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赤のミスティンキル  作者: 大気杜弥
第二部
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第九章 事態急変す (二)

(二)


「あいつはひとりで行っちまった。……そういうことだな」

 事実を事実として、ミスティンキルは受け入れざるを得なかった。ちらりと、塔の屋上を一瞥する。

 対するアザスタンは言い淀み、少し思案した後に口を開いた。

「ひとつ、ぬしに謝罪せねばならない。すまぬ。わしが至らなかった。ウィムリーフを制止できなかった。わしは彼女の魔力に屈したのだ」

 アザスタンは首を垂れ、懺悔ざんげした。

「なんだって?」

 ミスティンキルは思わず聞き返した。アザスタンが再び、信じがたい言葉を口にしたからだ。


「制止できなかった、だと?」

 ミスティンキルはぽつりと呟く。間を置いて彼は言葉の意味を理解した。頭に血がかあっと上ってくる感覚を覚えた。アザスタンに殴りかかりたい暴力的衝動に駆られるが、すんでのところで感情を抑え込んだ。握った拳をわなわなと震わせる。

「なあアザスタン、おれの気持ちが分かるか? 今、おれは自分の気持ちを殺している。いつまで抑えきれるか分からねえ。……あんたの言ったとおりだ。あんただったらウィムを止められただろうに! なんでできなかったんだ!」

 ミスティンキルは烈火のごとく怒り、吠えた。

「……こうしてぶちまけたところで、今のくそったれな有様がどうにかなるわけじゃねえが、それくらいは言わせろ」

 低い声に憤怒の情念をはらませて言葉を吐いた。

「……おぬしはウィムリーフの連れ合いだ。その権利はある」

 アザスタンは首を垂れたまま、静かに同意した。

「だろう。だけど……くそっ! ウィムがいなくなるなんて、こんなことになるなら、おれだってのうのうと眠らなかったのに! なんなんだ! なんでこうなっちまってるんだよ! おかしいだろう!」

 ミスティンキルの怒りは、今度は自分自身に向けられた。悪口雑言を並べて自身を罵る。ウィムリーフのことを誰よりも理解していたつもりだったのに、その実まったく分かっていなかったことに憤っていた。


「ウィムリーフを止められなかったのには理由がある。我ら龍というものは元来、おのが誇りのために安い言い訳などするものではないと考えておる。だが今は違う。誇りなどよりも大事なものがある。わしに弁明をさせてくれ」

 ミスティンキルの怒りが鎮まったのを見計らい、アザスタンは言った。

 ミスティンキルは苦い表情のまま無言で頷き、アザスタンに続きを促した。

「わしらが先ほど塔から降りてここに戻ってきたあと、……わしは今し方まで意識を失っていたのだ」

「……はあ?」

 ミスティンキルは自分の耳を疑った。

「おかしなことを言いやがるな。それともおれの耳が変なのか? あんたはさっきここで、ウィムと真っ向からやり合ってたじゃねえか。おれはしっかりと見ていた。それを知らない、だと?」

「失礼。そうだな。ウィムリーフと対峙したあの時まで、わしは己を保っておった。そしてウィムリーフの思惑を聞き出すのは難しいことではないと思っておった。わしは己におごっておったのだ。

「だが、彼女の心に問いかけたまさにその時、あの娘は尋常ならざる大量の魔力を一気に放出させ、わしに差し向けてきたのだ――! まったき青を宿した魔力が波濤はとうのように押し寄せてくる。おぬしには見えなんだか?」

 ミスティンキルは首を横に振った。

「そんなもの、かけらも感じなかったが?」

「ふむ。わし以外には認識できぬように、限定的に魔力を展開したというのか。それでいてあの威力……。ウィムリーフもまた、魔法使いとしてかなりの手練てだれだったということか」

「あいつが魔法使いだって? “風の司”じゃなくてか?」

 ミスティンキルは訝しむ。

「さよう。あの娘の、魔法使いとしての才覚だ」

 アザスタンは言葉を続ける。

「ともあれ、事態はわしにとってまったく予期せぬものとなった。怒濤どとうの魔力に対して抗う時間などないまま、わしは魔力に飲まれ――なすすべなく前後不覚に陥った。次にわしが気付いたとき、すでにウィムリーフは塔の上にひとり立っていた。地べたにおるおぬしとわしを一瞥すると、躊躇ためらうことなく空中に舞い、飛び去った。――これがわしの認知する一連の顛末てんまつだ」

「待てよ。あんたはウィムとやりあった後もちゃんと意識があったんだぞ? それも覚えてねえのか?」

「その記憶は無い。ぬしにはわしがまったく事も無げに見えたのか? ならばそれはわしの無意識がなしたもの――いや、それともわしはウィムリーフに操られていたのか……? とにかく分からんのだ。まったくもって」

 アザスタンは釈然としない様子だ。長い時を生きてきた聡き龍ですら知り得ぬことが世界には存在すると、まさかここで思い知らされることになるとは。


「ウィムは言ってた。あんたと向かい合っていたときに『自分を信じてほしい』と訴えたと」

「否。彼女はわしになにも語らなかった。あの熾烈な魔力攻撃を『信じてほしい』と解釈するのは不可能だ。まったく解せぬ。あの娘の本性が掴めぬ」

 アザスタンは降参だとばかりに首を振った。

「……もし覚えているなら教えてくれ。あいつはどんな顔をしていた? おれはウィムの背中しか見ていなかった」

 アザスタンは鼻から煙を吐いた。人がパイプをくわえ、煙をくゆらすように。

「普段のあの娘のままに。だが魔力でわしを圧倒したあの時、ふと笑みを浮かべたように記憶している。……ああ。あれはウィムリーフらしからぬ、冷徹なものだったな……」

「ウィム……」

 ミスティンキルの表情が陰る。ぎり、と。再び歯をきしませた。

「今までおれはずっと手玉にとられてたってのか? ここでこういうことが起きると知って、おれ達を連れてきたのか?」

 それに対して龍頭の戦士は無言を貫いた。ことごとく、彼らにとっては理解の範疇はんちゅうを超えていたのだ。


◆◆◆◆


「――追いかけよう。あいつを」

 ミスティンキルは毅然と顔を上げて意を決した。


『お前が妙なことをしようとしたら全力で止める。任せろ』

 先ほどウィムリーフに誓ったばかりだ。そのときの彼女は、ミスティンキルのよく知るウィムリーフだったと確信している。

 彼女がなぜ自分達を置き去りにしたのかは分からない。しかし必ず追いかけてつかまえて、全てを明白にする。そして今度は三人でオーヴ・ディンデへ堂々と向かうのだ。別れてなどやるものか。

「アザスタン、おれは飛ぶぞ!」

 ミスティンキルは威勢よく言い放つ。アザスタンが制止するが、ミスティンキルは聞く耳を持たない。向こう見ずでも構わないとミスティンキルは思っていた。己を鼓舞していないと負の感情に落とされてしまうと恐れていたのだ。

(塔の上まで飛び上がる! あの屋上がいいか。見晴らしがいいところから“探知の術”を使って、あいつがどこにいるか突き止める!)


 彼は目を閉じて頭を上に向ける。それから意識を研ぎ澄まし、“飛ぶ”というイメージを脳内に思い浮かべる。意識は空の方角を向き、心身が軽くなったような感覚をつかみ取った。

 こうして準備は整い、覚悟も決めた。物質界では目視できない、ドゥロームの黒い翼を慎重に広げる。


 だが刹那、あの忌まわしい呪いが覚醒し、ミスティンキルに襲いかかった!

 きぃんと、耳をつんざく轟音が彼の脳内を蹂躙じゅうりんする。ミスティンキルが目をかっと見開くと、今度は視野全体が暗黒に染まっていくのが分かる。翼の生えている背中のあたりから激痛が走り、明確な殺意をはらんで心臓に到達せんとする。さらに、『死ね』と。『滅べ』と。彼の意志すらも邪悪ななにかによって浸食されていく――

「があっ……!」

 ミスティンキルはよろめき、自分の身体を抱きしめるようにして痛みに耐えようとした。しかし呪詛は絶対的な効力を発揮しており、人の身ごときで抗えるものではない。強大な魔力を内包するミスティンキルをしても、である。

 彼は呪いをおそれた。“飛ぶ”という意志を否定すると、激痛はすうっと治まった。

 戒めから解放され、彼はがくりと膝を落とした。身体が重い。両手を地面についてぜいぜいと息を吐き、ただ目の前の地面を見つめる。鼻先からぽたりぽたりと汗が落ちる。


 この島で自分達に降りかかった呪いはまったく弱まっていない。ミスティンキルはあらためて、翼を広げて飛ぶなど不可能だと思い知った。

「どうしたってんだ、おれは。おれの翼は! あいつは飛んだってんだろう?!」

 ミスティンキルは悔しさのあまり、拳を握りしめて地面に叩きつけた。二度、三度と。惨めな自分を叱りつけるように。


 沈黙が周囲を包む。太陽は西方のロス・ヨグ山の向こうに隠れ、時は夕暮れから夜の刻になろうとしていた。


 助けがほしい、と。ミスティンキルは切に願った。同時に、自分がなにか重要なことを失念しているとも感じた。だがそれがなんなのか、すぐには思い出せそうになかった。


 怒り、失望、喪失感、悲しみ――幾多もの感情が複雑に織り混ざり、ミスティンキルをさいなむ。つう、と。ミスティンキルの瞳がうるみ、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出た。嗚咽をぐっと堪えながら立ち上がり、よろめきながら歩く。その先にウィムリーフの荷物袋がある。ミスティンキルはがばりと袋に覆い被さり、顔を伏せた。

「なんでもいい。お前に会いたい。おれがなにもできないままだなんて……」

 打ちひしがれた彼は、純粋な思いのたけを口にした。

「どうか助けてくれ……」

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