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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第一部
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第一章 デュンサアルへの旅 (三)

(三)


 目に見えない翼を時折はためかせながら、ウィムリーフは優雅に空を舞っていた。昨日、仕方なく黒く染めてしまった自慢の髪のことも、空の心地よさが忘れさせてくれる。


 どこを向いても乾ききった大地がうんざりするほど広がっていたザルノエムの荒野とは違い、この丘には豊かな緑があり、雄大な山々が連なっている。その景色は彼女の生まれ故郷をも連想させ、郷愁の念すら感じさせるものであった。

 荒野では、冷たい風がいまだ強く吹き荒れていたため、なかなか空を飛ぶことが叶わなかった彼女であるが、今はこうして丘陵地帯の穏やかな風を受けながら空を漂っている。何も遮るものが無く、自由に飛び回ることが出来るというのは、本当に楽しいことだ。この格別な思いをミスティンキルと分かち合いたいと彼女は考えていた。ミスティンキルが“炎の司”となり龍の翼を得れば、二人は共に空を飛び回ることが出来るのだから。

 彼が受ける試練は、おそらく生半可なものではないのだろうが、力を持つミスティンキルなら難なく成し遂げるだろう事を彼女は予感していた。赤い瞳の彼が膨大な力を有していることに、ウィムリーフは感づいていたから。自身が多大な力を有するからこそ分かる、相手の力の大きさ。そう、彼女もまた大きな力を秘める者なのだ。


◆◆◆◆


 彼女の種族であるアイバーフィンは、“翼の民”の名で知られるように、風の加護を受ける人間である。主として西方大陸エヴェルクの北部に住む彼らは美しい銀髪を持ち、龍人ドゥローム同様に長命種である。

 また、“風のラル”にて試練を乗り越えれば“風を司る者”として認められ、その背に翼を得るのだ。この翼は鳥の羽に似た形をしているらしいが、本来は物質的な存在ではないために、アリューザ・ガルドでは目にすることが出来ない。そのかわり、アイバーフィンが翼をはためかせて空を舞うときには、背中から時折光がほとばしるのを目にする事がある。


 ウィムリーフは生まれたときすでに翼を有しており、しかも風を自在に操る“風の司”でもあったのだ。それはアイバーフィンの中でも極めて稀である。おそらく出生に依るところが大きいのだろう、と彼女の両親は言っていた。ウィムリーフの祖父祖母の血筋が、彼女の代になって突如あらわれたのだろう。彼女の血統については、ミスティンキルにすらまだ明らかにしていなかった。彼にだけはいずれ近いうちに話すことにしようと、ウィムリーフは心に決めていた。


 すぐ真下から、ミスティンキルの低いながらもよく通る声が響く。自分の名を呼んでいることに気付いたウィムリーフは、にこやかに手を振って応える。対する彼は表情を現さないまま商人達が集う天幕を指さし、そのまま槍を片手にすたすたと歩いていってしまった。食事が出来ている、と言いたかったのだろう。そのぶっきらぼうな態度も最初は横柄にしか映らなかったものだが、五ヶ月近くもの間、彼と共に過ごしているうちに、いつの間にか不思議と嫌いではなくなっていた。

「まったく、あたしもなんであんな無愛想なやつとつるんでるのかしらね?」

 彼の後ろ姿を見ながら苦笑するものの、その無愛想な人間と共にいることが今となっては楽しいのだ。出会った当初は、彼女の冒険に対する好奇心を奮起させてくれる打ってつけの目的地――デュンサアル――へと向かう若者としか捉えていなかったというのに、不思議なものだ。


 これから先の行程は、日記に記す事柄もさぞかし多くなってくるだろう。うまくいけばミスティンキルと共に“炎のデ・イグ”を見ることが出来るかもしれない。

 『“炎のデ・イグ”への冒険記』――なんと胸おどる表題だろうか!

 冒険家たる彼女は、この旅が終わったら故郷に戻って日記をまとめるつもりなのだ。かの冒険家テルタージがそうしていたように、自分もこの旅を記録に残し、後世の人々の役に立てたい、と願っていた。また幼い頃の自分がそうだったように、本を読んだ人が好奇心に駆られ、魅入られたように次々と頁をめくり冒険行に没頭していき、最後になんとも言えぬ喜びを得て明日からの生活を希望を持って臨むようになる――そのような人の心に触れる冒険記を残していく事こそが、自分が心からやりたい事なのだ。


◆◆◆◆


 ミスティンキルから呼ばれたあとも、ウィムリーフはしばし空の散歩を楽しんでいた。しかしあの朴訥な若者は、ひょっとしたら彼女が降りてくるのを待ってくれているのかもしれない。彼女はそう思い、翼をいつものように大きく広げながらゆっくりと着地しようとした――。


「――え?」

 それは予想し得ぬ落下だった。彼女の翼は突如として揚力を失い、まるで翼をもがれた鳥のように彼女の体は急降下したのだ。

 とっさに周囲にいる風の精霊に語りかけ、次の瞬間にはなんとか体勢を持ち直したものの、彼女の背中からは一瞬だけ、翼の力が消え失せたのが明らかだった。

 生まれながらにして翼を持つウィムリーフにとって、翼を操るのは瞬きをするのと同じくらい当たり前の動作であり、間違えようがないはずなのだ。その自分がなぜ今、翼を操れなかったのだろうか?

 翼は目に見えないし、触わることすら出来ないのは分かっていながらも、ウィムリーフは不安げに後ろを見ながら手を背中にあてがう。翼がきらりと光るのを見て、ようやく彼女は安堵して再び降下をはじめた。


 降りる最中、あらためて注意深く周囲を見渡すが――ふと彼女の感性に訴えてくるものがあった。

 はたして山々の稜線というのはこんなにも薄ぼけて見えるものだったろうか? 空の色や草の緑すらもどことなく色あせて見えるのは、果たして気のせいなのか? 今し方までは思いに耽るあまり、注視していなかった景色が、どこかしら普段と違って見えていることに気付いたのだ。

 何も知らない旅人であれば、ユードフェンリル大陸のみが持つ独特の色合いだと説明されれば納得するかもしれない。が、彼女は冬の四ヶ月もの間、ミスティンキルと共にこの大陸に逗留していたのだ。そのようなことがあろうはずはない。このくすんだ色合いは、世界そのものに異変が起こりつつある兆しではないだろうか。冒険家として彼女はそう直感した。

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