見地の頂・続
中編。20k
長さはもう諦めた
設定とか適当に書くの楽しい
胸騒ぎというものがある。
何かが起こる前兆だとか、第六感だとか。これから身に降りかかる出来事、主に不幸に対し事前に予知が働くことがあるという。
ガソリンが無いのに視界の中にガソリンスタンドを後回しにして昼食が先に決った瞬間にふと気持ち悪さが芽生え、その三十分後に観測史上最大の地震が来て燃料切れで帰れず病院で一泊するハメになった、とか。
地震のあとに地下から地上に上がり建物外に出ようとしたら親が厳しい顔で立ち止まっており、軒下で身を潜めていると目の前に大きなガラスが落ちてきた、だとか。
後者は違うかもしれないが、例を挙げるならそんな根拠もないはずの胸ざわめき。
まるで何が起こるのかを知っているような、未来への予知感。
俗説だけで解明もされていない人体の神秘の一つ。
少なくとも、その時霜月は胸騒ぎの一つも感じてはいなかった。
黒猫は横切らなかったし靴紐は固く結ばれていた。不吉の全長を感じさせるものも一つもなかった。
ポケットに入った携帯はテスト用のマナーモードのままで着信に気づかず、事前に知ることもできなかった。
呑気に自転車をこぎながら帰路に着き、妹である弥生にどんな然り文句を言うべきか考えていた。
最も気づいたところで何か出来たわけではないだろう。それでも、多少の心構えは出来ていたはずだ。
自分が身を置く現状が、一体どれほどのものなのか。それがどんな幸運と汚濁の上に成り立っているのか。それを知るこれからの事をもう少しまともに受け入れられただろう。
或いは、知っていれば止められたかもしれない。
知らなければ良かった何かを知る前に。傷つかずともよかった誰かが傷つく前に。それを終わらせられたかもしれない。
けれど、そうはならないのだ。
過去は変えられない。IFを語る先はいつだって後ろを向いてだ。得られないからこそ、取り戻せないからこそ霞と消えたもしもを夢想するのだ。
けれど霜月は知らなかった。知らなかったのだ。その事実は変えられない。
だから、家まであと少しとなった時、それを見て霜月は一瞬思考が停止した。
急ブレーキをかけられたのは幸運と言えるだろう。
何せ、
まるでそこに見えない壁があるように血塗れの拳を宙に振り下ろし、霜月にも何故か分かったナニカを壊して家の敷地から出る弥生の姿があったのだから。
垂れた血の雫がアスファルトの地面に赤い点を穿っていた。
それを見て、ああ地面が汚れるな。そういえば朝の予報だと夜は雨だから綺麗になるかな。なんとどうでもいい事が一瞬霜月の頭によぎった。
カラカラと乾いた音のする車輪を回しながら歩いて霜月は近づいていく。弥生のその姿が衝撃的過ぎて何を言うべき思い浮かばず、外せない視線がその様子をどこか冷静に見やる。
まず、その手は血だらけだ。傷を負っているのは手首から先だけらしい。酷い色の痣がいくつも出来ており、明らかに折れているだろう指もある。掌には何かを握っているらしく、石の欠片がその手から零れ落ちる。
服やズボンにおかしなところはない。ふと視線を上にあげた所で顔に能で使うような仮面をつけていることに気づく。それはこちらを向いており弥生の表情は見えない。
自傷行為。頭が愉快になった。何かの劇の練習。
黄色い救急車を呼ぶべきか本気で悩んだ霜月の思考はおかしくないものだっただろう。
「やよ――」
流石にただ事ではないと気づき、呼びかけた声が途中で止まる。弥生の陰から現れた子供の姿が目に入ったからだ。
それは本当にその場に急に現れた。影も形もなかった場所に、まるで空間から浮かび上がるように。
そしてその光景を霜月は何度も見て知っていた。
「九十九……神」
年の頃は十ほど、といったところだろう。上下白の着物を来たおかっぱ頭の白髪少女。日の下で見る肌は病的に白く、歳に似合わない早熟さを感じる端正な容姿と相まりまるで人外のモノの様だ。
その少女の瞳がゆらりと霜月を見つける。赤い瞳が霜月を捉える。
「ぁはっ。おにいちゃん、知ってるんだね」
にたぁ。
そう表現するしかない、子供が浮かべるには余りにも不釣り合いで何かが致命的に歪な笑顔を少女は浮かべた。
昼が曲がり夜に呑まれる様な錯覚。どこかしゃがれた、腐甘したその声を聞いた瞬間、言いようのない悪寒が霜月を襲う。
ああ、これは駄目だ。コイツは駄目だ。
曲がってはいけないものが捻じ曲がっている。見えた瞳の先、胎の中に汚濁が詰まっている。
まるで魂からドス黒く染まっているようなそれを見て霜月は不意に悟る。かつて九十九が言っていた存在。これが憎悪が成れ果てた呪いだと。
女児が弥生の服を掴むのに合わせ弥生が霜月の方に顔を向ける。上手く留められていなかった仮面がその拍子にズレ弥生の顔が覗く。瞳の意思が見えず、顔はのっぺりとした無表情。傷の痛みを感じている様子もない。
まるで操られてでもいるかのよう。明らかに普通ではない。
「糞餓鬼、テメェ何した」
「んふふ、知りたい? ねぇ知りたい? でもねー」
楽しそうに言いながら女児はあっかんべーをする。
「おしえてあげない」
霜月は舌打ちし、カバンを放り投げ自転車を放置して疾走。女児を蹴り飛ばすべく足に力を入れる。
「そうか。なら――」
死ね。
そう続き女児の頭をサッカーボールのように蹴ろうとした矢先、霜月の体に凄まじい衝撃が走り吹き飛ばされる。体勢を整えてから見えたのは、女児を守るように立つ弥生の姿。
弥生に殴り飛ばされたのだと、痛む脇腹を抑えつつ霜月は気づく。どうやら本当に操られているらしい。
先程とは一転、弥生の陰に隠れた女児が無機質な瞳で霜月を見る。
「……すみません。いたい、ですよね」
怒声を浴びせたいが口を開けても痛みに暫し声が出てこない。痛みを歯を噛み締めてこらえ、息を吸って調子を戻していく。
睨みつけた先の女児は纏っている雰囲気が様変わりしていた。身に潜めた汚濁の様な気配は健在だがそれが内へと潜んでいる。
答えが出ぬまま視線の先でまた、女児の雰囲気が様変わりする。怯えたそれは形を変え、不機嫌そうな瞳が表に出て先程までの気配が戻ってくる。
「ねえさんをおびえさせるな。けろうとするなんて、お前はあいつらといっしょだ」
「あ? 何、言ってやがる」
「おねえちゃんの家族ならっておもったけど、おまえはダメだ。今わかったけど、もう別のやつがいる」
ブツクサと言う女児を尻目に、霜月の呼吸はだいぶ戻ってくる。
弥生を取り戻す。その為にはあの女児をどうにか始末しないといけないだろう。だが、向こうの方が動きは早かった。
弥生の姿勢が変わっていた。仮面を被って完全に顔を隠し、敵を前にしたような半身の戦闘態勢を取っている。それを前にしてこれから何をしようとしているのか分からないほど霜月の頭は馬鹿ではない。
女児の雰囲気がまた変わる。無表情のままに悲しそうに、淡々という。
「おうちに……ふたりはさびしいから、わたしはおねえちゃんとねむりたいだけ」
「理解が及ばんが、させるか」
女児は吐き捨てるように言う霜月をちらりと見、そしてその背後の自転車にも視線を動かす。
「そう。じゃまは、いや」
女児の姿がフッと消える。それと同時に弥生が動く。
霜月は事態をよく理解できていなかった。だがそれでもこのまま弥生を行かせるわけにはいかない事だけは分かる。多少手荒になってもここで止めなければならない。その為に体に力をいれる。
しかし、その霜月の決意は儚くも崩れ去る。
霜月が一歩踏み出すよりも早く、気づいたときには目の前に弥生が踏み込んでいた。
「――ッ!」
有り得ないその速さに驚き体が反応するよりも早く、暴風の如き弥生の蹴りが霜月に突き刺さる。
響く、内蔵がかき混ぜられるような息も出来ぬ衝撃。
何とかその足を掴もうした霜月の腕を弥生の足は容易く潜り抜ける。無理矢理に振り抜いた霜月の拳を躱すまま弥生は身軽にバック転で距離を取る。
霜月が息を吸えるようになるよりも早く、弥生が地を蹴って再度近づいてくる。唸り声を上げる最初の拳を霜月が避けられたのは奇跡で、続く軌跡さえ見えない蹴りを避けられたのは呼吸難に膝が折れた故の偶然だ。からぶった弥生の蹴りは立っていたカーブミラーへと吸い込まれ、豪音と共にその支柱が真っ二つにへし折られる。
弥生の身体能力を霜月は知っている。だがいささか、これは過剰だ。
霜月はまだ自分が立っていられるのが奇跡に思えた。
弥生がその手に握っていた何かを投げつける。避けた霜月が見たのは地面に転がる狐を模した石の欠片。それは家の裏の社のものだ。まさか弥生がその手で砕き、手の傷はその時のものだとでも言うのか。
接近した弥生に霜月は来るだろう一撃に備え腕を交差させる。
直後、車でも衝突したのかと錯覚する程の衝撃が走り霜月は自分の体が浮いたのがわかった。骨が軋み腕は弾かれ、体が吹き飛ばされる。
霜月の足が地に着いた時、既に弥生の体は直前で地に沈み込むように低姿勢に。やばいと思った時には真下からのサマーソルトが霜月の顎に突き刺さっていた。
漫画やゲームの世界だけだと思っていた技を喰らい、霜月の体から完全に上下感覚が消えて膝から地に崩れ落ちる。
全身がバラバラになったような錯覚。そこを更に横から蹴り飛ばされコンクリートの地面の上を霜月の体は転がされる。
弥生の傍に白い少女が現れ、霜月を見下ろす。
「……おねえちゃんのこと、だいじ?」
息をするだけで胸が痛む。指一本すら霜月は動かせなかった。
歪んだ視界の中、霜月は少女を睨む。
少女が一歩、霜月に近寄る。
「おしえてあげる。あめがふったら、おねえちゃんはねるの」
それだけ言い少女は消える。
地に伏したまま霜月が見たのは走り去っていく弥生の姿。
追いかけようにも指一本動かぬ体では起き上がることさえできなかった。
弥生の姿が消え、歪んだ視界が治った霜月が見つけたはいつの間にか落ちていた自分の携帯。
着信中のそれを何とか動くようになった指で拾いボタンを押し、痛む体を抑え耳に当てる。
聞こえてきたのは九十九の焦りを帯びた怒声だ。
『このうつけが!! 早く出ぬか!!!』
「九十九……もうしゅこ、し……ひうかに、頼める、か。……体に、ひひく」
喋るだけで全身が痛む。顎と歯の痛みに口を閉じるのが辛く、風が通り抜けるようなかすれた声がその口から漏れる。
呂律さえうまく回らず辛そうな霜月の声を聞き、九十九が一瞬息を飲んだのが機械越しに霜月に伝わった。
一拍置き、九十九の神妙な声が霜月に届く。
『何があった』
「ひょう、だな……伝えることが、一つある」
口の端から血を流しながら、霜月は曇り空を見上げ告げた。
「妹がまた、家出した」
少しして帰ってきた九十九と儂檸にボロ雑巾のように転がされていた霜月は運ばれ、家の中で手当を受けた。
攻撃を直で受けた右腕は触診した儂檸曰く罅が入っているらしい。それ以外の傷はそこまで酷くはなく、痛みと痕は残るが少し休めば動ける程度には回復できたのは運が良かった、というより他ないだろう。
赤く滲んだ包帯がいたる所に見えた状態で霜月は布団から上半身を起こす。その背を九十九が支える。
「大丈夫か? 随分と過激な家出をされたのう」
「全くだ。思春期にしても程がある」
顎の違和感に気持ち悪さを感じつつ、痛みを我慢しながら霜月は九十九と儂檸に聞かねばならない事があった。
「弥生は、どうなった。あれは何だ」
「……呪われた、というのが正しいじゃろうな」
既に何が起きたのか霜月は二人に話していた。
言うべきか迷ったのだろう。九十九は酷く言いにくそうにそう告げた。
「恐らくその面はあの部屋の箱のモノじゃ。先ほど確認したら空いておった」
「もう九十九神は出ないんじゃなかったのか」
「あれは封印され閉じられておった。それの影響で出てこれんはずじゃったが……」
「弥生が開けて出てきた、か」
きっと、あの時の箱だと霜月はわかった。だから九十九はあの時開けかけた霜月を止めた。弥生は止める者がいなかった。
知っていたのならば教えてくれても、と霜月は思うが過ぎた事でしかない。きっと知らないほうがいいこと、とやらだったのだろう。
それに箱は人目につかないように奥の方に閉まっておいたのだ。何故気づいたのか気になるが、あの時のように何かに誘われたのだろう。
そしてきっとそれが、呪い、というやつなのだろう。
「弥生はどうなる。アレは何だ」
先ほどと同じようで、違う意図を込めた問。
何故か答えづらそうな九十九に代わり、答えたのは儂檸だった。
「妹君はその面に乗っ取られた。呪いが廻り切り傀儡にでもされるか、死ぬかといったところだろう」
淡々と儂檸はそう告げた。
その答えを霜月はどこか予想できていた。だが、事実として言われた言葉に心が軋んだ。
どこか、そこまでのものではないだろうと思っていたのだ。
あの女児と対峙した時に感じた歪み。それを知っていたというのにだ。
立ち上がりかけた霜月を儂檸が目で諌める。
「動いてどうする」
「探しに行く。廻りきったら終わりなら、その前に」
「闇雲に行っても見つかるまい。少しばかり話を聞いていけ」
どこに行ったのか不明な現状、知れることがあるならそっちを優先するべきだだろう。霜月は浮きかけた腰を下ろす。
「君の話を聞いた上でだが、その女児は面の付喪神で間違いないだろう。それも大層な呪い持ち。呪いは膨大な負の感情の結晶さ。耐性の無い人間の魂一つ塗り替えるくらいは容易い。女児と対峙したのだ、君も多少は分かるのではないか」
「見ていたくない、黒い汚濁みたいだった。こいつは居ては駄目だと」
「正しい見解だ。呪い持ちなどロクな物ではない。それを理解できて障りが無いのは運がいい……飲むか?」
差し出された茶の入った湯呑に霜月は首を横に振る。口の中が痛くて飲めたものではない。
だが傷にいいから、と儂檸は霜月の前に置き、自分の分に口を付ける。
「呪われたら手遅れ、ってことか」
「いや、直ぐにそうなるわけではない。幼子と違いある程度育った女性だ、呪いが回り切るまで多少時間がかかるだろう。魂が汚染され切るまでに引き剥がせば……それにその女児は妹君をどうするか言っていたのだろう?」
「二人は寂しいから一緒に寝る、だとさ。邪魔するなって護衛に使ってきた」
「君の様子を見る限り随分と頼もしい護衛のようだ」
言われ、霜月は傷だらけの自分の体を見下ろす。
止めると意気込んだのに結局五秒程度しか保たなかったのが不甲斐なくてしょうがない。
「あいつは空手か拳法か忘れたがやってるんだ。小学校の頃に何故か始めて、気がついたらアホみたいに強くなってた」
「なるほどね。まあ人外じみた動きはそれだけでなく、呪いのせいで筋肉の箍が外れ強化されていたのもあるのだろう」
俗に言う火事場の馬鹿力、というやつだ。
本当の限界を出すと体が耐えられないから、脳が筋肉に制限をかけている。それが外れていた故の化け物じみた運動機能。
元から変態的運動神経を持つ弥生にそんな物が加われば霜月に抑えられるはずなどない。
「少し話がずれたな。その付喪神の女児が言う『一緒に寝る』というのは恐らく……自分たちの横に並べる事。平たく言えば死なせる事。それも、どこでもいいわけではなく、自分たちとゆかりのある場所。或いは、同じ死に方でだろう」
「同じ死に方? それに何の意味が……そもそも『同じ』ってなんだよ」
九十九神というのは人の感情や意志が集まって出来るだけのものじゃないのか。
九十九は相変わらず黙ったままだ。
儂檸が一口、茶を飲む。そして言う。
「付喪神の意識には道具の使い手の意識が移ることがある。そも呪いの逸話は大体二つの傾向がある。道具自体の話と生前の使い手の話だ。有名なところで行けば前者は村正などの妖刀。後者は肉面などだな」
村正の逸話は徳川家康の親族と関係が深い。
家臣の謀反で殺された際に使われた刀が村正の作であった。
謀反を企てた徳川家の物を介錯した刀が村正の作であった。
家臣の槍で家康が指を切ったその槍が村正の作であった。
など。その経緯を踏まえ「村正」自体を呪いの原因とし妖刀といわれている。
肉面はそれとは方向性が違う、昔のお話だ。
ある城主に嫁いだ姫がいた。姫は醜女であり夫からも馬鹿にされていた。
悲しんだ姫はその顔を隠し、涙を見せぬようにと笑った顔の能面を常に被るようになった。
死ぬ間際までその面は付けられ、姫自身の顔の様なものであった。
姫の恨みつらみが込められたその面は被った者の顔に付き剥がれなかった。
正に肉の面となった。そういう逸話だ。
後者のような使用者の念が呪いの元の場合、その人物の意識が移ることがあるのだと言う。
「最も、その多くは九十九神とは言い難いがな。単に呪いの品だ」
そう儂檸が言う。
「そういった付喪神として一番多いのは特定の死者の慰霊や鎮魂目的の物だな。ちなみに私と、恐らくその娘は違うぞ」
その辺りの知識は霜月にはないのでイマイチよく分からない。なので取り敢えず知識として頭に詰め込んでいく。
「死の寸前の意識があると気違いが多く面倒だ。女児がどこで死んだか不明だが、連れて行ったのはそう遠くではないはずだ。気狂いならばそんな意識はあるまい。河原、山、墓場……近くの似た雰囲気の場所で適当に――」
「アレはこの近くで死んだモノじゃよ」
黙っていた九十九がポツリと言った。
「あの馬鹿がこの近くで見つけたと言っておったのを覚えておる。曰くつきだと楽しそうにしておったわ」
「祖父を馬鹿扱いはして欲しくないが、否定できないのが悲しい話だ。他に知っていることはないのか」
「儂はあまり家の外のことを知らん。詳しいことは知らぬよ」
死んだ場所、とまで行かずとも関連がある場所だけでも知りたかったが何の手がかりもなし。近くだとわかっただけでも僥倖なのだろう。
祖父が生きていたのなら文句の一つでも……いや、引き受けると決めたのは霜月自身だ。その事を忘れ後回しにした結果だ。
託された者が託した死者に文句を言ったところで始まりなどしない。知らなかった、は他人に通じる言葉ではない。手を抜いて後回しにしたツケだ。
少なくとも現状、怒りを向けるべきは霜月自身と元凶のあの女児。見つけ次第、何とかしてツケを払わせてやると霜月は思う。
九十九の手を払い、霜月はフラつく体を抑えて立ち上がる。
「現状それ以上のことは分かりそうにないな。探しに行かせてもらう」
「その傷で平気か。私たちに任せてもらったほうが」
「人手は多い方がいい。動く分には支障ない。それと、弥生はいつまでなら保つ」
「……呪いの質にもよるが、君がそれほどに感じたものなら明日には手遅れだろうな。汚染された魂は二度と元に戻らなくなる。最も……」
明日まで生かしてくれるとは限らない、という事だ。
「そういえば雨が降ったら、って言ってたな」
「なら今日中だな。予報では夜に雨が降る」
霜月は手早く出かける準備をする。汚れた服を着替え、傷だらけの体を不審がられぬよう薄手のジャケットも羽織る。持ち物は財布と携帯のみ。
軽く体を動かすと痛みは未だ鈍く響いているが、我慢すれば動けないものではない。そしてその程度ねじ伏せられない精神でもない。
問題は折れかけている利き腕だが、折れていないのならば問題はない。動けば十分だ。
「そっちはそのまま二人で動いてくれ。何かわかれば携帯の方に連絡を頼む」
「待て待て。見つけた後どうすればいいか分かっているのか?」
「仮面を剥ぎ取る。必要なら叩き壊す」
当然の様に答えた霜月に儂檸は困ったように眉根を寄せる。どうやら余り宜しい対応ではないらしい。
「そう簡単に壊せるものか。剥がすまで行けば後は私たちで対処する。見つけたら連絡を入れてくれ」
「分かった」
助けられさえすれば方法はどうでもいい。
頷き、出ようとした霜月の腕が小さな力で引かれる。振り返った霜月のジャケットの内側へと間近に迫っていた九十九が扇を入れる。
「持っておけ。念のためじゃ」
何の為になるのか分からないが、霜月は黙って受け取り心配そうな顔をしている九十九の頭を乱暴に撫でる。
天気予報を思い出し、念のため折りたたみ傘を一つ……いや、二つ取り出して霜月は外に出た。
探す、と言っても出来ることは少ない。
自転車に乗り回し、道行く人に弥生と白髪の女児の外見を伝えどこかで見なかったか尋ねる。基本はそれの繰り返しだ。
だが結果は芳しくない。よほど奇抜でもない限り、人は一目見ただけの他人など記憶の片隅にさえ残しはしない。
それでも少しは目撃者がいたのは、仮面という特徴があったからだろう。それと、一つ二つだが全身を白に包まれた女児の目撃例があったから。
目撃例を追うがちぐはぐでどこに行っているのか分かりはしない。住宅地や街の中心部の方ではないようだが、それだけではどこへ向かっているかなど不明だ。
ただ一つわかったのは、それでもある程度の目的地意識があるらしいこと。
どうしてあべこべな道を進んだのかは分からないが、直ぐに弥生がどうこうなるわけではなく猶予らしきものがあるのは確かだった。
最も、目的地も目的も何一つわからぬ現状ではその猶予など有ってないようなものだが。
家から出て既に何時間が経っていた。曇り空は未だ健在でこのままでは朝の予報通り雨が降るだろう。
成果らしい成果もなく霜月は近くの自販機で飲み物を飲んでいた。ずっと全力で漕ぎ続け汗だくだ。
普通免許はあるが原付や車を持っていないこと、ペーパードライバーである事が悔やまれる。庭の蔵から埃を被った父親の昔のバイクを出してもいいが、二輪免許はないし整備もしていない。腕に罅が入っているのも無理な要因だ。免許だけならば無視しようにも今の心境で動かせば事故を起こすのはほぼ確実だ。
何の成果も上げられないことが霜月は歯がゆかった。警察に頼ろうにも動いてくれる理由がない。いなくなって数時間で、そこまでの大怪我をしているワケでもない。
そもそも命の危険がある理由を何と言えばいい。九十九神だの呪いだの、馬鹿にするなと笑われ相手にもされない。
熱を持った頭を冷やすようにペットボトルを傾けていると携帯の着信音が響く。何か分かったのかと期待すると画面に映る着信元は父親からだった。
一度目を閉じ、息を整える。
宙をさまよった指は電源ボタンではなく通信ボタンを押していた。
『おう、度々悪い』
「今度は何のようですか」
『弥生がひねくれてまだ電話に出なくてさ。あいつちゃんと着いたか?』
何の疑念も心配も持っていないその声に霜月は息が詰まる。
一瞬……本当に一瞬、嘘偽りなく言うべきか悩む。祖父との約束を信じてくれた父親だ。あの祖父の息子だ。話せば分かってくれるかもしれない。直ぐに来て、探すのを手伝ってくれるかもしれない。今後起こるかもしれない問題にも、手を貸してくれるかもしれない。
一秒にも満たない思考の空白。けれど出てきたのは全く逆の言葉だった。
「少し前に弥生から電話が有ったよ。暇だから構えってうるさかった。今は寝てでもいるんじゃないかな」
声が震えていないか、変に単調になってバレていないか怖かった。
そんな心配をよそに電話口からは何時も通りの声が聞こえた。
『夏休み入って気が大きくなってんだろ。兄妹なんだ適当に構ってやれ』
「ゲームでもするよ。外で動かされでもしたらたまらないし」
『妹に取っ組み合いで勝てない兄貴、ってのも情けないもんだな』
「全くだ。怪我はしたくないよ」
一度決めてしまえば楽だった。口は脳と切り離されたように出任せを並べ立てていく。
そのまま適当な会話を二、三続けていく。
『ま、ちゃんと着いたならそれでいい。後で電話出るよう言っといてくれ』
「うん、言っとくよ」
『弥生の事頼んだぞ。じゃあな』
通話の切れた電話を握り締め、霜月は自戒する。
分水嶺は分かたれた。言わぬと、その道を選んだのは霜月自身だ。
心配させたくなかった。これ以上無関係の者を巻き込みたくなかった。
理由を並べてても選択した後では意味などない。ただ、自分がそうした理由を、改めてその意思を見直せる。
頼まれたのだ。それを受け取った以上、霜月は動かないわけには行かない。
「……さて」
空になったペットボトルをゴミ箱に捨て、霜月はどうすべきか改めて考える。
目撃証言だけで探すのは埒があかない。そもそもこの手法は警察のように人手を使って効率を上げなければ時間がかかってしょうがない。
だが現状、それ以外に方法は……周囲を見回しながらそう考えていると、近くのお土産屋が霜月の視線に止まる。
地域性などゼロの木刀が店頭に出され、小物などが並んでいるそれを見てふと気づき、霜月は店まで行く。
「すみません、聞きたいことがあるのですが」
「はい、何ですか」
霜月の他に客はおらず、店員は酷く暇そうで適当な返事が返ってくる。
そんな店員に、霜月は失礼な質問をぶつける。
「もっと専門的なお土産屋とか骨董品を扱っている店、知りませんか?」
「ァあ、それなら知ってるぞ」
何件か梯子した結果たどり着いたのは路地にある酷く古臭い店だった。
一応は街中に軒先を構えているというのに客を入れる努力が見えず、左右には品が並べられた棚と歩ける通路が用意されているだけの店内。
その奥にいた白髪交じりの男性店主は霜月の問にそう答えた。
「お前あいつの孫か。んー……似てるといえば似てるな」
「祖父と知り合いなんですか?」
「何度か来てたからなぁ。知り合いといえば知り合いだがそこまでじゃねェ」
店の奥に引っ込んだ店主を待つ傍ら、霜月は店内に視線を飛ばす。
客引きの努力は見えないが、それでも一人二人客が適当に物色している。
明かりで変色や劣化することを考慮してか光量が抑えられた照明に照らされた店内はほんのりと暗い。
霜月の思い描いていた漫画チックな骨董品店とそう違いはなかった。
レジの後ろに並べられている品々はきっと別格で、学生の身分の懐事情では届かない物品たちなのだろう。
少しして戻ってきた店主は目的の物が見つからなかったらしく手ぶらだった。
「目録あったハズなんだけどなァ。まァいい。覚えてて、知ってる限り話してやる。礼がわりに後で何か買ってけ」
客商売だというのに乱雑な言葉遣いで店主は言い、記憶を掘り返すように指で額を掻く。
「お前の爺さんに売った箱の中身は詳しく知らん。面だと聞いたが開けたことがなかったからな」
「店の品なのに、ですか?」
「開け方が分からなかったんだよ。かと言って箱の方も年代物だし、壊して開けるわけにもいかん。もし中身が空なら大損だ。仕舞っといたそれを買ったのがお前の爺さんだ。箱の値段と+ちょいで売ったよ」
表に出さぬまま霜月は落胆する。
儂檸の言葉を思い出し中身の面の事について詳しいことがわかれば、と思ったのだがどうやらロクな手掛かりはないらしい。
ここで祖父が買ったというのならこれ以上探ったところでめぼしい情報は少ないだろう。九十九達からの連絡も無い。
どうすればいい。
その言葉が霜月の胸中を占める。
「箱だけなら似たのがあるって聞いたことあるが中身はなァ。そもそもアレは流れて来たやつで出処も怪しかった。変な曰くまでついて……」
「曰く、ですか?」
「おう。何でも盗品らしい」
こんなことを大真面目に言われた時、一体どんな反応をすればいいのだろう。
店主としては一切気にしていないようだが、普通客に言う事ではないのは確かだ。買った客の孫だから、だろうか。
だが、霜月としてはどんな形であれ情報があるなら欲しい。出処が探れるならばそこがあの九十九神の目的地かもしれない。
教えてくださいと言う霜月に店主は伝聞だと前置きをした上で語りだす。
「元々近くの寺の奉納品だったらしい。だが寺が壊されるのに乗じて盗み出され、方々の手に渡りここまで来た。元は鎮魂目的だったらしいってのに罰当たりなもんだ」
「そのお寺はどこに」
「ねェよ。壊れた。壊された、か。廃仏毀釈でな」
廃仏毀釈。どこかで聞いたことがあるような気もするが、霜月の記憶には残っていない。
話の流れで何となくの意味はわかるが、そういった方面の知識の疎さに霜月は少し自分を改めたくなる。
眉をひそめた霜月に店主は訝しげな視線を送る。
「今の子供は知らんのか。簡単に言うと、神社と仏閣は昔混同されてた時期があったんだ。神仏習合っつって、寺なのに鳥居あったりその逆だったり。それをはっきり分ける神仏分離っていう政策が行き過ぎて寺とかぶっ壊す動きになったんだ」
「へぇ……なるほど。壊されたお寺……でいいのか分かりませんが、それがどこにあったのかっていうのは」
「だから知らねェって。知りたければあるのか知らんが郷土資料館とか図書館でもいって探れ。こっちは仕事柄知ってるだけだからな」
……郷土資料館など聞いたことはないがあるのだろうか。行くとすればここから近い図書館だろう。それならば場所はわかる。
もしくは儂檸に聞いてもいい。暇なとき出かけているし、図書館にも何度か行ったと聞く。分かることがあるかもしれないし、ここで一旦集めた情報を纏めてもいい。
疑念があるとすれば信頼性だ。前の事と今日の事、そして儂檸からされた説明。確証はないが、何か隠されている気がしてならない。
必要がないから言わないのか、知らないほうがいいから言わないのか。知っていることを全て話されていないのは確かだと霜月は確信している。
九十九神の意識の話や成り立ちに呪い。霜月は知っていることが少ない。
そして、儂檸だけでなく九十九も意図的に言っていない事があるのもまた確定的事項だ。
それが誰のためで、何のためなのか……だが今考えるべきことではないと霜月は心の中からその考えを無理矢理に消し去る。
「ありがとうございました。買い物は後日ゆっくり探してさせて貰います」
店主に礼を言って霜月は踵を返す。店から出る直前、その背に店主の声がかかる。
「お前さん学生だろ? 大学なら民俗学とか専攻してる教授にでも聞いたらどうだ。居ればだが、そっちに詳しい友達とか」
「生憎理系なものでそっちは……あ」
一人、思い当たる人物の能天気な顔が霜月の脳裏に浮かんだ。
『んー、それなら知ってるよ』
数コールの後に繋がった携帯越しに聞こえて来た香月の声は余りにも何時も通りで、霜月の心を落ち着けた。
昨日の会話を思い出しもしかしたら、と思い電話を掛けたがビンゴだった様だ。香月の放浪癖も役に立つものだ。
図書館に向かいながら寺について話し、知っていることを教えてくれと告げる。霜月に言われ記憶を掘り起こすような声が少しした後、香月の声が電話口から届く。
『多分だけれどその奉納品の方も心当たりあるかな。胡散臭い話と僕の推測が交じるけどいい?』
「構わない。知ってること教えてくれ」
『了解。フッ、私のフィールドワークの成果を存分に聞くがいいさ。お寺と奉納品、どっちから聞きたい?』
聞こえてくる声がどことなく楽しげなのはこういった話を話せる相手がいなかったからなのだろうか。
薀蓄を語ったりするのが好きなのは知っていたが、礼替わりに今後は少し耳を傾けてやったほうがいいかもしれない。
取り敢えず現状は奉納品の方が優先度は上だろう。無論、霜月としては両方聞く気ではあるが。
もっともこの調子だと香月が両方話したがるだろうけれど。
「奉納品の方を先に頼む」
『はいはい。聞いた話だと能面だったかな。恨みを抱いた悪霊の鎮魂目的で収められていたはずだ。どさくさに紛れて無くなったらしいけど』
出てきた本命の情報に心が揺れる。自分が見た仮面の情報と店で聞いた目的とも合致する。恐らく間違いない。
変に探られても困るのでバレぬよう、話を合わせる。
「廃仏毀釈だっけか」
『知ってるじゃないか。まあ、そっちは後に回そうか。それで能面……ああ、能に使われるから始めて能面って言ってそうでないのはただの面なんだけど、めんどうだから能面で通すよ。能面には掘られた顔によっていくつか意味があるんだ。全部で二百種を越え、基本形でさえ約六十種。鎮魂だと怨霊・神霊・鬼神あたり……今回だと鬼も入るかな。形がわからないと其の辺は何とも言えないんだ。まあどれも禍を遠ざける類のものさ』
「楽しそうだな」
『語れる相手がいないからね。――で、この禍の元なんだが、霜月は人柱って知ってるよね』
「そのくらいは流石に知っているよ。生贄だろ」
地中や水中に生きた人を埋め、その名の通り人を柱にすることだ。
不作や洪水による氾濫など、人の手でどうにもならぬ事態を昔は天、あるいはその地域の神の怒りと捉えることがあった。その神への供物として人柱が捧げられた。
或いは洪水で壊れる橋を壊れぬようにと願う願掛けとされたこともあり、その上に建てる建造物は崩れぬと信じられた故に地盤として埋められた事もあったという。
現代ではありえない、かつては行われていたとされている迷信が生んだある種の宗教的儀式。
『百年単位で昔の話……言い伝えってやつさ。かつてこの土地が災害に見舞われた。食うものもなく農村にありがちな口減らしも起こった。そして人柱が立てられることになり、その時選ばれたのが『鬼の子』だった』
「鬼?」
『死を予言したらしい。その子が告げた通りに村の子供が何人も死んだんだ。そして何より身体的異常があったのさ。昔は村単位での生活故に閉鎖的空間は珍しいものじゃない。外れものは嫌われ疎まれ、蔑称で呼ばれるのは今も昔も一緒。標的にされた少女は先天的遺伝子異状から髪や肌に色がなかった』
「――アルビノか」
ピンポーン。
香月が呟く。
先天性色素欠乏症。
肌や髪に含まれる色素であるメラニン。遺伝子情報の欠如によりこれを体内で合成することが出来ずメラニンが欠如する症例。白化現象とも呼ばれる。
その呼び名のとおり、色素を持たない個体の体毛や肌は白く、瞳はその奥に流れる血の色を通し赤く映る。
文明が発達した近代国家では病症として知られているが、その知識が無い場合その存在は酷く特異なものとして映る。
事実、アフリカの一部ではアルビノは不思議な力を持つと信じられ、呪術用や食用として需要がありその肉や臓器を手に入れるための殺人や売買の事件も起きている。
白い髪に病的にまで白い肌に赤い瞳を持つ死を予言する『鬼の子』と呼ばれた少女。
あの時、まるで人外だと感じたその意味を霜月は理解する。
『白い髪に赤い瞳。そして死を予言する。何も知らなきゃ鬼だと思うのも無理はない。母親は鬼と姦通したとさえ言われたそうだ。双子の弟もいてシャムニ双生児だったって説さえある。母親は娘を村の迫害から必死で庇い、人目を避けながら育てた。けれど災害が起きて村で『鬼子を生かしたのが神様の怒りに触れた』なんて噂が出たからもうお仕舞いさ』
「抵抗できる訳もなく人柱に、か。話に出ていないが父親はどうした」
『さあね。死んでるか、生まれた子供を見て逃げたか。昔の村八分って酷いらしいよ。蔑まれ疎まれ暴行されても周りは我関せず。痛みとひもじさを我慢する日々さ』
「流石にそこまで酷ければ逃げて……」
『現代じゃないんだ、子供抱えてどこに逃げるのさ。金もないのに女手一つで他所に渡るなんて無理なことくらい分かるだろう? 話には母親しか出てこない』
母親が少しでもマシに生きるには子供を捨てるしか無く、そしてその手段を母親は取らなかった。
何とも救いのない話だと霜月は思う。
現代における創作話は概ねハッピーエンドだ。あくまでも娯楽の延長上であり、娯楽なのだから不快な思いになどなりたくはない。例え道理が合わず理不尽であったとしても主役は最後には報われる。
だが昔話や言い伝えなどは違う。それが伝えるのはあくまでも教訓や当時の時代風景を表したもので、非遇な最後を迎えるものも珍しくはない。
これもその類の、探せばどこにでもあるありふれた物語の一つ。
違うのは、恐らく実際にあった事実だろうという点のみ。
『娘は人柱にされ死亡。母親は発狂して自殺。それから暫く経ち、その話を聞いた職人の男が少女の供養の為に面を打った』
「……もの凄く今更何だが、面を打つのはそんな側面を持つのか?」
『面には色々な意味があるって言ったろう。例えば怨霊の面は怨霊を払い、心霊の面は怨霊を鎮め祀り、鬼神や鬼の面は鬼を払う意味を持つ。この場合の鬼っていうのは災いや病、化け物って意味だよ。その職人が打った少女を模した面は少女が死んだ場所に暫し祀られ、そして寺へと奉納されましたとさ。ちゃんちゃん』
そしてその寺は打ち壊され、供養の面は売り出され廻りまわって祖父のもとへとたどり着いた。
そのまま穏やかに眠っていればいいものを、はた迷惑なこともあったものだ。
全く、霜月からしたら何とも運の悪いめぐり合わせでしかない。
だが、これで霜月は面の事について、ひいてはあの九十九神についての事情を理解できた。
犠牲にあった少女を模された面。それに対しての人々の慙愧の念や少女の念を元にして少女は生まれた。
個の意志が宿るのかと疑問に思っていたが、これならば一応の理解はできる。
「分かってたが救いのない話だな」
『村ではその後良くないことが続いたらしくてね。自分たちがやったことにビビって面作ったみたい。一時期お神楽で使った時もあるとかないとか』
本当に、どうしようもない話だ。
「……救いないなホント。その少女が埋められた場所って分かるか?」
『知らない。慰霊碑が建てられているからそのへんだとは思うけどさ。ま、遺体は無いから形だけなんだけれど』
「それはそうだろ」
今まで残っているはずがない。そう思い霜月は言う。
だが、香月の言葉がその考えを否定する。
『墓荒らしされたから当然さ』
「……は?」
『噂を聞いた連中が来て掘り起こしたんだ。鬼の骸何て当時の密教の連中からしたらいい餌だからね』
――おうちに……ふたりはさびしいから
ふと、あの時少女が言った言葉が霜月の脳裏に蘇る。
生きることを許されず眠ることも許されず還ることさえ許されない。
あの少女は一体、どこに帰るつもりなのだろう。
『詳しい事知りたければ那珂戉教授に聞きに行くといいよ。あの人フィールドワークを欠かさない人だからね。それか図書館で本を借りるといい』
電話越しで一冊の書名を言われる。
既に霜月は図書館が視界に収まる場所まで歩いてきていた。このままその本を少し確認していくべきだろう。
『お寺の方の話だけど、壊された後近くに神社が建立された。慰霊碑はその神社から少し離れた山中だよ』
「それってどこの神社だ」
『織守も知っていると思うよ。二、三週間後にお祭りやる神社があるだろう。昔行ったことないかい? 近くに竹林への――』
不意に香月の言葉に霜月は思い出す。
昨日の朝見た夢だ。あの夢の中歩いていた竹の道。そこから見た山中の社が脳裏に浮かび上がってくる。
あれがきっとその慰霊碑だと、霜月は何故だか確信出来た。
少女はきっと、あの場所に行くはずだと。
だが、だがあの場所は記憶が正しければ確か――
『とまあ、僕が知っているのはこれくらいかな。参考になったかい?』
「ああ、十分すぎるほどにな。お前の趣味も役に立つんだな。今度飯でも奢るよ」
『なら焼肉ねー。役に立ったならお安い御用だから今後も代返をなにとぞなにとぞ』
「ああ。じゃあ切るぞ」
『うん――ってかちょ、織守テs―――』
携帯を仕舞い霜月は自転車を止めて図書館の中へと足を進める。
ポツポツと、空は静かに雫を降らせ始めていた。
少し遡り、九十九と儂檸は山の中にいた。霜月が思い出した件の山とは別の場所だ。
今にも雨が降ってきそうな空模様の下、暗い森林を歩く二人の間の空気はどこか重い。
山の中を歩き、時折二人は周囲を見回して遠くに目を凝らす。だが、視界に映る人の姿はない。
既に探し始めて数時間。山もここで数箇所目だ。
「ここも外れか」
「そうじゃのう。これだけ見て何も感じぬなら宛が外れたということじゃ」
二人の探し方は霜月とは違う。言うならば感に近い探し方だ。
霜月は知らないことだが九十九神、特に呪い持ちというのは独特な気配を持っている。内に抑え留める事も出来るが理性の薄い相手ならば外に漏れ、感性のある者はそれを大なり小なり感じ取ることができる。特に九十九はそれが高い。
九十九と儂檸は適当に宛をつけた場所を回り、それを使って探し出そうとした。
無論、無制限に感じ取れるわけではなくある程度近づく必要がある。その為こうして目星をつけた山を歩いているのだ。
最も、それだけの理由ではないが。
「お前がここかもしれない、というから入ったのだ。また外れか」
「仕方なかろう、細かく覚えてないんじゃから」
「痴呆か。事あるごとに先輩風を更かしていたがそこまでだったとは」
「ボケてないわ! 百年以上経てば外観も変わって当然じゃろうが!!」
プンスカ怒る九十九に儂檸は溜息を吐く。
これで数度目の空振り。時間も考えれば憂鬱な気分にもなる。
残り時間がどの程度かは分からぬが、そう何度もミスは出来ない。
ここかもしれない、という基準を九十九は持っている。だがそれ儂檸は知らない。そもそも何を指しての”ここ”なのかさえも。
知らずとも見つかるならば別だが、そうも言っていられる現状ではない。
儂檸は足を止めて九十九を振り返る。
「お前は何を探している。百年以上とは何だ。知っていることを話せ」
「言った所で分かるものではない。時間の無駄じゃ」
踵を返しさっさと戻ろうとする九十九の襟首を儂檸は掴み、そのまま力任せに引き寄せる。
九十九は転びそうになったのを咄嗟に堪え、文句を言おうと振り返った時には前襟を儂檸に掴まれていた。
「時間ならとうに無駄にしている。分かる分からないは私が決める、話せ。余り乱暴なことはしたくない」
いらぬ事を言えば体を地面に叩きつけられる。それが九十九にはわかった。
それを話さぬのならこの手が離れぬことも。
「……件の能面について、儂は面識があるんじゃよ。かなり昔の事で、人型になる前ではあるがの」
「続けろ」
「奉納品で、元は人柱になった少女を供養するために掘られた面じゃ。鎮魂で一度だけ場の清めに儂が使われた」
淡々と必要な部分だけを九十九は告げる。
人柱の部分を聞き儂檸は少し考えるように視線を揺らす。
「狂っている、という事は志願では無く埋められたわけか」
「白い髪に赤い瞳での、『鬼の子』と蔑まれておった」
「鬼、か。外れ者に付けるには何とも便利な言葉だ」
「否定はせぬよ。その少女が埋められた場所を探そうと思ったのじゃが、言った通り百年以上前のこと。記憶と変わりすぎておる」
近代に入り、自然と共に生きる時代は加速度的に終わりに向かっている。
文明の手が入り地は開拓され山は切り開かれている。樹は倒され川は舗装され、あちこちにはコンクリートの道路が走っている。
そもそもが人型になる前の、鮮明とは言えぬ何百年も昔の話。記憶の中にある風景との差異は大き過ぎた。
山にある慰霊碑や墓地。それに慨する類の場所を回っているのだが全くもって見つかっていなかった。
「私はこの地のかつてを知らぬが、変わったというのは確かだろう。願わくば少女の恨みより生まれた付喪神も同じように迷っていると助かるがな」
「うむ。だが、帰る場所の匂いを思い出しいずれたどり着くであろう。それまでに探さねばならん」
九十九の襟首から儂檸の手が離れる。
近すぎた距離を開けるように一歩下がる九十九を見る儂檸の瞳。そこから未だ疑惑の色は抜けていない。
「義務感か、それは。知りながら織守青年には何も言わなかったのは」
「僅かだがかつてを知る者として、同類への思いがあることは否定せぬ。だがそれより、あの小僧を関わらせぬに済むならそれに越したことはない」
「妹君が関わっていてもか」
「知るという事はそちらの世界を知覚するということ。理解し己の世界に受け入れれば感化され、いづれそぉ坊自身が喚び水と成り要らぬ物を呼び寄せかねん」
本来、人である霜月側と九十九神である九十九達とは住まう世界が違う。
それはテレビのチャンネルやラジオの電波のようなもので、位相が違うといってもいい。
混線し交じることはあるが、それに巻き込まれることは稀だ。そもそも知らぬ周波数に合わせることも、それがあると知ることも普通はない。
だが理解してしまえば別だ。一度あるのだと理解し伸ばされたそちらへ意識の枝は二つの周波数を混ぜてしまう。
何度も何度も関わればそれを自然だと理解し、そちらに合わせることにも慣れてしまう。そうすれば自然と混線するようになる。
知らないものを知る事は出来ても、知っている事を知らないものには出来はしない。
人の順応能力が、魂のあり方の多様さが、それを受け入れて染まってしまう。
「守れるのならば守る。要らぬ関わりをせず、生ませぬようにと家の周りに結界を貼ってあったのじゃが……そぉ坊の妹の、人の手で壊されてしまったがの」
「そういえば言っていたな。そんな物あったのか」
「裏の社を起点にし、糸を張り石を積み楔替わりの棒も立てておったよ。内側のあやつを縛るためと、外から来るものが知覚できぬようにな」
それを聞き九十九の努力を知り関心しながら、儂檸はふと気づく。
自分が帰れず迷ったのはそれのせいじゃないのか、と。あと確かお前も一回迷ったらしいよな、と。
思ったが、今それを言うべき雰囲気では流石にないので儂檸は自分の中でその思いを飲み込んだ。
儂檸は空気が読める女だった。
「そんな知識があったとは初耳だ。いや、生まれと用途を思えば当然か」
「長いことそういう場に関わってきた。能面のこと言わぬ理由は、要らぬ関わりを知られる可能性があったからじゃ」
「その関わりとはお前の事でもあり、ひいては己の呪いを知られるやも、か。それは自己保身ではないのか?」
暫し俯き、面を上げた九十九の顔には抜け落ちたように表情はなかった。
たじろぐ儂檸を見つめる瞳だけが言えぬ激情を燃やし尽くす様に、底の見えぬ深い色合いで儂檸を見つめていた。
「――それの何が悪い。知ってどうにもならん事も、知らぬ方が良い事もある。何も知らん小娘が偉そうに囀るな」
ゾクリと。動く唇から静かに粒がれた、拒絶に似たそれは儂檸を圧すナニカが込められていた。
儂檸には九十九がどんな思いを内に秘めているのかが分からない。
儂檸自身も含め付喪神として同類である事は知っているが、そもそもとして関わりが薄い。
今に至るまでたどった経歴も、魂を得るまでに至った積み重ねた憎悪も何一つ。
「全てを知らないわけではない。少なくともお前のせいで織守青年は――」
「その程度だろうが。何の関わりもない貴様が、あの馬鹿との約束を知らぬ輩が口を挟むな」
あの馬鹿とは霜月の祖父だろうことは儂檸にも検討がついた。
二人の間に何らかの約束が交わされたこと。そして恐らくそれが、霜月自身に知らぬ方がいい何かを言わぬことだとも。
口ぶりからして恐らくそれは取り返しのつかぬこと。既に過ぎ去り、終わってしまったこと。
儂檸は、不意に先ほど自分を見ていた九十九の瞳が脳裏に過る。そして今の現状と今までのことを思い出し一つの疑惑が浮かぶ。
そしてそこから二人がしたという約束が朧げに儂檸の頭の中に浮かんでいく。
数秒にも満たぬその思考を止めたのは、肌に当たる冷たい雫だった。
ポツリポツリと降ってきた雨は風に揺られていた樹木の葉を叩き、辺り一面が無数の小さな音に包まれていく。
夕立のような瞬間的な雨でなく、雲の様子からも段々と強くなっていく事が予想できる小雨だ。
「……戻るかの。ここにいても無駄じゃ」
「そうだな」
来た道を戻りながら儂檸は前を歩く九十九の背を見て先ほど浮かんだ疑惑を再度考える。
もしこれが単なる妄想ではなく事実なのだとしたら、確かに言えることではない。
だがこれは……
流れかけた思考を儂檸は無理矢理に打ち消す。今考えるべきことではない。頭の片隅に置いてあれば十分だ。
「そう言えばだが、この地域ではよほど大きな災害があったんだな」
「何故じゃ?」
「人柱など探せばどこにでもある。普通の小娘一人を模した面がそれだけ大層な呪いは持たないだろう」
単なる小村一つ程度の言い伝えで霜月が危機感を抱く呪い持ちの九十九神になれるわけでもない。
その面が長く人に触れていたワケでもなく奉納されていたというなら尚更だ。
あるとするならばその少女や人柱の噂がよほど知れ渡っていた場合だろう。だが聞いた限り真っ当な慰霊碑などがあるわけでもないらしい。
だからあるとすれば少女の側ではなく、その原因となった災害が広く知られ、間接的に少女へと影響した場合。
そんな儂檸の言葉に九十九は少しの間を空け、言った。
「災害など起こっておらんよ。せいぜい地すべりや河の氾濫じゃよ」
「それならおかしいだろう。その程度ありふれているはずだ」
「なに、簡単な話じゃよ。その小娘は普通の小娘ではなかったというだけじゃ」
ピンとこず、儂檸は首をひねる。
「白い髪で赤い瞳、だったか。しかし稀にとはいえ、そういった類の人が生まれる事はあったはず……」
指が一本多い。巨人とされる程の背。怪力を持っている。耳に痣がある。
そういった者が存在するというのは珍しくはあるがいつの時代もある事だ。
動植物を見てもわかるが、他と違う個体というのは往々にして生まれてくるものである。
それは生まれつきであったり、或いは何らかの要因を得て生きる中で得たものもある。
それと同じで白髪赤眼というのも、珍しくはあるが有り得ないものではない。
自然を見渡せば花の中で一輪だけ白いものが混じっていることもある。それと同じで偶然や不運の産物の一つでしかない。
そしてそういった存在が生まれ、集団から排他されるというのもある意味自然なことだ。
動物ならば群れの均衡を崩さず、言うならば「エラー」が次世代に広まらぬようその個体を追い出す事が一つの本能としてある。
人の場合は理性があるが故そう簡単ではないが、その為に名付けをする。
鬼、巨人、天狗、化け狐、etc
『それ』は人ではないのだと蔑む名を付け、理由をつけて輪から追い出す。
少女が付けられた名も、ただ適するものが与えられただけ。
それが鬼の……
「……まさか」
雨音に紛れたその呟きが九十九に届いたのかは分からない。
九十九は暗闇の中を僅かに振り向き、儂檸に流し目の視線を向けて言った。
「蔑みの名ではなかった。正真正銘、その小娘は本物の鬼だったんじゃよ」
霜月からの着信を知らせる携帯の電子音が、雨の隙間に紛れ込んできた。
あと二話で完結予定。
この話は次の後編で終わり
さっさと終わらして九十九とのイチャを書きたい疾患




