第八章 魔導塔 ヌヴェン・ギゼ (四)
(四)
いろいろなことが起こった塔から降りて、三人は水路のある正面へと戻った。ヌヴェン・ギゼに辿り着いて最初に休憩を取った場所だ。その安らいだ雰囲気は先ほどと寸分も変わらない。すっかり変わってしまったのは三人のほうだ。
ミスティンキルは草原にごろりと仰向けに寝転がった。これ以上動きたくないと言わんばかりだ。肉体的にというよりも、精神的にかなり堪えた。アザスタンも木陰で座り込んでいる。一方――
「お疲れさま。あたしはこれから壁の模様を描くけど、ミスト達はもう休んでもらってかまわないわ」
ウィムリーフは柔らかな口調で言った。先ほどの変容など無かったとすら錯覚するまでに。
「これからって、お前」
ミスティンキルは気怠そうに上半身を起こした。
「うん?」
ウィムリーフは画材を手に取ると、ミスティンキルに聞き返す。
「おれのことはいい。お前こそ休まなきゃいけねえよ……あー、そんな身体なわけだし」
ウィムリーフの身体は今なお青い光に包まれている。
「こんな身体? そうね。光ってるけど……あたし自身、とくにどうといった異常はないみたいだし、気に病んでもないから安心して」
ウィムリーフは笑ってみせようとしたが、一転、表情を曇らせた。
「本当……さっきはミストにもアザスタンにもいろいろ迷惑かけちゃったわね。あたし、どうにかしてた。冷静じゃなかったわ。ごめんなさい」
ウィムリーフは二人に対してそれぞれ頭を深く下げた。
「いや、いいって。顔あげろって」
ミスティンキルは優しく言う。異変のことはさておき、なるべく普段どおり彼女と接しようと意識する。
「正直に言っちまうと、やっぱりお前のこと心配なんだよ、おれは。いくらなんでも頑張りすぎじゃねえのか。疲れてんならそうだって、はっきり言ってくれ! あんまり根詰めるなよ!」
ウィムリーフはゆっくりと顔を上げ、ミスティンキルに微笑んでみせた。
「へえ? 優しいんだ、ミスト。……気遣ってくれてありがとう。まあ、そりゃあ疲れてるわよ。でも描くのは楽しいから平気。あとはしっかり食べて、夜ぐっすり寝れば回復するわ」
二人のやりとりはいつもの雰囲気に戻っているようにみえる。
「――この魔導塔のこと、もっと記録しておきたいのよ。これは冒険家としての使命ね。絵を描ききったら今日はもう動かないから、安心して」
「そうだな――」
(おい)
承知しかねたアザスタンがミスティンキルに念を飛ばしてきた。
(おぬし、それで納得できるのか。言葉面だけで)
(それなりには……)
(言い淀むとはおぬしらしくない。納得できないのならば問いただせ。先ほどのわしの言葉が引っかかっているのだろう?)
アザスタンの念には圧力がこもっている。
(ああもう、分かった!)
ミスティンキルは念を打ち払うと、あらためてウィムリーフに語りかけた。
「ウィム。そのう……」
ウィムリーフを傷つけないようにとミスティンキルは言葉を選びながら、どうにかしゃべろうとする。今の二人を取り巻く、心地よい雰囲気を壊したくない思いもある。
「なんていうかな、ええと、そうだ。さっきウィム、夢を見てたって言ってたじゃねえか」
「……? うん」
「お前、魔法をかけられてるとか、ないか? 夢を見ていて暗示にかかるとか、そういう話を聞いたことあるぜ」
ウィムリーフは信じられないとばかりに、びっくりした表情を浮かべた。
「ええい。……おれも物を上手く言えないからな。たとえばだ。ラミシスの亡霊やなにかに操られてるふしはないか? それがお前をオーヴ・ディンデに誘い込もうとしているとか……」
それを聞いてウィムリーフは吹き出した。
「あたしはあたし。きちっと自分を保ってるわ。操られてなんかない。大丈夫よ。――でもごめんね。そこまで気にかけてくれて」
ウィムリーフはかがみ込み、目線の高さをミスティンキルと同じくすると、神妙に頭を下げた。
「ああ、わかったわかった! いやな、お前が自分のことをちゃんと分かってるっていうなら問題ねえんだ」
ミスティンキルは咳払いをした。
「よし……分かったよ。じゃあおれはちょっと休むから、野営の支度をする前に起こしてくれねえか? それまで絵を描いてていいぜ。それに、飯食ったらちゃんと休めよ。今夜の見張り、ウィムの分はおれがやっておくから」
「そうするわ、ありがとう。それじゃあ、お日様が隠れる前に起こしてあげる」
「おう、頼んだぜ。んじゃあ失礼して、お休み」
「――待て、ウィムリーフ」
そこにしびれを切らしたアザスタンが割って入った。
アザスタンはやおら立ち上がる。ウィムリーフは察したかのようにすぐさまアザスタンのいる場所まで歩き、彼と真っ正面から対峙した。龍頭の戦士は黙したまま、ウィムリーフの群青色の瞳を見ている。
「おい、アザスタン」
ミスティンキルは起き上がり、やや語気を荒げてアザスタンを睨む。アザスタンは今ここで何をしようというのか。
「大丈夫」
ウィムリーフはアザスタンを見たまま、左手を差し出してミスティンキルを制止する。
「……ことを荒立てんなよな、アザスタン」
舌打ちをして、渋々ミスティンキルは了解した。
しばらくの間、アザスタンとウィムリーフは向かい合う。双方とも身動き一つとろうとしない。
【龍の瞳を真正面から捉えるとは、さすがだな、ウィムリーフ】
アザスタンが龍の言葉で語りかける。そしてちらと、ミスティンキルを一瞥した。それから視線をウィムリーフに戻す。
群青の瞳と白い瞳――鋭く視線が交差する。しばらく、周囲を沈黙が支配する。
【……ふむ。まあいい。絵を描くというのなら好きにするがいい】
やや時を経てアザスタンが言った。彼はどすんと座り込むと再びだんまりを決めた。何事もなかったかのように。
ウィムリーフはほうっと大きく息をつくと、ミスティンキルのそばまで戻ってきた。
「ウィム、何をされた?」
「アザスタンはあたしのことを試したわ。『お前は何者か』とか『ラミシスを復活させようとしてはおるまいな』とかね」
ウィムリーフは苦笑する。
「野郎――!」
ミスティンキルは憤慨し、アザスタンを睨み付けた。当のアザスタンはうつむいて目を閉ざしたまま、なんの反応も示さない。
「なんてこと言いやがる!」
「待って! そりゃあね、そんなこと訊いてくるなんて今まであり得なかったけど、アザスタンが不審がる気持ちも分かる。ミストだって変だと思ったでしょう?」
ミスティンキルは押し黙り、目を伏せた。
「アザスタンには『あたしのことを信じてほしい』って、必死に心の中で訴えた。――龍の瞳を見ながら向き合うのは怖かったけど、アザスタンは分かってくれたわ。あたしはあたしだってことをね!」
ウィムリーフは目くばせをした。それだけで、ミスティンキルのすさんだ心が癒されていく。
「ほら、疲れてるんでしょう? 休んでしまいなさいな。時間が来たら起こしてあげるから」
ウィムリーフの言うとおり、ミスティンキルは身体を横たえた。ウィムリーフは横にしゃがみ込むと、ミスティンキルの頭を優しく撫でる。
ミスティンキルは、自身のいきり立った気持ちが安らいでいくのを感じていた。ウィムリーフの存在は彼にとって何物にも代えがたい大切なものだと、こうしているとあらためて思い知る。
「ウィム。お前も無茶はするな。おれ達にできることがあるなら言ってくれ」
「あたしはただ絵を描くだけよ」
彼女は笑おうとして、一転、表情を曇らせた。
「そうね。あたしがまたぼうっとして……おかしなことをやらかしたら、あんたが抑えてね。……ごめん。さっきから『大丈夫』なんて言ってるけど、やっぱりそのうち半分は不安だわ」
「不安か。……だろうな。おれがお前の立場だとしてもそう思う」
ウィムリーフは黙って聞き入る。
「そして、お前が妙なことをしようとしたら全力で止める。任せろ」
ミスティンキルはそう言って手を上に伸ばし、ウィムリーフの頭を撫でた。
「力強いお言葉、ありがとう。お願いね。……ふふっ、人の立場になって考えるなんて、ずいぶん人ができてきたじゃない、ミストも」
ウィムリーフは目を細めた。魔導を継承し、さらに“炎の司”の地位を得て、ミスティンキルは成長した。だが一番彼に影響を与えたのは――
「そりゃあ、誰かさんのおかげだろうよ」
ミスティンキルの手はウィムリーフの手を捉え、両者の指が絡み合う。
「ね、あたしに安心をちょうだい、ミスト」
「ああ……」
そう言うと二人はしばし見つめ合い、軽く口づけを交わした。
太陽は西へと傾きつつある。草の匂いと涼やかな風を感じながら、ミスティンキルはウィムリーフの顔をぼんやりと見つめる。しかしほどなくして、まぶたが重くなってくる。
「……眠くなってきた。ちょっと寝るわ」
ここでは静かな時間がゆっくりと流れていくようだ。ヌヴェン・ギゼについて、そしてウィムリーフについて気がかりな点はある。しかし今はさておこう。眠りに就いてしまおう。ミスティンキルは安らぎに包まれながら、睡魔に身をゆだねていくのだった。
「はい、お休み。またね」
ウィムリーフは立ち上がると、それきり黙り込んだ。




