第八章 魔導塔 ヌヴェン・ギゼ (三)
(三)
「おお……?!」
ミスティンキルは驚きの声を上げた。さらに時を同じくして――ウィムリーフの全身がまたしても青い光に包まれていく!
「……!」
ミスティンキルは言葉を失う。取り乱したりしないよう、必死に自分を抑える。
(なんだ?! これ以上、一体なにが起きようとしてるんだ?!)
ウィムリーフの発する淡い光によって、周囲が青く照らし出される。彼女はまるで自身の異変に気付いていないかのごとく表情を変えず、天井の“魔力核”を見つめている。微動だにしない。ただ、口元だけがかすかに動いている。何かを囁くかのように。
ミスティンキルはアザスタンを一瞥した。押し黙ったままの彼だが、いつもの平静さにはやや欠けている節がある。
「お、おい、ウィム!」
ともかく彼女を正気に戻そう。強硬手段だ。ミスティンキルはウィムリーフの両肩をがっしりとつかんだ。細いがしっかりした肩を。
【己を戻せ! ウィムリーフ!】
その時、アザスタンが龍の言葉を強く発した。龍の発する言葉――その魔力たるや、人のそれとは比べものにならないほどに強い。ウィムリーフの身体が微動し――今度こそ彼女の瞳に意識が戻った。
「あ……れ? どうしたんだろう? あ……あたしまた光ってる……!」
ウィムリーフは自分の身体を見やって戸惑いの声を上げた。
「大丈夫なのか?! ウィム」
ミスティンキルは肩を抱いたまま問いかける。赤い瞳と群青の瞳――その視線が重なり合う。ややあって、ウィムリーフはこくりと頷いた。
「大丈夫よ……」
そう言った彼女は間違いなく、ミスティンキルの知っているウィムリーフだった。そして彼女はそっと、ミスティンキルの手に自分の手を重ねてきた。その柔らかく暖かい感触。ミスティンキルはとりあえず安堵した。
「今さら……思い出したわ。馬鹿だ……」
うつむき加減に、ウィムリーフが自嘲する。
「思い出した?」
ミスティンキルが訊く。
「ユクツェルノイレが言った言葉よ……。本当、今さらよね。なんてあたしは馬鹿なんだろう……!」
俯いたままウィムリーフは声を震わせる。入り交じった負の感情をなんとか押し殺そうとしているのがミスティンキルには分かった。
「ウェインディルを探すって強く決めてたのよね。あたし達二人で。だからあたしは絶対に忘れるはずなかった。……けれど……なんでだろう……? なんで忘れちゃってたんだろう……? もう、わけが分からない!」
ウィムリーフの感情が堰を切ってあふれ出た。こうなっては彼女自身でもどうしようもなく、ただ嗚咽を繰り返す。
「それにまた……ほら。魔力がこうして出てきちゃってるし。ねえミスト。あたし、どうにかなっちゃってるのかな? 毎日毎日、あたしの身体が青く光るなんて……それがだんだん早くなってるなんて……!」
ウィムリーフは顔を上げてミスティンキルを見た。涙で顔がぐしゃぐしゃになりながらもウィムリーフは苦笑いを浮かべる。彼女のこんな弱く痛々しい姿を見るのは、ミスティンキルにとってはじめてだ。彼自身も動揺を隠せない。それでも彼は震える手を伸ばし、ひどく苛まれている恋人をぎゅっと抱きしめた。
「馬鹿。そんなわけあるか。この島にラミシスの魔法が残ってるから、それに反応してるだけだ。島から出れば元に戻る」
彼の言葉は当てずっぽうのでまかせでしかない。だがそれでも、ミスティンキルはウィムリーフを安心させたかったのだ。
「ミスト、ありがとう。ごめんね……」
ウィムリーフは指でそっと涙を拭った。ミスティンキルは彼女の頭を二度、三度と優しく撫でる。彼女の暖かさ、柔らかさを感じていると、自分の動揺はすうっと消えていった。
しばらく経って、ウィムリーフはミスティンキルの腕の中から離れた。ウィムリーフは涙を拭い、呼吸を整える。凛とした表情。それはいつもの、賢く落ち着き払ったウィムリーフだ。
「ウィム……」
ミスティンキルは笑みを浮かべ、恥ずかしそうにミスティンキルとアザスタンを見た。
「取り乱してごめん。とにかく今は、この冒険に集中しましょう。メリュウラ島からデュンサアルへ帰ったら、二つの冒険記をまとめて完成させるわ。……そうしたらあたし達、新しい旅をはじめましょうよ。ウェインディルを探す旅を」
ウィムリーフは気丈に言ってみせた。
「さ、行きましょう。そこの壁づたいに階段があるわ。あれを上っていけば屋上に出られそうよ」
見るとウィムリーフの言うとおり、四方の壁の一つに階段が設けられ、つづら折りになって天井まで伸びている。彼らはそちらに向かった。
◆◆◆◆
ウィムリーフを先頭に三人は一列縦隊になり、壁面に設けられた狭い階段を慎重に上っていった。強固にしつらえてあるように見受けられるものの、塔が建造されてから八百年もの年月を経ている。階段が朽ちていないか、足元を一歩一歩確かめながら上を目指す。
そうして天井まであとひと息、青く明滅する“魔力核”に並ぶ高さまでようやく上がってきた。
塔の壁面には外へ繋がる小さな穴が三カ所だけ開けられており、鳥が巣を作っていた。先ほど外を見渡して塔を確認したときと同様だ。三人は鳥達を刺激しないように階段を上っていく。
一方、天井から鎖で吊られている奇っ怪な立方体は、硝子かなにかでできているようだ。核の内部にはなにかしらの魔力が存在している。詳細は分からないが、それがよくないものであるとミスティンキルは直感した。
「――夢を見ていたのよ。ずっと」
先頭を行くウィムリーフが独り言のように語り出した。
「デュンサアルの宿で、あたし達がやってのけた冒険を書き綴ってるときにね、もう次の冒険のことを考えちゃうのよ。せっかく東方大陸の南端まで来たんだから、ラミシスの遺跡に行ってみたい。そう思うようになってから、なんていうのかな……奇妙な夢を見はじめたのよ」
こつ、こつ、と階段を上りながらウィムリーフは言葉を続ける。
「……あれは夕暮れ時。どこか知らない宮殿の中にあたしひとりがいるの。そしてたったひとりで歩いて行くのよ。どこの宮殿なんだろう。大陸にはないような様式で、とても綺麗だったわ。しばらく歩いていると誰かに呼ばれた気がして――ふと気付くと、いつからかあたしは長い螺旋階段を降り続けているの。で、あたしの少し前には人の影のようなものが歩いているの。あたしは影の後を追うように階段を降りていくのよ。それからあたしは――」
そこでウィムリーフは言い淀んだ。
「――。そんな夢を何度も何度も続けて見てるうちに、夢の場所はオーヴ・ディンデ城で、オーヴ・ディンデがあたしを呼んでるんじゃないかって。……夢の中の出来事だからうまく言えないけれど、運命的なものを直感したわ」
ウィムリーフは立ち止まり、振り返った。彼女を覆う青と“魔力核”が放つ青。二つの色合いはいかな偶然によるものか、酷似していた。瞬く周期すらも同調しているように見える。
「そう、ここに来なければならなかった」
先ほどと同じ言葉を――しかし毅然と――ウィムリーフは言ったのだ。
「ウィム?」
ミスティンキルには彼女が何を言わんとしているのか分からない。彼は返す言葉が見つからずに戸惑った。そんなさまが可笑しいのか、ウィムリーフは妖しげにくすりと笑った。
「さあ、行きましょう」
そう言って彼女は階段を再び上っていく。訝りながら後の二人もついて行く。
こうして階段を上り詰め、ウィムリーフはとうとう天井部に至った。目の前には石造りの厚そうな扉がある。これを開ければ塔の頂上に出られる。
「よっ……やっと!」
気合い一声、ウィムリーフは重厚な扉を真下から押し上げた。外から差し込むまばゆいばかりの光が、彼らの目を眩ませた。
「重そうな扉だな。手を貸すぜ」
彼らを覆っているぎくしゃくした雰囲気を吹き飛ばそうと、ミスティンキルは声をかけた。
「平気!」
ウィムリーフは即答し、歯を食いしばって腕に力を加える。どすんと重い音を立てて扉が開放された。
「ふうっ……出るわよ!」
ウィムリーフに続き、ミスティンキルも光の中へ――ヌヴェン・ギゼの屋上へと躍り出ていくのだった。
◆◆◆◆
そうして三人は屋上に立つ。地上から半フィーレの高みにいて、周囲の全てを見渡すことができるのだ。淀んだ空気と陰鬱な闇が支配する中から出てきたので、高地の空気がとても心地よい。
彼らがまず確認したかったのは、オーヴ・ディンデの現況だ。カストルウェンとレオウドゥール両王子が、そしてエシアルル王ファルダインと朱色のヒュールリットすらも、オーヴ・ディンデに辿り着けなかった。強力な結界は、いまだに存在しているというのだろうか?
三人は円状に広がる盆地を遠望した。空気が澄んでいるために盆地の全容が眺望できる。戦火を逃れたラミシス王国時代の建造物がそこかしこに残っているのが分かる。あの地域こそがかつてのラミシス王国の中枢部。そして中央には王城たるオーヴ・ディンデがあったのだ。が――
「やっぱり……」
「見えねえ……か……」
ウィムリーフもミスティンキルも言葉を失う。
「結界……」
アザスタンが忌々しそうに言った。
盆地の中央部――オーヴ・ディンデ周辺の領域が不自然にぼやけて見通せない。半球状を象ったそれこそが結界だ。オーヴ・ディンデは今なお、結界の向こう側にあるのだ。三人が受けた呪いといい、先ほどの青い“魔力核”といい、この島にはいまだに何かしらの魔法が残存している――あるいは発動されたのか――?
「ウィム……。見てのとおりだが、それでもお前は行くっていうのか?」
「行くわ! もちろんよ! 何言ってんのよ!」
こともあろうかウィムリーフは激昂し、ミスティンキルに噛みついてきたのだ。
「結界なんて解いてみせる! あたしはあそこに行くためにこの冒険を始めたのよ! 万策尽きるまでやってみせる! このままおめおめと帰るなんてわけにはいかないのよ!」
彼女は、らしくもなく吠え、ミスティンキルを睨んだ。面を食らったミスティンキルは、もはやだんまりを決め込むしかない。さらにウィムリーフは、鋭い眼差しで結界を凝視した。彼女の醸し出す執念たるや尋常ではなく、アザスタンまで圧倒されてしまっている。
しばらくの間、ウィムリーフは結界を睨み付けていたが、やがて目を閉じると大きく一呼吸した。冷静さを取り戻したのだろう。彼女の顔つきが穏やかなものになる。
「……降りましょう。これで探索は終わり。あとはゆっくり休みましょう」
ウィムリーフは二人に、まるで憑き物が落ちたような晴れやかな様子で言う。そうしてくるりときびすを返し、階段をこつこつと降りていくのだった。
腑に落ちないのは屋上に残されたミスティンキルとアザスタンだ。ウィムリーフはどうしてしまったのか。
「なんなんだよ。あいつは。気が触れちまったのか? 本気で心配になってくるぞ。アザスタンはどう思う?」
ミスティンキルは口をとがらせた。
「……先ほどのウィムリーフだが、自我をほぼ喪失していたぞ」
アザスタンは言う。
「自我を喪失?」
と、ミスティンキルは聞き返す。
「ウィムリーフが青に包まれた前後のことだ。“魔力核”を見上げて認識したときとも言うが……あの娘はおかしかった。今までに無い、異様な気配を感じた」
「ああ……」
ミスティンキルは頷いた。彼女が記憶を失ったというだけならまだいい。虚ろになったり激昂したりと、こうも様子を豹変させるとは、ミスティンキルの知っているウィムリーフらしからぬことだ。彼女に何が起きているのか。
「そりゃあその、疲れてたんだろう。こんなきつい冒険をしてきたんだ。おれだってフラフラだからな」
ミスティンキルは言い繕う。それがでたらめで、自分を安易に安心させたいがための言葉だと分かりつつ。
「否。そのような表層的な要因ではないだろう。体力も精神も、あの娘は強靱だ。おぬしも知っておろうに」
龍はすぐさま看破した。
「じゃあ……」
「なあミスティンキルよ。あれは――今し方わしらが見ていたウィムリーフは、本当にウィムリーフだったのか……? 彼女自身が分かったうえでの言動なのか?」
ミスティンキルの言葉を遮り、アザスタンは真摯に問うた。しばし、ミスティンキルは押し黙った。取り繕っていても仕方がない。龍のアザスタンは嘘などすぐに見抜いてしまう。ならばとミスティンキルは、自分なりの推論を吐露した。
「……誰かがウィムリーフを操っていたとでもいうのか?」
「あるいは。それもあり得る」
アザスタンの言葉にミスティンキルはぐさりと心をえぐられた。
「……なんのためにだよ?」
ぶっきらぼうなミスティンキルの問いに対して、アザスタンは目を細めた。ややあって彼は答えた。
「……魔導王国の、復活」
それを聞いてミスティンキルは目を見開いた。
「はあ?! よりによって……馬鹿馬鹿しい! そんなこと――」
「可能性としては捨て置けぬぞ。この地に来てこうも魔法が発動しているのはなぜか? 偶然か?」
ミスティンキルは二の句が継げなくなった。どくどくと、鼓動が早まっているのが分かる。動揺しているのだ。
「どう思う?」
龍は容赦なく、ミスティンキルの返答を求める。
「……魔導を継承したおれ達がこの島に来たことで、今まで眠っていたラミシスの魔法を起こしちまったのかもしれない……ウィムにばかり変なことが降りかかるのは分からねえけどな」
「ラミシスの中枢域、そしてオーヴ・ディンデ。かの地になにがしかの答えがあるのだろう。進むほかはない。罠かもしれないと知りつつもな」
「……ウィムのやつがなんかの鍵になっていると?」
「今までの状況を踏まえると、そう考えるべきだろう。ともあれオーヴ・ディンデまでの道のり、わしらはより注意せねばならない。魔法の発動にも、ウィムリーフの異変にも」
アザスタンはそう言うと階段を降りていった。
「それでもだ。……おれは、あいつを、信じてる」
ミスティンキルはひとりごちた。彼女の身に何か起ころうとしているのならば、自分が助けないとならない。その意志を固めた。




