生もやりますか?」
「いやー、お前らとやってたら寿命縮みそうだからやめとく。この緊張感なんなの?」
「今大貧民になった奴が足りない物の買い出しに行くことになってて」
……あー、成程。……っておい!つまりそれ、僕に買い出しに行かせようとしてたって事か!ホンに油断ならんやっちゃなー。
そんなこんなで晩御飯の鍋ができて、皆で楽しく食べているようだった。こういう時こいつらは実に高校生っぽくていいと思う。若さっていうか、なんていうかなー。なんであれ好ましいものであることに変わりは無いわな。
「じゃあご飯も終わった所で闇のゲームの始まりでーす」
「いぇーい」
鍋食べてたなあと思ったら、なんか始まった。なんだ闇のゲームって。お前らは魂でもベットするのか。
「ここに私が作ってきたプチケーキがありまーす」
舞戸が持っていた箱を開いて見せると、中には一口大の素朴なプチケーキがぎっしり入っていた。去年のバレンタインデーにもクッキー貰ったけど美味しかったから、味は期待できるんでない?……あの前口上が無ければ、ねえ。
「数は見ての通り30個。私たち10人で3つずつ、という計算です」
……僕も参加なのね。まあいいや、たまには生徒たちに付き合ってみるのも悪くないでしょ。
「で、外れは全部で3種類」
「外れをわざわざ入れるな」
「外れも無しにケーキが食べられるとお思いでか!これは闇のゲーム!クリスマス・イブの悪夢!ということで楽しんでいきましょー」
……うん、まー、舞戸だからしょうがない。
「砂糖増量ケーキが3つ。クエン酸クリーム注入ケーキが3つ。唐辛子ケーキが3つで外れは9個でっす」
……因みに僕は既に砂糖増量ケーキは分かった。特に焼き色の強い3つだろうなあ。砂糖は生地の膨らみを助ける効果と焼き色を濃くする効果があるから、この知識があればパッと見てすぐに外れ3つは分かるってこと。
問題は残り2つ。……ぜんっぜん分かんない。舞戸はこういう所に技術を発揮しなくていいんだけどなあ。
「順番決めて一人ずつ引いて食べていきましょー」
じゃあ私から、と舞戸が手を伸ばし……殊更に色の濃いケーキをつまんで食べた。
「ん。割といい出来ですなあ。程よい甘さで」
舞戸がにやり、と笑うと、羽ヶ崎と社長と鳥海の顔が引きつった。……うん。つまり、さっきの僕の砂糖増量ケーキの予想だけど、見事に外れ、ってことか。普通の砂糖の分量のケーキにわざと焼き色を付けたってことで……。ホントに手が込んでるなー。
まあ、折角舞戸がこういう余興を持ってきてくれたんだから乗らないのもつまんないよね。
「じゃあ僕も1つ」
部員たちが固唾を飲んで見守ってくれる中、横から1つつまんで食べると……成程、確かに美味いね。
僕の様子を見ていた部員たちは1人ずつ順番にケーキをつまみはじめた。
まずは鈴本。適当につまんで口に放り、普通に咀嚼して嚥下した。
外れじゃなかったみたいだね。
次に羽ヶ崎が迷ったように箱の上で手を動かし、やはり適当につまんで、もふ、と食べた。……瞬間、顔が固まった。あー、外れかー。
「何これ」
「酸っぱかったらクエン酸」
「だろうね」
クエン酸クリーム入りを食べたらしい。……クエン酸クリームって何だろう。後で聞いてみよ。
お茶を飲む羽ヶ崎君の横をすり抜けて鳥海がやってきて、1つ無造作につまんで食べた。
更にその横から針生が手を伸ばして食べたけど、2人とも外れを引かなかったらしいね。
「おーおーおー、6人食べて未だ外れが1個しか出ないとはこりゃ如何に」
大体3つに1つは外れなのにね。
ちゃんと入れたよなー、と心配がる舞戸の横から手を伸ばして角三がケーキを食べた。
そしてその瞬間。
角三は口を押えて廊下へ飛び出していった。水道の音が聞こえる。うん。あれか。唐辛子かあ。
「うわあ、角三君大丈夫かなあ、うん、美味しいねこれ」
加鳥も外れを引かなかったらしい。うーん、ホントに運のいい奴らだなー。
「……あの、舞戸さん、俺、砂糖増量引いたみたいです」
刈谷は申告してはいるものの、別に辛そうでも無い。ま、甘いだけならそうか。
「ほれ、社長の番じゃよ」
舞戸が社長に箱を勧めると、社長は焼き色の濃いケーキを選んで食べた。
「砂糖増量引きました」
……成程、賢いなあ。つまり、砂糖増量ケーキの焼き色にまで気を遣ったのであれば、裏の裏をかいて砂糖増量ケーキの焼き色を濃くしたものもあるだろうという予想をしたんだろう。で、唐辛子だのクエン酸だの引くよりは砂糖に当たっとけ、ということか。あー、流石だわ。
それからもう一周したら鈴本と羽ヶ崎が揃って唐辛子を引いたらしく仲良く廊下へ走って行った。鈴本は焼き色の濃い奴を選んで唐辛子だったから舞戸も性格が悪いよなあ。舞戸自身はというとクエン酸に当たったらしく何とも言えない顔をしていた。他の連中は外れ引いてないんだからやっぱり運がいいよなあ。
最後に残ったクエン酸と砂糖増量を引いたのはそれぞれ鳥海と加鳥だった。鳥海はリアクション芸人でも食っていけると思った。うん。
主に舞戸がご飯跡を片付ける間に他の連中は準備運動を始めた。食べたばっかりなのに元気だなー。
どうも今度は校舎全体を使って鬼ごっこをするらしい。今度は流石に不参加。流石にもう若くないしなー……。
籤を引いて鬼は角三に決定したらしい。うん、多分すぐに鬼交代するな。鬼は交代制で、タッチされたら20秒数えてから行動開始、との事。鬼の目印用に発光するブレスレットを用意してきているらしい。こいつら、こと遊ぶことにかけては凄いよなあ。
トイレに行って戻ってくる途中で絶叫しながら逃げる針生と追いかける鈴本に遭遇した。はー、平和だなー。
全員遊び疲れてぐったりしている所悪いけど、さっさと合宿所に全員移動させる。校舎の戸締りしないといけないし、布団敷いたりするのにもかかりそうだし。
「今お風呂入れてるから入るまで大富豪やろうぞ諸君っ!」
僕の分の布団を敷いていたら舞戸の声が聞こえた。どうも布団を敷き終わって男子たちの居る部屋に押しかけたらしい。
書類書いたりなんだりして様子を見に行ったら既に全員で大富豪やってた。
「あ、先生もやります?今なら平民スタートですよ」
「8切りイレブンバック革命有り、マーク縛りは連続2枚から、あとシークエンスも有りです」
……大富豪の特殊ルールの説明らしかったんだけど全然分かんないわ。
「いや、いいや。お前らも早く寝ろよー。明日は実験ちゃんとやれよ」
「はーい、お休みなさーい」
……絶対に早く寝ないよな、こいつら。
それから暫く書類とにらめっこを続けて、ふと窓の外を見たら雪が降っているようだった。
寒い訳だよなー。あんまりにも寒いのでもう書類はやめにして、漏れ聞こえてくる楽しそうな声を聞きながらさっさと寝ることにした。
時計を見たらあと数十分でクリスマス・イヴは終わるようだった。